Episode22「あなたから見た世界」④
「ルカさん! クロト! 無事ですか!?」
「ああ、無事だよ。心配かけてごめんね」
二人が事務所に帰ってきてすぐ、僕は立ち上がって二人のもとに駆け寄った。時計は既に午後十一時を差している。クロトから「祓魔師と遭遇した」という内容の連絡を受け取ってから、実に一時間半後のことだった。
ルカとクロトが言葉の通り無傷で事務所に帰ってくるまで、僕は気が気でなくて仕方が無かった。覡と祓魔師についての話をしたばかりで、しかも「ルカとクロトの魂には欠損がある」という事実を知ったばかりだったからだ。
覡もこの一時間半、二人のもとへ救援に行こうという仕草こそ見せなかったものの、心配が行動に表れていたのかしきりに珈琲を飲んでいた。扉が開いて二人の姿が見えたとき、覡はほっとした様子で息を吐き、駆け寄ってきたクロトの頭を労うように優しく撫でた。
「クロト。ルカ。聞かなければならないことが山ほどあるが、まずは食事を食べてくるといい。話はそれからだ。深月――もう遅いから、お前は帰っても構わない。お前はどうしたい?」
「許されるなら、僕も残らせてください。最初に祓魔師に接触したのは僕ですから」
僕の言葉に覡は頷く。彼が何も言わないということは、僕はまだここにいてもいいのだろう。胸中に燻る焦燥感と罪悪感を抑えていると、ルカが僕の肩を軽く叩く。
「気にしないで、深月。この件は少なくとも君のせいじゃない。どうやらむこうには別の目的があるらしいからね。だから肩の力を抜いて、少しだけ待っていてくれ。俺はクロトとご飯を食べてくるからさ」
「……はい。ありがとうございます」
僕の手から力が抜けたのを見て、ルカは頷きながら微笑んだ。そして、クロトと一緒に下の階へと降りていく。その背中を見送って、僕は大きく息を吐き出してソファに座りこんだ。
「二人が無事で本当に良かった」
身体中の緊張の糸が切れたのだろう。足どころか指先にも力が入らない。そのままソファに全体重を任せていると、覡がお茶を淹れてくれた。
「す、すみません」
「問題ない。俺は料理こそできないが、お茶くらいなら淹れられる。少しだけ休むといい。これからは気の重くなる話になるだろう」
そう言って、覡も自分の分のお茶を呷る。しばらく気まずい無言が続き、時計の針が進む音だけが聞こえてきた。
死神と祓魔師の衝突。それによる影響が、まさかこんなにすぐに現れるとは思ってもいなかった。白鳥は最近落ち着いているし、図書館でも問答無用で襲ってくるなんてこともなく、しばらくは膠着状態が続くと信じ切っていた。それこそ、表立った対立のなかった今までのように。
けれど、どうやら事態はそんな簡単なことではないらしい。覡の表情は二人の帰還に安心こそすれ変わらずなにか思い悩んでいるようだった。それがどのようなことについてか、ということは、数十分もすれば判明することだろう。
十一時半を過ぎた頃、ルカとクロトは食事を終えて上の事務所に戻ってきた。ついでにルカは食後のおやつとしてレモンソルベを持ってきて、人数分のガラスの器によそってくれる。「どうぞ」と差し出されたそのデザートは、これから始まる話とは正反対に軽く、爽やかな味わいだった。
「それで、一体何があった」
レモンソルベを食べながら、覡がルカに尋ねる。ソルベに夢中になっているクロトにかわって、ルカはことのあらましを話し始めた。
「場所は調布駅の近く。向こうは住宅街の中から現れ、明確に俺とクロトを狙って話しかけてきた。その理由については――なるほど、深月はすでに所長から聞いているんだね。なら話が早い。なんでも、彼女は魂の欠けた俺たちに聞きたいことがあったらしいよ」
現れた祓魔師は女性で、槍を扱っていたという。その身のこなしは随分と手慣れていて、ルカが相手取って追い返したらしい。死神としての力が魂で決まるものなのだとしても、人間相手に手加減しながら無力化するルカの実力はなかなかのものだ。
「その内容についてはなにか言っていたか」
「特には。ただ『聞かなければならないことがある』とだけ。俺たちに共通する点から考えるなら、魂についてか、あるいはその原因になった奴らについてか……そのどちらかかな」
その推測に、覡は「そうか」と小さく呟いた。覡の表情は依然として曇ったままだ。それもそのはず、覡にとっては、大切な友人であるルカとラケシスから預かっているクロトの両方が脅威にさらされかねない事態である。祓魔師との過度な衝突は避けなければならないとは言え、向こうが明らかに攻撃してきたとなっては、決して看過できることではない。
「まずは対応を考えなければ。もう既に本部には通達しているが、どうやら他の支部では祓魔師による死神への接触は見られないらしい」
「ということは、俺の推測は大体合っていそうだね。俺やクロトみたいに魂が不完全な死神は基本的に協会から距離を置きたがるし、現世に現れることもほとんどない。全く、本当に頭が痛くなるよ」
祓魔師からの要求が、平和的な交渉による聴取であったならどれほどよかっただろうか。少なくともルカたちに剣を抜いた時点で穏便に話を進めるつもりがないことは明白だった。
「話だけなら、俺が相手になってやるんだが」
「まあ、情報なら所長の方が持っているけどさ。流石に元調停者相手は分が悪いんじゃない? もしかしたら、弱いからって理由で狙われた可能性もあるよね」
「僕も……もしこの中で話を聞き出すのなら、覡さんは絶対狙いません。追い返されて終わりなのは目に見えてますし。それに、ただ情報を得たいだけなら、クロトまでは狙わないんじゃないかって思います」
以前のクロトは違うのかもしれないけれど、今のクロトは幼い子供だ。それに、過去の記憶も魂の欠損によって失っている。情報目的でわざわざ狙う対象ではないだろう。
そう考えて発言すれば、ルカも覡も首肯して同意を示してくれた。
「深月の言うとおりだ。ということは、向こうにとって『魂が欠けている』ことが重要、だと考えてもいいかもしれないね」
「とはいえ、本当の目的も分からない。こちらから殴り込みにもいけないのなら、向こうの行動を警戒するほかないだろう。三人とも、人気の無いところで一人にはならないように。巡回には俺が毎回付いていこう。ここの結界も補強した方が良さそうだ」
「賛成。諸々よろしくね、所長」
「ああ。今日の夜にでもやっておこう」
このビルには実体のない覡のデスサイズが常時張られていて、悪霊が易々と近づけないようになっていると同時に、一階の店を除いて不審者の立ち入りを妨害するファイアウォールのような役目を果たしている。つまりここは正真正銘の安全地帯なのだ。初めて出会ったときルカが言っていたように。
「それと、深月」
「は、はい」
「君が言っていた祓魔師と俺が出くわした祓魔師は別人だ。聞いていた容姿と違ったからね。けれど、祓魔師同士は繋がっている。死神と同じように。だから、大学では充分気を付けて」
警告と共に、ルカの蒼い双眸が僕を捉える。僕は思わず背筋を伸ばして、脳裏に白鳥の姿を思い描いた。
『わたくしもあなたについてもっと知りたいと思っていましたのよ』
そう言って武器を下ろした彼女は、僕に対して友好的ではないものの穏便に話を進めてくれた。今回の祓魔師とは別人だ――そのことにほっとすると同時に、だからこそ祓魔師にも彼女のように平和的な交渉をしてくれる人もいるのではないかと期待してしまった。死神にも色々な人がいるように、祓魔師の中にも話が通じる人はいるのではないか、と。
「深月」
すると、僕の迷いを察知したのか、今後は覡が僕のことを見つめた。いつものように真っ直ぐな、揺らぐことのない信念を宿した目で。
「友人の友人を疑いたくないのは分かる。だが、全ての物事は最悪を想定しなければならない。警戒するに越したことはないんだ」
「……もちろん、警戒はします。でも、向こうにもなにか事情があるのかもしれませんし。覡さんも言っていましたよね。『お前はお前自身の目で見極めろ』って。だから、僕は祓魔師の内情を探る必要があると思うんです。警戒して、向こうの動きを待っているだけじゃなにも分からない。だからせめて、白鳥さんから少しでも話を聞けないか交渉したいです。情報交換、という形で穏便にことを済ませられないかどうかを」
白鳥も今晩の祓魔師も、死神を「相成れない相手」として見ているところは変わらない。それでも、白鳥も言っていた。「悪霊についてなら手を取り合うこともできるかもしれない」と。そして、向こうが即冥界に送ろうとしない時点で、向こうに何らかの思惑があるのは間違いない。
それに。
僕は、彼らから見た「死神の世界」を知らないまま、彼らと対立したくはなかった。白鳥が僕を知ろうと武器を下ろしてくれたように、彼らと関わることで見える世界もあるはずだから。
覡からすれば、僕の言葉は絵空事で、空想にまみれた理想論だったのかもしれない。現実を知らないからこそ言えることだ、と一蹴することもできたはずだ。それでも、覡はそうしなかった。僕の言葉を受け止めて、何かを考えるように瞼を閉じてから、その深紅の瞳で僕の目を見つめ返す。
「分かった。深月に、祓魔師である白鳥天音との交渉を任せたい。ただし、警戒は怠るな。お前に祓魔師の力は効かないかもしれないが、物理的に襲われる可能性もある。身の安全を第一に、祓魔師の動向を探ってきてほしい」
「……! わかりました、任せてください!」
深夜であることを忘れるほど勢いよく返事をすると、レモンソルベを食べ終わったクロトが僕の裾を心配そうに引っ張った。
「深月おにいちゃん、気を付けてね」
「クロトの言うとおりだ。何が起きるか分からない。深月、もしものことがあったら、分かってるね?」
「もちろんです。報連相、ですよね」
「ああ。ただ強襲される可能性もある。だから、防犯ブザーではないけれど、万が一のための保険を渡しておこう」
手を出して、というルカの言葉に従って右手を差し出す。すると、ルカはその上にいつか貰ったような黒い宝玉を一粒乗せた。今なら分かる。これは、デスサイズと同じ材質のものだ。
「おい、それは」
覡がなにかを言い出そうとしたけれど、ルカはその言葉を制止して僕に向かって微笑んだ。あらゆる心配事を吹き飛ばしてしまいそうなほど安心感のある笑みだ。
「何かあったらコレを割って。そしたら、その分の力が俺に戻ってくる。つまり、君に何かあったってことがすぐに分かる。常にポケットにでも忍ばせておくこと。いいね」
「ありがとうございます」
「君に頼むのは申し訳ないけれど。任せたよ、深月」
ルカから渡された宝玉を握りしめ、僕は三人の視線に応えるように頷いた。
「お前は一体何をしている」
都内某所にある巨大な家の和室に、荘厳な声が響き渡る。空には月が高く昇り、ろうそくの光だけが揺れる部屋の中を照らしていた。その部屋の中には、月光のような白い装束を見つけたものたちがずらりと円を為すように並んでいる。そしてその円の中央では、土埃に汚れた装束を着けた女が一人、ひたすらに頭を垂れていた。
「魂の欠けた死神程度も連れてくることができないとは。よくその顔をだせたものだな」
威圧的な声は、部屋の奥に作られた一段高い部屋から聞こえてくる。その部屋と人が集まる広間には一枚の御簾がかけられていて、広間から奥にいる声の主の顔は見えない。ただ、その声の様子から、年を取った男であることだけが分かる。
「申し訳……ございません」
女は額を畳にこすりつけた。美しい艶のある黒髪は畳に散らばり、その凜とした声はいまや恐怖で震えている。
「何のためにわしらは東京に来た。それは、二十数年前からこの東京に住み着き始めたという死神を追い払うためだ。そして、死神の悪行を阻止するためだ。年々悪霊は増えている。死神はろくな仕事もしていない。やはり、現世は人間の手によって守らねばならぬ。信用ならない種族に任せるなど言語道断であろう」
男の言葉に、聴衆は沈黙で賛同の意を示した。
「死神から世界を取り返すため、わしらは壮大なる計画を立てたはずだ。魂の解明はそのための一歩に過ぎない。だというのに、その一歩を失敗するとは。奏――お前には失望した」
奏と呼ばれたボロボロの女性は、悔しそうに畳に顔を向ける。その様子を見て、純白の聴衆の中から一人、軽薄そうな青年が御簾の前へと躍り出た。
「おじいさま。今度はオレがおじいさまの期待に応えるよ。無能でツイてない姉さんの代わりにね。なんたってオレは次代当主なんだから」
青年はにやりと笑い、自信満々に胸を張る。その態度は現当主に対して不敬ではあるものの、誰も異を唱える様子はない。御簾の奥に座る当主もまた、青年には怒りを見せなかった。
「……倭。聖家の名に恥じぬよう、何としても『魂の欠損した死神』を連れてくるのだ。死神と衝突し、殺し合いになろうとも構わない。闘いにおいてはこちらが圧倒的に有利だ。どんな手を使っても任務を遂行しろ。分かったな」
「ああ。もちろんだよ、おじいさま。オレは分家上がりの姉さんとは違って有能だから」
その言葉に反応するように、聴衆のあちこちから笑い声があがる。奏を無能と嘲るような、陰湿な笑い声だ。この場にいる大多数は倭の味方で、御簾の奥にいる当主の味方だった。
「励め。全ては我ら祓魔師と人間の未来のために」
そう言って御簾の奥の更に奥へと消えた当主の姿を見送って、広間での会議は散会する。倭は奏のことを笑いながら自らの寝室へと去って行き、他の祓魔師もばらばらと部屋をあとにした。だが、ただ一人――奏とは正反対の真っ白な髪を持つ祓魔師だけは、真っ先に奏の元へと駆け寄った。
「お姉様!」
「……天音」
奏は天音のことを抱きしめると、その天使の羽根のように白い頭を優しく撫でる。抱きついてきた天音はその肩を僅かに震わせていて、奏もどうにも胸が締め付けられた。
「お姉様は強いですわ。今回の件だって、死神が卑怯な手を使ったにちがいありませんもの」
「ありがとう。でも、今回は私のミスなのよ。死神のことを侮りすぎていた――当主様の言うとおり、私は強いだけの無能だった。分家の私は結果を残せなければ意味が無いのにね」
「それは」
違う、と言おうとした天音の口は閉ざされる。奏の言うとおり、祓魔師は血による縁をなによりも重んじていた。本家である聖家の力は絶大で、分家出身ならば結果を残せる者だけが認められる。奏と天音は同じ分家の出身ではなかったが、立場として肩身の狭さを覚えているのは同じだった。
そう、本家である聖家に認められなければ、分家の祓魔師はただの足手まといだ。最悪分家ごと追放されることもある。天音の頭の中には、どうにかして奏という姉のような存在をすくい上げることだけが巡っている。
「……あ」
そして、天音はふと大学にいる死神のことを思い出した。彼はこちらが敵意を向けても敵意を返そうともせず、対話を求めてくる不思議な死神だ。そのくせ悪人のような性悪さやずる賢さは感じられないし、何より天音の渾身の攻撃も効かない不思議な身体を持っている。きっと、その魂には他の死神とは違うところがあるに違いない――天音はそう思い立って、脱力した奏の両手を取った。
全ては、姉と二人で祓魔師としての名声を得るために。
「わたくしに策がありますわ。お姉様、二人で本家をぎゃふんと言わせてやりましょう!」
突然目を輝かせ始めた天音の姿に、奏は困惑を隠せない様子で目を瞬かせた。




