Episode20「『規律』は我らと共にある」②
オーロラを纏った蓮花が鎌を手に本部へと戻ってくる。彼女の姿から窓から消えた途端、激しい衝突による地響きが本部全体を揺らした。巨大地震でもあったのかというほどの揺れに皆足を取られたが、その視線はなお天井の更に上――蓮花が今闘っているであろう屋上に向けられていた。
「……凄い」
思わず感嘆のため息が漏れる。空になびくオーロラがよりいっそう輝きを増していくのは、彼女が「聖譚」クリスを圧倒している証左に他ならなかった。たとえ天井が彼女の姿を遮っていたとしても、ここにいる全ての死神は「規律」の光が「救済」を飲み込んでいくだろうと確信していた。
支部長たちの顔色は様々だ。神の降臨を目の当たりにしたかのようにオーロラに手を合わせる者もいれば、ゲームでも観戦しているかのように興奮して拳を握る者もいる。驚愕と緊張で息を呑んで神妙な面持ちで空を見上げる者もいた。しかしそこにいる全ての死神に共通していたのは、その両の目に「規律」に対する期待と覚悟が燃えていることだった。
「この闘いのあと、俺達はもう一度話し合わなければならない。蓮花が調停者にふさわしいのか否かについて――つまり、俺達は彼女を見定める必要がある。彼女の掲げる意志と、彼女が導く『規律』の行く先について」
ルカの言葉に、もはや誰も反対しなかった。ルカに敵対意識をもっていたアリスでさえも、ルカの言葉を噛みしめるように頷いている。
だが、誰もが「規律」の勝利を確信し、その心に理念への意志を再確認したその時。
燦爛と輝くオーロラが、突如空に現れた漆黒の裂け目によって飲み込まれた。
「な、なんだあれ!?」
つんざくような悲鳴を皮切りに、死神の間に動揺が広がっていく。柊やカサンドラまでもが目を丸くし、巨大な裂け目はそこにいる全ての視線を奪った。
裂け目は墨を零したような冥界の空よりも黒い。なにより、赤色の不気味な靄が裂け目から溢れだしている。
「カサンドラ、あの裂け目は一体なんですか!?」
「分かりません。あれは我の『未来視』にも映し出されなかった! あれは、主の視界の外にいる存在です!」
あの会議を前にしても落ち着いていた柊とカサンドラの焦りようは、他の死神を不安に陥らせるには充分すぎるほどだった。先程までの勝利への確信は、あの闇に奪われてしまたかのように皆の顔に不安と恐怖が張り付いている。
「……深月お兄ちゃん」
ふと、僕のスラックスをクロトが力なく握りしめた。その手はかたかたと小刻みに震えている。尋常では無い恐怖を彼女から感じ取り、僕はクロトの隣に膝をついた。
「大丈夫。ここには戦える死神がたくさんいる。皆で力を合わせれば、きっとどんな敵も倒せるよ」
「そうです。それに、こっちには蓮花会長がいますから!」
リゼも同じようにクロトを励ましたが、しかしクロトの顔色は晴れない。どうしたものかと頭を悩ませていると、クロトが零すように言葉を紡いだ。
「無理はだめ。絶対に。あの裂け目……なんだか、嫌な感じがする」
「嫌な感じ?」
クロトの懸念についてもっと話を聞こうと耳を傾けるも、クロトはそれっきり口をつぐんで、恐怖で身体を震わせながら空を見上げるばかりだった。
様子がおかしい。
クロトの尋常でない様子に、周囲の死神も息を呑んだ。裂け目を前に、なにかしなければと頭は動いているものの、伝播した恐怖が身体を蝕み足が一歩も動かない。そもそも裂け目は本部よりも高いところにできている。何かしようにも手立てがない状況だった。
「おい、あれ……!」
そして、恐怖と不安はさらに重ねられていく。支部長の一人が指さしたところに視線を動かせば、信じがたい光景が目に飛び込んできた。
「あれは……悪霊?」
黒い、けれどどこか禍々しい赤色の靄を纏った人影が、ひとつ、またひとつと裂け目から地上に向かって降りてきたのである。赤黒い雪のように、影はふわふわと空気を漂いながら、しかし真っ直ぐに冥府目がけて降り注ぐ。
「いえ、悪霊にしては様子がおかしい。そもそも、なんで悪霊が冥府――天敵であるはずの死神がいる場所に来るの? こんなこと、今まで聴いたことがないわ」
アリスは酷く青ざめていた。いや、アリスだけではない。この場にいる誰もが状況を理解しきれなかった。突然現れた巨大な裂け目、そこから溢れてくる謎の影。その未知全てに混乱し、恐怖し、言葉一つさえ発せなくなる。
そうこうしている間に、悪霊らしき影が一つ、突然速度を上げて地上に向けて降下してきた。動こうにも動けないでいるうちに、上空から現れた一つの閃光が影を切り裂く。
――蓮花だ。
彼女は目の前の異常な状況にひるむこと無く、落ちてくる影をひたすらに切り刻んでいった。しかし、裂け目から零れるそれはさらにその数を増やしていく。このままでは、彼女の刃をすり抜けて悪霊が地上に達するのも時間の問題だろう。
話によれば、悪霊を送ることを専門にしている死神は協会所属の死神だけで、それ以外は未だ悪霊を一人も送ったことが無い死神か、それができずに「規律」の庇護を求めてやってきた者たちらしい。つまり、市街地に悪霊が解き放たれれば、尋常では無い被害が想定される。
「……とにかく、蓮花さんを助けにいかないと」
僕も両手が震えていた。空は既に見たことも無いほど大勢の悪霊に埋め尽くされている。このまま一人で飛び込むのは、燃えさかる火に虫が一匹飛び込んでいくようなものだ。それでも、なにもしないで立っていることはできなかった。
――また、誰かが痛い思いをするかもしれない。
フラッシュバックしたのは爆発事故の光景だ。逃げ惑う人々の悲鳴、僕に足を切るように懇願してきた女性の姿が脳内で蘇る。
もう、あんな光景は見たくなかった。
「デスサイズ」
白く輝く僕の大剣を創り出す。いつもと同じように、震える足を叱咤する。
そして、目の前の赤黒く染まった空をじっと見据えた。
「深月」
ルカの声が耳に届く。
「君は勇敢だ。けれど、勇敢と無謀は違う。あの量は一人では無理だ」
「でも」
「だから、一人では行かせない」
俺も行くよ、と微笑みながら、ルカはいつの間にか僕の隣に立っていた。振り返れば、アリスも、クロトも、リゼも、柊も、カサンドラも、そして他の支部長達も、皆が武器を手に同じように空を見上げている。
皆、思うところがあるのだろう。蓮花を一人で闘わせるわけにはいかない、だとか、ただ単に気に食わない、だとか。それでも、ここにいる全ての死神は、目の前の倒すべき敵に意識を向けていた。
その時、僕たちを留めるように――窓の外から、屋上から、冥界の空に広がりつつある闇を埋め尽くすほどの光とともに、凜とした声が響き渡る。
「我が名は『極光』」
それは、この東ユーラシア統治区に住むものならば誰もが知っている声だった。
「常闇を切り裂く光をもって、共に夜を駆け抜けよう――『方舟』」
空になびくオーロラがさらに力強く輝き始める。その光はみるみるうちに広がって、やがて本部の会議室までもを飲み込んだ。
「……この光は」
モノクロに満ちた冥界を彩るオーロラが会議室の中にも現れる。光は僕たちの合間を縫うように揺らめき、包みこむようになびき、そして僕たちの身体に馴染んでいく。
その途端、身体の内側から沸き上がるような強い力を感じた。僕たちを結びつける意志に反響するように、僕たちを恐怖の海から引き上げる。
「蓮花、さん」
ふと空を見上げると、大鎌を手にした彼女が空に浮かんでいた。彼女は僕たちに背中を向けて、目の前に現れた裂け目を見据えている。その勇ましい後ろ姿に見惚れていると、彼女はゆっくりとこちらを見下ろした。
「これは私の手落ちよ。あの男を逃がし、最後にあんな最悪な土産を残す余裕も与えてしまった。だから、この相手は私が責任を持って倒す。貴方達は逃げてもいい。その光は貴方達を守るでしょう」
彼女の言葉は、オーロラを通じて僕たち全員に届けられた。その言葉を一言一句あますことなく聞き届けた支部長達は、その声に応えるように一歩足を前に進める。そして、支部長の一人――あの会議で反発していた男だ――が、遠くに浮かぶ蓮花を前に声を張り上げた。
「……なにを言うかと思えば、馬鹿げたことを」
男の言葉に、蓮花は目を丸くする。そんなことを貴方が言うとは思わなかった、とでもいいたげな顔だ。
「逃げろと言われようが共に戦います。少なくとも、私はもう後悔はしたくない。確実な方、と思い込んでいる方に流されて、自分の信念を誰かに預けたくなどないのですよ」
男は怒りを滲ませながら叫んだ。彼の怒りは、全て自分に対して向けられたものだ。
「貴方は『規律』を揺るがずに抱いていた。そのことに気づかずに、私は極夜卿という名前の力に縋った。あの偽物の言葉が、『規律』という信念を蔑ろにしていたにも拘わらず。本当に……浅慮でした」
そう言い切って、男は武器を空高く掲げる。その剣先は一ミリたりとも震えていなかった。
「今度こそ、私は『規律』を貫き通す。彼らは『救済』と『規律』を名乗りながらもこうして弱い者に牙をむいた。しかし『規律』は万民のためのもの。そのことを、私は自らの行動で示したいのです。こんなときまで誰かに任せ、指をくわえて待ってなどいられない!」
男の発した宣誓に続くように、他の支部長達も武器を掲げた。僕もそれに倣い武器を掲げて空を見上げる。会議室に渦巻く熱意を、光を通して、そして視覚を通して蓮花に伝えるためだった。
「……分かった。ありがとう、皆」
蓮花の返事が会議室に響く。すると、突如会議室の巨大な窓が大きく割れて、空中を漂うオーロラがまるで橋のようにビルの外へと伸びていった。まるでおとぎ話に出てくる虹の橋のようだ。
「この極光を足場にして。一緒に、あの『規律』の敵を倒しましょう」
「おおおお!!!」
本部ビルを揺るがすほどの雄叫びが上がる。
こうして僕たちは武器を手に、冥界の空に輝くオーロラへと足を踏み出した。




