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1 手に入れたのは脱衣の力

 およそ100年前――魔王の出現とともに到来した「()の七日間」により、オフテンド王国は突如として分断された。

 魔王の呪いを受けた国民たちは服を脱ぎ捨てて裸を満喫、獣のように振る舞った。魔物と交わったことでさらなる呪いを受け、自分自身も魔物へと変わってしまう者も少なくなかった。それによって王国内には魔物の縄張りが数多く生まれ、国土は虫に食われた葉っぱのようにズタズタにされた。交通網は寸断され、たくさんの都市が孤立――魔物との争いが各地で勃発した。


「裸の七日間」に続く大混乱は、最終的に、伝説の「ヌーディスト・セブン」が魔王を討伐したことで終結した。しかし、それから100年が経った今でも、あの日々の影響は消えていない。

 王国内には魔物の生息地が多数残されており、人間の支配領域は飛び地を形成している。王国を端から端まで移動しようと思ったら、いくつもの魔物のテリトリーを横切らねばならない有様だった。


 そんな、人や物の移動が困難を極めていた時代。人々の生活に欠かせぬ役割を果たす、影の英雄たちが存在した。

 これより語るは、そんな英雄たちの物語。

 長く続く「()の時代」を生きる人々の希望となった、郵便配達員たちの物語。


――――――――――


 しょうもない死に方をしてしまった。

 酒に酔って全裸で後方でんぐり返りをした際、頭を強く打って、俺は死んだ。ふぐりスライムの討伐に失敗し、報酬がもらえず、やけ酒をあおったあとのことだ。本当につまらないことをした。戦闘力が低いから誰もパーティを組んでくれず、ソロで討伐失敗を繰り返した挙句、死にざまはこれか。魔物に殺されたり、野垂れ死んだりするよりよっぽどひどい。

 きっと明日から3日間ほど、酒場は俺の噂でもちきりだろう。仕事や情報を求めて集まった冒険者たちは、この俺――ジルファントがどんなに滑稽な死に方をしたかを語り、それを肴に酒を飲み、笑い転げることだろう。吟遊詩人は俺をあざ笑う歌を作り、旅芸人は俺の物真似と言って後方でんぐり返りで日銭を稼ぐ。そして4日目には笑い話としての鮮度が落ち、誰にも語られなくなって忘れられていく。


 二十余年の人生。ああ、なんてひどい幕切れ。

 自分の肉体から魂が抜け出て、天へと昇ろうとしているのを感じながら――つまり生との永遠の別れを実感しながら――俺は嘆いた。運命を呪った。


 ……しかしながら。


「屋外でいきなり全裸になって死ぬとは! 気に入った! 気に入ったぞ!」

 謎の老人の声が聞こえてきて、俺の魂は肉体へと引き戻された。

「喜ぶがいい! おぬしはワシの後継者に選ばれたのじゃ!」

 これは夢か(うつつ)か。生と死の狭間にいる俺に対して、その老人――全裸のじいさんはハイテンションで声をかけてきた。白いひげが胸まで垂れており、杖を突いたじいさんだ。股間の部分は、空から斜めに降り注ぐ謎の光によって隠されている。


 幻覚だ。間違いなく。

 というか、幻覚であってくれないと困る。

 こんな現実があってたまるか。


 地面に横たわったまま、俺はその全裸じいさんを見て思った。

 どうせ死ぬなら、突然彼女が100人できたとか、俺のことが好きすぎる生き別れの妹たちが押し寄せてきたとか、そういう幻覚を見たかったのに。どうしてしわしわの全裸じいさんなんか出てきたのか。俺は自分自身の想像力を恨んだ。


「おぬし、名を何という?」

「……ジルファント」

「そうか、ジルファントよ! ワシの力を受け取るがいい! おぬしも今日から()なる者! 恥を捨て、服を捨て、この世の理不尽と戦うのじゃ!」

 そう叫ぶと、じいさんの股間を隠していた光が広がり、その全身を覆い隠した。いや、光はそれだけにはとどまらず、地面に倒れた俺の体をも呑み込もうとする。「勘弁してくれ」と思った。どうしてよりによって死ぬ前に、謎の全裸じいさんと一緒に光に包まれなければならないのか。俺はそこまで悪いことをしてきたのだろうか――。


「きゃあああああああああああああ!?!?!?」


 そのとき不意に女性の悲鳴を耳にして、俺の意識は覚醒した。死のうとしていたはずの肉体にわずかばかりの力が戻り、重たいまぶたがゆっくりと持ち上がる。全身を包む光はやはり幻覚だったのか、今は消えている。

 後方でんぐり返りをしたときと同様、夜空が見えた。街はずれで近くに灯りがないため、星々はとても美しいのだが……今はそんなことはどうでもいい。俺は声のした方になんとか首を動かした。

 少し離れたところに、一人の女の姿があった。彼女が悲鳴の主であることはすぐに分かった。女は今まさに、2体の巨大なオークによって朽ちた石壁の前に追い詰められていたから。


 オークが街の近くに現れるなんて。

 まずい、助けないと。

 だが俺の体は動かない。いや、動いたとしてもオーク2体なんて俺の手に負えるはずがない。


「あの女を助けたいのか? できるぞ、そのくらい」

 女がオークの餌食になろうとしている、まさにそのとき。また全裸じいさんの声が聞こえた。俺は体の下に冷たい土を感じながら、かすれた声で言い返す。

「何を言ってんだ。俺はもう指一本動かせねぇ。動かせたとしてもオーク相手じゃ何もできやしねぇ」

「いいや、できる。ワシの力を、おぬしが受け入れさえすればな!」

「あんたの、力を……?」

「そうじゃ。ただし、1年間限定じゃがな。その力とは……脱衣の力! おぬしが服を捨て去るとき、自ずと道は開かれる!」


(いかれてんのか……?)

 俺はあきれてしまった。どこまでもふざけた幻覚だ。俺の想像が生み出したじいさんのくせに、やたら服を脱ぎたがるし脱がせたがる。死が目前に迫ると、人間というのは脱衣欲求を感じるものなのだろうか。

「どうじゃ? 力を受け取らねばおぬしはこのまま死ぬし、あの女も助からぬ。しかし力を受け取れば寿命は1年延びるし、あの女も救える。迷うことはないのではないか?」

 理解が追いつかなかった。だから俺は、もうやけくそだった。

 捨て鉢な気分で、全裸じいさんに言ったのだ。

「だったらくれよ。その脱衣の力ってのを」

「うむ! 交渉成立じゃ!」

 全裸じいさんの嬉しそうな声が響く。同時に、俺は腹の底に熱い何かが生まれるのを感じた。体内にある炉を用いて鉄を打つかのように――すさまじいエネルギーが湧き上がってくる!


「さあ行け! おぬしの裸体は今や鋼鉄をもしのぐ! オークごときでは傷つけることさえかなわぬ!」

 全裸じいさんが叫ぶと、俺は内なるエネルギーに衝き動かされるように立ち上がった。後方でんぐり返りをしたときと同様、俺は全裸だったが……強打したはずの頭に痛みはなく、視界はスッキリとしていた。

 俺の股間は、斜め上方から降り注ぐ謎の光によって隠されている。


 そして星月の明かりの中、危機が目に飛び込んできた。

 犬のような首輪をした、屈強なオーク――ドエムオークの背中が見えていた。ドエムオークは2体とも、背丈が俺の倍以上ある。こちらに背を向けたまま、オークたちは棍棒を手にして石壁に迫っている。

 そして、石壁に背をつき、追い詰められているのは一人の女。ただし、その姿は人間ではない。胸元から肩にかけて大きく露出した黒い服、悪魔族特有の尻尾、小さな翼と角を持つその妖艶な女は……サキュバスである。彼女は郵便局のマークの入った帽子を斜めにかぶっており、同じマークの入ったカバンを必死に守ろうとしている。

 美しい銀の長髪を持つその女は、今にもドエムオークたちの餌食になろうとしていた。


(魔族……? いや、郵便局員ということは半魔か?)

 正確なところは分からない。だが、いずれにせよドエムオークの狙いは明らかだ。

 ドエムオークのオスには、「異種族の女を巣に連れ帰り、女王様としてこき使う」という習性がある。つまり、さらってきた女に鞭で叩いてもらい、快感を得るわけである。そして、最も長く鞭で叩かれ続けた個体がボスになり、群れの中のメスを独占できる。

 それだけ聞くと、さらわれた異種族の女に危険はないように思えるが……実はそんなこともない。ドエムオークたちはあまりにもタフであるため、女王役の女が鞭で叩いても叩いても音を上げない。結局、過労死するまで鞭を振るい続けねばならない場合も多々あるのだ。時折、そのままオークの女王として君臨してしまう強い女も存在するらしいが……たいていの女にとって、ドエムオークにさらわれることは命の危機である。


 とにかく、助けねばならない。


 俺はそう決意し、オークの方へ一歩踏み出した。瞬間、股間を隠す謎の光はひときわ強くなった。そのまばゆい光は当然、銀髪の女とドエムオークにも気づかれる。

「えっ……?」

「マゾッ!?」

 銀髪の女が目を見張り、2体のドエムオークが特徴的な鳴き声とともに俺の方を振り返る。オークどもは、全裸の俺を見て一瞬だけ戸惑ったようだが……すぐに、俺のことを敵と認識したらしい。

 2体のうち1体がうなり声を上げ、棍棒を振り上げて突進してきた!

「マ……マゾオオオオオオオオオオオオ!!!!!! 俺ヲイジメテクレル女王様、奪ウヤツ許サナイィィィィィィ!!!!!」


 俺はハッと我に返った。素っ裸だが、恥ずかしがっている暇はなかった。背丈が2倍、体重は10倍以上ありそうな怪物。その殴打をただの人間が食らって無事でいられるはずがない。


 しかし、このときの俺は恐怖というものを感じなかった。

 俺は一歩も退くことなく、ドエムオークの前に立ちはだかった!


 バキンッ!!


「マゾ……?」

 オークは目をぱちくりさせた。目の前に広がる現実を、脳が処理できていないらしい。

 それもそのはずだ。オークの背丈の半分程度しかない俺が、頭上に上げた右の拳で、振り下ろされた棍棒を粉砕したのだから。

 というか、俺自身も大いに困惑していた。こんな怪物の一撃をもらったら、俺なんてひねり潰されて晩飯の具材になる以外になかったはずなのに。

「なんだ……? 棍棒の方が壊れた……?」

「マ、マゾッ……軟弱ナ武器……イラナイ!!!!」

 ドエムオークは、持ち手部分だけになった棍棒を放り捨てた。そして俺の肉体をビスケットみたいに砕くべく、その岩石のような拳を思い切り振るう。

 しかしながら。

 ドカッ ドゴッ メキッ


「……マゾ?」

 ドエムオークは目をぱちくりさせた。オークの肉体は暴力の塊であり、その拳を受けて地に伏さぬ人間は存在しないと、おそらく彼は生まれてこの方信じて生きてきたのだろう。

 しかし、俺は倒れなかった。体をくの字に折ることもしなかった。

 俺はこの怪物による殴打を、そよ風のようにしか感じなかったのだ。

「え……もしかして、今のってパンチか……? 撫でただけじゃなくて……?」

「オ、オカシイ! ソンナハズガナイ!」

 オークは激昂し、嵐のような殴打を再開した。しかし、結果は同じだ。俺はまったく痛みを感じず、しまいには、拳を振るっているオークの方が疲労してしまった。

「ハァ……ハァ……ナゼ倒レナイ、人間……オ前モドエム……ナノカ……?」

 オークは肩で息をしつつ、俺と同様に現実を消化しきれない様子であとずさった。

 なぜ倒れない。それは俺が訊きたいことだった。

 こんなオークに殴られたら、一発であの世へ直行になってもおかしくないというのに……。


「次、来ます!」

 そのとき、女の警告の声を耳にし、俺はハッとして前を見た。だが、すでに遅い。入れ替わりにとびかかってきたもう1体のドエムオークが、怒りに目を燃やし、俺をひき肉のようにして惨殺すべく棍棒を横薙ぎに振り抜いたのである!


 今度こそ死んだと思った。

 しかし予想に反して、命は俺の体から出て行かなかった。

 棍棒は勢いよく、俺の側頭部を直撃したのだが……それだけだった。血の一滴も流れなかった。虫に刺された程度の痛みもなかった。

 俺は殴られる寸前とまったく同じ姿勢で、その場に真っすぐ立っていた。

 棍棒はまたしても砕け散っていた。それどころか、オークの腕がおかしな方向に曲がっていた。折れたのは俺の首ではなく、オークの腕だった。


「マ、マゾォッ……バカナ……!?」

「ニ……ニゲルゾ……! 野郎ノ攻メハ守備範囲外……!」

 1体は苦痛に顔を歪め、腕を押さえて。もう1体は恐怖と嫌悪感に震え、顔面を蒼白にして。ドエムオークどもは俺に背を向け、大慌てで逃げ出した。俺は茫然として、森の方へと走り去っていく後ろ姿を見送る。サキュバスの女は、壁際で尻もちをついたまま、肩で息をしながら俺を見つめている。


「……はじめてにしては上々じゃ」

 頭の中に全裸じいさんの声が聞こえる。しかし姿は見えない。ただ声だけがやかましく響いていた。

「ただし忘れるでないぞ。おぬしは死ぬはずだったところを、ワシの力で生き延びたわけじゃが……大きすぎる裸力(らりょく)におぬしの肉体は耐えられん。さっきも言った通り、延びた寿命はちょうど1年じゃ!」

「なんだと……? おい、いったいどういうことだ?」

「『裸族(らぞく)の祠』を目指すがよい。そこで洗礼を受ければ命は助かる」

「裸族の祠?」

「では、また会おうぞ!」

「ま、待て、もっとちゃんと説明を……! ……くそっ、消えやがった」

 突然、はさみで糸を切ったかのように、全裸じいさんの気配がぷつりと消えた。あたりを見回したが、当然、じいさんは影も形もない。声はもはや聞こえないし、かすかな気配もない。

「……いったいどうしちまったんだ、俺は……」

 俺は側頭部に手をやり、つぶやいた。殴られた感触はあった。それなのに痛みがない。何度触っても血は出ていない。ドエムオークに殴られたのに無傷だったのだ。

 謎の光は、相変わらず俺の股間をうまい具合に隠してくれている。


「す、すごい……! ドエムオークを追い返してしまうなんて……!」

 ようやく事態が呑み込めたらしいサキュバスが、よろめきながら立ち上がった。少なくとも敵対的な態度には見えないので、純粋な魔族ではなさそうだ。人間の街で働く半魔は珍しくないので、この女もその類だろうか……。


「怪我はないか?」

 そう言いながら、俺はそのサキュバスに歩み寄ろうとしたが……すぐに足を止めることとなる。女の両目はギラギラと光っており、その視線は真っ直ぐに俺を――具体的に言うと俺の股間あたりを正確に射抜いていた。謎の光で隠された、その奥の奥まで見透かそうとするかのように。

 彼女は頬を赤らめ、呼吸を荒くし……今にも欲望に呑まれようとしていた。


「ハァ……ハァ……今なら無抵抗……強い男が全裸で……私の目の前に……!」

「ま、まずい……!」

「ダメです、私はサキュバスではなく人間ですから……こんなことしたくないのに……したくないのにぃ……もう我慢できませんっ……!」

 女は葛藤していたが、その両目にはハートマークが浮かんでおり、サキュバスとしての本能が表にあらわれていた。お腹の紋様も強く輝いていて、彼女の中のある種の欲求が増幅されていることが察せられた。


 サキュバスの前に全裸で立つなど、竜の口の中で昼寝するのと同等の自殺行為。このままでは、生命力の最後の一滴まで搾り取られてしまう。

 すぐに逃げ出さなくては。そう思ったのだが、どういうわけか体から力が抜けてしまっていた。腹の底からエネルギーが湧き上がってくるような感覚はすでに消え失せ……股間を隠す謎の光も少しずつ細くなっていく。


「私だってこんなことしたくない……したくないですけど……体が言うのです、サキュバスの本能に従えと……! この欲求を発散しなければ……業務に集中できないので……これは不可抗力……そう、仕事のための不可抗力です……!」

「や、やめろバカ……どわああああああああああ!?!?!?」

「はやく逃げてください……逃げられないなら……せめて美味しく食べられてくださいね……!」

 女が勢いよくとびかかってくる。俺はなすすべもなく押し倒されてしまった。


 命を拾ったばかりだったが。

 俺はさっそく、死を覚悟した。


――――――――――


「リリアを助けてくれたんだね。ありがとうよ」

 郵便局にて――俺が応接室のソファに座ると、テーブルを挟んで向こう側から支局長はそんなふうに礼を言った。小さめの眼鏡を鉤鼻の上にのせた、白髪のおばあさんだった。かなり年を取っているようだが、背筋は伸びており、口調もしっかりしている。傍らには、鞘におさまった長刀が立てかけてあった。鞘には古代文字で「虚乳上等」と彫られている。

 テーブルには、俺が空にしたばかりの皿が並んでいた。


「こっちこそありがとう。こんな夜中に、飯まで食わせてもらっちまって」

「それくらいいいさ。うちの配達員の恩人だからね。にしても、若いだけあってよく食べるねえ」

「討伐失敗したせいで金がなくって、腹ペコだったんだ。一本しかない剣も折れちまうし。酒場のマスターが酒だけは奢ってくれたんだが、悪酔いして死にかけた。すきっ腹に酒はよくねぇな」

「そ、そうかい……。まだ20代かそこらだろうに……苦労してんだねえ」

 そう言って、支局長ベラドンナはチラリと部屋の隅を見た。この応接室は、一方の壁には暖炉、別の壁際には大きな本棚が置かれているのだが、その棚の陰のところで、銀髪の女が床に正座していた。彼女は目の前に木箱を置いて、何やら真剣な顔で書き物をしている。


 俺が助けた女――リリアだった。今は翼や尻尾、角などはなく、人間の姿になっている。半魔だから、人間の姿になったり魔族の姿になったりするらしい。先ほどと違って、今は眼鏡をかけている。

「不覚です。仕事中に我を忘れてしまうなんて。反省文を100枚書かなくては……」

 そう言いながら、リリアは熱心にペンを動かしている。


 幸いなことに、俺を押し倒したあと、彼女はサキュバスの本能に呑まれずギリギリで理性を保ってくれた。人間の姿に変身して自分を律すると、よろめきながら俺から距離をとったのである。その間に俺はなんとか立ち上がり、近くに脱ぎ捨ててあった自分の服を着ることができた。


 俺が服さえ着てしまえば、いくらサキュバスの半魔といえどもいきなり欲情したりはしなかった。街はずれの夜道は暗いことだし、また魔物と出会うかもしれない。だから俺は街の外まで――小高い丘の上にある郵便局まで、リリアを送り届けることにしたわけだ。

 そうして、今に至る。


「リリア。そんなところでうじうじしていないで、仮眠でもとってきな」

「うじうじではありません。反省文執筆は大切なけじめです。これが終わったら、次は正式な謝罪文も書くつもりです」

「謝罪はさっきしてただろう……。許すって言ってる相手にしつこく謝罪を繰り返すのは、逆に迷惑だよ。一回寝て頭を切り替えな」

「む……。それは業務命令ですか?」

「そうさ」

「分かりました」

 ベラドンナ支局長に反省文執筆を中断させられ、リリアはしょぼんとして立ち上がった。その瞬間、彼女と俺の目が合った。先ほどの欲望に呑まれかかった目ではなく、とても理知的な目だった。ただ、先ほどの痴態を思い出してしまったか、頬が少し赤らんでいる。

 リリアは頭を下げてから、部屋を出ていった。

 あとには、俺とベラドンナ支局長だけが残される。


「……すまなかったね。あの子も最近はけっこう自分を律してたんだけど、スイッチが入っちまったみたいで」

「まあ、多少驚いたけどな。そもそも服を着ていなかった俺にも非があったと思う」

「許してくれるなら助かるよ。あの子にもいろいろあってさ。分かるだろ、半魔には生きづらい世の中だからねえ」

「…………」

 俺は黙って、テーブルの上の紅茶カップを手に取り、ひと口飲んだ。


 半魔というのは、人間と魔族両方の性質を持つ者だ。言い伝えによれば、およそ100年前に起こった大厄災――通称「()の七日間」によって激増したのだという。オフテンド王国は人間が造った国であるが、そこに半魔も肩身が狭い思いをしながら暮らしている。


「……幸いなことに、ここは郵便局だからね。あの子もなんとかやっていけてるよ」

「ん? 郵便局ってのは、半魔でも働きやすいのか?」

「そりゃあそうさ。なんといっても国内唯一の完全独立組織だからね。アタシたちが考えることといったら、手紙を宛先まで届けること――それだけだよ。種族も身分も関係ない、どんな権力者にも媚びない。ここはそういう職場なのさ」

 ベラドンナ支局長はケラケラと笑った。


 たしかに、聞いたことがある。

 郵便局は王国のいかなる組織からも干渉を受けない独立組織であるという。権力者からの庇護を期待しない代わりに、税金を納めることもない。自分たちの力だけで、誰の手紙でも引き受ける。

 それが郵便局。

 俺の記憶が正しければ、国内に本局と6つの支局を持っているはずだ。その中で、ここは第6支局にあたるという。

「切手さえ貼ってあれば、どこにだって届けるよ。たとえマグマの川の向こうでも、世界樹の頂上でも、暗い海底の失われた神殿内でもね。……フフ、まあ偉そうなこと言っても、このあたりは凶暴な魔物も少ないから、強い連中は全然配属されてないんだけどね。アタシみたいなババアでも支局長が務まるくらいだし」

 そう言ってベラドンナ支局長は自分の紅茶カップを口に運んだ。飲む前に、ふーふーと何度か息を吹きかける。


 謙遜しているが、この第6支局周辺だって安全なわけではない。王国の兵士たちの協力を得ずに活動するということは、近隣に住む魔物どもと渡り合えるほどの戦力を有しているということ。それに王国内には飛び地が多いから、配達には魔物のテリトリーを横切る必要があるはず。しかも、毎日毎日。

 今は深夜だからか、他の職員は見当たらないが。おそらく、一騎当千の猛者揃いなのだろう。そうでなければ、人間の街とオークの縄張りとの境界付近に、支局を構えることなどできはしない。

 噂では聞いていたが。

 やはり郵便局というのは修羅の働く職場らしい。


「……で、今度はアンタが話す番だよ」

 俺の思考は、ベラドンナ支局長の言葉によって中断された。俺が顔を上げると、支局長は探るような目をこちらに向けている。

「なんだって一糸まとわず街はずれに倒れてたんだい? 追いはぎにやられたわけでもないんだろう?」

「ああ、そのことなんだが……」

 俺は言いよどんだ。いったい何から話せばいいのか分からない。酒に酔って後方でんぐり返りを実行し、頭を打って死ぬところだったこと。謎の全裸じいさんの幻覚を見て、なぜか一命をとりとめたこと。肉体が鋼よりも硬くなり、ドエムオークの一撃をはね返したこと。どれも現実に起こったことのはずだが、まったく実感がない。


 そして、あの謎の力を発揮した瞬間のことを思い出したとき。

 俺の右の拳が、突然青白い光を発した。俺は驚き、手にしていた紅茶カップを危うく落とすところだった(少し紅茶がこぼれてしまった)。

「うわっ!? なんだこりゃ!?」

「アンタ、その拳の紋章は……!?」

「紋章……?」

 慌ててカップを置いて、こぼれた紅茶をどうしようかと迷いながらも、自身の右拳を見た。たしかに、拳がただ光っているだけではなく、手の甲の部分に青白い光の紋様が浮かび上がっているのだ。

その紋様は、全裸の男が仁王立ちしているような形に見えた。


「知らないな。いつの間にこんなものが」

「ちょいと見せてみな」

 言われて、俺は拳を突き出した。支局長は眼鏡を直しながら、その紋様をじっと見つめる。そして目を見開いた。

「驚いたね。これは……『裸族(らぞく)の紋章』じゃないか」

「裸族の紋章?」

「これ、つい最近浮かび上がったってことかい?」

「まあ、たった今気づいたわけだからはっきりとは言えねぇが……多分そうだな」

 俺は戸惑いながら答える。他に返答のしようがなかったのだが……支局長は、一人で勝手に納得してしまった。

「そうかい……。どうやらアンタが継承したみたいだね」

「継承? どういうことだ? あんたはこの紋章を知っているのか?」

「ああ、知っているさ。つまりアンタは、伝説の『ヌーディスト・セブン』の一人になったってわけだね」

「ヌーディスト・セブン……?」

 その言葉を、俺は口の中で繰り返した。

 最初は訳が分からなかった。

 けれどその後、話を聞くうちに少しずつだが理解することができた。


 俺は――冒険者ジルファントはたしかに、あのとき死んだ。

 そしてその直後から、まったく新しい人生が――裸族としての人生が始まったのだ。

今日から連載していきます!

次回は明日(11月24日(木))の予定です。

よろしくお願いします!



稲下竹刀のTwitter

https://twitter.com/kkk111porepore

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