募る思いと現実 後編
(ああ、怖かった…。折角の井辻さんの展覧会が台無しじゃん。瀬川さんにも申し訳ない事をしたし。
迷惑系ジャーナリストだか何だか知らないけど、あいつら一体何のつもり?うちらが一体何をしたって言いたいワケ?もう嫌だ!もう意味分かんないよ!!!!)
帰りの電車内にて、あいりは心底悔しい思いを滲ませながら、悔し涙を必死でこらえていた。
別に周囲に対して迷惑行為を行っている訳でもなければ、日々普通に慎ましく生活しているだけなのに、『被差別コミュニティ出身者』である事を理由に理不尽な嫌がらせを受けなければならない現実にあいりはやるせない思いを抱きつつも、それに対して成すすべがない己に対して心底腹を立てていた。
そんな時であった。
「ねぇねぇ、この動画やばくない?」
あいりの目の前に座っている若いカップルが、クスクスと笑いながらスマートフォンを凝視していた。
「やばっ!これさ、さっきアップされたばかりの奴じゃん。ええっと誰だっけ…?井辻大典って云う何だかえらく有名な画家のイベントでの乱入騒ぎだろ?」
どうやら先程あいり達が巻き込まれた、井辻大典の個展での一件が、さっそくネット上の動画サイトにてアップされてしまった様子だった。
(ちょっと待って!!!あの騒動、ネット上で晒されたの????)
当時迷惑系ジャーナリスト達がスマートフォンでカメラを回していたのは知っていたが、まさか即座に全世界に向けて晒されてしまった事について、あいりの背筋が凍った。
「あたしさ、詳しくは知らないけどさ、この井辻って人、例の『被差別コミュニティ』の人だっけ?」
カップルの内、女性の方が大声で『被差別コミュニティ』と口に出した途端、
「おい、声でかい!!!俺らが今乗っている電車、彼らが住んでいる地域に向かう奴だぜ?誰が何を聞いているか分かんねぇし、襲われたりするの怖えーから、あまりでかい声出すなよ!!!」
相方の男性が女性と窘めたが、とても周囲の人間に気を遣う様子ではなく、保身としか思えないような口調だった。
「やばっ!そうだった。この電車、例の地域に向かうんだよね。でもこの画像、井辻って人以外は全部ぼかしが入っているから、とりあえずこの動画だけに関して言えば、身元バレの心配はなさそうだね。まぁ最近この手の動画、ちょっとやりすぎ感あるかもしれないけどさぁ。」
(あの…………、もう目の前にあんたらの云う『被差別コミュニティ出身者』がいるんですけど?)
あいりは目の前にいる彼らに対して心の中で呟いたが、一方でその動画が既に『被差別コミュニティ出身者』である事を公にしている井辻大典以外の人物に関しては、全て身元が特定できない様に修正加工済である事に関しては、心底ホッとしたのだ。
しかし彼女の目の前にいるカップルは再び話を続けた。
「だけどさ、その問題になっているエリアだけど、最近再開発するとか何とかって言われてるよね?ええっと…、最近よくテレビに出ている『蓮田麗羅』っておばさん。あたし政治の事とか全然興味ないから詳しい事は知らないけどさ。」
「ああ、最近えらく色んな場所に顔出ししている保護主義万歳の政治家の人だっけ?最近じゃその再開発云々の話も『志の高い被差別エリア出身者に対する救済措置』とか言ってるみたいじゃん。
けどさ、あのおばちゃんがよく言っている『被差別エリアの人達は出身を理由に政府から施しを受ける事が当たり前だと思っている』だの『逆差別が横行している』だのってさ、これがもし本当だとしたら、こんな事言っちゃあ何だけどさ、差別される側にもそれなりに理由があるんじゃねぇの?」
その若い男女は悪気はないのだろうが、勝手な憶測で言いたい放題言っている感が否めなかった。
間もなくして彼らの言う『それなりに差別される理由がある人達が住むエリア』より3駅ほど手前の駅に列車が到着し、その若い男女はほどなくして降車した。そしてあいりも貝の様に口をつぐみ、無言のまま、いつもの通り自宅最寄りの1駅前にて降車し、駅前にある駐輪場に停めてある自転車に跨い、そのまま自宅へと向かった。
「ただいま。」
出版社から戻って来たあいりが、憮然とした態度のまま自宅内へ入った。
「おかえり。残りモノで良ければ昼飯余ってるから、腹減ってるなら食っちまいなよ。」
相変わらず薄汚れた作業着姿で現れた実父の海原洋があいりに昼食をとる様に促したが、井辻大典の個展での一件に加えて帰宅時の列車内での見知らぬ若い男女による心無い発言により、すっかり心身共に憔悴しきった為、とてもじゃないが食欲など全く湧かなかったのである。
「どうしたあいり?えらく疲れた顔してるけど?」
疲れ切ったあいりの姿を心配そうに洋が様子を伺うと、
「ううん、大丈夫。別に何ともないよ。それより父さん、さっき帰りがてらに耳にしたんだけどさ、ここらのエリアで…」
あいりは電車内で耳にした、被差別コミュニティエリアの再開発計画の噂を実父に尋ねようとしたタイミングで、
「おねぇちゃん、おかえり!!!!!!!」
奥から末妹の海原りりかが今から顔を出して来たのだ。
「りりか、どうしたの?アンタいつもこの時間は作業所で働いているでしょ?体の具体悪いの?」
いつも平日日中は近場にある、野田英作が率いる障碍者就労施設でお世話になっているりりかが、珍しく昼間から家にいたのだ。
「ううん、今日は『ご褒美として』早く帰っていいって所長さんから言われたんだ。」
「ご褒美?りりか、今日はそんなに野田さんから褒められることをしたの?」
あいりがこの様に尋ねると、りりかは無邪気な表情で言い続けた。
「そんでね、所長さんがね、りりかの事を『かわいいね』ってりりかの事たっくさんなでなでしてくれたんだよ~。」
りりかは満面の笑顔で姉のあいりにこう言ったが、『なでなでしてくれた』と言った時、りりかは自身の胸部や下半身を自ら指差しながら、無邪気に言ったのだ。
「えっ…?りりか、それってちょっと…」
あいりと、一緒にその場に居合わせた実父の洋は思わずりりかの発言に違和感を感じたのか、一瞬互いに目が合ってしまった。しかしりりかの特性上、健常者と同じ様に意思表示が極めて困難である事を熟知していた為、ハッと我に返った。




