会遇①
これまで体験したことがない妙な感覚だった。
まるで周囲の粒子と一体化して自分という存在が広がってしまうかと思いきや、再び僕という存在が再構成されるような、そんな感覚が終わり目を開くと、当たり前だが見たことがない景色が広がっていた。
カタカナの「ノ」の字型と言えば少しは伝わるだろうか。バウムクーヘンを四等分に切り分けたような構造の部屋、所々に設置されている椅子やソファ、壁や所々のスペースには緑を基調とした植物が飾られて、あるいは活けてあった。壁際には自販機まで並んでいる。どこのメーカーだろう、今までに見たことないデザインだ。
恐らく休憩室のような意図を持って作られた部屋だろう。おしゃれにラウンジと言ってもいいかもしれない。昔両親と行った旅行で滞在したホテルに似たようなスペースがあったっけ。
しかし、今の僕にとって部屋の構造や用途といったものは重要でなく、部屋にはアイツの言った通りに先客がいた。
ここで再び天使が「コンニチハ」しようものなら僕はそれこそ自死を選んでいたかもしれない。やや極端な表現だが、それほどまでに僕の精神は参っていたと思っていただきたい。
四つの視線が僕を捉えていた。
アイツの言う「仲間」とはこのような意味も含んでいたのだろう。驚くべきことに、僕を合わせてこの場にいる五人全員が見慣れた北高等学校の制服姿であった。
自販機の側には二人の男子生徒、少し離れて柱を中心とした丸型のソファに二人の女子生徒が座ってそれぞれ僕を見つめていた。
その視線からは歓迎の様子は見て取れない。どういう反応を取れば良いか迷っているように見える。当然だろう、こんな状況で歓待されると逆に僕が困る。こっちは分からないことばかりなんだ。むしろ先にここに着いた君たちの方が状況を把握してるんじゃ、と考えていたところで、
一人の男子がこちらに近づいてきた。
少し警戒度を上げる。
精悍そうな顔つきで背も僕より高い。全体的にガタイが良いという印象を受ける。「精悍そうな」とはその表情から戸惑いや警戒といった気配が感じられなかったたからで、このような状況下でなければさぞ頼れるお兄さん、といった印象を受けただろう。上履きから三年生ということが分かる。
我が高校には学年に応じて上履きや体操着に用いられる差し色が異なるという決まりが存在するのだ。今は一年が青、二年が緑、そして彼の上履きには赤のラインが入っていた。
その彼が腕二本分ほどの距離まで僕に近づき、
「お前は……」
と何かを言いかけたところで――
「ようこそ! ノースガーデンへ!」
ハイテンションな声が校内放送のように響き渡り、モニターの様なものに回転する白色の立方体が映し出された。
先程まで失礼ながらウザいと思えたその声は、この状況においてどんなに有り難かったことか。好感度が表示されるゲームなら僕のコイツに対する♡は+2くらい上がったはずである。百段階評価だけど。
重苦しい空気というのは比喩表現であって実際には物理的な重量は感じないのだが、それでも的確な表現だと思う。こと空気を読むことが苦手だと自覚している僕であっても、この場の空気の重さは異常であった。
恐らくはここにいるみんな、僕と同様の体験を経てきたのだろう。そう考えれば僕がこの部屋に入った時の視線にも納得できる。それには恐怖、疑問、期待といった様々な感情が含まれていた。
そのような場にあって汚泥のように溜まりつつあった空気を一掻きしてくれたハイトーンボイスには、少なからず気持ちを楽にする効果があった。♡をもう一つあげてもいいかもしれない。
「僕の名前はセラ! 特に深い意味はないから『さん』でも『くん』でも呼び捨てでも好きに呼んでくれていいよ! あまり堅苦しいのは苦手なんだ」
五人は黙したまま、しかし、しっかりと耳を傾けている。重要な情報が出てくるその時を待って。
「まず君たちの生体情報は防衛装置に襲われたその時に……そうだね……君たちにも分かりやすい表現で言えばバックアップとして保存してある。生きてもいないし死んでもいないと伝えたのはそれが理由だ」
いきなり落としてはいけない情報が投下されたがその形が分からず、あわてて差し出す手をすり抜けて結局地に落ちていったような気がした。
防衛装置? バックアップ? 何だって? 日本語としての意味は分かるがもう少し噛み砕いて説明して欲しい。
どうやら同じことを思ったのは僕だけじゃなかったようだ。
「……いくつか質問、いいか?」
先陣を切ったのは先ほどの先輩だった。
「その防衛装置ってのは…」
途中まで言いかけて周囲を振り返り、
「ああ悪い、自己紹介が先だな。俺は三ーA、水汲大我だ。今はこれくらいで十分だろ、どうやらみんな同校っぽいし細かい話は後でな」
と軽い笑みを浮かべ、モニターへ向き直った。
それだけのやり取りで好印象を受け取るのに十分すぎるほどこの先輩は人ができている、というのが分かった。
自分が一番年長者であると判断してからの発言、安心感を与えるための最低限の気配り、たった一学年の差でここまで人間としての差が出来てしまうのだろうか。
少なくとも僕には無理だな、とたとえこの場において必要なくとも自虐的な思考は生まれてしまうものであった。
「セラさん……だったか?」
先輩が確認の意味でも尋ねる。
「セラでいいよ! さっきも言ったけど、僕はあまり堅苦しいのは苦手なんだ。だから呼び捨ての方が嬉しいかな!」
「ならセラ、改めて教えて欲しい。防衛装置ってのは何なんだ? あの羽根が生えたヤツらだと何となく予想は付くんだが……」
白色キューブは回転を緩め、
「その通りだよ。君たちの世界で言う天使の様な外見の個体、あれが防衛装置だ」
天使という認識は間違ってなかったか、と考えていると……
「少し長い説明になるけれどいいかい?」
セラはそう前置きした。
いや困る、という者はここにはいるまい。むしろその先を聞きたいはずだ。
「大前提、僕や防衛装置……面倒だから君たちに合わせて天使って呼ぶよ。これらは君たちの時代に存在していいものじゃあない。少し先の未来の技術で誕生したものだ」
未来と来たか。あまり驚かないのは濃密な体験のおかげだろうか。
「未来には色々な技術が生まれたんだけど、とりわけ今の君たちに大きく関わっているのは人間の情報化だ。君たちがデータを0と1とで取り扱うように、人間やその他生物、地球上のあらゆる物質を似たようなデータに置き換える技術が誕生したんだよ。細かいことは説明できないけれど、そのテクを使って君たちを情報化し、今この場に再現している。バックアップと表現したのはそれが君たちが用いている技術で一番近い概念だったからさ」
待て待て待て、いきなり話が飛びすぎだろう。人間がデータ化出来るだって? それはまるで……
「……ゲームのセーブデータみたいなもの?」
この場で初めて女子の声を聞いた気がする。目の前でクルクルしているナタデココの声で麻痺していたが、紛れもなくそれは五人の内の一人から発せられた声だった。
同時に彼女の様子に少し引っかかるものを感じたが、それは今指摘すべきことではない。そんなことくらい今の僕でも分かる。
「まさしくその通りだ! 付け加えるなら上書き保存が可能な状態といったところかな? これで伝わればいいんだけど」
五人はしばらく黙り込み、
「……続けてくれ」
先輩が沈黙を破った。
「よし続けよう!」
一切遠慮というものがないな、コイツは。
「少し話がズレたけど、今の君たちが置かれているのはその状態、学校での最後の記憶。ほら、ピンク色の天使に捕まっただろう? あそこがセーブポイントだと思ってくれていい」
アレはお前の手先だったのか……妙に感情豊かだったのも今なら頷ける気がする。
「で、その天使のことなんだけど……」
「色んなことができるようになった僕達の世界、君たちにとっての未来だね、そこにもちゃーんと法律みたいなものは存在してるんだ。で、その中でもタブーとされているものが過去への干渉」
セラの口調は砕けたようでいて真剣だった。
「僕の時代の偉い人たちには色んな考えがあるんだけれども、基本的に時間の流れというのは過去から未来へ一直線っていうのが僕達の世界では多数派なんだよ。当然、僕らが使っている技術も過去の積み重ねからくるものだから自然と未来へ帰結するって考え方だね、ここまで大丈夫?」
大丈夫……だろう。何人か頷いてるしここは合わせておこう。
「だから、過去をいじると僕にとっての今、君たちから見た未来が不確定になっちゃう。せっかく手に入れた技術が無くなっちゃうかもしれない、ってことで過去干渉は禁忌、計画しただけでデッドエンドだよ」
さらっと重いことを言ってくれるじゃないか。ただその考えは分からなくもない。もし火薬が発明されなかったら、とかの例えで正しいだろうか。なるほど、急に建物の支柱が引っこ抜かれるに等しいし、そうなれば大混乱この上ないだろう。
「けれど、それが起きたんだ」
なるほど、大騒ぎになったわけだ。
「状況はそう単純じゃなかった。どういうわけか過去干渉の起点は僕達のいる時代じゃなかったんだよ。同じ時間を生きている者のやっていることなら幾らでも対処のしようがあった。でもそれが出来なかったんだ。過去干渉の起点は君たちが過ごしていた時間の数年後に存在していたんだ」
「これには流石のお偉いさんたちも頭を抱えた。当時の世界にそんな技術ある訳がない、目的も分からないってね。けど事は一刻を争う事態ではあったわけで、意見が真っ二つに別れたんだ。それが強硬派と慎重派。ここまでくれば君たちにも分かるかもしれないな」
セラは少しバツが悪そうに続けた。
「強硬派の意見の方が強かったんだよ。慎重派としては『悪意がある干渉ではないし技術的にも有り得ないから何かの間違いじゃないか』という見方をしていたんだけど、やっぱりどんなに時代が変わっても人って自分が一番大切なんだね。今まで築き上げたものが一瞬で無くなるかもしれない、そう考えた人達の意見が勝っちゃったんだ」
僕達は黙っていた。流石の僕にももう大方の予想はついていたが最後まで聞かなければ、と強く感じていた。
「強硬派たちは干渉の起点となる箇所を徹底的に潰すことに決めた。タブーとされている技術を保身のために躊躇なく使うってのもスゴいことだけどね――起点となった場所は君たちがいた高校を含めて四か所、ここに兵を送り込んだんだ。それがあの天使たち。僕達の世界だけを守るという意味での防衛装置だ」
言葉は出なかった。よく分からない怒りと混乱が入り乱れるという感情も生まれて初めて覚えたかもしれない。この場にいてそれをぶつける相手もいないことが酷くもどかしい。
「……セラの目的は何なんだ?」
大我先輩は静かに尋ねた。その表情には確かな怒りが見て取れる。ただあえてそう尋ねたのは確認のためだろう。その答えはある程度予測しうるものであった。
「僕は慎重派の人間だよ」
しかし――
「答えになっていない。お前の立場は分かった。だが目的が分からない。お前もまたこっちに干渉して俺たちをここに隠したってところまでは分かる。聞き方を変えるぞ――俺たちに何をさせたいんだ?」
キューブの回転が止まる。
「僕が君たちに求めることは一つだけだよ」
答えを待つ。その時間が何十秒にも感じられる。
「――天使たちを壊して未来を変えて欲しい」