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2 ドエムオークの報復

 昔から、武器や道具を使うのが絶望的にへたくそだった。


 子どもの頃、近所の友だちとの勇者ごっこ。俺が頑張って振り回した棒切れがすっぽ抜け、友だちの股間に直撃した。友だちは悶絶し、俺はそれ以降二度と勇者ごっこに誘われなかった。

 両親が死に、冒険者として生きていくと決めたあと。弓を装備して初めての討伐に臨んだが、敵を狙ったはずの矢がなぜか仲間の頭をかすめ、そのカツラをはじき飛ばしてしまった。パーティは解散し、俺はそれ以降誰からも仲間に誘われなかった。

 ソロ討伐で弱い魔物をちまちまと狩る日々。あるとき、炎が弱点の魔物を狩ろうと槍の穂先に火をつけたのだが、誤って自分の荷物を燃やしてしまった。消火しようにも間に合わず、俺はそれっきり無一文になった。


 そう、俺は武器や道具をまともに使えたためしがない。

 それは単に、俺が生まれつき不器用であり、戦闘に向いていないからなのかと思っていたが……。どうも、そうではないらしかった。


「武器も道具も使えなくて当然さ。その『裸族の紋章』を受け継げたってことは、アンタには生まれつき『裸族』としての才能があったってことなんだからね」

 深夜の、郵便局の応接室にて。ベラドンナ支局長は、しわだらけの顔でにやりと笑った。彼女は俺の手の甲にあらわれた紋章を――全裸の男が仁王立ちしているように見える紋章を指さした。


 俺はこぼしてしまった紅茶を布巾で拭うと、またソファに座りなおした。

「そう、アンタは剣士でも弓使いでもなく、武闘家でもアサシンでもなく、白魔導士でも黒魔導士でもない。裸族さ」

「裸族……。それが今日から、俺の職業だっていうのか?」

「おそらく、そういうことだろうね。裸族は戦闘に武器も防具も道具も用いない。己の裸体一つで戦う全裸戦士さ」


 俺はひどい頭痛を感じた。死の淵から蘇ったと思ったら奇妙な紋章が手の甲に浮かび上がるし、いきなり初対面のばあさんに裸族認定されるし。訳が分からない。

「……ちょっと頭が追いつかねぇな」

「だろうねえ……。何か啓示を受けなかったかい? その紋章が浮かび上がったときに」

「啓示か……。全裸のじいさんが出てきて、力を託すって言われたな。やっぱりあれは幻覚じゃなかったってことか」

「ん~、他には?」

「他には……1年以内に死ぬだろうと」

「……なるほどね」

 ベラドンナ支局長はそう言ってうなずくと、しばらく黙りこんだ。暗い闇に沈んだ窓の外から、野犬の吠え声が聞こえる。俺が静かに、次の言葉を待つ。


「……その全裸じいさんってのは、おそらく『ヌーディスト・セブン』の誰かだろうね」

「ヌーディスト・セブン……。100年前に魔王を討伐したって話は聞いたことあるが……それ以上は知らねぇんだ。おとぎ話に出てくる勇者みたいなものか?」

「似たようなものさ。ただ、おとぎ話と違ってヌーディスト・セブンは全裸で戦うんだけどね」

「……変態集団か何かなのか?」

「変態は変態でも、世界最強の変態どもさ。ヌーディスト・セブンは、この世に7人だけ存在する全裸戦士。アタシが会ったことがあるのは一人だけで……シダ・ロモって男さ。白い髭を胸まで垂らしていてね、ずいぶんやかましい奴だったよ。生きてたら120歳くらいかねえ」

「ああ、多分そいつだ、俺が見たのは」

「とすると、ロモの奴はどこかでくたばったようだね。そして死んだアイツに代わって、アンタがヌーディスト・セブンの一人になった」

「いや、ちょっと待て、勝手に決めないでくれ」

「勝手っていってもねえ。裸族の紋章が浮かんじまってるんだから、多分返品は無理だろうさ」

「マジかよ……」

 俺は自身の右拳をあらためて眺めた。全裸の男が仁王立ちしているかのような紋様が浮かび、青白い光を放っている。


 一方、支局長は眉間にしわを寄せる。頭の奥の奥にある棚から、色あせた記憶を引っ張り出そうとする表情だった。

「1年以内に死ぬ。ロモの奴にそう言われたんだね?」

「あ、ああ、言われた」

「それは『裸族の祠』に行かなければ死ぬ、という意味じゃないかい?」

「祠……。言われてみれば、あのじいさんはそんなようなことをしゃべっていたな」

 俺は、死の淵をさまよったときのことを思い出しながらそう言った。

「たしか、大きすぎる裸力(らりょく)に肉体が耐えられない、とかなんとか」

「アタシも詳しくは知らない。ただ、ヌーディスト・セブンになった連中は必ずそこで洗礼を受けるらしいねえ」

 支局長はそう言って、テーブルの上のカップに視線を落とす。湯気の量はだいぶ少なくなっていた。

「『裸族の祠』は、旧魔王領の奥深くにある裸族の聖地だよ。そこで洗礼を受けることが……アンタが死を回避するために必要なのかもしれないね」


 なるほど。

 訳が分からないこと続きだったが、ようやく話が見えてきた。

 あの全裸じいさんと支局長の話を総合すると……つまり俺は、1年以内に「裸族の祠」とやらに行かなければ、強すぎる「裸力」によって肉体が滅びてしまうということである。しかもその祠がある場所は、強大な魔物が跳梁跋扈する危険地帯――旧魔王領の奥深くだという。


(マジで言ってる……?)

 頭の中で状況を整理した俺は、ただただ茫然とした。

 余命1年。しかも、「裸力」とかいう訳の分からない力のせいで。

 あの全裸じいさんは、幻覚なんていう可愛い存在ではない。いきなり現れて危険な力を押し付けていった、厄介な変態老人だ……。


(……いや)

 俺は、全裸じいさんのことを非難したくなる気持ちを抑えつけた。

 考えようによっては、あのじいさんは命の恩人だ。力をもらわなければ俺はあの場で死んでいたかもしれないのだから。全裸後方でんぐり返り死という不名誉きわまりない死因で、俺はこの世とおさらばするかもしれなかったのだから。

 おまけに、ドエムオークを撃退できたのは間違いなく「力」のおかげだ。

 悔しいが……本当に悔しいが、全裸じいさんを責めることはできない。


「……とにかく、その『裸族の祠』に行かなきゃいけないってことは分かった。支局長さん、場所は知っているのか?」

「ものすごく大ざっぱにしか分からないねえ……。でも、たとえ正確な位置が分かったとしても、今のアンタでは辿り着くのは無理だろう」

「そんなこと言われてもな。ヌーディスト・セブンが他にもいたんなら、そいつらがどうやったか教え……」

 俺は、さらに詳しい話を聞き出そうとした。部屋の入口のドアが静かに開いたのはそのときだった。


「グランマ……誰か来ているのか……?」

 目をこすりながら、パジャマ姿の小さな女の子が部屋に入ってきた。とたんに、ベラドンナ支局長の口元が優しくほころんだ。

「おやおやメンティム。起きちまったのかい」

「ん……」

「ほうら、こっちにおいで」

 そう言われて、メンティムと呼ばれた少女はとてとてと支局長の方に歩いていく。おそらく10歳前後であろう女の子だった。長くさらさらした茶髪を持ち、大きめのスリッパを履いている。

 メンティムは、支局長と並んでソファに座った。そして、初めて俺に気づいたかのように、驚いた様子で目を(しばたた)いた。


「この人は? 新しく郵便局に入るのか?」

 メンティム嬢はぼんやりとした顔で、あくびをかみ殺しながら言った。

「ということは、あたしのコウハイだな」

「いいや、別に採用面接をしていたわけじゃないよ」

「むむ~」

「なんだい、寝ぼけてるのかい?」

 支局長は優しく微笑み、メンティム嬢の頭をなでる。少女はすぐにうとうとし、左右に規則的に揺れはじめた。


「まったく、仕方ない子だねえ」

「俺の話し声が大きくて、起こしちまったか?」

「いいや、いつもこうなのさ」

 やがて、メンティム嬢は頭を支局長の肩にもたせかけ、眠ってしまった。支局長と俺は、しばし黙ってその寝顔を見つめる。この世の平和をすべて集めて人の形にしたような寝姿だった。

「メンティムはアタシと一緒に、この建物の二階に住んでいてね」

「そうだったのか」

「いつも郵便局にいるからね。自分ももう郵便局員だって言ってるのさ」

「頼もしいな」

「だろう? 将来有望さ」

 そう言ってメンティム嬢を見つめるベラドンナ支局長の表情は、とても幸福そうだった。ただ、いつまでもこうして幼女を見守って幸せに浸っているわけにもいかない。俺は話を戻そうとした。「裸族の祠」がどこにあるのか。俺が死を免れるためには、そこで何をすればいいのか。知っている限りの情報を教えてもらおうと思ったのだ。


 しかし、まさにそのときだった。


 ドオンッ!!


 すさまじい爆発音とともに、郵便局全体が大きく震えた。メンティム嬢はびっくりして飛び起きる。俺はソファから腰を浮かした。

「ひゃあ!?!?」

「なんだ!?」

「穏やかじゃないねえ……」

「支局長、大変です!」

 俺たち3人がそれぞれ驚いていると、枕を抱えたリリアが部屋に飛び込んできた。その慌てようから、尋常な事態ではないとすぐに察することができた。

「リリア。いったい何があったんだい?」

「ドエムオークの群れが外に!」

「なんだって?」

 ベラドンナ支局長は眉をひそめた。しかし一瞬後、メンティム嬢の存在を思い出したか、彼女の手を優しく握った。


「グランマ……」

「大丈夫さ、安心おし。オークなんて怖くないからね。……リリア、来たのがオークなら、なんで爆発みたいな音がしたんだい?」

「分かりません。ただ、遠くで何かが燃えたように見えました」

「敵の数は?」

「おそらく、20から30ほどかと」

「対して、こっちの戦力はアタシとアンタの2人かい。まったく、手薄なときを狙われたもんだね」

 支局長は、チラリと俺の方を見た。

 分かっている。これは俺も戦う流れだ。ついさっき手に入れた全裸の力を駆使してオークどもを撃退することを期待されるやつだ。分かっている。そう、そのくらいは分かっているのだが……。


(やべえ、逃げてぇ……)

 情けないと笑われようとも、俺は心の中でそう思った。どんなに無様でもいいから、今すぐ窓からとび出して逃げたかった。

 もちろん俺も冒険者の端くれだが、ふぐりスライムに返り討ちにあう程度の実力しか持ち合わせていないのだ。

 この「裸族の紋章」というものも、シダ・ロモとかいう全裸じいさんから受け継いだ力も、いまだにその正体が分からない。もしかしたら、あの超人的な力は先ほどの一回で打ち止めという可能性もある。次もうまくいくとは限らない。普通にオークに殴られて死ぬかもしれない。


(だから戦いたくねぇんだが……どう考えても逃げ出すのは許されない雰囲気だよな、これ……)

 俺は半ばあきらめつつ、ベラドンナ支局長の言葉を待った。

 しかしながら。

 てっきり、俺も一緒に戦ってくれと言われるのかと思ったが……支局長の口から出た言葉は、予想とは違っていた。


「ジルファント君。無関係なアンタには悪いけどね、メンティムを安全なところまで連れて行ってくれやしないかい?」

「え……?」

「アタシたちが戦っている間に、郵便局の裏手の道から街の方へ逃げるといい」

「いや、オークが何十体もいるんだろ? 支局長さんたちも逃げた方がいいんじゃないか?」

「逃げられるなら楽なんだけどね。そういうわけにもいかないのさ」

 ベラドンナ支局長は、この応接室の奥のドアに目を向けた。「関係者以外立ち入り禁止」と書かれた札がさがっている。

「あの奥には、明日の朝配達する分の手紙と小包がある。それだけはなんとしても守らないといけなくてね」

「だが、手紙より命の方が大事だろう」

「いやいや、アタシらは別に死にゃあしないよ。これでも修羅場をくぐっているからねえ」

 支局長はケラケラと笑った。しかし、その目は真剣だった。

「それにね、手紙ってのは、時に誰かの人生を……命を救うこともあるのさ。おかしいよね、ただの紙切れなのに。だからね、アタシらは命を預かってるようなもんなのさ。命を放り出して逃げるわけにはいかないだろう?」

 支局長はそう言うと、かがみこんでメンティム嬢に目線を合わせた。緊張した様子の少女に対し、ごく自然に――おつかいでも頼むような口調で言った。

「いいかい、メンティム。アンタはこの兄ちゃんと逃げるんだ」

「私も何か手伝いたい」

「ありがとうね。だったらこれを渡しておこう」

 そう言うと、支局長はポケットから金色の鍵を取り出した。赤色の美しい宝玉が埋め込まれていることから、ただの鍵ではなく魔法鍵であることがうかがえた。

「郵便ポストの鍵さ。大事なものだから、ちゃんと守るんだよ」

「分かった。グランマは戦うのか?」

「そうさ。グランマが強いのは知ってるだろう?」

「うん……グランマは強い」

「メンティムも強いだろう?」

「うん……」

「だったら泣かないね。そう、偉いぞ」

 そう言って、支局長はメンティムの頭を優しくポンポンと叩いた。そして体を起こし、俺に目配せする。俺はうなずいた。


「少女を連れて逃げる」だけなら、俺でもなんとかできるだろう。正直、一緒に戦えと言われなくて非常に助かった。

 俺は、今の俺にも確実にできることに――メンティム嬢と一緒に逃げることに、全力を注ぐことにした。


「変身!」

 リリアがそう叫ぶと、人間の姿だった彼女の姿が黒い魔力に包まれて変化した。衣服は、肩と胸元が露出した過激なものになり、角と翼、そして尻尾が生える。先ほどまでの真面目な郵便局員という雰囲気は消え、そこにはお腹にハートのような形の紋様を持つ、一人のサキュバスが立っていた。眼鏡をはずしたその両目の奥ではある種の欲望と、それを抑えんとする理性とがせめぎ合っている。


 サキュバスの姿の方が戦闘力は高いから変身したのだろうが……人間の心とサキュバスの心が激しくぶつかり合っているようで、何やら不穏な独り言をつぶやいていた。

「私はサキュバス……違います、私は人間です……ハァ……ハァ……オークを美味しく味わい……わけではなくて、郵便局を守る……いわば残業です……そう、本能に負けて仕事を放棄してしまっては……残業代が出なくなってしまいます……」

「大丈夫なのか?」

「ああ、リリアはいつもこんな感じさ」

 なんでもないことのように、支局長が言う。リリアは今にもサキュバスとしての性質に呑まれて人間を襲いそうな雰囲気だったが……。まあ、彼女をよく知る支局長が大丈夫だと言うなら大丈夫なのだろう。


 ドオンッ!!


 また先ほど同様、何かが爆発したような音が聞こえてくる。オークが火薬でも用意しているのだろうか。しかし、奴らが使えるのは棍棒などの鈍器くらいのはずだが……。

「とにかく、急ぐよ」

 支局長に促されたので、俺たちは揃って裏口へと向かった。ゆっくりとドアを開けてみたが、幸い、そちらにオークは見当たらなかった。

 郵便局は、オットットット町から東に離れた丘の上にある。星月の光の下、人間の街へと続く下り坂がくねくねとのびているのが見えた。町の入り口あたりで燃えるかがり火も、わずかに見て取ることができる。

「さあ、この道に沿ってオットットット町まで……」


ドオン!


 再び爆発音。

 メンティム嬢が反射的に支局長に飛びついてから、ばつが悪そうに手を離す。リリアがパタパタと翼を動かし、建物の陰から顔を出した。俺もそれにならって、身を隠しつつ音がした方に目を向ける。

 そして驚愕した。

 坂の下には、さっきリリアが言っていた通り、20から30体ほどのドエムオークどもがいたのだが……彼らは遠巻きに見ているだけで、郵便局に迫ろうとはしない。オークどもの代わりに、巨大な何かが坂をのぼってくるのである。

 木々が燃え、巨大な何かの姿が闇夜に浮かび上がる。それは、一軒家くらいの大きさを持つ竜だった。ズリズリと腹を引きずり、郵便局への上り坂をのぼってくる。オットットット町とは反対の方角から――つまり、オークの縄張りの方向からやってくる。


「郵便局ノヤツラ! 聞コエテルカ!」

 竜の陰に隠れながら、ドエムオークの一体が怒鳴った。竜と比べると小さく見えるが、よく観察すると他のオークよりも大柄だと分かった。

「サッキハ俺ノカワイイ弟タチヲ、イタブッテクレタヨウダナ! ナンテ羨マシイ! タップリオ礼シテヤルカラ感謝シロ!」

 ドエムオークは腕を振り回し、郵便局に向かって吼えた。俺は先ほど、2体のドエムオークから身を守っただけで、いたぶったつもりはないのだが……そんな釈明をする時間はもちろん与えられない。大柄のドエムオークは、今度は竜に向かって言ったのだ。

「先生、ヤッチマッテクダサイ!」

「ンー」

 竜は面倒くさそうにのそのそと前進を続ける。緩慢な動作に見えるが、体が大きいので歩幅も大きい。竜はどんどん、この建物に近づいてくる。


「あれは……ものぐさ竜!? そんな、中型竜はランクFの地方にはいないはず……! 書類と違います……!」

 そう言ってリリアが青ざめる。ランクFという言葉は知らないが……たしかに、このあたりで目撃されている竜は、小型のもの(牛とか馬と同程度のサイズ)ばかりだったはず。

(……いや、ものぐさ竜は滅多に巣の外に出てこない魔物だ。以前から生息していたのに、気づかれていなかったってわけか?)

 ということは、秘密の巣穴からオークが連れてきたのか。あの様子では、両者は共生関係にあると見てよいだろう。

 まさかあんな切り札を隠し持っているとは。


「さっきの爆発音は、あの竜が吐いた炎が原因らしいねえ」

 俺たちと同じく壁に隠れながら、支局長が竜を観察する。たしかに、坂の下の草木に火がついて盛大に燃えているが、あれは竜が原因としか考えられない。オークたちは松明さえも持っておらず、ただ棍棒を片手に、竜が前進していくさまを眺めているだけだ。完全に竜任せにするつもりらしい。


「グランマ……?」

「大丈夫さ。アタシも昔はあんな竜の一体や二体、居眠りしながら討伐してたもんだ」

 不安そうなメンティム嬢に対し、支局長は言った。もちろん強がりだろう。このお年寄りが若いときどれくらい強かったのかは知らないが……中型の竜といったら、兵士が100人単位で対処しないといけないレベル。1人や2人でどうにかなるはずがない。


 それなのに。

「メンティムを頼む」

 ベラドンナ支局長は、メンティム嬢を優しく俺の方に押し出した。何度か見たことがある。死にに行く者の目をしていた。

「……分かった」

 俺はそれだけ言うと、少女の手を取った。竜が登ってくるのとは反対側――郵便局の裏手からのびる道を、下りはじめる。支局長とリリアを残して、駆けおりる。

 メンティム嬢は一度だけ振り返ったが、それだけだった。彼女は唇をギュッと噛みしめ俺についてくる。生まれて10年程度の女の子が、いろいろな感情を押し殺してついてくる。


 流れる雲が月を隠す。生み出された影を利用して俺たちは駆けた。郵便局の裏手の坂道を駆けおりた。

 オークに待ち伏せされているかもしれないと思ったが……すぐに、その心配はないだろうと考え直した。オークの狩りは2体から4体ほどのグループで行うものであり、数十体からなる集団で戦術的な動きをすることはない。群れてはいるが、効率よく協力するほどの知性はないのだ。


(街まで走って、このお嬢さんを誰かにあずけて助けを呼ぶ……!)

 メンティム嬢の手を引いて逃げながら、俺は思考する。月が再び顔を出し、俺たち2人の影法師が地面の上を滑っていく。メンティム嬢は息を乱しながら、必死についてくる。

(だが、それで間に合うのか? 竜とオークと戦って、あの2人は無事でいられるのか?)


 ドオン!


 そのとき、背後からすさまじい爆発音が聞こえて、俺とメンティム嬢は思わず足を止めて振り返った。炎が見える。ただし、先ほどまでのように近くの木々が燃えているわけではない。

 丘のてっぺん――郵便局に火がついていた。

 竜が吐いた炎が、屋根に直撃したのである。

 円錐形の屋根全体が、今にも真っ赤な炎に呑まれようとする。


「ああ! 郵便局が燃えてる……!」

 メンティム嬢が悲痛な叫びを上げた。いや、悲痛などという言葉で片付けるのもはばかられる――半身を削られるかのような切実な叫びだった。

「みんなの……みんなのお手紙が……!」

 星月の明かりに炎が加わり、メンティム嬢の顔が照らされる。少女の目には涙が浮かんでいた。こんなところで立ち止まっていないで、さっさと逃げないといけない。分かっている。それは分かっているのだが、胸を締め付けられるこの感覚は隠しようもない。


 今の俺にできることに全力を注ぐつもりだった。

 しかし、今の俺にできることとは、いったいなんだ。

 この少女の涙を見てみぬふりして、惨劇に背を向けて逃げ出すことか?

(そんなバカな)

 俺は自分で、自分の情けない考えを否定する。

 幼女の笑顔を守れないような大人なんて……クソだ。

 幼女を泣かすくらいなら、ここで命を投げ出した方がずっといい。当たり前のことじゃないか。


「ちくしょう! やってやる!」

「え!? ジルファント、どうしたんだ……!?」

 メンティム嬢が驚き、涙ぐんだ目で俺を見上げる。俺は素早く視線を巡らした。竜と戦いに行くとしても、メンティム嬢を連れていくわけにはいかない。どこか、この子を隠しておける場所はないか。オークに見つからないような……絶対に安全な場所はどこかにないか。


 そして俺は、すぐに“それ”を見つけた。

 道端に無言で立っている、真っ赤な郵便ポストを。

 先ほど、支局長は何と言っていたか。メンティム嬢が逃げやすいように、彼女にどんな言葉をかけていたか。

 ――郵便ポストの鍵さ。大事なものだから、ちゃんと守るんだよ。


「お嬢! そこに隠れてろ!」

 俺は郵便ポストを指さして叫んだ。幸い、メンティム嬢は一瞬にして俺の言いたいことを理解してくれたらしい。彼女は涙を拭くと、首からさげていた魔法鍵を使ってポストを開け、その中に飛び込んだ!


 郵便ポストは相当に頑丈で、魔術的な防御も施されている。また、好き勝手に設置されているわけではなく、地形的に、もっとも魔法の効果が増幅される場所に作られているという話も聞いたことがある。

 中型竜が相手では分からないが。少なくとも、オークどもでは傷一つつけることができないだろう。


 大人は無理でも、子どもならギリギリ入れるサイズ。

 この中にいる限り、メンティム嬢は安全だ。


 以前は、郵便ポストがなぜこんなに頑丈なのか分からなかった。だが、今なら理解できる。ベラドンナ支局長の言葉を聞いたあとなら、理解できる。

 ――手紙ってのは、時に誰かの人生を……命を救うこともあるのさ。おかしいよね、ただの紙切れなのに。だからね、アタシらは命を預かってるようなもんなのさ。命を放り出して逃げるわけにはいかないだろう?

 あの人にとって……郵便局員にとっては、手紙というのはどんな手を使ってでも守る価値のあるものなのだ。


 俺は、郵便ポストの扉が外から開かないことを確認すると、すぐに背を向けて駆けだした。坂の上――火のついた郵便局へ。俺の心に反応し、拳に刻まれた裸族の紋章が光を放つ。

(ドエムオークは2、30体いたが、ものぐさ竜に戦いを任せていた。あのバケモノをどうやって倒す……? 丸腰の俺にできることはあるのか……?)

 郵便局がどんどん近づいていたが、解決策はなかった。どうやっても、あの一軒家のように大きな竜にぶち殺される未来しか想像できなかった。

 それでも俺は足を止めない。屋根が燃えている郵便局の間近まで来ると、火の粉が降る中、俺は建物の陰からそっと顔を出した。


 真っ先に、建物から少し離れた位置に倒れているリリアが目についた。

 そして、リリアを昏倒させた犯人であろうものぐさ竜は、ちょうどこちらに尻を向けていた。

(今がチャンスだ……!)

 俺は、ものぐさ竜のデカい尻に向かって突進した。

 あの竜の意識を俺に向けさせ、なんとか郵便局から引き離そうと、俺は考えた。


 しかしながら。

「危ない……逃げてください……」

 リリアのかすれた声が聞こえた。竜の背後から迫る俺に対して……警告したのである。

 そして俺は思い出した。どこかで聞いた噂話を、思い出した。

 ものぐさ竜の炎は口から出るのではない。尻から出るのだ、と。

 思い出したときには……すでに遅い。

 竜の尻の穴から、すさまじい勢いで炎が噴き出したのである!

 当然、俺はその炎を真正面から浴びることとなる!


 ドオンッ!


 爆発音。

 俺の肉体を一瞬で消し炭に変え、その後ろにある郵便局をもまとめて吹き飛ばすであろう業火だった。

 通常であれば、俺の意識は一秒ももたずに途絶え、2度目の死を実感することもなく天へ召されることだっただろう。

 しかし、そうはならなかった。

 炎を食らった瞬間、俺の全身は青白い光に――裸族の紋章から溢れた光によって包まれていたのだ。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」

 業火が俺の全身を蝕もうとするが、熱さはまったく感じなかった。燃えているのは衣服だけだ。瞬時に汗が蒸発し、足元の草花が炭化するほどの高温を、俺の素肌はすべてはね返していた。

 衣服がすべて燃え尽きる。

 あとには、青白く光りながら仁王立ちする、全裸の俺が残される。

 そして、周りで渦を巻く炎が都合よく股間を覆い隠す!


「……はっきり言って、俺には訳が分からねえ」

 のろのろとこちらを振り返った竜に対し、俺は言った。当然俺と郵便局が消し炭になったものと思い込んでいたであろう竜は……全裸で立つ俺を見て、うろたえた。

「だからこの訳が分からねえ力を、全部お前にぶつけてやる。覚悟しやがれ」

今日も読んでくださり、ありがとうございます!



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