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葬送哀歌は夜明けとともに  作者: 月乃はな
序幕「始まりの月が昇る刻」
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Episode2「その願いは叶わない」④


「あの時、何を言ったんですか」


 戦いが終わって、本堂から出た僕はルカにそう聞いた。抱きしめていた二人はいつの間にか夢の中に入っていて、今ではルカの膝枕ですやすやと寝入っている。周囲にいたはずの霊は皆逃げたかあの悪霊に取り込まれて一緒に成仏したか、ともかく境内には霊一人いなくなっていた。囁き声も聞こえない、風が草木を撫でる音と降りしきる雨音だけが聞こえてくる。


「死んだら死神になれるよ、とかですか?」


 彼女が死を納得するようなことを、彼は言ったに違いない。そう考えると、自ずと導き出される答えは定まってくる。答えを求めるように視線をぶつければ、ルカはふ、と軽く笑って、けぶるように長い睫を持ち上げた。そのサファイアは、膝で眠る二人の子供に向けられている。小さな生き物を慈しむかのように、穏やかな光を宿して。


「嘘をついて送っても意味ないよ。ただ……そうだね。死を受け入れることは難しいけれど、生を諦めることはさほど難しくない。そうだろう。俺は、そういうことを言ったんだ」


 要は悪霊となってまで現世に留まることを諦めさせたのだと、彼は言う。何を言ったのかという直接的なことは教えてくれなかったけれど。


「悪霊になっても、輪廻転生の円環に還ることができる。少しだけ時間はかかるけどね。まあ、彼女は誰も殺していないし、彼女の望む『生』はそう遠くない内に訪れる。人質にされたこの子達も無事、勿論君も無傷。万事解決ってところかな」

「何が万事解決ですか……」


 そう笑う彼の衣服はボロボロだし、白い頬には木片で切った切り傷がついている。髪だって、先程少し直してはいたけれど乱れたままだ。その姿を見ていると、胸の奥からやるせなさが溢れ出してくる。


「深月、俺の心配は不要だ。これが俺の仕事だし、この身体は冥府からの授かり物で、普通の人体よりも強固にできている。こんな傷はしばらくすれば治るから」

「それでも。貴方が不意を突かれたのは、僕がいたせいです。ごめんなさい、貴方の忠告を聞き入れて、大人しく家に帰っていればこんなことには」

「それは違うよ」


 平素より少し厳しい口調で、ルカは断言した。


「君がいたことで、俺は悪霊の応戦に集中できた。お陰でこの少年たちは無事だったんだ。もし君がいなければ、もっとひどいことになっていたかもしれないよ。まあ、彼らのことは俺が守ってみせるけどね」


 そう言って笑う彼を見て、僕は少しだけ頬が火照るのを感じる。自分より年上の人に褒められたのは、一体何年ぶりだろうか。久々の感覚に、身体の奥が震えた気がした。


「……さて。そろそろ後始末に入ろうか」


 子供たちを抱えて立ち上がりどこにいくのかと思いきや、彼は二人を寺の柱に凭れさせる。そして先程の短剣をどこからか取り出して、その刃先を彼らに向けた。


「っ、なにをするんですか!?」

「ああ、ちょっと彼らの縁を切ろうと思ってね」

「え、縁?」

「そう、縁。この剣は縁を切るものだって言っただろう?さっきは現世に留まることができないよう、悪霊の現世の縁を断ち切った。今回はその逆で、彼らが今後冥界に属するものに関わらないよう、冥界との縁を切る。そうすれば、死なない限り冥界に属するものに関わらずに済む」


 それに、と彼は続ける。


「冥界の縁に属するもの、つまり幽霊や俺たちと出会ったこと、今日あったことを忘れられるから。存在を知らなければ、それは実在しないことと同じだ。さらに彼らが今後襲われる危険性を下げられる」


 確かに、ルカの言うとおりだ。悪霊に妹が連れ去られ恐ろしい思いをしたことは、彼らの心身の健康のためにも忘れてしまった方がいい。夜に怯えることも、霊に襲われることも無くなるのなら尚更。

 僕は彼から少し離れて、二人の様子を見守った。ルカが二人に手を翳せば、黒い糸のようなものが心臓から伸びてきて、ルカの目の前でふわふわと漂っている。きっと、あの糸のようなものがルカの言っていた縁なのだろう。ルカはそれらに手を添えると、丁寧に短剣を引いた。

 ぷつり、と糸が切れる。悪霊のようにしばらく揺らめいたあと、その糸は空気へと溶けて見えなくなった。


「これで、本当に終わったんですね」

「ああ。あとは、彼らを家に送り届けるだけだ」

「……どうしましょうか。この子達の家、知りませんけど」

「俺もだよ。まあ、こういうのは専門家に任せた方がいいだろうね」

「専門家?」


 僕が首をかしげていると、彼は胸元のポケットにしまっていた黒いスマートフォンを取り出した。専門家って、まさか。


「警察!?」

「ああ。この子達を放っておくわけにもいかないし、俺たちが連れていっても不審者扱いされるからね」


 慣れた手付きで110の番号をタップして、彼は一度スマホの画面を暗くした。僕の方に、青空色の瞳が向けられる。


「厄介ごとだから、警察を呼ぶ前に君は帰った方がいい。学生のうちに警察沙汰は嫌だろう?」

「でも」

「いいから」


 そう突き放されてしまえば、粘るのは逆に彼の迷惑になってしまうのではないのかとそういう考えが頭をよぎった。彼は僕の手をとって、その身体を抱き上げる。きっと入ってきたときと同じように、山門を飛び越えるつもりなのだろう。このままでは彼に任せるばかりになってしまう。この問題は、僕が彼のもとに持ってきたというのに。

 地面から足が離れ、彼に支えられて山門を飛び越える。降りしきる雨が顔に当たって、僕は固く瞼を閉じた。彼が着地したのを身体で感じて瞼を開ければ、雨の滴る彼がこちらのことを覗き込んでいる。


「……すみません」


 無意識のうちに彼の襟を強く握っていたらしい。シワになってしまっただろうか。慌てて離れると、彼は僕に傘を手渡して、ほどけるような笑顔をみせた。


「大丈夫。今日はお疲れさま。またなにかあったら頼ってくれ」


 とん、と背中を押されたけれど、僕の足は動かない。それに疑問を持ったのだろう、ルカはこちらを訝しげに見つめてくる。


「……あの」

 振り返って、彼の瞳に視線を合わせた。最初に感じた寒気はいつまでもやってこない。どうやらこの身体も、彼と目が合うことに慣れてしまったらしかった。


「僕にできることがあれば、教えてください。今日みたいに、守ることはできると思います。だから、僕もあなたの力に───」

「駄目だよ、深月」


 続きを言おうとした口は、彼の人差し指に遮られる。


「これは、死神の仕事だからね」


 そういう彼の表情はどこまでも優しくて、僕はなにも言い出せなくなってしまった。


「君は人間として生きている。例えこちら側の世界が見えたとしても、ね。人間である君がこちらに踏み込みすぎるのは良くない。死神を利用するくらいの心持ちでいた方がいいんだ。力を貸そうとか、手伝おうとか、変なことを考えてはいけないよ。それが、君のためにも、君の大切な人のためにもなる」


 ルカの瞳が細められ、僕の唇から彼の白い人差し指が離れていく。その一連の動きはどこか蠱惑的で、少しも目を離すことができない。


「自衛のために敵を知る。それはいいことだ。けれど、ナイフを持つことはそう簡単にしていいことじゃない。持ってしまえば、もう二度と平穏な世界には戻れないから」


 いつもは軽く優しい彼の言葉が、このときはどこまでも重く、苦しそうに聞こえた。まるで子供が失敗をしないよう導く親のように、その瞳は真っ直ぐ僕を見据えている。


「でも、もし君が何かを守りたいと思って力を欲するというのなら。あらゆる危険性を加味した上で、俺達に力を貸してくれるのなら。明日、俺のカフェの二階に来てくれないかな。君の今後に関わることだ。雨のなかで話すには重要すぎる。そうだろ?」


 僕が何を考えているのか、彼は全て理解していたようだった。今日の体験を通じて、僕が自分の無力さを実感したことも、彼に頼ることしかできないのだと悔やみ、守ることなら自分にもできるかもしれないと思ったことも、全て。分かっていたからこそ、彼はこういう提案をしてきたのだ。僕が軽率に発言してしまう前に、ちゃんと落ち着いて考えられるように。 僕が頷いたのを確認して、彼はスマホを立ち上げた。警察を呼ぶらしい。早くここを離れなければ、警察がきてしまうだろう。


「……おやすみなさい、ルカさん。今日はありがとうございました」

「ああ。おやすみ」


 優しい死神に見送られ、僕はその場をあとにした。    



*****



 深夜三時、新宿駅から少し歩いたところにあるルカのカフェで、彼は一人翌日の仕込みをしていた。ケーキの飾りとして使うオランジェットや、煮詰めるのに長い時間をかけなければならない手製のジャムを作っていたのだ。作業の傍ら、自分で淹れた珈琲を流し込みながら。

 ルカは無言でジャムの入った鍋をかき混ぜている。ふつふつと上がる泡を見ながら、焦げ付かないように、けれど果実が潰れないようにヘラでゆっくり、丁寧に。そのキッチンから聞こえるのは、未だ降りしきる雨音と、ジャムの煮たつ音だけだった。

 その時、カフェの扉につけられた金属製のベルが突然の来客を告げる。ルカのヘラを持っていた手が止まり、もう片方の手がガスコンロのつまみを回して火を止めた。


「随分と遅かったじゃないか」


 来客者に向き直って、ルカはもう一杯予め用意していた珈琲をカウンターに乗せる。来訪者はルカよりも五センチメートルは背の高い男で、その体つきは細くともがっしりとしていた。ルカのダークブロンドとはまるで異なる濡鴉の黒髪は肩まで伸ばされていて、雨による湿気のせいかすこしばかり癖付いている。


「俺からも報告したいことがあるんだ。まあ、とにかく座ってよ………あ、その前に手を洗って」


 帰って来て手洗いしないのはダメだよ、と子供に叱る親のように彼が続けたからか、男は不満げに眉を寄せた。けれど言われた通り彼は律儀にシンクで手を洗い、珈琲のあるカウンター席に腰を下ろす。


「あんたはタイミングが悪いね。もう少し早ければ深月に会えたかもしれないのに」


 男は何も答えなかった。ルカのことを一瞥し、その頬にある消えかかった傷に視線を移す。その傷をなぞるように手を伸ばし、漸く男は口を開いた。


「……今回の悪霊はそこまで強力だったのか」

「別にそうでもないよ。この傷は必要なものだっただけ。だから、あの悪霊にも感謝しないといけないね」


 傷を撫でる彼の手を鬱陶しく思い、ルカはその手を頬から剥がす。そして自分の珈琲カップに口をつけた。ごくりとその中身を飲み干して、ブルーの双眸をうっそりと細めるその姿は、彼が善性の塊ではないことを証明している。


「あんたが望むままに。ちゃんとコトを運んであるよ」


 その言葉を聞いて、それまで表情をピクリとも動かさなかった男は漸く満足げに笑みを溢した。




 


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