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葬送哀歌は夜明けとともに  作者: 月乃はな
第一幕「規律の御旗を揚げる刻」
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Episode19「夜闇に輝く極光のように」③

「ああ、すこしやり過ぎましたかね。あのお方に叱られるやもしれません」


 手袋のずれを直しながら、クリスは傷のついた「回生の樹」を見上げる。巨大な光り輝く幹にできた大きなへこみに、ごま粒ほどに見える小さな影が埋まっていた。


「まあ、この程度で斃れるようでは調停者にはなれませんね。それよりも、支部長クラスとはいえ只の死神に負けるような『楽章』がいたことに驚きですが」


 クリスは音の消えた四百四十四階に意識を移す。どうやら、連れてきた多くの同胞のみならず、ウィルバートまでもが「規律」の前に倒れたらしい。

 ウィルバートは決して弱いわけではない。第四区の爆発のように、準備さえしっかりと整えれば冥界随一の破壊力を持っている。しかしその能力を扱う本人自体が短気であり、指示通りに動かすことが実に難しい人材だ。


「……それに、最初に刃を交えた相手が良くなかった。あの男は、『狂想』が最も苦手とする相手――そのせいで彼の手の内が明かされてしまったのだから笑えませんね。次はしっかり見極めねば。彼が降りてくるのは計算外でしたから、今回はお咎め無しということにしておきますか」


 さて、と気を取り直してクリスが冥界をぐるりと見渡す。冥界の中で「回生の樹」の次に高い建造物である本部ビルからは、遥か「境界の森」までも展望できた。冥界随一のビル群から市街地、「果て」付近に広がる田畑まで、世界の全てが視界に収まっている。その圧巻の光景を目にして、クリスは静かに感嘆の息を漏らした。


「早くこの東ユーラシアをあのお方に献上せねば。そのためには――まだ少々雑音が多い。最後の仕上げといきましょう」


 そう言って、クリスは懐から一本の指揮棒を取り出す。黒々としたそれは、彼の信奉する死神から与えられた彼の武器の一つだった。


「第二幕の最後を飾るのはこの『聖譚』。東ユーラシアの秩序に崩壊をもたらす、最高にして最悪の楽曲を、我らが神に捧げます――」


 祈るように言葉を紡ぎ、クリスは指揮棒を空高く掲げる。「回生の樹」を観客に、暗黒の空と「境界の森」、そして東ユーラシア統治区の全てを奏者として、ゆっくりと指揮棒を振ろうとした――その時だった。


「悪いけど、これ以上好き勝手はさせないわ」

「っ蓮花!」


 背後から、色とりどりの光のベールを身に纏った蓮花が現れた。彼女はその両手に武器を持ち、クリスに向けてそれを大きく振りかぶる。


「そのまま倒れていればいいものを……!」


 持ち前の反射神経で、クリスはすんでのところで攻撃を回避した。しかし先程まで立っていたところは強靭な刃と強烈な切れ味によって大きく切断され、巨大な裂傷が入っている。目を疑うほどの凄まじい威力は、クリスの中に本能的なある感情を芽生えさせた。


「……まさか」


土煙の中、「回生の樹」を背に現れた蓮花に目を向ける。後光を浴びた彼女の立ち姿を見るだけで、魂ががたがたと震え始めた。指揮棒を握る右手もまた、止まらない震えに苛まれている。死して久方ぶりに感じたその感情は、正しく「死の恐怖」だった。

 土煙が晴れる。蓮花の周囲を包みこむのは彼女の能力たる「極光」だけではない。鮮やかな光に混じるように、「回生の樹」の光が彼女のことを照らしていた。

 そして、そんな光の中でひときわ目に付くのが彼女の手に握られた一つの武器だ。

 漆黒の長い柄と、その先に付いた巨大な三日月の刃。それはまさに、目の前の命を刈り取るかたちをしている。その武器の名前を知らない死神は、この冥界に誰一人として存在しなかった。


――大鎌。


 冥界に認められたものだけが握ることを許されるという伝説の武器。これまで大鎌を握ることが許されていたのは冥界を統治する四人の調停者と三人の番犬のみである。

 そして、蓮花がこの武器を手にすることを許された――そのことが意味する冥府の意思を、クリスは恐怖にまみれた脳内で理解した。


「……ついに、認められたということですか。東ユーラシアの正式な調停者として」


 クリスの言葉に、蓮花は自信に満ちた微笑みを返す。先程までの劣等感など嘘のように、彼女の目は煌々と輝いていた。


「そうね。でも貴方の発言は訂正させて」


 そう言って、生命の危機を感じる巨大な刃がクリスに向けられる。鋭い彼女の眼光に射貫かれて、クリスはごくりと息を呑んだ。


「これは冥府の認証であり、私への期待。そして私は、まだ東ユーラシアの調停者ではない。貴方という敵を打ち払い、民の支持を得て初めて――私は調停者になれるのよ」


 そう語る彼女の目に、一切の揺らぎはない。もはや、彼女の心を揺るがすものはこの世界のどこにもないらしかった。


「私は全ての期待に応えてみせる。冥府の期待にも、民の期待にも、もちろん極夜卿の期待にも。だから、貴方たちには負けてもらうわ」


 オーロラをマントのようにたなびかせ、その手には巨大な鎌が握られている。そのシルエットこそかつて西洋で描かれた「死神」そのものではあるものの、クリスの目に映る彼女の姿は、絵画に描かれたような「黒い死」とはまるで異なる神聖さに包まれていた。

 それこそ、神々に仕える天使のような美しさを湛えている。そのくせクリスの身体が恐怖に包まれているのは、彼女の殺意がクリスに向けられているからに他なない。神聖なるものの敵意というのは、時に死よりも恐ろしい恐怖をもたらすのだから。


「……これはまずいですね」


 どう考えても、クリスは圧倒的に不利だった。蓮花の武器が槍のままであったなら、まだいくらか戦闘経験もあり、充分対処のしようがあっただろう。だが、相手の武器はいまだ相まみえたことのない「大鎌」に変わってしまった。いくら武器を見たことがあったのだとしても、実際に戦ってみなければどう攻撃を回避して、どう隙を作れば良いのかがわからないのである。

 すなわち、このままではクリスに勝ち目は無かった。


「……仕方ありません。せめて、巨大な爪痕を残して終わりましょう」

「投降するなら傷は付けないわよ?」

「まさか。舞台の閉幕には早すぎる――ですから、せめて最後は華々しく、美しい演目を用意しましょう。フィナーレにふさわしい強大な敵をね」


 クリスは震える手足を叱咤して、指揮棒を握り直す。そして、瞬きの合間にその指揮棒を大きく空に掲げた。嫌な予感を察知したのか蓮花がクリスを止めようとするも、あと少しのところで間に合わない。蓮花の武器がクリスに届く前に、指揮棒は素早く振り下ろされる。


「これぞ、東ユーラシアの最後の舞台。存分に――その儚く美しい、凶悪な音を響かせなさい」

「なにを……!」


 直後。

 まるで上から下へと指揮棒を動かすその所作に従うように、漆黒の空に巨大な裂け目が現れた。

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