出会い
「あきよさん、遅くなってスミマセン!!!」
「いいよいいよ、あいりちゃん。そんなに慌てなくたって。今はまだそんなに店混んでないしさ。」
原稿を届けに行った出版社からそのままの足でアルバイト先である定食屋へ直行した海原あいりは、すぐさまエプロンを身に着けて仕事に入った。
「それよりもあいりちゃん、余計な口出し承知で言っちゃうけどさ、せっかく学校で文芸学んだのに折角の才能をつぶしてしまうなんて本当に勿体ないよ。それに今あいりちゃんが引き受けている雑誌の出版会社ってさ、最近トップが変わったんだか知らないけど、やけにうちらの『エリア』に対して偏見を持っているって話だよ?」
定食屋の店主である井田あきよが仕事がてらに言い出した。
「あはは、あきよさん。そんなに褒めなくたっていいですよ~。いくら文芸学んだからってプロの作家になれるのはごく一部ですし、無名ライター云えども自分の執筆が世に出るだけでもすごい事なんですから。
それに出版会社のトップ云々に関しては私も詳しい事は知らないけど、担当者の方は本当にいい人だし、何しろ『出自』の事を全て理解してくれた上で私に仕事を依頼してくれるから、本当に有難い話ですよ。」
「そうなんだ。まぁ世間から見た『一般市民階級』の人達全てが差別主義者って訳じゃないし、中には良い人もいるんだけどね。そんな事よく周ちゃんも言ってたっけな…。」
井田あきよは店内カウンターに飾られてある、定食屋オープン時に小島周造と共に撮った記念写真に目をやりながらつぶやいた。
「さて、そろそろランチタイムの時間帯だ。今日も忙しくなりそう~。」
井田あきよ 43歳 年齢の割には若々しい美貌を保つその女性は、今日も自身『達』が経営する地元民向けの小さな定食屋を切り盛りしていた。
「あいりちゃんお疲れ。そろそろ落ち着いて来た頃だしさ、うちらもお昼にしようか。」
時計の針が13時半を過ぎた頃になるとランチタイムの客もまばらとなって来た為、井田あきよと海原あいりの2人は賄い飯の時間にした。
「ねぇねぇあきよさん、あのお客さんだけど…。」
カウンターで賄い飯を食べながら、あいりは1人の客に視線を向けながらあきよに尋ねた。
「あそこに座っているお客様だけど何だか見慣れない人だよね。」
あいりが訝し気にその客の事を噂し出した。
「ああ、あの男の人ね。ここ2、3日ウチに来る様になったんだよね。前に来た時も今みたいにお昼の時間帯からちょっとずれた頃に来てさ、今みたいにパソコンやスマホとにらめっこしながらコーヒー啜ったりしてたっけ。」
あきよは言い続けた。
「何しろうちの客層って大半が地元の工場で働いている作業員だったり商店のおっちゃんおばちゃん達ばっかりじゃん?だからここらで見かけないような身なりをした人ってちょっと警戒しちゃうよね。」
その男性客に対してあきよが言うと、ますます怪しく感じたあいりがコソコソとあきよの耳元へ囁いた。
「まさか、疑う訳ではないけど最近よくいる迷惑系ジャーナリストとかじゃないですよね?」
「ちょっと嫌だあいりちゃん!変な事言わないでよ~!!!!まぁ地域柄外部から変な輩が嫌がらせして来る事もあるけど、あのお客さん何故かそんな感じには見えないんだよね。
まぁ周ちゃんの口癖じゃないけどさ、『どんな人でも歓迎する店にしたい』てのがウチのモットーだからさ。私は周ちゃんの思いを受け継いで行きたいんだよね。」
あきよは小島周造の『想い』を飲食店経営上に於いて今でも大事に守っていたのである。
先程の電車内での一件ではないが、何かと『一般市民』から理不尽な偏見を受けやすい『特定の地域住民エリア』では、頻繁に外部からやってきた人間によって付きまとい行為や無断で動画を取られてはインターネット上で晒される事は日常茶飯事であった。そしてその手の輩に対してあいり達の様な『特定の地域住民達』は、常に警戒心を抱いていたのである。
しかしながら一方で井田あきよの様にどんな客でも快く受け入れる個人経営店もない訳ではなかった為、完全に外部の人間を拒否する様な事もしなかった側面もあった。
「すみません、会計お願いします。」
あいり達がカウンター席でひそひそ話をしている背後から、その男性客の声がした為、あいりとあきよの2人は思わずハッ!とした表情で慌てて会話をストップさせた。
「あ、ああ…。会計ですね。ええっと…コーヒー代だから、800円になります。」
あきよがコーヒー代をその男性客から受け取った。
「どうも、ご馳走様でした。」
その男性客はこう言って店を後にした。
「ああ、焦ったよ。まさかうちらの会話、さっきのお客さんに筒抜けじゃなかったよね?」
あきよは冷や汗をかきながら片付け業務に入った。
「私も、思わず心臓が止まるかと思いましたよ~!!!!」
あいりも思わず胸をなでおろしたが、
(でも何だろうあの人、何だかとても気になる人だよな…。)
心の中であいりは汚れた作業服姿の客が多い中、高価そうではないものの、比較的身なりの良いその男性客に対して、どこか気になる『モノ』を感じていた。