Episode18「未来を覗く者」②
カサンドラ・クセナキス。
彼女は彼女自身の力について、あまり深くは語ろうとしない。ただ、彼女と闘った悪霊の生き残りや、彼女の力を目の当たりにした死神たちの間では、彼女の能力はこう表現されている。
カサンドラ・クセナキスは予言者である、と。
かつて、彼女は西ユーラシアの調停者にこんな提言をした。
「近々現世で悲惨な死の病が蔓延する。そして、冥府は二度混乱に見舞われるでしょう」
その言葉が調停者の耳に届いて数日後、西ユーラシアの担当地域であるヨーロッパを中心としたパンデミックが発生した。そのパンデミックは冥府に大人数の死者を招き、同時に未練を残した霊たちはその理不尽さに悪霊となって現世に留まった。西ユーラシアの死神では手が足りず、東ユーラシアやアフリカからも救援部隊が派遣されたのは、柊の記憶にも残っている。
そして、その混乱がようやく落ち着いたと思われたころ、死神の過労に加え、積もりに積もった西ユーラシアの『救済』への疑念が爆発した。白い軍服の集団――『暁の楽団』なる新興集団が頭角を現し、疲弊した西ユーラシアの治政の隙を突いて暴動を起こしたのである。西ユーラシアは各統治区に応援を要請し、そのクーデターに抵抗したが、死神達の不満や不信を解消することはできなかった。
その結果、五百年前のあの事件――西ユーラシアの調停者が凶弾に倒れるという冥界全土を揺るがす大事件が勃発したのである。
とにもかくにも、カサンドラが予言した二度の混乱は確かに西ユーラシアを襲った。あまりの的中率に彼女こそ混乱の首謀者であるという追及が行われたが、彼女は最後まで調停者の側で闘い続けていたし、そもそも彼女の力の片鱗を知っている者からすれば、むしろ「来るべき未来をカサンドラから教えてもらっておきながら調停者はそれを乗り越えることができなかった」という結論の方が頷けた。
つまるところ、カサンドラという死神が授ける予言は必ず当たる。そして、彼女の予言の本質が「未来を視る」ことだというのなら、予言というほど大仰なものではない――例えば目の前の敵が繰り出そうとする攻撃や回避行動の一つ一つの予測に関しても、彼女の眼は決して見逃すことはないだろう。
「未来を覗く者、か」
土煙の向こうで、ウィルバートがふらふらと立ち上がる。まだ致命傷には至っていないらしい。彼は肩に刺さった矢を抜いて、その黒々とした双眸で柊達のことを睥睨した。
「未来が視えるからって調子に乗るなよ、馬鹿馬鹿しい。なにせ、お前は未来が分かるだけであって、それに対して何かをすることはできないんだからな」
「否定はしません。ですが、この闘い――我々が勝つことはもう『視えて』いるのです。大人しく投降するのなら、ルカのように痛めつけはしませんよ」
「その名前を出すんじゃねえよクソ女」
カサンドラの挑発に乗ったウィルバートは、先程までふらついていたのはなんだったのかと目を疑うほど、瞬きすら許さぬ速さでカサンドラに近づいた。しかし、大きく斧を振り上げた彼の挙動は、カサンドラの視界を共有している柊には全て視えている。近接が苦手なカサンドラの間に割り込んで、柊はウィルバートの斧を易々と弾き返した。
「貴方の相手は私ですよ」
「……くそっ!」
ウィルバートが唾を吐き捨てる。彼は怒りのままに攻撃を繰り出すが、柊はそれらを全て受け流し、弾き、その隙を狙って彼の身体を何度も切りつけた。ウィルバートの攻撃は全て、あと一歩のところで柊に届かない。
「防がれるなら……防げない攻撃をするまでだ」
斧と刀の応酬がしばらく続いた後、ウィルバートはその身に纏う空気を変えた。柊も血いち早くそれに気が付いて、すぐさま彼と距離を取る。
直後、ウィルバートが大きく斧を構えた。その顔には言い表せないほどの不気味な笑みが浮かべられている。
――まずい。
柊がそう思ったつかの間、ウィルバートは爆発の勢いに乗ったかのような速さで柊に急接近する。柊の眼には少し先の未来が視えていたが、柊は「視えたがために」逃げようとした足が硬直した。
――逃げられない。
眼鏡のレンズに映ったのは、彼の起こした爆発に巻き込まれた自分の姿だった。柊の回避行動よりも早く、男が攻撃を繰り出したのだ。そして、恐るべき未来が目の前で実現する。男の斧が爆発をしたその瞬間、どれだけ肉体を鍛えても、どれだけ未来を識っていたとしても、避けられない未来があることを柊は理解した。
「柊!」
カサンドラの叫び声が本部を揺るがす巨大な爆発に飲み込まれる。床にはヒビが入る程度の衝撃だったが、壁が抜けてヒュウヒュウと高所を吹く強風が執務室の中に流れ込んだ。巻き上げられた粉塵に視界が奪われ、カサンドラからは柊の安否が分からない。
ふと、煙の中に立ち上がる一人の影がカサンドラの眼に入った。まさか、と僅かな期待が思考を過ったけれど、すぐにその期待は粉塵と共にかき消される。
カサンドラの視界の先で、燃えるような紅蓮の髪が風によって揺れていた。
ふと視線を下に移動すると、地面に伏せた柊の姿が目に入る。ぐったりと力なく倒れるその腕からは刀が離れ、彼の眼鏡にはヒビが入っていた。そしてなにより、身体中から絶えず血が流れている。
「柊……!」
いくら死神といえども、その肉体が損傷すれば戦えなくなる。クロトを呼べば回復はできるかもしれないが、この場所にクロトを呼び戻すのはかえって危険だろう。とにかくその出血を抑えなくては、とカサンドラは柊に駆け寄ろうとするが、その行動もまた斧を構えたウィルバートによって遮られた。
「未来が視えても、対処しようがないのなら意味は無い――そうだろう、『予言者』カサンドラ。悲しいかな、未来が視えたからこうなったんだ。もし視えなければ、こうも分かりやすく硬直することはなかったもしれないな」
「……ウィルバート」
「おいおいそんな睨むなよ。澄ました可愛い顔が台無しだ」
カサンドラが動けないことをいいことに、ウィルバートは足で倒れた柊の身体を蹴り上げる。ぐ、という苦しそうな声が柊の口から血と共に零れ出た。
「お前の部下も、お前も。俺の爆発の前ではこんなボロボロになっちまう。笑えるな、コレは」
「……黙りなさい、まだ私は戦えます」
痛みを堪えながら柊が顔を上げる。しかし、ウィルバートは嘲るように笑いながら柊の身体を足で押さえつけた。ぐりぐりと床にこすりつけるように足を動かしては、酷く面白いものでも見つけたかのように笑みを浮かべる。
「俺の爆発は残念ながら燃費が悪くてな。その代わり直撃すれば大ダメージだ。今度はどうだ、このビルでも吹っ飛ばしてみるか。おい、俊宇。お前はそこのクソ女をどうにかしろ。俺はこの男を可愛がってやる」
ウィルバートの指図で俊宇はカサンドラに向き直る。カサンドラも流石に俊宇を無視することはできず、弓を構えたまま俊宇へと視線を動かした。
「柊、少しだけ待っていてください。この男を片付けたら、すぐにそちらに加勢します」
「……その必要はありませんよ、カサンドラ。この男は、なにがなんでも私が倒さなければならないのですから」
ぼろぼろの身体に鞭を打ち、柊はよろめきながら立ち上がる。床に転がった刀を手にした柊は、地を這うような声で言葉を紡いだ。
「――第四区はお前のせいで甚大な被害を被った」
柊の左手がひび割れた眼鏡を胸ポケットにしまう。彼の目とウィルバートの間を遮るものは、あとは柊自身の薄い瞼だけだった。
「なにより、お前は私の部下を傷つけた」
そして、その薄い瞼もゆっくりと持ち上げられる。憤怒を宿した剣呑な紫紺の双眸が、ぎろりと目の前の爆弾魔を射貫いた。その鋭さにウィルバートは思わず息を呑む。あの柔和そうな男が、こうも怒りを露わにするとは思わなかったからだ。
「幸運でした。もしルカにお前がやられていたら、こう鬱憤を晴らす機会は訪れなかったでしょうから」
こればかりはルカに感謝しなければ、と微笑む柊の目は、決して笑ってはいなかった。その姿に、ウィルバートの本能が警報を鳴らす。
――この男は、絶対に怒らせてはならなかった。
何故かは分からない。それでも、彼を抑えつけていた枷のようなものを、ウィルバートは外してしまったらしい。「貴方」呼びを崩さなかった柊が「お前」と粗雑な物言いになっていることからもそのことは察せられる。
「お前は私が手を下す。我らが『規律』の名の下に――東ユーラシア死神協会関東支部支部長、柊誠……参る」
瞬間。柊の刀がしなやかな軌道でウィルバートの首を狙った。ウィルバートはすんでのところでその刀を受け止めたが、しかし刀はすぐに軌道を変えて更なる攻撃をウィルバートへと浴びせた。
刀と斧がぶつかり合う。柊の目には未来など見えていないはずなのに、攻撃を回避するウィルバートの行動を読んで執拗に攻撃を繰り返していた。
「しつこいなっ!」
ウィルバートは柊の攻撃に対処することが精一杯で、次第にその体勢を崩し始める。
つまるところ、柊は見抜いていたのだ。
なぜ、あのルカがウィルバートにやすやすと勝つことができたのか。
一撃の重さや死神の「戦力」について考えるなら、明らかにルカは劣勢のはずだ。それは彼が短剣という超近距離特化の武器を使用しているからでもあり、彼自身にハンデがあるからでもある。それでも彼がこの男に勝てたのは、やはり攻撃方法がウィルバートの弱点を突いていたからだろう。
つまり、ウィルバートの能力である「爆発」は、充分な準備時間を必要とするのだ。武器同士を長いこと競り合わせてもいけないし、彼と距離を取りすぎてもいけない。休みなく攻撃をし続けることのみが、ウィルバートの能力を封じながらも倒す突破口になる。
相手の防御を受け流し、何度も切りかかり、そしてまた受け流す。
そして運良く、柊は体力に自信があった。一騎打ちや乱戦、一瞬の気の緩みも許されない攻防は、柊が前世から得意とするものだ。
「お前など、かつての敵に比べれば赤子同然です。大人しくその身で罪を償いなさい」
相手の斧が僅かに揺らぐ。その瞬間を狙って大きく横薙ぎに刀を振れば、ウィルバートの双斧が同時に空へと打ち上げられた。はっと驚きの余り息を呑んだウィルバートのその隙を、柊は決して見逃さない。
「我が名は『氷霜』。生きとし生ける全てのものよ、我が霜の前に凍てつきたまえ……『奥義・北颪』!」
周囲の大気ごと凍らせるような凄まじい冷気を宿した一閃が、ウィルバートの胴体を深く切りつける。そして瞬く間に切られたところから――つまり肉体の内部から、ウィルバートの身体は凍り始めた。ウィルバートは凍っていく自分の身体を、冷気によって鋭敏になった痛覚に苛まれながら見つめることしかできない。
「眠りなさい。今度こそ。その氷が溶けるまで」
氷の世界に閉じ込められるウィルバートの目が最後に捉えたのは、自身のことを氷のように冷徹な瞳で見つめる柊の姿だった。




