忘れ物
「ええ…ええ…、はい。そうなんですよね。確かに一部の『被差別コミュニティ』出身者の方に対しては今でも『行政に頼りすぎている』等と厳しい発言を繰り返しています。しかしですね、それはあくまでも『一部の出身者』に対してですよ。大半は勤勉な方々かと思いますし。だけど長年に渡る不況の影響なのか、特に当該出身者の失業率が極めて高い状況が続く上に衣食住も他の一般市民の方々と比較して著しく手に入れるのに困難である旨を散々伺っております。従いまして私共と致しましては思い切って当該エリア一帯を再開発して、大型商業施設やレジャーランド等の設備を設け、外部から訪れる人々の誘致だけでなく、被差別エリアにて生活される方々の雇用活性にもつながるのではないかと考えておりまして…。」
季節は11月に入った。朝晩はめっきり冷え込み、昼間は穏やかな秋晴れと紅葉が綺麗な時期となった。ところが外の景色とは真逆に、井田あきよの店に備え付けてあるテレビの画面内には、特にここ最近
増加気味の『自称ポピュリスト系』の人達から絶大な人気を誇る女性政治家の蓮田麗羅が、政治系チャンネルにてやたらと得意気になって主義主張を声高にまくし立てていたのだ。
「よく言うよ。何様のつもりなの、この女。今まで散々うちらの事言いたい放題言っていた癖して、
今頃になって何が『勤勉』だよ?ああ、本当に不愉快千万ったらありゃしない!」
井田あきよが店内備え付けのテレビに向かって不満をぶつけた。
この日も例によってあいりはあきよの飲食店でアルバイト中であった。先日原稿持ち込みの際に、
担当編集者の瀬川健斗に誘われた井辻大典の個展の帰りの際に、同じ電車内にいた乗客が話題にしていた
被差別コミュニティ再開発の話を思い出した。当時は単なる噂に過ぎず、あいりも左程気にしていなかったが、今、こうして画面上にて蓮田麗羅『先生』が大声で捲し立てている様子を見ると、何となく嫌な感じがせずにいられなかった。同時に先日末妹の海原りりかが自身の胸部と下半身を指差しながら、野田英作から『なでなでしてくれた』と無邪気にはしゃいでいた姿が、どうしてもあいりの頭から離れる事ができずにいたのだ。
「それにしてもここ最近、本当にこの蓮田麗羅って政治家の女性、世代問わず凄く支持者を増やしているみたいですよね。」
すっかりあきよの店の常連となり、個人的にも海原あいりとSNSや電話等でのやり取りを続けている埴科透が口を開いた。
「そうそうそう、そうなのよ~!!!!!!ところで埴科君はこのクソ女の事どう思ってんの?」
あきよは被差別コミュニティ住民から見て『よそ者』的立ち位置である透の考えを軽く尋ねた。
「え、ええっ…???俺ですか?いや、まぁ…自分は政治とか全然興味がないんで…。」
透はあきよの問いに対して一瞬『ギョッ』としたが、差し障りのない程度で回答した。
「あ~あ、また始まっちゃった!ちょっとあきよさん、他人、しかもお客様に対してやれ政治だの思想だの尋ねたりしちゃダメですってば!!!!!」
政治思想や宗教など、通常の社会生活では迂闊に触れるべきではないセンシティブ情報であっても、
あっけらかんとした性格のあきよは相手を選ばずに、つい突っ込んだ質問を投げかける事が良くあり、
パートナーの故小島周造からも生前よく窘められていたのだ。
「嫌だ、あいりちゃん。ちょっと水臭いよ。もう埴科君だって今となっては完全に仲間同然みたいな関係じゃん?」
あいりから窘められたあきよであったが、全く意に介さない様子だった。
「今日もご馳走様でした。そろそろ失礼します。」
食事を終えた透は会計を済ませ、店を後にした。
「はーい、今日もありがとうね。又来てねーーーーーーーーー!」
あきよが厨房から透の背中に向かって声掛けをした後、透が座っていた椅子にマフラーの置忘れがあったのに気づいた。
「あら嫌だ、埴科君ったらマフラー忘れちゃってる。あいりちゃん、悪いんだけど届けてもらっていいかな?」
あきよは透が忘れたマフラーを手にし、あいりに渡した。
「ええ?でもあきよさん、埴科さんがどこに行ったのか分からないし、今度来た時にでも渡せばいいと思いますよ。それに今日はマフラーが手放せない程寒くはないし、第一本人が忘れた事に気づけばすぐに戻って来ますから。」
ランチタイムのピークは過ぎていたので、そこまで仕事は忙しくなかったものの、やはりあきよ1人を店に置いて外出してしまうと、万が一混雑した場合に対応しきれなくなる事を懸念したあいりは、そのマフラーを店内で預かっておく事を勧めた。しかし既にあいりと透の関係を知っていたあきよは流石に機転を利かせたのか、
「大丈夫大丈夫、今日はこの先そんなにお客さん来ないだろうし、万が一混雑してきてヤバそうになったら【満員御礼】の札ひっさげちゃえばいいんだからさ!それに今日は天気も良いんだし、ホラ、さっさと持って行ってあげて!!!!!!」
あきよはまるであいりの背中を押すような形で、半ば強引にマフラーを透の元へ届けに行かせるように仕向けた。。
「そこまで言うなら…、分かりました。それじゅあ行ってきます!!!!!!」
あいりは内心嬉しさでいっぱいの表情で、すぐさま店を後にした。
(ああ、やっぱり『若い』って良いねぇ…。私ももっと周ちゃんと一緒に過ごしたかったなぁ…。)
あきよは又しても店内に飾ってある小島周造の写真に目を向けた。




