表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
葬送哀歌は夜明けとともに  作者: 月乃はな
序幕「始まりの月が昇る刻」
8/79

Episode3「揺るがぬ覚悟があろうとも」①

 僕の世界に突如として現れた黒い靄、その名を悪霊。いや、現れたというのは少し違う。彼らは以前からずっとこの世界にいて、それ僕が視認できるようになっただけ。

 彼らは、幼い子供も、僕の大切な人たちも、生きていれば見境鳴く攻撃する。ルカ曰く、彼らのその行動は自身の欲のためらしい。そう考えてまぶたの裏に映ったのは、昨日の夜に出会った一人の女性だった。

 生きたい、生きたかった。自分と同じくもう既に死んでいるのに、どうして死神は生きられる。その怒りと憎悪の矛先が向けられたのは幼い兄妹。そして、ただ一人で東京の夜を守ってくれていたルカだった。ルカは僕も役に立ったと労ってくれたけれど、結局はルカからの借り物の力で、守りに徹していただけに過ぎなかった。

 守りは決して、攻撃にはなり得ない。攻撃は最大の防御かもしれないけれど、その逆は決してあり得ないのだ。持久戦に持ち込んで、相手が諦めるか自分が死ぬか、そのどちらかしか選べない。それは決して、いい結果をもたらすことはないだろう。

 だから僕は、ナイフを手にしようと心に決めた。

 せめて、大切なものを守り切れるくらいの力が欲しい。守られるばかりじゃない、僕も誰かを守りたいと、傷を負ってまで戦ってくれたルカを見てそう思った。

 そう思って覚悟を決めて、ルカの事務所を訪ねたまでは良かったのだけれど。


「……お前には無理だ。諦めろ」


人を射貫き殺せるほどの冷徹さを宿した赤い瞳が、僕のことを静かに見下ろしている。癖付いた黒髪の男がそう言い放ったとき、恐怖か、あるいは絶望か、僕の身体は震えてピクリとも動かせなくなってしまった。





 時は少し遡る。

 午後六時に講義が終わってすぐ、僕は大急ぎでルカのカフェに向かった。

 彼のカフェの最寄り駅は大規模で、沢山の路線が通っている。もちろん帰宅ラッシュの影響は大きく、人の流れに逆らうようにして僕は急ぎ足で駅構内を抜けていった。日が暮れて、ちらほらと霊が現れ始めていたからだ。もし今日も悪霊が出てしまえば、僕との話は仕事の邪魔になってしまう。それだけは何としても避けたかった。

 駅周辺は相変わらずの騒がしさで、駅ビルの看板や店の照明、街灯などがまるで昼間かと錯覚するほどに夜の街を照らしていた。若者とサラリーマンでごった返す道路から一本はずれると、夜の闇に紛れて何人かの青い靄……善霊が所在なさげに漂っている。

 ルカのカフェは既に店を閉めていた。クローズドのおしゃれな看板が扉にかけられ、窓には内側からカーテンが閉められて中の様子は窺えない。店内の明かりはついていないようだから、きっと上にいるのだろう。


「上に来て欲しいってルカさん言っていたよな」


 二階への階段は、カフェの入り口の横にある。昨日も上ったはずの階段なのに、下から見上げるそれが今日はやけに長く感じた。階段の先は暗く、うっすらと扉の前にある蛍光灯の明かりが見えるだけ。

 思わずごくりと息をのみ、再度覚悟を決めて足を段差に乗せていく。一歩、また一歩と。

 まるで異世界に迷い込んでしまったかのような心地と、謎の不安が僕の心を支配したけれど、僕は前だけをみて階段を登り切った。

 天井につけられた蛍光灯が、不規則に点滅している。コンクリートがむき出しになった壁はところどころひびが入っていたり、色あせていたりと年季の入った雑居ビルらしい特徴が現れていて、ドアにつけられた真新しいお洒落なプレートがどこか浮いて見えた。


「……ルカさん。僕です。日野深月です」


 ノックを三回、ドアの向こうにいるであろうかの死神に、僕は自分の決意を伝える。


「この一日、ちゃんと考えました。考えて、考えて、結論を出しました。やっぱり僕は、大切なものを失わないだけの力が欲しいです。それに、誰かがああやって襲われるのを、見て見ぬふりはできません」


 するとしばらく間を置いてから、ゆっくりと、ひとりでに扉が開いた。まるで、異界への入り口みたいだ。今までより、遙かに不気味で身体が震える。眩しいLED照明の明かりが目に飛び込んできて、僕は思わず目を細めた。


「いらっしゃい、深月」


 優しい声が聞こえてくる。今ではもう聞き慣れた、彼の声だ。恐る恐る目を開ければ、そこにはワイシャツ姿のルカが立っていた。その手には、三つの湯飲みと急須が乗せられた木のお盆を持っている。

 誰か他に人がいるのだろうか。そう不思議に思って部屋に入れば、ひときわ大きな窓をバックに高級そうなレザーの椅子に座る影が目に入る。つややかな黒髪を肩まで伸ばし、ルカの仕事着に似た黒いスーツに身を包むその男は、目を伏せて手元の資料を眺めていた。骨張った指が紙を丁寧にめくるたび、その仕草に目を奪われてたまらない。生娘なら、いやこの世界の誰しもがそうなってしまうだろう。彼の存在は、目が合っていなくとも視界の中心、意識の中心を奪っていく。


「所長、仕事はいったんやめて。お客さんだよ」


 所長と呼ばれたその男は、ゆったりとした動作でその視線を持ちあげた。彼の瞳はまるで絵の具を零したかのように紅く光っていて、ルカよりも遙かに人外らしさをにじませている。顔立ちはアジア系のそれなのに、その瞳だけが目の前の存在の異質さを主張していた。


「……お前が、ルカの言っていた日野深月か」

「はい」


 声は、ルカよりも低く落ち着いて、どこか艶がある。その薄い唇から紡がれる言葉の一つ一つが、なにか重要な言葉のような気がしてしまうほどに。


「お前の話は聞いている。俺は(かんなぎ)紅夜。東ユーラシア死神協会東京支部の支部長及びその出張所の所長を務めている者だ」


 一息でそう言われて、頭が混乱する。東京支部、という言葉は、ドアプレートに書かれていたからなんとなく理解できる。きっと、他にも様々な場所に死神がいるのだろう。悪霊というのは、東京にだけいるものではないだろうから。


「ややこしいよ自己紹介が」


 隣から、ぴしゃりと彼を叱責する声が放たれる。ルカはわざとらしいため息をつきながら、あきれるように額に手を当てた。


「深月はそこらの死神じゃないんだ。組織構成とかまだ教えていないのに、長ったらしい所属を伝えても理解しきれない。ここは普通に、俺の上司でいいだろ。その方がわかりやすい」


 つまるところ、この東京にいる死神を取りまとめる立場だという。といっても、この東京には現在ルカと覡の二人しかいないらしい。


「先月と昨日、君が来たときは丁度席を外していたんだ。所長が冥界の方に用事があってね。だから紹介できなかった。遅くなってしまってごめんね」


 そういえば昨日の悪霊が、毎月中旬は上司がいない、といったことを言っていたような気がする。先月彼と出会ったのも中旬だったから、運悪く会うことができなかったのだろう。


「いえ、こうして会わせてくれただけで充分嬉しいです。はじめまして、覡さん。今日はお時間を作ってくださりありがとうございます」

「構わない。この東京支部としても、お前の存在は見過ごせなかった。いずれこちらから接触を図っていただろう。それが少し早まっただけだ。……さて、本題に入るぞ」


いくつかの書類をテーブルに並べ、高そうなブランドものの万年筆をその傍らに置いて、彼は深紅の瞳をこちらに向けた。


「お前が今日ここに来た理由。ルカから大体の話は聞いているが、改めてお前の口から聞かせてくれ」


 まるで面接のような緊張感に、思考が一瞬フリーズする。けれど、昨日の夜から考えていた僕自身の決意をいまここで伝えきらなければいけないことが、彼の試すような視線から理解できた。


「僕は、守る力が欲しくてここに来ました。悪霊のことを知って、それに対抗する手段を知りたくて。先月翔が悪霊に襲われたとき、僕はただ眺めていることしかできなかったんです。ルカさんが来てくれなければ、僕は大切な人を失っていたし、僕も死んでいたかもしれない」


 僕の言葉を、ルカと覡は黙って聞いてくれている。ルカはいつもの笑顔とはほど遠い真剣な表情をしていたし、覡も指を組んで真っ直ぐに僕のことを見つめている。震える声をなんとか抑えながら、僕は慎重に言葉を選んだ。


「それ以降、もし誰も来られない場所でまた悪霊に襲われたらと考えてしまうんです。今の僕は借り物の力で守ることしかできません。助けが来るのを待つことしかできない。結局は、すべて人任せだった。僕は、それが嫌でした」


 昨日の夜、ルカの背中に守られていたばかりの自分を想起し、思わず表情がゆがんでしまう。膝の上に置いた握りこぶしに力を込めて、ガラス製のローテーブルに映った自分を眺めた。筋肉のない、ひょろひょろとした頼りない自分を。


「守られるだけではいけないと思いました。僕も、この手で誰かを守れるようになりたい。折角悪霊が見えるのに、何もできないのは見えないことと同じです。目の前で、大切なものが傷つくのを、消えるのを、僕は見たくありません」


 ルカが壁にたたきつけられた映像が、翔が悪霊に食われそうになった映像がフラッシュバックする。そのとき自分は、何かできただろうか。否、ただ死に神が助けに来るのを待っていただけだ。そんな体験は、できればもうしたくはない。失うことは、決して慣れるべきものでは無いと思うから。


「だから、僕はここに来ました。大切なものを失わないために」


 顔を上げ、正面に座る死神を真っ直ぐに見つめれば、彼の深紅と視線が交わる。はっきりと、僕の意思が伝わるように言えば、彼はしばらく間を置いた後、そうか、とだけ呟いた。何か思うところがあるのだろうか、彼はすぐに思考の海に潜ったようで、まぶたを閉じ口元に手を当ててすっかり黙りこくってしまう。どうすればいいか分からなくて戸惑う僕に話しかけたのは、隣で物言わず静かに聞いていたルカだった。


「……君の覚悟は伝わったよ、深月。ずいぶん考えてくれたみたいだね」


 僕は無言で頷いた。彼らに言いたいことは言い切ったし、これ以上付け足す必要性を感じなかったから。

 ルカは目の前の乱雑に置かれた書類から、一枚の紙をこちらに差し出してくる。読んで、という目配せに従って、僕は上から慎重に目を通した。

 死神雇用契約書。そこにはそう書かれている。


「さっき所長が言っていたけど、俺たちは個人で活動しているわけじゃない。東ユーラシア地域を管轄する協会に属しているんだ。だからこそ、君の加入にはお上の許可をとる必要がある。これはそのための正式な文書だね。こちらの労働条件と、君の希望を書いてくれればそれでいい。やりたくない仕事があるなら、それも書いてくれて構わないよ」


 高級そうな万年筆を渡されて、僕はゴクリと息をのんだ。

 契約期間、勤務時間、勤務内容。そこに書かれていたのはありきたりな、まるでバイトを始めるときに書いたようなことばかりだった。もっとも、勤務内容はそこらのバイトとは違って普通ではなかったし、勤務時間も成人していなければアウトな時間帯だったけれど。

 そこでふと、報酬という欄に目がいった。時給千五百円という、バイトとして考えると破格の値段が書いてあったのだ。


「……給料、でるんですか?」

「なに、タダ働きさせるブラック組織とでも思ってた?まあ、君がそれでいいなら契約内容変えてもいいよ」


 ルカがからかうようにそう言って、僕は慌てて首を振る。給料が出るような、本格的な仕事だとは思っていなかったのだ。こちらが技術を教えてもらい、その代わりに仕事を手伝う……そういう取引になると想定していたから、驚くのも仕方が無いだろう。

 そんな僕を見て、ルカは冗談だよ、と心底楽しげに言った。


「大切なのは、君が生者であること。生きている君が持っている時間には、俺たちの時間とは違って価値がある。君の価値ある時間と労力に、俺たちはその分のお金を払っているにすぎないんだ。もっとも、この程度の報酬では釣り合わないとは思うんだけど。生者の規則とか制約とか、いろいろと面倒だからね。まあ、働きによって昇給はあり得るよ」


 人間のみならず、この世に生を受けた者には寿命がある。それは大抵限られていて、いくら医療が発達し長生きできるようになってもいつかは必ず終わりが来る。だからこそ、限りある時間と労力には価値が生まれ、それを借りる際には相応の対価が必要なのだと。ルカが言いたいことは多分そういうことだ。

 今の話を聞くだけで、彼ら死神が今を生きる人間よりも遙かに「生の時間」を大切にしているのが伝わってくる。それはきっと、彼らが既にそれを失っているから、なのかもしれない。


「契約内容、確認できたかな。他に聞きたいことがあるなら何でも聞いて。俺が無理でも、所長が答えてくれるから」


 さっきから全く口を開かず、腕を組んで瞼を閉じきったままの覡に、ルカはその視線を向けた。深紅の瞳が薄い瞼に隠れていようと、ただソファに腰掛けているだけでなかなかの威圧感を放っている。僕だったら邪魔してはいけないと遠慮してしまうところだが、ルカはそんなことを気にしていないのか、容姿端麗な彫刻の脇腹を肘でつついた。つつくというより突くの方が、力加減を見るに正しい気がするけれど。


「そろそろシミュレーション終わっただろ。黙っていないで話したら」


 シミュレーションとは、何だろうか。その質問をする前に、長らく開かれていなかった口から言葉が発せられた。


「お前の話を聞いて、一つの結論が出た」


 瞼がゆっくりと持ち上げられ、ピジョンブラッドが姿を見せる。その赤に射貫かれて、僕は緊張で拳を作った。その口から、一体どんな言葉が紡がれるのだろう。彼の動作一つ一つに意識が行って、僕は彼の言葉を待っていた。


「俺は反対だ。お前が力を得ることも、この東京支部に入るのも、全てな」


 集めたお宝を谷の底にでも投げ捨ててしまうかのようなその言葉に、僕はあっけにとられてうまく反応ができなかった。あのルカでさえ、驚きのあまり目を見開いている。


「あー、所長?もう一度言ってもらっていいかな。うまく聞き取れなかったみたいだ」


 頭をかきながら、ルカがそう覡に言った。どうやらルカも想定してなかった結論らしい。動揺する僕たちとは正反対に、覡は少しも動じることなくひどく落ち着いた声で繰り返す。


「俺は、日野深月が力を得ること、そしてこの東京支部に入ることに反対する」


 そうハッキリと言い放った彼の瞳はどこまでも冷徹で、彼が心からそう思っていることを何よりも雄弁に語っていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ