準備②
「ーーマジか」
既に僕を除いた四人はエントランスに揃って何事かを話している最中であった。
これはマズい。遅刻しているわけではない。しかし、グループ形成において一歩出遅れるというのはケースによって致命的となる。最低でも馴染めるようなポジションを……!
そこまで高速で考えて僕は走り出す。格好だけのダッシュではあるが、この場合「どう見えるか」というのを最優先する程度に僕は格好良くなかった。
「遅れてすみません!」
頭を下げながらの第一声としては間違っていないはず、ここからの言葉選びが重要だ……!
「いや、遅れてないぞ。多分みんな同じ感じで待てずに出てきたんだと思う。だから全然これっぽっちもお前は謝る必要がない」
かなり自信を持った言い切るような口調でいて、優しげな声が上から聞こえた。
頭を上げる。昨日と同じ短髪で精悍な顔つき、休息のおかげか昨日横から見たような険のある印象は消え、本当に好青年のお兄さんといった感じの人物がこちらを見ていた。
「これで全員揃ったな。いや、昨日は中途半端で申し訳なかった。俺はちらっと言ったがそういや自己紹介もまだだったなって話をしてたとこなんだ」
セラを挟まなくても大丈夫だろ、と前置きし、
「改めて、俺は三-Aの水汲大我だ。学年は一番上だと思うが好きに呼んでくれ。呼び捨てでも構わないぞ」
と、畏れ多いことを平気で仰った。
「部活はやっていないがクラブのサッカーチームには所属している。いや、いたってのが正解か? この場合は」
うーん、と目を瞑って首を捻り、
「まあそんな感じだ。よろしくな!」
よろしくお願いします、と四人の声が重なった。心なしか緊張の色が混じっている声も聞こえる気がする。無理もない。
上級クラスか、この人は。外見や性格を押し退けてそんな印象がまず第一に来るほどその意味は僕らの中では大きいものだった。
我が母校には……本当に下らないと思うが成績によってクラスが分けられるシステムがある。なんちゃって進学校たる所以だろうか。一年生の間は皆同じ立場だが、二年生に進級する時に理系、文系のどちらかを志すかによって二分されるのだ。簡単に言えば一学年六クラスの内ABCが理系、DEFが文系となる。そしてその際の成績順に応じて理系ではAが上級クラス、Cが下級クラスとなる。ちなみに文系はDが上級、Fが下級だ。
もちろん教える側の狙いとして「高レベルの者たちで研鑽しあって欲しい」「同じレベルの集団が教えやすい」という部分があることは否定しない。しかし、見えない軋轢というものは確かに存在する。「アイツは下級クラスだから」という絶対評価が本人を苦しめ、退学の道を選ぶ、というケースは何度か見たことがある。そのくらい僕たちの学校においてクラス名は大きな意味を持っているのである。
「……あー、その反応は何回か経験しているから分かるから先に言っておくぞ。俺は自分のクラスに何の価値も見出していないし、進学する気もさらさらない。ただそうした方が色々と都合が良かったからそうなっただけだ。だから変な気は使って欲しくない。いや、使わないでくれ」
そう言った先輩の言葉に嘘はないように思えた。
「……ぶっちゃけウチのガッコーの制度って俺は気に食わないんだよ。下を見て安心するっつーかさ。Aではそんな風に思ってるヤツらも少なくないわけで、そんなことヤダね、俺は。本当に勉強できる奴なら下見てる余裕なんか無いって話だよ」
「っとスマン、途中から愚痴になっちまったな。要するに、ただ同じガッコーの生徒としてよろしくって事が言いたかった、それだけだ!」
明朗快活に言い切った。昨日も感じたがやはりこの人は人間ができている。それだけははっきりと分かった。
「ほら、次だ次」
促されて先輩の隣にいた男子生徒が一歩前に出た。
「2-Dの稲尾宿と言います。一宿一飯の宿と書いてやどると読みます。部活は帰宅部でした、どうぞよろしくお願いいたします」
自己紹介としてはお手本のように流暢だったが言い慣れてるように聞こえたのは気のせいだろうか。聞いていて安心するようなトーンの声であった。
ミディアムマッシュ気味の頭髪をセンターで分けたその下からは「私は無害ですよ」とばかりの柔和な笑みが覗いている。クセはないが穏やかな印象を与える顔立ちをしている。……率直に言って男から見てもイケメンであった。世は並べて理不尽である。
おまけに男子三人の中で二人が理系か……こんな状況でそんなことは関係ないのかもしれないが共通項が少なくなってしまった。
「……薙爽君!」
氷鉋さんの声が聞こえる。
「薙爽君の番だよ!」
みんなが僕を見ている。順番的にも……ああそうかもだ。
顔を上げ、前に出る。
「2-Fの柏矢薙爽です。同じく帰宅部でした。これからよろしくお願いします」
僕は思っていたことをちゃんと言えただろうか、声は震えていなかっただろうか。……この瞬間だけはどんな時であっても慣れない。この先同じようなことがあってもそうだろうと思う。
「じゃあ次はあたしだね!」
今の気持ちとは対照的な声が聞こえて来る。
「2-Fの氷鉋華です。よろしくお願いします! 部活はやってないなー、あ、薙爽君とは同じクラスでした!」
目線が痛い。あと帰宅部率高いな。
「最後だよ、千里ちゃん!」
あまりプレッシャーをかけてやるなよ。彼女にとってみれば周り全員先輩なんだぞ?
千里と呼ばれた彼女は息を吸い込み半歩ほど前へ出る。少し茶が差したストレートの髪が綺麗に肩上で揃えられている。
「……月花千里といいます。クラスは1-Bです。部活は……弓道をやっていました。一番年下で何もお役に立てないかもしれませんが、どうかよろしくお願いいたします」
綺麗な斜め四十五度のお辞儀だった。その後すぐに下がり目を伏せる。なるほど、人のことは言えないが少し内向的な性格のようだ。
「よし、これで全員だな」
と大我先輩は手を叩く。その音に怯む下級生の姿が視界に入るがここは無言を貫こう。
「何で俺たちがーーという理由はちょっと分からんが多分全員似たような経緯でここに来たんだと思ってる。……途中で見たくないもんを見ちまったヤツだっているだろうさ」
その通りだと思う。むしろ三階が吹き飛んで何で三年生が生き残っているのか不思議だ。だから聞いてみた。
「水汲先輩はどこにいたんですか? 僕は三階があの天使に吹き飛ばされてるのを見てたんですが……」
「柏矢……だったっけ? そう思うのは当然だ。ただ俺らとB組はあの時間、選択体育でな、校庭と剣道場、あと体育館に別れてたんだ。つまり校舎には居なかった。で、野球を選んだ俺はグラウンドからあのぶっ飛んだ光景が見えたってわけだ」
隕石でも降ってきたかと思ったよ、と続いた言葉にはドキリとさせられたがそれは態度には出さない。いくらなんでも偶然のはずだ。
「その後は多分予想通りさ。アイツらはグラウンドにも降りてきて……何人かは多分殺された。俺は野球部の部室に逃げ込んだがそこで捕まった、いや保護されたって言った方がいいのか?」
だから確認したいことがある、と先輩は続けた。
「セラ!」
叫ぶ先輩に呼応するようにモニターに立方体が現れた。
「そう大声を上げなくても聞こえるよ、大我」
「悪いが昨日は頭が混乱して聞きそびれたことがある。めちゃくちゃ重要なことなんで今答えてもらってもいいか?」
「僕に分かる範囲でよければ」
「昨日、セーブポイントって表現を使ったよな? ってことは俺たちがあの天使をぶっ倒しに戻るのは最後の記憶、つまり色違いの天使に捕まった時って認識で間違ってないか?」
「その通りだとも」
「ーーその前に死んだ人達はどうなる?」
先輩は躊躇いなく核心に踏み込んだ。しかしそれは重要なことである。僕たちが天使に対抗できる力を得たとして、戻った時間以前の出来事はどう処理されるのか、という疑問が浮かび上がる。
「どうにもならない。死んだままさ」
その答えはどこかで予測できていた。いや、セラの説明上そういう仕組みでなければならないだろう。でもそれじゃーー
「それじゃあ意味がない!」
先輩の声は心なしか震えているように聞こえる。
「この場で命の尊さとかそんなこと言う気はない。それでもあの天使に殺された人達の中には友達もいた。それを『仕方のないこと』だって飲み込むことなんてできるわけがない。戻る意味がない!」
「君たちの安全を保障し、天使たちに対抗するだけの力を得る、それだけじゃ足りないってことかい?」
「そういうことだ」
「……天使たちはあの場に居る人間全員を殺害した後、その血縁者も全て消去するはずだ。あれはそういう風に作られている。その後の人的被害の方が遥かに大きいと予想されるよ。それでも君は、君たちはそれ以前の被害もゼロにしたいと、そういうことでいいのかな」
残酷な問いかけであった。これが機械的な判断であればより多くの人間が生き残る方を選択するだろう。しかし僕たちは感情に左右される生き物だ。そしてその機械こそ人間の感情の産物の一つだと言っても過言ではないだろう。
流石の先輩もたじろぐ様子を見せていた。いや、先輩の中で答えは決まっているのだろうが、それをこの場にいる者たちの総意として言っていいのかに迷いがあるという方が正しいのだろう。当然だ。人間ができていて、どれだけ頭が良かろうと十七、八年しか生きていない人間にその判断は荷が重すぎる。だからーー
「セラ、僕たちはその疑問に対してすぐに答えを返せる状態にない。だから、卑怯かもしれないけど先に答えを知りたい」
大きく息を吸い込み続ける。本来の僕の立ち位置はここじゃない。でも今はこうするのが最適解だと信じて、
「天使たちの襲撃自体を無かったことにはできないのか?」
この質問が落とし所としては理想的だろう……そうであってくれ。間が苦しい。
「……可能か不可能で聞かれれば可能だよ」
セラは少しトーンダウンした声でそう答えた。
「……でもそれは、僕の当初の計画と大きく異なるものだ。君たちが天使を壊せるだけの力を身につけた後、元の状態に復元する。本来はこれだけでよかったことなんだ」
「それを可能にするにはプラスアルファが必要になってくる。具体的には過去干渉を行わなくちゃならない。既に僕は君たちをここに集めるのに一度干渉している。それでエネルギーをほとんど使い果たした状態だ」
「……これだけの空間を作っているのに?」
一応聞いておくことにする。
「全然違うね! ハチドリとエミューくらい違う!」
その例えはいまいちピンとこないが、
「プランクトンとシロナガスクジラくらい違うと言ってもいいくらいだ!」
それも分かりにくいけど規模の問題なのは何となく分かってきた。
「この空間、ガーデンを維持するのなんて簡単だ。というか干渉を決めた時点で設計していたものだしここが存在することそのものが既定路線さ」
その上で、とセラは強調した。
「ここを起点に新たに干渉を行うことになる。ここは過去、未来があやふやな状態だからそれだけは救いだけど……ネックはエネルギーだ。全然足りない」
「そのエネルギーってのはどうすりゃ集まるんだ?」
真っ当な疑問を先輩が投げかける。
「……少なくとも自然に集まるものではないね。ここは時間、空間的にも断絶した場所だから尚更だ」
だから、とセラは前置きし、
「時間の経過で僕にエネルギーは集まらない。ただし、君たちにそれを集めてもらうという手段を取るなら話は別で、可能だよ」
ーーただし、と断りを入れられる。
「その為には君たちに僕の手となり足となり働いてもらわなくちゃいけなくなる上、危険度も上がる……五人全員揃って元の時間に戻れない可能性だって十分にあり得るよ。それでも構わないのかい?」
繰り返すが人間は感情に大きく左右される生物である。確かにセラの言うようなマクロの視点からすればただの数学の問題となり、それは正しいのかもしれない。しかし、巻き込まれた僕らがその結果を良しとするかはまた別問題で、事実先輩と僕は意見が一致していた。周囲の様子を伺うに、他の三人もそうなのだと少し嬉しい気持ちになる。
「構わない。誰も死なない方がいいに決まってる。お前の案に沿えなくて申し訳ないが、ちゃんと方法があるなら俺たちはそっちを選びたい」
大我先輩ははっきりとセラに告げた。
一瞬の静寂が訪れる。
「……分かったよ」
「というか、君たちならそちらの道を選ぶと思っていた。いいだろう! どの道君たちとは一蓮托生の身だ。その願いに全力で応えようじゃないか! まあ全力で頑張らないといけないのは君たちなんだけどね」
余計な一言はしっかりと忘れずに、モニター上の立方体はそう答えたのだった。