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あまめな味のヘッドホンエコー

作者: 永旅 真

以前から考えていたプロットを今回初めて短編小説という形で発表するものです。

 冬名残の冷たい空気に日の光が淡くぬくもりをもたらす。

 あたり一面には桜の花びらが織り成す桃色の雪がはらはらと降る。

 桜の咲き誇る並木道の傍の草むらで腰掛けている、小柄で肩まで届くくらいのおかっぱ頭に着物の、大きい瞳の可愛らしい一人の少女はお茶とようかんを花見をしながら堪能していた。

 不意に、ようかんの上に桜の花びらがひとひら落ちてくる。

 

 ――ようかんに 彩り添える 桜かな

 

 (…む、一句出来た)

 

 少女はそう思うと、ようかんをつまようじで二等分し、花びらが乗った方を口に入れた。

 酸味の効いた花びらがようかんの甘みと一緒に少女の口の中に広がる。

 (ふむ…今度は桜を混ぜ込んでみるかの。程よい酸味と甘みの調和は美味じゃろうて)

 少女はようかんを飲み込むと、今度はお茶をすする。

 (…そろそろ手製のようかんを売り物に出来るのかもしれぬが…)

 少女は公園の近くの茶屋の店主であるが、客に出す菓子は老舗の菓子店から取り寄せた物しか出した事はない。

 (じゃがわらわのようかんのせいで客が遠のくのはのう…)

 少女は元々和菓子作りの修行を正式に受けた事はない。

 本などを見て自分で手作りしてみたくらいなのだ。

 (…ま、取り寄せれば店の経営はできるしの。気にすることもないじゃろ)

 少女はそう思うと、ようかんをまた口の中に入れる。

 甘い味の中に少し寂しさがあるように感じた。

 

 

 

 どこを見ても客、客、客。

 満員の闘技場。

 大歓声の中、客の視線を集めているのは闘技場のステージで対峙している二人の男。

 一人は長い髪を後ろで縛った筋肉質で大柄の、両刃の大鎌を構える男。

 もう一人はくせ毛なのか、長くもなく短くも無い髪が色んな方向にはねている中肉中背の二刀流の男。

 二人共頭にはヘッドホンを乗せ、ヘッドホンのコードは胸ポケットに伸びている。

 大柄の男は迷彩柄のヘッドホン。中肉中背の男は黒いシンプルなヘッドホンを付けている。

 二人の男はほぼ同時に反応し、鎌と二本の刀がぶつかり合う音が闘技場中に響く。

 攻めてはさばく、攻めてはさばくを交互に繰り返す二人の男の作り出す金属音は次第に間隔を少しずつ縮める。

 やがて二人は一旦離れ、距離をとる。

 どうやらお互いにこのままだと勝負がつかない事に気付いたらしい。

 二人は構える。

 お互いに一撃で勝負を決する事に同意したかのようだった。

 

「おおおおおおっっっっっっ!!!!」

「はああああっっっっ!!!!」

 

 二人の男は叫びと共に渾身の一撃を互いに向けて放つ。

 

 ――ガキッ、キィィィィン………

 

 鋭い金属音が一瞬したかと思うと、二人の男は互いの後ろにすり抜けていた。

 刀の男は、二本の刀を闘技場のステージのタイルの上に落とし片膝をつく。

 鎌の男は、鎌を突き立てなんとかバランスを保つ。

 一見、まだ勝敗は決していないように見える。

 だが分かる事はある。ヘッドホンのコードが斬撃によって切られているのが鎌の男の方だけだという事だ。

 刀の男のヘッドホンのコードは切られていない。

 

 ――この事実が分かった瞬間、勝敗が決した。

 

 大勢の客も視線の先の光景を見て思わず言葉を失う。

 しかしその静寂はわずか一瞬で、先程までの大歓声よりも更に大きい大歓声にかき消される。

 

「勝負あった!今大会優勝者は…前回からの二連覇となる、槌科 椋河 (つしな りょうが)選手だー!!!」

 

 そのアナウンスに更に盛り上がる客達。




 ――時は二千年代末期。

 度重なる気候の変化、止まない環境破壊。

 地球に残る資源もあと僅かになり地球全体が荒れ、各地では資源や安住の地をめぐって国同士が争いを始めた時代。

 何世紀か前には戦火に巻き込まれなかった日本も現在、内紛に巻き込まれていた。

数年前、これを危惧した日本政府は研究中だった技術を用いて自国の防衛を実行する。

 その研究とは日本各地から出土した特殊な鉱石、通称『符号石』と呼ばれる物を使用してのものだった。

 符号石――それは色は様々ではあるが透き通っていて、特殊なレーザーを当てる事で人間の耳では聴き取る事が出来ない超音波を発する。

 これは決して人工的には作り出せない超音波で耳から入って人間の脳に直接作用し、人間の身体能力を著しく向上させる。

 実践で使うにはまず、符号石をCDプレイヤーのような機械――符号石プレイヤーといって差し支えない機械に収めて、その機械が内部で符号石にレーザーを当てる事でCDプレイヤーから音楽を発するような感覚で符号石の超音波をヘッドホンを通じて人間の耳に届かせる。

 こうする事で始めて人間の脳に直接作用させている。

 武器を持った人間がその武装をして戦闘を行った結果、通常の軍事装備の部隊を数個と戦車を三台も殲滅した結果を得ている。

 各国も似たような技術を開発する事に成功しているが、日本など元々工業技術が発展した国でないと安定した戦果をあげられないのが現状だ。

 非常に強力な戦力だが、欠点はある。

 身体能力向上効果を得たとしてもそれを上手く使いこなせるのは、日本では『武士もののふ』と呼んでいるような武術に長けている者達だけであること。

 また符号石には各々で独特の癖があり、その符号石と『心の振幅と波長』を調和させないと上手く身体能力向上効果が得られないこと。

 その欠点を少なくする為に、武士を育成する為に日本に作られたのが通称『RIAFリアフ』――武士育成区域なのである。

 『Restricted Intensification Area For educe skill』の略で、『技能を引き出す為の限定された強化地区』という意味である。

 日本の他の街からは鉄の壁で隔離された閉鎖地区だ。

 警備の武士がRIAFの各所に配置されているおかげでRIAFの内部では内紛は起こらずにいる。

 ちなみにRIAFでは符号石をより上手く使いこなせるようにする為の研究機関も存在しており、『心の振幅と波長は心臓の辺りでしか見られない』という研究成果を得ている。

 その研究成果から、符号石プレイヤーは心臓の近くに置くようにしているのである。

 だがもちろん、ヘッドホンと符号石プレイヤーを繋ぐコードは強固かつしなやかにならなければならない。

 コードが切れれば当然、符号石の力を得る事などできないからだ。

 つまり武士同士の闘いの場合、コードを狙って闘うのが基本なのである。

 現在、研究のおかげで銃弾などの砲撃ならしなやかに受け流す程になったコードだが、どうしても極限まで切れ味を鍛えられた刃物の斬撃を受け流す程にはならなかった。

 それゆえ、RIAFにいる武士見習い達は符号石による身体向上をした相手との戦闘を想定して、刃物の武器を使う事を義務づけられている。

 武士見習いは身体の成長が止まるぐらいの頃に、RIAFを出て正式な武士として国の防衛の任務に当たらせられる。

 それはRIAFに入る全ての武士見習いに適用され、例外はなかった。




「ふぅ…」

 ため息をつく、二本の刀を腰に携えヘッドホンを首にかけている武士見習いの青年。

 ――青年の名は槌科 椋河 (つしな りょうが)。

 RIAFで毎年行われる闘技大会で優勝を飾った椋河は大会の表彰式を終えた後、RIAF理事会から話を受けた後ようやく自分の住む寮への帰路へとつく。

 

「りょ・う・がー」

 

 そんな椋河を待ち伏せして、突然話しかけてきたのは美しく長い黒髪と端正な顔立ちで着物を着た、大和撫子といった様相の少女。首には花のデザインが記された桃色のヘッドホンをかけている。

「…つわきか。またそんな着物着て…ちゃんと制服着ろよ」

 椋河は着物姿の少女に向けてため息をつく。

「あら?いいじゃない、椋河は私には着物の方が似合うって思ってるでしょ?」

 つわきと呼ばれた少女はその場で一回転して、着物を椋河に見せつける。

「…まあ似合うって事は認める。だが、俺はお前を性的な目で見れんぞ」

「あー、またそんな事言って。…じゃあ着物を着崩した私を見ても今の台詞もう一度吐ける?」

 つわきはそう言って、いきなり着物をするっと脱ぎ始めた。

 

「だーっ、止めろ、気色悪い!!大体、お前…………男だろ!!」

 

 ――恵山 つわき (えさん つわき)。

 見た目は女性そのものだが、性別は男。

 椋河とは幼馴染の間柄で、椋河程ではないものの、腕の立つ武士見習いである。

 幼い頃、椋河の『お前は格好いい、というより可愛い感じでもてるんじゃないか?』の一言から女装趣味に目覚め、今では身体以外完全に女性的になってしまっている。

 …そもそも椋河は女装させるつもりで言った言葉ではないのだが。

 ちなみに得意武器は薙刀で、戦闘センスにおいては天才と称される程である。

「そうよ。私は男よ。でもいいでしょ、可愛い幼馴染がいるなんてロマン溢れてると思わない?」

「それは女の子限定だろ…」

「…ま、冗談は置いといて。優勝おめでとう、椋河。今からお祝いに行かない?」

 着崩しかけた着物を着直すと、つわきはころっと態度を変えて言った。

「ああ、サンキュ。まあお祝いってのは構わないが…」

「じゃ、決まりね。私の薙刀の修理が終わったみたいだから、受け取りがてら行きましょう。…ねぇ、椋河」

 つわきがすすすっと椋河に擦り寄る。

「なんだ…近いぞ、つわき」

「レンタルしてた薙刀返しちゃったから、私今丸腰なの。だから私の事、しっかり守ってよね」

「警備の人にでも頼め。とにかく行くぞ」

「釣れないわねぇ…」

「釣られるつもりはない」

 そこまで言うと、互いに笑いあう二人。

 台詞だけ聞くと険悪な仲に聞こえるかもしれないが、その実仲は良い。

 椋河とつわきは共に戦災孤児でRIAFの養護施設に入れられた者同士、互いの辛さを知っている事が少なからず影響しているのだろう。

 …余談だが実力があって、もてはやされるはずの椋河に何故女っ気が無いのかは恋人だと勘違いされているつわきが主な原因だ(この事に関して椋河は気付いていないのだ)。

 

 

 

 桜の花びらがはらはらと舞う並木道。

 その中を歩く椋河とつわき。

 警備している武士が何人かいるとはいえ、その景色が穏やかであることに変わりは無かった。

 だがそれもおそらく、鉄の壁で守られているRIAFだからこその穏やかさである事は事実だ。

 RIAFの外では今も紛争が続いているのだ。

 (…確かにここは外よりも綺麗なのかもしれない。俺は生まれたときから武術、武術でRIAFの外の事なんてちっとも気にしてなかったから、外の事は知らないけど…)

 椋河は、空を仰ぎ見る。

 (俺もいつかは外に出る。けどその時、俺は今みたいに穏やかでいられるのか…?)

 過去の闘いで気分が高揚しすぎたのか、あるいは頭に血が上りすぎたのが原因か、相手の降参を無視して相手をひたすら傷つけた事が椋河にはあった。

 後になってひどく後悔した椋河だが、今でもたまに闘いの中でそうなってしまう事がある。

 椋河にはその状態になる事が自分を見失う気がして、たまらなく恐ろしく感じる事があるのだ。

 椋河がため息をつきやすくなったのも、これに関係している。

「着いたわ、椋河。あそこよ」

 考え事をしている椋河に、つわきが目的地を指差して教える。

 つわきが指差すのは、並木道を少し歩いた先にある一軒の小さな、古風の茶屋。

 看板には『甘味処 くぐい』とある。

「…俺、和菓子みたいに甘過ぎるもの苦手なんだが」

「知ってるわよ。でも大丈夫、あそこでおすすめなのはお茶の方だから。和菓子は普通だけど、あの店のお茶は絶品なのよ。ほらほら、私がおごるから」

「わかったよ。わかったから引っ張るな」

 椋河はつわきに連れられ、店へと向かっていった。

 

 

 

「おぉ、つわきか。…今日は彼氏連れか?」

 

 …店に入るや否や、店主と思われる(一人しか店員がいないからだ)おかっぱ頭に着物で小柄の、目が大きめな愛らしい少女に言われた一言。

 椋河は果てしない脱力感に襲われる。

「そうよ。いいでしょ?実はもう私達、婚約者なのよ」

「ほう、それはめでたいことじゃな。披露宴はいつ…」

「だーっ、違うっ!!こいつは男だ!!俺にそんな趣味はねぇ!!!」

 腕を組もうとするつわきを回避し、大声を上げる椋河。

「………おのこ、じゃと…?そうなのか、つわき?」

「あらら、ばれちゃったわ…残念」

 つわきはてへ、といった様子で残念がる。

「…こほん。とにかく、注文をとっていいかの?」

 わざとらしい咳払いをすると、店主は気を取り直し、注文を書くためにメモ用紙を準備する。

 …どうやら名前で呼ばれる程店主とつわきは打ち解けているようだが、性別までは明かさなかったらしい。

「昨日と同じ物を二人前で。あ、椋河はお茶だけで良かったのよね?」

「ああ。それよりあんまり人を困らせないでくれよ、マジで…」

「…苦労しとるのじゃな、お主は。少し待つのじゃ」

 そう言うと店主は店の奥に入っていった。

「…それにしてもここの店主、古風な物言いなんだな。由緒正しい家柄かなんかの人か?」

「さあ?でもいいんじゃない、甘味処って感じで」

 椋河とつわきは武器を下ろすと、赤い布がかぶせてある座り場に座り込む。

 傍には赤い番傘があり、いかにも古風といった感じだ。

 何分か待つと店主がお盆にお茶と和菓子を乗せて持ってきた。

「では椋河の闘技大会優勝を祝して…乾杯!」

「かんぱーい」

 湯のみを軽くコツン、と当てる椋河とつわき。

「…ほぅ、お主はあの大会での優勝者か。相当な実力者なのじゃな」

 お盆を店の奥にしまおうと立ち上がった店主は、不意に椋河に話しかける。

「ん、まぁそれなりには」

 椋河は生返事で答えると、お茶をすする。

「…香り立つな。茶葉の味を生かすってこういう事なのかもな」

 口の中に広がる芳醇な味に、椋河は率直に美味しさを感じていた。

「まぁ茶葉は良い物を使っておるからの」

「でも茶は下手に淹れるとどんな茶葉だって不味くなるって聞くぜ?俺はこう見えて結構味には敏感なんだ」

「ふーん、椋河、言うようになったわね」

 つわきは椋河に向かって感心するように言う。

「お前が料理修行だとか言って手料理とか味見させられてるからな、俺は。舌も勝手に鍛えられるさ」

「私のおかげってわけね。椋河の言う通り、お茶は淹れる人の腕前で化けるの。ここのは椋河が素直に認めるくらいだからやっぱり絶品ね」

「符号石と似てるってわけだな。腕前で化けるって所は」

 『個人の資質』、『符号石』、『武器』は大別すると『近距離』、『中距離』、『遠距離』の三つに分類され、特に符号石は相性に個人差がありそれぞれの距離に合わせた身体能力向上の効果がある。この相性も『心の振幅と波長』に関係しているものである。

 個人の資質と、武器と符号石。

 三つの組み合わせによって様々な腕前が発揮されるのだ。

「でも天然のごくわずかだった符号石も今は科学の力で量産できるようになったんだから、色々試せるわけだし。良い時代じゃない?」

「…試す、か。こいつも試してみるかな、近いうちに」

 椋河はそう言うと、ポケットから一つの符号石を取り出す。

 鮮やかな青色をした符号石だ。

「……む、それは…」

「綺麗な符号石ね。どこで買ったの?」

「いや、今日の大会の優勝決まった後、理事会に呼び出されてね。『君の腕前をみこんで頼みたい。この符号石のデータを収集してくれないか?』って言われてさ。データさえ取れればこの符号石は俺の物にしていいって言われたし、一応引き受けたんだが」

「…符号石一個でも馬鹿にならない値段するものね…施設からの支給品もあまり良い物とは言い難いし」

 椋河とつわきが話し合う傍で店主は、しばらく椋河の持っている符号石をまじまじと見ていたがやがて口を開いた。

「…一つ、言わせてもらってよいかの?」

「え…?」

 店主は、椋河を真っ直ぐ真剣な眼差しで見る。

 訴えかけてくるようなその眼差しに椋河は思わず雰囲気で押されてしまう。

「その符号石は下手に使うな。お主のような自分なりの強さを身に付けてしまった者には危険な物になる可能性が高い」

「俺なりの強さ…?」

「そうじゃ」

 椋河はしばらく考えていたが、やがて口を開いた。

「…余裕がある時にしか使っちゃ駄目だって事か?」

「そうじゃな。土壇場で頼るとロクな事にはならん」

「何でだ?」

「…普通の符号石よりも癖が強い。わらわにはわかる」

「…わかったよ。自分に合わない符号石は身体にどんな影響を及ぼすか分からないって聞いたからな。とりあえず、忠告として受け取っておくよ」

「うむ。なら大丈夫じゃ」

 椋河は店主が何故持っている符号石の事をこんなにも気にするのか不思議に思ったが、何となく親切心で言ってくれている事は感じ取れたので、おとなしく聞いておく事にした。

 

 

 

 椋河とつわきが住む寮。

 寮内の至る所に符号石の超音波の効力を打ち消す事の出来る音波、通称『絶符ぜつふ』が流れている。

 これは符号石所持者による暴動、襲撃などを想定した防衛策であり、RIAF内の重要施設の一部にも使用されている物である。

 寮は相部屋制ではなく個室になっており、武士見習いの待遇の良さが分かる。

 椋河は自室で刀とヘッドホンを置いた後、ポケットに入れていた符号石を取り出してベッドの上に寝転がった。

「ふぅ…」

 ため息をついた後、部屋の明かりに符号石を透かして見る椋河。

 (明日、施設のトレーニングルームで試すか…?いや、店主の忠告を無視するわけじゃないぞ。ただ、気になるんだよなぁ…)

 色々と考えてる内に椋河はいつのまにか寝入ってしまっていた。

 

 

 

「どういう事ですか!?理事長!!!」

「…湾戸わんど理事か。一体なんの事…」

 廊下で、理事長の立場にある中年の男は湾戸理事と呼ばれた細身で長身の男に呼び止められた。

「研究中の符号石の事です!!!なぜ武士見習いなどに渡したのですか!?」

 理事は理事長を激しく睨み付ける。

「湾戸理事。あれは私達が研究しても扱いきれない以上、研究ばかりで頭でしか理解出来ない者よりも身体で符号石と近い立場にある者…それも監視がしやすく、万が一の事があっても対処出来るようにRIAF内にいる、武士見習いが持っていた方が研究の為には良いと言ったはずではないか」

 理事長はさらっと答える。

 しかし理事の怒った様子は収まる事はない。

「そうは言っても…あれは、いくら腕前があるとはいえ武士見習いには手に余る物です!」

「しかし研究班からすれば、データが取れれば現物がなくとも問題ないのではないか?君は研究班を束ねているからそれがよくわかると思うのだが」

「それは…」

 湾戸理事は博士号を持ち、理事をしながら研究班の指導にも当たっている立場なのだ。

理事長は理事の肩を叩くと、去ってしまう。

 

(…物の価値がわからん愚か者めが…手荒な真似はしたくなかったのだがな…)

 

 理事長まで聞こえないように舌打ちをする理事。

(…槌科 椋河、だったな。さて…)

 手元にある椋河に関する資料を見ながら、理事は不敵に笑った。

 

 

 

「…うぇくしっ!!」

「なんじゃ、派手なくしゃみじゃな。闘技大会優勝者となると噂が多いからかの?」

「ん?」

 RIAF内の商店街で、椋河は聞き覚えのある古風な口調で後ろから話しかけられた。

「…ああ、甘味処の店主。今日は買い物か?」

 椋河が後ろに振り向くと、話しかけてきたのは昨日会ったばかりの甘味処の店主だった。買い物の途中らしく、買い物袋をいくつか持っている。

「うむ、また会ったのう。椋河…と呼んで良いかの?…っと、それはそうと妾が名乗るのがまだじゃったな。妾の名は鵠 天女 (くぐい あまめ)。天女てんにょと書いて『天女あまめ』じゃ」

「ああ、椋河で呼んでいいよ。んーと、それじゃ俺は天女って呼んでいいか?」

「お、なかなかノリが良いのう、椋河。おぬしはどうしてここに?」

「ここに用があるわけじゃないんだが、この先の公園でつわきと待ち合わせ。修行の相手を頼まれてさ」

「ほぉ…そうか。ではあの符号石を試してみたりするのか?」

「…これか?」

 椋河はポケットからテストの依頼をされ、天女に下手に使うなといわれた符号石を取り出して天女に見せる。

「うむ」

「まぁそうだな…もし万が一倒れたりしても公園なら病院が近いし。丁度いいかもな」

「そうか…」

 天女は少し考え込む。だが数秒後、思いついたように口を開く。

「なら妾が見届けよう。付いていってよいかの?」

「え?いや、別に構わんが…あのさ、昨日からずっと気になっていたんだが、この符号石と天女ってなんか関係あるのか?」

「…関係、か」

 天女はそう呟くと、突然空を仰ぎ見るように視線を上に向ける。

「全ての符号石に妾が関係あると言えばそうも思える。だがそう言わなければ、関係ないとも思える。…そんな所かの?」

「は…?」

「知らない方が良い事もある、という事じゃよ。本当は癖の強い符号石は最近少なくなってきておるからの、量産科学技術とやらで。だから珍しい物見たさだというのが本音じゃよ」

「ま…そういう事ならいいさ」

 椋河には天女が何か知っているような気がした。

 けどRIAFにいる者の殆どはなにかと『わけあり』――辛い境遇を味わっている事が多いため、あまり不用意に他人の事情に触れるべきではない。

RIAFに住む者達のそんな不文律を感じた椋河はこれ以上の質問を止めた。

 

 

 

「いいぞ、つわき」

「ええ…ハァッ!!!」

 つわきの扱う薙刀が、叫び声と共に目にも止まらぬ速さで複数の斬撃を作り椋河を襲う。

 椋河は二本の刀の、左手に持った刀でその斬撃をさばききる。

 対峙する二人の頭にはヘッドホン。二人の武器の刃先には練習用の皮製カバーが取り付けられている。

 椋河はなるべく身を動かさないようにしてつわきの斬撃をさばく。

 下手に動けば射程が刀に比べて長い薙刀にとっては対処しやすい、大振りな動きになってしまうのを考慮しての事だ。

 ――今椋河とつわきの二人が修行をしている公園はRIAF内らしく、武士見習い達の練習試合による社交場と化している。

 多くの武士見習い達はここで修行をし、見知らぬ武士同士でも知り合える場なのだ。

(つわきめ、斬撃が前よりも鋭く、速くなってやがる。…なら…)

 椋河は二本の刀で薙刀の柄を狙う。

 つわきの薙刀の扱いは意識が刃先にいきがちなのを椋河は知っている。

 つわきはその考えに気付いたのか、とっさに薙刀を両手で風車のように回転させて椋河の斬撃を弾く。

 だが間髪入れずに椋河は薙刀の回転の中心に、瞬間的に右ひざ蹴りを食らわす。

「…しまっ…」

 つわきがその衝撃を受け、わずかにのけぞる。

 椋河はそのわずかに出来た隙を利用し、左足でつわきの両足を横に払う。

 完全にバランスを崩したつわきは尻餅をつく。

 そんなつわきの喉笛に、椋河の刀の刃先が突きつけられる。

「…参りました」

 そのつわきの台詞を聞いた椋河はつわきから刀を離し、刃先に付いている皮製のカバーを外してから鞘に収める。

「まだまだだな、つわき」

「はぁ。…まさか椋河が前に使った手を使ってくるなんて思わなかった」

 つわきはほこりを払いながらゆっくりと立ち上がる。

 実を言うと、椋河は以前につわきに似た手段を使った事があるのだ。

「その油断は命取りだな」

「対策はわかってたのよ。のけぞらないように後ろ足で踏ん張ればのけぞらなくって済んだのに」

「頭でわかってても体で判断する方が先じゃないと、意味はない」

「…うぅ…」

 つわきはがっくりと肩を落とす。

 その時だった。

 突然、頭に鉄製のヘッドホンを乗せている大きな斧を持った大男が椋河に向かって歩いて来た。

 公園の中は何人もの武士見習い達でひしめいている。

 だから突然見知らぬ者から勝負を申し込まれても不自然ではない。

 だが、その斧男は他の武士見習い達にはない、近寄りがたい雰囲気を持っている。

「…勝負か?」

 椋河は大男に問いかける。

 しかし斧男は全く反応しない。

「ツシナ…リョウガ」

 斧男はそう呟くと、いきなり皮製カバーもしていない大斧を椋河に向かって振り下ろす。

 鈍く、とてつもなく重い斬撃が公園の芝生に直撃する。

 椋河はなんとかそれを回避した。…一瞬の判断が遅れていたら椋河の身体が真っ二つになっていたかもしれない。

「な…なにをしやがる!?お前!!」

 椋河は斧男と距離をとりながら符号石プレイヤーを起動させ、二本の刀を構えて叫ぶ。

 斧男は返事をせず、代わりに獣の咆哮に近い叫びを上げた。

 だがその叫びには普通の叫びと違い、何故か圧力のようなものを感じる。

「…何、これ!?」

 つわきの叫び声が聞こえる。

 椋河がつわきを見ると、つわきの手には色の濁った符号石が握られているのがわかった。

「つわき!?その符号石…」

「私のさっきまで使ってた符号石よ!あの斧男の叫びを聞いたら急に濁りだして…」

「…っ、濁っただと!?つわき、見せるのじゃ!」

 椋河とつわきの修行を見物していた天女が駆け寄り、つわきの濁った符号石を確認する。

「…やはり…あの斧使い…さっきの咆哮で絶符を発したのか。これではつわきの…いや、殆どの符号石は使い物にならん」

「絶符!?一体どういう事だよ!?」

 そう会話を続けている内にも斧男は椋河に真っ直ぐ向かってくる。

「ちっ…」

 椋河はつわきと天女から離れる。

 自分が斧男に狙われているのが明白な以上、斧男との戦闘に二人を巻き込みたくない為だ。

 だが、突然椋河は自分の身体に違和感を感じる。

 いつもより素早く動けない。

 ――というより符号石の身体向上能力が働いていないように感じる。まるで絶符の効果が表れているかのように。

 だから天女の言うとおり、もし斧男が絶符を操れるのだとしたら納得がいく。

 だとすると、実質符号石の力を使えない今の椋河に勝ち目はない。

 何故なら相手は普通ならどんな力持ちの人間でも、符号石無しでは扱いきれない程の大斧を軽々と扱っている。

 という事は、何故か相手にだけは絶符の効果が効いていないのだ。

 それも相手は本気で殺しにかかって来る――。

 椋河が死の恐怖を感じた瞬間。

 斧男は大斧の横斬りを椋河に向かって放つ。

 椋河はかろうじてその斬撃を二本の刀を交差させてガードする。

 だが椋河は刀でガードしたままの格好で思い切り吹っ飛ばされた。

 公園にある木の幹に叩きつけられる椋河。

「ぐはっ…」

 椋河はえづき、その場に倒れ込む。

 その瞬間、椋河のポケットから一つの符号石が公園の芝生の上に落ちる。

 椋河はとっさに斧男を見ると、斧男を取り押さえようとする警備の武士達を次々と打ち払っている様子が見えた。

 おそらく、警備の武士達の符号石も効果を無効化されているに違いない。

 その光景を見ると、もうあの斧男が絶符を操っているのは事実であるとしか言い様が無かった。

「椋河!!!逃げて!!!」

「つわきの言うとおりじゃ、椋河!!!今は…」

 つわきと天女の叫び声が聞こえる。

「…くっ……」

 歯噛みしながら椋河はなんとか立ち上がり、逃げようとする。

「ん…?」

 だが椋河は自分のポケットから落ちた符号石を見て驚き足を止めた。

 その符号石はつわきの持っていた物と違い、濁っていない。

(…まさか)

 椋河はそれを見てある考えを思いつく。

 そこで椋河は自分の胸ポケットの符号石プレイヤーからさっきまで使っていたはずの符号石を取り出して見てみる。

(やっぱりか)

 すると、取り出した符号石はつわきの持っていたのと同様、濁っていたのだ。

 椋河は気付いたのだ。

 つわきの持っていた濁った符号石と、天女の言っていた『殆どの符号石は使い物にならない』という台詞で。

 ――身体向上能力が失われた符号石は濁ってしまう事。

 寮の絶符ではこんな事は起こらないのだが、とにかく今はそう判断するしかない。

 ――殆どの符号石が使えないという事は、絶符が効かないような常識はずれのごく少数の符号石が存在している事。

 ――そしてそのごく少数の符号石が、今椋河が落とした天女に『癖が強い』といわれた色が濁っていない符号石と今斧男が使っている符号石の二つ、少なくともこの場に存在する事。

 つまり、だ。

 いま椋河が落とした符号石を使えば、逃げずにあの斧男に対抗できるのではないか。

 そう思った椋河は落とした符号石を拾い、自分の符号石プレイヤーに入れる。

 符号石プレイヤーの起動ボタンを押し、ヘッドホンを頭にしっかりと固定した。

「駄目じゃ、椋河!!!お主では――!!!」

 天女は叫んだが、椋河は既に符号石の超音波を再生してしまっている所だった。

 

「……っ!!な……何…だ…こ…れ…」

 

 符号石から流れる超音波を聞き取る事は出来ない。

 だが今、椋河に流されている超音波は確実に椋河を拒んでいる事が分かる。

 足はガクガクと震え、手は刀を持ち直す程の筋力も出ない。それどころか、あまりの気持ち悪さに気まで失ってしまいそうだった。

 体中は焼けるように熱く、激しい目眩までだんだん感じてくる。

 これではヘッドホンをはずすかプレーヤーのボタンを押して、この符号石の超音波を止めるしかこの不快感を取り除く方法はない。

 だがそうするにも力は入らず、できるわけがなかった。

 こうしている間にも斧男は近づいてくる。

 

(…死ぬ、かな…そっか、ここまでか…)

 

 椋河がそう思った矢先、背中に何か柔らかく、暖かい物が触れているのを感じた。

 ――それは、人肌の柔らかさと温もりだった。誰かが椋河に後ろから抱きついているのだ。

 

 「…大丈夫じゃよ。その力はお主を拒んではおらん――」

 

 その言葉を聞き取った瞬間。

 椋河の脳裏に写る一人の少女の歌いながら穏やかに踊る姿。

 その少女は椋河に何かを熱心に伝えるように歌い、踊っている。

 楽しそうに、歌って踊る小柄で肩まで届くくらいのおかっぱ頭に、大きい瞳で着物を着た可愛らしい少女。

 その少女は椋河に向かって微笑む。

 すると、椋河は自分の心がその少女の心と溶け合うような感じがした。

 ――それは温かく、安心できるような感覚――。

 

 斧男が椋河に向かって大斧を振り下ろす。

 それは符号石の力無しではまず反応すら出来ないような斬撃の速さ。

 ――が、斧は椋河を切り裂く事なく、公園の芝生と土に突き刺さった。

 斧男が視線を上に向ける。

 その視線の先には、十メートル程上空を跳躍している椋河と、椋河にしがみついている天女の姿があった。

 椋河は空中で天女を抱え直すと、斧男よりも少し離れた場所に着地する。

「…もう大丈夫のようじゃな。どうやら成功したようじゃ」

「……ああ、よくわからないけど間一髪だったな。天女、俺に何を?」

「なぁに、妾の心の振幅と波長をお主のそれと合わせただけじゃよ。妾の歌でな。お主がその歌から伝わる感覚を忘れなければ、もうその符号石はお主が完璧に扱える。それより…妾を降ろしてくれぬか?」

「…え?」

 椋河は天女のその言葉で自分がどんな状況に置かれているのか段々分かってきた。

 生まれてこの方、異性とろくに接してこなかったどころか、まともに触れた事もない椋河が天女を――女性を抱えている。

 そう思った途端、抱えている天女の肌の柔らかさや温かさ、呼吸によって上下運動している胸元をやたら意識してしまう。

「!?…わわっ、ごめん!!」

 椋河はあわてて天女を抱えるのを止めた。

「案外ウブなんじゃの、お主は」

「…うるさい」

「倒すのか?あの斧使いを」

「ああ。とりあえず気を失わせる。今の俺…いや、俺達・・ならやれる気がするからな。…後は警備の人がなんとかしてくれるさ」

 その言葉に、天女は笑顔で返す。

 椋河は目にも止まらぬ速さで走り、落としてしまった自分の刀を二本拾い上げる。

 そして、向かってくる斧男にむかって構える椋河。

 

「…プレゼントのようにラッピングされちゃいないが……きっちりと受け取ってもらうぞ。…今までの、やられた分の返しをな!!」

 

 椋河が放つ斬撃を斧男がさばききる。

 だが時間が経つ度に段々と斧男は椋河のどんどん鋭くなる斬撃をさばききれなくなっていく。

 

 ――椋河は将来、RIAFを出る時に孤独になる事を密かに恐れていた。

 幼馴染のつわきとさえ、RIAFの外に出ればいつ別れる事になるかわからないのだ。

 だからいついかなる時でも孤独が隣にいるような気がして怖かった。

だが今は、天女の歌を信じて闘っている椋河には天女と共に闘っているような気がして孤独感なんて吹き飛んでいる。

 今使っている符号石ならRIAFの外で一人闘っていたとしても孤独を感じる事はない――そう思える。

 椋河は今まで自分を信じて大会で優勝する程強くなった。

 自分の強さが天女の――自分以外の人の強さに支えられる実感など、生まれて初めてだったのだ。

 自分だけで強くなったがゆえに、心の片隅に居た『他人を信じてはいけない』とささやく存在を打ち消せた。

 そんな今の椋河だからこそ、天女の心の振幅と波長を信じて闘えるのだ。

 天女が以前に言っていた、『自分なりの強さを身に付けてしまった者』のままの椋河だったら恐らく天女の心の振幅と波長を信じずにいたかもしれない。

 そして分かった事がもう一つある。

 それは天女を信じ、心穏やかになれる今の椋河になら、自分を見失う事がない事。

 ――それは、椋河にとってこの上ない安心感だった。

 

 斧男が斧を構えながら一回転し、椋河を振り払おうとする。

 だが椋河は、大斧の先を二本の刀を交差させてがっちりと押さえ込むと、そのまま斧ごと斧男を二本の刀で投げ飛ばす。

 投げ飛ばされた斧男は公園の芝生に叩きつけられるが、またすぐに起き上がった。

 

 

 

「…大丈夫、天女!?」

 椋河から降ろされた天女の傍に、つわきが駆け寄って来る。

「つわきか。妾は大丈夫じゃよ。…それと、椋河もな」

 つわきは天女の視線の先――斧男を圧倒している椋河を見た。

 斧男が力任せに斧を振り回しているのに対し、椋河の動きは刀と共に舞っているようにも見える。

「つわき、何故符号石には様々な種類があるのか分かるか?」

「…いいえ。何故なの?」

「それはな、符号石というのは名前のない楽譜だからじゃよ。戦闘している時の武器と、それを扱う武士の動きそのものが曲のように美しく奏でられるのは、今の椋河を見ればわかるじゃろ?いうなれば、符号石が楽譜で武器は楽器、武士は演奏家、放たれる武術が演奏される曲となっておるのじゃよ」

「…楽譜に色んな種類があるように、符号石にも様々な種類がある。そういう事?」

「うむ。符号石、武器、武士。どの要素を変えて組み合わせるだけで曲というのは無限の表現パターンを持つ。今の椋河の動きに曲名を付けるとするのなら…」

 椋河が斧男の攻撃を鮮やかな流れですり抜け、無駄なく激しく斧男の防御を崩していく。

 

「激しさの中の穏やかさ。『心閑寂羅刹天しんかんじゃくらせつてん』とでも名付けようかの」

心閑寂羅刹天しんかんじゃくらせつてん…」

 

 斧男の鉄製ヘッドホンのコードが椋河の斬撃によって切られ、斧男が倒れる。

 ドズン、と鈍い音をたてて大斧が公園の芝生に落ちた。

 

 

 

「じゃあこの符号石は…天女が作った物だってのか!?」

 公園での闘いを終えた後、天女の話を『甘味処 くぐい』の一室で、天女特製のお茶を飲みながら聞く椋河とつわき。

「うむ。妾が作った内のひとつがどうやらRIAF施設に回収されていたようじゃの」

「じゃあ符号石が発掘される物っていうのは嘘なの?」

 つわきは驚きながら天女に問いかける。

「正確には嘘ではない。ただ発掘しただけでは何も書かれていない白紙の状態なのじゃ。そのまっさらな符号石に妾のような『符号』を生成できる者が符号を歌で書き込む事によって初めて実践で使えるような符号石が出来上がるのじゃ」

「じゃあ、俺があの時に天女の心の振幅と波長…歌から伝わる感覚を忘れないようにしたってのは…」

「察しの通りじゃ。妾の作った符号石と、お主が妾の心の振幅と波長を元にしたお主なりの表現。元はどちらも妾から出来た物じゃ、整合しないはずがあるまい?」

「…そういう事だったのか。で、この符号石と元々俺やつわきが持っていた符号石はどう違うんだ?」

「妾の言った通り、符号石は人が歌で符号を刻むものじゃ。だからわざと人と調和をとらせないように符号をずらして刻むこともまた出来る。そうして生み出されたのが『逆符号石』じゃよ。逆符号石を使った符合を耳から脳に入れると体が拒絶反応を起こし、そうなった人間は自我を失う代わりに体力向上効果に加え、符号石の符号を麻痺させる事の出来る『絶符』を発する事が出来る。ま、この絶符は科学的にコピーされたような市販のものには有効じゃが、椋河が持っていた妾特製のオリジナルには通用せぬがな」

「…でも寮に流れてる絶符だと、市販の符号石が濁りはしなかったんだが?」

「おそらく寮の絶符と逆符号石による絶符は原理が違うのじゃろ。得られる効果にも多少の違いがあっても不思議ではない。ちなみに、符号石の原理は脳が反応する符号を『一』、反応しない符号を『零』と考えると、コンピュータの二進法とほぼ同じなのじゃよ。つまり、符号は論理回路の信号と同じ働きをするのであって…」

「…すまん、よくわかりそうもないから原理の説明はいらんわ」

「む…そうか」

「…でもさ、何で符号石を作る者がいる事を世間は公表しないんだ?日本政府は」

 椋河の疑問に『もっともだ』といわんばかりにつわきも頷き、天女の発言に集中する。

「簡単な事じゃよ。妾のような一部の人間をあらゆる敵から守る為世間には公表しない。…といっても、妾は日本政府の管轄化に置かれていないから、保護を受けているとは言い難いがの。公表しないのは日本だけかもしれぬしな」

「じゃ…つまり天女は俺とつわきを信用してくれるってのか?」

 椋河は少しイタズラっぽく天女に問う。

 天女はそれに笑顔で答える。

 

「妾の心の振幅と波長を信じたからこそ、斧男を倒せたお主。お主の信頼する友人。…なら妾が信用しないはずがあるまい?」

 

 その天女の言葉に椋河は胸の奥が熱くなるのを感じる。

 なにせそんなにはっきりと信用するなどと言われるとは思わなかったのだ。

 天女は真っ直ぐ椋河を見る。

 その天女を見て、顔を赤らめる椋河。

 そんな二人を交互に見たつわきは、ニヤリといった様子で口を開く。

「あらあら~?妬けちゃうわねー、お二人さんなかなか似合ってるわよ~?」

 つわきの台詞に反応し、椋河と天女は顔をさらに紅潮させた。

「…そ、それはそうと…この桜味のお茶、美味しいな」

 天女から視線を逸らし気味に言う椋河。

 今椋河が飲んでいる天女特製のお茶は、桜風味のお茶なのである。

「気に入ってくれたなら…嬉しいが…」

 うつむき加減に言う天女。

「えーと…このお茶みたいな、桜風味の和菓子とかないのか?甘さが適度で、俺でも食えそうな気がするんだけど」

「…実を言うと、最近になって作ろうと考えておったのじゃが…妾の手作りになってしまうし、味の保証も出来るかどうか…」

「…そっか…じゃ俺、それ楽しみにしてるから」

「む?」

 椋河は照れ隠しでお茶を一気に飲み干し、立ち上がる。

「とにかく今日はごちそうさま!…また来るよ」

「う、うむ。また、の」

 そのまま椋河は部屋から出て行ってしまった。

 つわきも天女に一礼すると、椋河を追うように部屋から出て行く。

 天女は一人、部屋で呆然としていた。

 

 

 

 数日後――。

 椋河は『甘味処 くぐい』を施設のカリキュラム終了後の放課後に一人で訪れた。

 すると店先で掃き掃除をしている天女を見つける。

「よぉ、天女」

「椋河…!」

 椋河が天女に話しかけると、天女は驚いたがすぐに顔をほころばせた。

「前に言った和菓子…作った?」

「う…うむ。あるにはあるのじゃが…正式にメニューには加えてはおらぬ。…試食という事でなら無料で出せるが」

 天女は視線を泳がせながら、もじもじとした様子で言った。

「そりゃいいや。じゃ、それとお茶を一杯もらおうかな」

「う…うむ…」

 椋河が座り場に座り込むと、天女は戸惑いながらも掃き掃除を一旦止め、店の奥へと入っていく。何分か経って、お盆の上に桃色のようかんとお茶を乗せて天女が奥から出てきた。

 椋河は天女からお盆を受け取ると、桜風味のようかんを口に含む。

「…どうじゃ?その…不味いなら」

「…」

「ど、どうなんじゃ?」

 天女はオロオロと椋河に尋ねる。

 椋河は目を閉じ、集中して味わっている。

「…ふっ…」

「な、なんじゃ『ふっ』とは?!のう、椋河!」

 天女は目に涙を浮かべそうなくらい椋河に問い詰める。

 その様子が椋河には少し面白く思えた。

 けどいじめ過ぎるのも良くないと思い、正直に話そうと口を開く。

「…美味いよ。なんかな、酸っぱ過ぎない酸っぱさとさわやかな甘みがあって…この甘さは好きだな」

「…まことか?」

「俺は嘘をつくのは嫌いだ」

 椋河はようかんをよく味わいながら食べ進めていく。

 天女はそれを見ると胸を撫で下ろす。

 その後すぐに、拗ねるように椋河から『ぷいっ』と顔を逸らす。

「答えを焦らしおって…椋河は意地悪じゃ」

「はは、悪い。天女の反応があまりにオーバーだったからつい、な」

 椋河は朗らかに笑う。

 それを聞いた天女は顔を紅潮させながら頬を膨らませる。

「はは…あのさ、天女。何でアンタはそんなに自分の和菓子に自信がもてないんだ?」

 椋河が問いかけると、天女がビクリと反応する。

 だが椋河が真剣な目でその問いかけをしている事に気付くと、観念したように口を開く。

「…妾は昔、符号石の生成に失敗しておるのじゃ。その時のトラウマで政府機関から逃げて、今に至る…というわけなのじゃ。まあその失敗のせいで…自分でものを作って失敗する事に恐怖するようになって…まぁ、そういう事じゃ」

「ふぅん…」

 椋河はズズッと茶をすする。

「でもさ、アンタの淹れたお茶はすっごく美味いぞ、相変わらず」

「いや…お茶は…ペットボトルのを仕入れたのでは甘味処の名が廃るじゃろ?茶葉を仕入れたにしても結局妾が自分で淹れなければならないからの…仕方なく」

「仕方なく嫌々で淹れたお茶がこんな美味い味するのか?」

「いっ…嫌々ではない!妾なりに一生懸命考えてやったのじゃ!!!」

「それだよ」

「…ぬ?」

 

「アンタはアンタなりに一生懸命やってるんだろ?諦めないんだったら最初下手でもいつかは上手くなるんだよ。俺も昔はそう…いや、もっと酷かった。――弱い、弱いって馬鹿にされてさ。だから悔しくって常人の何倍も武術の特訓したよ。結果、今は弱さで馬鹿にされる事は無くなったよ」

 

 その椋河の台詞に一瞬呆けた天女。

 

「…そうじゃな。妾が間違っておった。教えてくれて礼を言うぞ、椋河」

 

けれど天女はすぐに笑顔で返事を返した。

「ああ。…俺と天女は互いに足りない所を補えたって言うのかな…」

「む?」

「ごちそーさん。お代はここに置いとくよ」

 椋河は代金とお盆を席の上に置くと、立ち上がる。

「椋河!?どういう意味じゃ、その言葉!説明せぬか!」

「ごちそうさま、って意味だよ!!それじゃな!!」

 天女の制止を無視し、椋河は小走りで去ろうとする。

 

「こらーっ!答えぬかー、椋河!」

 

 天女は怒りというより、じゃれあうような語調で椋河に向かって叫ぶ。

 

「はははっ……」

 

 桜吹雪の中。

 二人は笑い合い、互いに芽生えた新たな一歩に胸躍らせるのであった―。

 

 

 

                                   おしまい


…この小説を書いている途中で思いついたんですが、『ベルトじゃなくヘッドホンで変身する仮面ラ○ダー』とかってのはどうですかね、東○様、石○プロ様?


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