Episode22「あなたから見た世界」②
倉庫の片付けが落ち着きを見せたのは、午後八時を回ろうとしている頃だった。僕と覡は東京支部に送る段ボールを部屋の端に積み上げたところで作業を切り上げ、一階のカフェに降りた。まだ二人は戻っていなかったけれど、机の上にはルカが作っておいてくれたのだろうトマト煮込みハンバーグのプレートが四皿並べてある。このままレンジで温めれば良いようで、覡の提案で先に夕食をとることにした。
「いただきます!」
「いただきます」
両手を合わせ、僕は真っ先にハンバーグを一口頬張った。温め直したハンバーグからは白い湯気が立ち、丁度いい温度になっている。よく煮込まれたトマトソースは芳醇でコク深く、トマトの甘酸っぱさと牛肉の脂の甘さがマッチして、作り置きとは思えないおいしさだ。ルカが煮込みを選んだのは、時間がたつことによる食感の変化を少しでも緩和しようと考えたからなのかもしれない。
ハンバーグの隣には、ニンジンとほうれん草のソテーとマッシュポテトが並んでいる。ハンバーグの味が濃いからか、こちらは比較的あっさりとした味付けだったが、それでも充分に甘かった。きっとクロトでも食べやすいように、という配慮だろう。
いつものように、ルカの料理は本当に美味しい。死神としての仕事が終わった後の食事はより格別で、僕は完全に胃袋を掴まれてしまっていた。
「深月はいつも美味しそうに食べる」
「ルカさんのご飯を食べているときは、心の底から死神になってよかったと思ってます」
「はは、そうだな。俺も――食事の大切さを実感させられる。俺にはこんなに手の込んだ料理は作れない」
「そうなんですか?」
「ああ。どうも昔から料理だけは慣れなくてな」
「どのくらい……ですか」
「ルカにキッチン立ち入り禁止を命じられるくらいだ」
それってよほどの料理音痴なのでは、と笑い飛ばす覡を見ながら思う。美味しい料理は気分も上向きにしてくれて、僕たちは雑談をしながら夕食を食べ進めた。
「……だが、一つだけできる料理がある」
ふと、ハンバーグを食べる手を止めて、覡が懐かしそうに目を細める。その深紅の双眸は柔らかく、ふ、と小さな笑みまで湛えていた。
「卵粥だ。以前、友人に教わったことがあってな。米をたくさんの水で炊き、溶き卵を回し淹れただけのものだが。それならば、俺も作ることができる」
「……友人って」
覡の口から発せられたその言葉に、僕は心当たりがあった。ラケシスと対面したときに、彼女が言っていたことがずっと気にかかっていたからだ。
覡は二人の大切な死神を失っている、と。
覡には友人がいる。極夜卿であり調停者であったとは言え、蓮花や他の統治区の調停者などは、彼にとって友人と言っても差し支えのない関係性だろう。しかし、覡の口ぶりから察するに、粥の作り方を教えてくれたという友人は、今もなお健在の友人ではないのかもしれない。
それこそ、覡が失ったという二人の大切な死神のうちのどちらかである――そうとしか思えないほどに、覡の表情は愛しさの他に悲しみを溢れさせていた。
「深月には教えてやるべきだな。少なくとも、お前は俺の敵を知っている」
「……それって、つまり」
「お前の想像している通りだ。俺の友人は二人とも――『暁の楽団』に襲われた。二人とも、その魂を粉々に砕かれ――一人は消え去り、もう一人は魂の一部が連れ去られた」
暁の楽団。つい最近敵対したその存在に、僕は何も言えなくなる。
友人の一人が襲われたことは蓮花から又聞きではあるものの知っていた。けれど、まさかそれが二人だとは思わなかった。いや、よくよく考えれば答えを出すのは簡単だったかもしれない。なぜなら、僕は覡のかつての地位を知っていて、そして「暁の楽団」の所業についても知っているのだから。
恐らく、襲われた友人というのは――。
「もしかして、友人さんの一人は……西ユーラシアの調停者、ですか」
僕が導き出した答えに、覡は目を見開いた。
「その通りだ。あいつも『暁の楽団』に襲われ、その魂を失った。本来存在しない死神の死を、あいつは身を以て味わうことになったんだ」
覡はトマトソースを眺めながら、重々しくも語り始める。
「死神は死なない。縁を切られようが、冥府で必ず蘇る。死神を形作るのは縁ではなく魂だからだ。簡単な例を挙げるなら――それこそ、祓魔師の光だろう。あれは強制的に魂の縁を切り冥府に送る光だが、冥府を拠点とする死神にとっては単なるリスポーンに過ぎない。最も、その過程で記憶が飛ぶ可能性があるため、迂闊に浴びることはできないが」
だが、と覡が続ける。
「特例はいかなるものにも存在する。つまり、縁ではなく魂に直接働きかける武器――それさえあれば、死神を殺すことができる」
殺す、なんていう物騒な言葉に、僕はごくりと口の中に入っていたご飯を飲み込んだ。
殺せないものを殺す武器。そんなものが実際にあるのだろうか。
「で、でも。そんな危険な武器、もちろん誰もが扱えるってわけじゃないですよね」
「ああ。流石にそんなことはありえない。しかし、俺の知っているその武器の所持者は皆、俺の友人を殺していなかった。つまり、他に何らかの手段がある可能性がある。俺の知らないうちに、魂に干渉する術が編み出されたのだ、とな。そして、その可能性の一つに祓魔師の術式がある。死神と祓魔師は水と油だが、今の今まで結託した歴史がないわけではない。故に俺はお前に気を付けるように言ったんだが」
「……すみませんでした。勝手なマネをして」
「いや、いい。むしろ好機と捉えることもできる。祓魔師の術式を解明する絶好の機会だ」
そう言って、覡は最後の一口のハンバーグを口の中に放り込んだ。けれど、その重い表情を見ていると、どうやら彼が噛みしめているのはハンバーグだけではないらしい。
苦く、辛く、そして燃え上がるような――怒りという名の激情だ。
「それは、敵を取るためですか」
彼の顔色を窺いながら、僕は慎重に彼に問う。そういえば、彼が調停者の座を降りたのは、完全なる私怨だと蓮花は説明した。それによって、協会の他の死神を巻き込まないためだとも。恐らく、彼はずっと探しているのだろう。二人の友人を殺した手口と、その真犯人である「暁の楽団」に対する情報を。
すると、彼は箸を置いて僕のことを真っ直ぐに見つめてきた。その目は僕のことを見定めるように細められた後、何かに納得したように伏せられる。
「そうだ。西ユーラシアの調停者の敵討ちのため。そして連れ去られた俺の友人の魂を取り戻すためだ」
「もう一人の、友人」
西ユーラシアの調停者が殺されたのはおよそ五百年前。そして、二十五年前にも同じような事件が起きて、その時に覡は調停者をやめた。ということは、「もう一人」というのは二十五年前の事件で襲われた友人なのだろう。
「彼は死んでいない。その魂を『削られて』持ち去られた。冥府に確認したところまだ彼の魂はこの世界のどこかにある。ならば、まだ取り返すことができるということだ。もっとも、なぜ彼は殺されずに連れ去られたのかも、なぜ彼が狙われたのかも分からないが」
「殺したくなかったってことですかね。生かしておく必要があったのかも……って、残された友人さんの魂は大丈夫なんですか? また襲われるんじゃ」
僕の心配に、覡はそうだったな、と言わんばかりの顔をする。そんなに呑気にしていていいのだろうか。今こうしている間にも、その友人に危険が迫っているかもしれないというのに。
けれど、覡は僅かな心配を覗かせながらも、食後の珈琲を一口啜った。完全に落ち着いてしまっている。
「何かあったら駆けつけられるようにはしているが、あいつはそれを好かない。俺が心配しようものなら不満げに夕食にピーマンをいれてくるに違いない。それに、あいつの強さは深月もよく知っているだろう」
「???」
百を言わない覡の発言に、一瞬僕の頭をクエスチョンマークが支配する。しかし、よくよくその発言を考えてみると、まるでパズルのピースがはまったように――覡のもう一人の友人が誰のことを指しているのかに気が付いた。
「……え?」
驚く僕の顔を見て、覡はその通りだ、というように頷いた。
夜のパトロールは決して難しい作業ではない。デスサイズにもなる冥界の力をを薄く広く地域に広げ、悪霊がいないかどうかを調べれば良い。もし魂が完全で、力を支える縁が他の人よりも強ければ、ものの十数分で離島も含めた東京中のパトロールが終わってしまう。
死神の力の本質は魂の数とそれに付随する縁の強さだ。悪霊のように魂を喰らうことができない以上、死神が強くなるには縁を強くするほか無い。
しかし、もし魂が不完全であったなら?
他の死神と同等の力を出すために、何倍もの縁が必要になる。それには死者との縁だけではなく生との縁も含まれていて、魂が不完全なものは生者の真似事をしてようやく「デスサイズ」を作り出せるようになる。強さを求めるのはそれからだ。つまり、魂が無いだけで大きなハンデを背負うことになる。戦闘に置いても、索敵においても。
「……クロト、ここら辺は大丈夫そうだし、次のスポットを目指そう」
「うん!」
クロトとルカは覡がやれば十分で終わるパトロールをおよそ二時間かけて行っていた。スマホの時計は午後八時の時刻を表示している。今頃、事務所では覡と深月が掃除を終えているころだろう。
覡は深月と話すことがあるといっていた。もちろん覡がパトロールを終わらせてから掃除をしてもらえれば良いのだろうが、それではルカとクロトの仕事がなくなってしまう。だからルカは自分からパトロールを提案した。
「……ただ、やっぱり時間かかるよね。クロト、大丈夫? 疲れてない?」
「わたしは大丈夫! でも、帰ったらデザート追加してほしいなあ」
「わかった、じゃあ特別にお試しで作ったレモンソルベを試食して貰おうかな」
「やったあ!」
パトロールするべき範囲はもう八割終わっている。この調子なら、九時前には帰ることができるはずだ。クロトの夜ご飯が遅くなってしまうけれど、そもそも死神に食事の時間は余り関係のないことだ。
九時にまだ深月はいるだろうか、ということを考えながら、ルカはクロトと共に夜の街を走り抜けていく。スーツを着ている間は一般人に見えないからこそできる技だ。
そうして最後から二番目のパトロール地点である調布駅のビルについたころ。
「……奇遇ですね。こんなところで死神に出会うなんて」
まるで月光のベールに隠されていたかのように、突然声をかけられた。人の気配に敏感であるはずのルカは驚いて、クロトを庇いながら慌てて後ろを振り返る。
「それはこっちの台詞だよ。まさか……祓魔師が一人で現れるなんてさ」
そこには、月の光の下で怪しげに笑う白い装束の女が一人立っていた。




