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半夏雨

作者: 花岡ともや


彼女は夏の雨に似ていた。

空が暗くなったかと思えば急に降りだして辺りを包み、空気中の熱を少しばかり奪っていく。建物の中ならいざ知らず、外で出くわしてしまうと手の出しようがなく、ただただ降られては去るのを待つばかり。

言葉を投げ掛けてくる彼女に、僕は一言すらも返せず立ちんぼうを決め込むこともしばしばある。けれども、うなずいてさえあげれば彼女は安心して納得して帰ってしまう。僕に何を伝えたかったのかわからないままなことすらあるが、彼女が持ち出す話題はいつも新鮮で素早く通りすぎていくので、わからずじまいでも困ることはない。

ある時こんな話題を出された。

食べ物が痛みやすいという表現で、足が早いと言うけれど、魚は足が早いと言うと足もないのに魚が陸の上を走って行くようなイメージが頭の中で繰り返されて止まらない。どうしたものか、という内容だった。

それに対して僕は同じ音楽が頭の中で繰り返し流れ続けることはどうしたらよいか、とちょっとした意地悪心で尋ね返してみたら、それは頭の中の音楽と繋がるコードを抜くか、音楽を殺すしかない。と言われてしまった。


彼女の前では言葉というもので自分を飾る必要がないのではないかと思っていたが、言葉を紡ぐよりも難しいコミュニケーションはいくらでも存在する。身振り手振りや、アイコンタクト、ボディランゲージ、挙げたらきりがないかもしれない。

僕らの間には何が存在して、何が足りなくて、何が必要なのだろうか。考えてみたけれど、今は君に会える時間が足りないと思うのは僕だけだろうか。

彼女だけで十分なはずなのに、足りないものが多すぎる気がする。僕の声は君に届くことができるのだろうか。あまり開くことのない僕の口からもれたのは、ため息だった。


七月のはじめのことだった。強く降りつける雨は一日中続き、農作物や家屋に被害をもたらした。

サークル活動の一環である夏野菜の収穫は延期になった。だが、まだまだ休みは長い。あせることはないだろう。

僕は雨で適度に冷やされた街を眺めながら、次に彼女に出会える日を待ち望んでいた。

晴れ間が覗く午前中に、収穫作業の日がやってきた。

雨後のじゃがいもは水分を多く含み傷みやすいため、三日ほど晴れが続いた後くらいにとるのがいいと聞くが、人数が集まり天候に恵まれる日もそうそう無いので、蒸し暑くなる前の早朝から作業は始まった。

彼女は首もとを隠すサンシェード付き農作業用帽子のスリットからポニーテールを出していた。

僕は黙々とじゃがいもを堀りながら、少し遠くの彼女になんとか話しかけたい気持ちと、なにを話せばいいのかわからない思いとが頭の中でぐるぐると渦巻いていた。そうしている間にもじゃがいものケースが積み上がっていく。

テントウムシダマシが付くじゃがいもの葉は穴だらけで、しかし茎はしっかり太く、それほど力を入れずとも引き抜くことができる。いくつかのいもが根にくっつき、土を降り落とすと一緒に落っこちる。根に残ったいもと、土と落ちたいもを拾ってから、軍手をした手で地面を探る。そうするとごろごろと次から次へいもが出てくる。けっこう深い所や、畝の端の方までよく探したあと、また次のじゃがいもを引き抜く。

僕の近くを薮蚊が飛んでいる。シャツから出た左腕付近を狙っているようだ。両手で蚊を取ろうとしたが、うまく逃げられてしまった。

どこかへ行ったからまぁいいか、といも掘りを続けた。

休憩にしましょう。サークル長がそう声をかけた。かれこれ三十分以上は土を掘り返していただろうか。さすがに腰が痛くなり、僕はストレッチ代わりに伸びをした。

まだ数人が作業を続けていた。もちろん彼女も。

僕は彼女に近付き軍手を取ると肩をぽんと軽く叩いた。

休憩にしましょう。そう伝えると、彼女はにこりと笑い、伸びをしてから首に巻いたタオルで汗を拭った。

それを見た僕はなぜか自然に、一緒に映画に行きませんか。とたずねていた。


僕は鮮やかな夏の風を肌に受け、額に滲んだ汗を拭った。今日の天気はじっとりではなく、どちらかといえばからっとしている暑さだ。汗はかくが、むわっとしてはいないので日差しの下でもそれほど苦痛ではないが、じりじりと照りつける太陽はやはり頭や肩を容赦なく焼いていく。

どこかでセミの鳴く声と、国道に映る蜃気楼を見ながらかき氷やアイスクリーム、冷やしあめなど、なるべく冷たく甘いもののことを考えながら、手のひらを団扇がわりにして扇いでいた。今日は帰りに冷たい甘味をどこかでいただいて帰ろう、そう思いながら右手で空をかいていると、その人物が現れる。

彼女も僕に気付き、大きく左手を振りながら眩しい笑顔をむけていた。道の向かいから、こちらに来るために彼女は少し離れた横断歩道の前に行く。信号を待ちながら僕は、彼女よりも先に来れたことに安心していた。彼女は長めの髪を耳の上で結い上げ後ろでひとつにまとめ、明るいオレンジ色のタンクトップに薄く透ける白いカーディガンを羽織り、黒のラインがある白い膝丈のスカートを履いて、フリルのついた淡いピンクの日傘を持つという格好だった。その姿は普段の彼女からは想像がつかなかったため、もしも僕が遅れて来ていたら彼女に気づけなかったかもしれない。


おはようございます。今日は楽しみで、昨日は眠れなかった。遅かったかな、早めに行って席に座って涼みたいね。


僕は挨拶をされ、それに応えるために頷く。時計は十時を回ったばかりで、まだ十五分ほど余裕があるが外で立ち話をする理由も無いことから、僕らは映画館内へ入ることにした。

席の予約をしておいたので、彼女の希望する後ろ端の席に座ることができた。今日の映画は彼女が見たいと言っていたもので、何でもこの夏一番の流行りだとか言う恋愛もののようだ。映画などここ五年くらい映画館で見たことのなかった僕は、閉ざされて薄暗い空間や、上からゆっくりと斜めに下っていく濃い赤色のソファーなどに落ち着かずにいた。


映画の内容を必死になって思い返しながら、彼女はいささか興奮を押さえられないように感想をのべている。僕らの前には、白と焦げ茶色の層をなすチョコレートパフェと、白と赤い層をなすイチゴパフェがそれぞれ置かれていた。

チョコスティックを食べながら僕は相槌代わりにこくこくとうなずいていた。映画の後に何か食べないかと誘ったのは僕からだった。ちょうどお昼頃だったので近くのカフェで奢ると伝えたら、申し訳ないとでも思ったのか、彼女も僕と同じようにパフェしか頼まなかった。後でウェイターにサンドイッチでも追加注文しよう、と考えながらイチゴムースを柄の長いスプーンでつつく。


私は、あの作品が女の人視点で続いていくのだと思っていた。けれど、最終的に男の人が主人公のような作りだったと思う。でも、一番感情移入したのは初恋相手の少女で、あの子はきっと主人公のことうまく言えないけど好きとは違う感情で大切に思っていたはず。別れ際の、あなたもがんばっては、あなたも幸せになってという意味だと思った。


よく飽きもせずに長々と感想をのべられるものだと、彼女には常々感心させられる。僕にもしどうだったかと尋ねられたなら、面白かった、としかこたえられないだろう。もしも彼女の言葉を奪ってしまうほどの感動的な映画があったのなら、その時は僕が代わりにたくさんしゃべらなくてはならないのだろうか。いや、きっとそれは無理なことだろう。僕の口からは必要最低限以下の言葉しか放たれることはなく、その事はきっと彼女も知っているのだろうから。

彼女が僕に語りかけるとき一度も、ねえ聞いてるの、と確認されることはないので、たまにさぼりがちに頷いてしまう。決して話がつまらないだとか、興味がないわけではない。ただ今は映画のことよりもおかわりのコーヒーを何にしようか悩んでいた。コロンビアのハイローストにしようか、ミディアムローストにしようか、キリマンジャロのシナモンローストも悪くない。

彼女が体いっぱいを使って話している間、こうして別のことを考えていても悪いと感じないあたりが僕と彼女のいい距離感なのだろう。気を置かなくてすむのはいいことだ。

半分に切られたイチゴをすくいながら、流れてくるBGMに耳を傾ける。クラシックはよくわからないが、店の雰囲気とマッチしているのだけはわかる。近くを通りかかったウェイターにサンドイッチを二つ追加した。

混んできた店内で、静かにおしゃべりする僕ら。映画にかけた時間よりも、この時の方がいいものに感じるのは、嬉しいことなのだろう。ゆるやかで安心できる静かな瞬間が、本当に貴重で大切なものだ。

サンドイッチを頬張る時は、さすがの彼女も無言になる。手を使って口に運び、おしぼりで手を拭く。当たり前だが、その繰り返しが見ていて面白い。


ありがとうございます。


にこにこしながら、ぺこぺこお辞儀をして彼女はそう言った。

卵サラダが挟んであるホットサンドと、ツナサラダが挟んであるサンドイッチにはポップコーンが添えられていて、どちらもボリューミーでツナサンドなどは皿の上で食べないとこぼれてしまう。僕ははじめから甘味が食べたくてパフェを頼んだが、彼女はデザートから食べても大丈夫だったのだろうか。量は僕に調度いいくらいなのだが、彼女にとって多すぎやしないか。サンドイッチを口に運びながら、そんなことを考えた。

僕と彼女の間に無言の時間が流れる。


僕らはカフェを後にして、今日は別れることにした。このあと彼女はショッピングをしていくらしい。ついていこうかとも言ったが、そこまでしてもらっては悪いと断られた。


次に彼女に会ったのは、秋も間近に迫った晩夏の頃だった。残暑が続き、僕は汗だくになりながらその場所へと向かっていた。

狭めの駅の構内では、北海道のフェアがおこなわれていた。試食をすすめる声を無視しているかのような彼女は、僕のことを何分前から待っていたのだろう。

彼女と初めて会ったのも、そういえばここだった。


初夏の頃、僕は駅員に乗り継ぎを尋ねている彼女を見かけた。だがうまく伝わらないのか、彼女も駅員も困っているようなので、何の気なしに間に入って話を聞いた。特に親切心があったわけではなく、僕も駅員に用事があったついでに役に立てばと思っただけだったが、後に彼女にとても親切で優しい人ですねと褒められた。

僕らはそれで連絡先を交換することもなく、それっきりしばらく会うこともなかった。

二度目に会ったのは、サークルの活動での時だった。その日は、雨が降っていた。目的地につくまでの間、傘をさして歩く前の人が彼女だった。だが気がつかず、同じ方向に歩いているな、となんとなく思っていただけだった。傘をしまい、建物に入る彼女は髪を後ろでひとつに束ねており、前とは違う髪型に見えたので僕はやはり気が付かなかった。部屋に入る前に時計を確認する彼女が、ふとこちらを見て目を丸くした。そして深めのお辞儀と、お久しぶりです。の挨拶であのときのことを思い出した。

後から前を歩いていましたねと声をかけると、彼女はやっぱり気付いていなかったらしい。肩を叩いてくれたら良かったのに、と言われたが知り合ったばかりで、しかも誰かもわからない相手にそんなことはできないと首をふった。


今日はそんなこともなく彼女をきちんと見つけることもできたので、彼女から見えるように正面から彼女に近づいた。

スマートフォンに視線を落としている彼女に、僕の落とした影がかかって彼女はこちらを向いた。彼女はすぐに鞄にしまうと、今日は誘ってくれてありがとうございます、と挨拶をした。


花火、楽しみね。今日は天気が良くて良かった。風があると煙が流れていきやすいらしいけど、上空はどうかな。きれいに見えるといいな。屋台とかも出るから、少し見たりしたい。


僕は頷いて、行こうと手を差し出した。駅も道も大勢の人で混んでいるので、手を繋ぐ口実にはもってこいだ。彼女は意外にもあっさりと手を繋いでくれた。汗をかいている僕だけが緊張しているかのようだった。

まだこれから暗くなっていく中で、フルーツ飴の屋台で彼女はイチゴ飴を買い、僕はブドウ飴を買った。ものを口にしているときは喋ることに気を配らなくてよいので、僕は飴やガムを常備しているが、友人からは禁煙対策と間違われてしまう。むしろ本当にタバコを吸えば、もっと喋らなくても様になるのだろうか。だが、特に吸いたいわけでもないし、火を扱うのが少々怖いのでとりあえず吸わないことにしている。お酒も嗜む程度だが、思えば彼女はどうなのだろう。今度飲みに誘ってもよいものだろうか。彼女を横目で窺うと、飴が固まった端っこのところをかじっていた。緑のへたがついたままの、イチゴよりも真っ赤な飴をかじる彼女が少女のようで、なんだか僕は笑ってしまった。笑った振動が手から伝わったのだろうか、彼女はどうしたのと言いたげな顔で僕を見上げる。少し飴の赤色が移った唇にキスをしたいと思った。

花火が始まるまでの時間が長く感じた。

この空気の振動を、僕らは同時に感じることができる。同じように空を見上げ、ちらちらと変わっていく光を見つめることができる。それがとても嬉しかった。もしも彼女が耳の代わりに目を失ったとしたら、どう思うのだろうか。この空気の振動と、花火の爆発音を嫌いになっていたのだろうか。だが、その時は僕はできるだけ声を出して彼女に大丈夫なんだよ、きれいなものなんだよと伝える努力をするのだろう。しかし、僕があまりおしゃべりでない人間だとバレてしまうかもしれない。もしかしたら、今も彼女は気づいているのだろうか。


きれいだね。


彼女の手がそう表現する。僕もそうだねと思いながら、心から頷いた。まだ夏が終わらないうちに、彼女に想いを伝えてみたい。そうでなければ彼女は夏の雨のように留まることを知らず、さっと過ぎていってしまうかもしれない。手を繋ぐことで彼女をここに引き止めることができている。この距離を逃したくない気持ちもあるが、進んでみたい気持ちも大きい。男女で手を繋ぐのは友人関係より進んでしまっても構わないのだというあらわれだろうか。何かしらの花を見た後に気持ちを伝えるのが効果的だと聞くが、今からの時期では向日葵は遅すぎるだろうか。花火も花の一種だろうか、などと早速僕は目の前の光景に集中できなくなっていた。第一陣が打ち上げ終わり、彼女はもう一度屋台の方へ僕の手を引いていく。手を引かれながら、どうなったっていいじゃないかと思った。また音楽と共に花火が上がり始める。


明日が雨でもかまわない。今こうして夜空に降り注ぐ光を見ながら、僕は思った。

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