Episode18「未来を覗く者」①
「向こうはどうやら心配しなくても良さそうですね」
「おいおい、部下を気にするとか余裕かよ。それともなんだ、俺は敵じゃないってか?」
煽るような物言いをするウィルバートを柊は軽く流した。柊の意識はウィルバートと闘い始めてからずっと、自分の部下と友人の部下に向けられている。深月がビルの床を叩き割ったときには流石に動揺したが、アリスも深月も手加減を知っているだろうと踏んで、そこでようやく柊の目は目の前にいるウィルバートに向けられた。
「……そろそろ、こちらも決着をつけましょうか」
柊はその手に握った一振りの刀に力を込める。すると、すらりと伸びた刃先は徐々に冷気を纏い始めた。
「私は熱を奪う者。万物を静止の世界に導かん」
柊の詠唱に合わせ、柊の周りを冷気が取り巻く。それは空気を凍らせて、やがて地面にも霜が降りた。その異様な雰囲気を察知したウィルバートは、目を見開いて柊から距離を取ろうとする。
「遅いですよ」
しかし、動き出すのは柊の方が早かった。否、ウィルバートが動き出そうとしたときには、既に柊の生み出した「霜」がウィルバートの足を地面に縫い付けていた。逃げ場をなくしたウィルバートは、迫り来るしなやかな刃を避けられない。柊の刀は見事にウィルバートを捉え、そしてその肉体を凍てつかせていく。
「そこで大人しくしていなさい」
みるみるうちにできあがった一体の氷像に、柊はそう言葉を残す。抜いていた刀をしまい、周囲の様子を見渡そうと顔を上げれば、そこには随分とボロボロになった執務室が広がっていた。
深月が開けた下層への穴はもちろんのこと、あの初老の男が割った窓ガラスをはじめとする残骸が地面に転がり、さらには天窓にもならない大きな穴が天井にも空いている。吹きすさぶ高所の風に頬が撫でられたのを感じて、柊はふう、と息を吐いた。
「全て終わった後の後片付けが一番大変そうですね」
「柊さん! こっちはもう終わりました!」
執務室の惨状を嘆いていると、せっかくのかわいらしいワンピースを血まみれにしたリゼが大きく手を振ってこちらに近づいてくる。側にはクロトがついていて、リゼの擦り傷を治しているようだった。彼女の背後に積み上げられた死体の山と漂う魂を見るに、彼女が残った半数を一人で片付けてしまったのだろう。どうやら、彼女は本当に優秀な死神らしい。
「貴方、関東支部に入りませんか」
「遠慮しておきます。私は冥界を駆け巡る仕立屋なので! あ、でも注文ならいつでも受け付けますよ」
柊の勧誘をすげなく躱したリゼは、「それにしても」と少し離れたところで先程から睨み合ったままのカサンドラと俊宇に視線を移す。
「あの二人、武器を持ったまま一向に動かないですね」
リゼが気にしていたのは、蓮花の合図があってから少しも動く様子の無いカサンドラと俊宇だった。それもそのはず、俊宇もカサンドラも互いの手の内をよく知っている。特にカサンドラの「力」を知っている俊宇にとっては、カサンドラはやりにくい相手の筆頭だ。もっともカサンドラは柊やリゼ、蓮花とは違って攻撃型ではない。彼女一人では俊宇を無力化できないからこそ、カサンドラも動けずにいるのだろう。
「……リゼ、貴方は下の階に行ってアリスと深月のようすを見に行ってください」
「カサンドラさんは?」
「私が引き受けましょう」
「分かりました。よろしくお願いします」
リゼがぱたぱたと執務室を出て行ったのを確認して、柊はまた刀を抜く。再度刀身に霜を纏わせ、彼は少しずつ俊宇に近づいた。攻撃型でないカサンドラに助力するべきだろう、と考えて。
その時だった。
背後で、パキン、と何かがが割れる音がした。
否、何かでは無い。氷が砕ける音だ。そして、柊の背後にある氷はただ一つ。
「だから余裕ぶっこくなって、穏健メガネ」
振り返りざまにそんな声が聞こえ、柊は慌てて刀を構える。しかし柊の反応はすでに遅く、氷から飛び出したばかりのウィルバートが振った凶刃が柊の目と鼻の先まで迫っていた。
「――それは我の台詞でもあります。余裕ぶるのはよくありませんよ、ウィルバート」
だが、その凶刃は――先程まで俊宇に向かい合っていたカサンドラの弓によって――一瞬のうちに弾かれる。驚きのあまりハッと糸目を見開いた柊は、自分を守るように立つカサンドラに目を瞬かせた。
「そして柊、貴方もです。まったく、まだまだ若いですね」
「助かりました、ありがとうございます」
「礼は結構。後は俊宇とこの男のみ。そして、貴方のやるべきことは我の刃になることです」
カサンドラの若草色の瞳が柊に向けられる。透き通ったその瞳は、まるでこの世の全てを見通しているかのようだった。
「手を組みましょう。我の力は時間稼ぎにはなりますが、決定打にはなりえない。ですから、貴方という刃が必要なのです」
「……わかりました」
そんな二人のやりとりを見て、ウィルバートもまた俊宇を呼びつける。どうやら、向こうもまたタッグを組んで柊とカサンドラに立ち向かうつもりらしい。この場にいないクリスと蓮花、そしてリゼやアリスなどの守るべき部下を除けば、この階に残されたのは四人だけ。他は床に転がってぴくりともしない骸が観客席にいるくらいだろうか。
「柊。少しメガネに触れますね」
そう言って、カサンドラは背伸びをして柊のメガネに指先で触れる。するとメガネはたちまち黒い霧に包まれて、やがてその霧はメガネのレンズへと吸い込まれた。
「……我の力をこのメガネに宿しました。これで、貴方にも私と同じ世界が視えるはず」
一見するとメガネにはなんの変化もない。レンズの色もフレームの色もカサンドラが触れる前と何一つとして変わっていなかった。しかし、柊は知っている。
彼女の言葉が嘘偽りではないことを。
「こっちから行かせてもらうぜ、穏健メガネ」
柊とカサンドラの二人を一瞥したウィルバートは、その両手に斧を持って柊の方へ突っ込んでくる。途中で俊宇が「待ってください」と彼を制止したが、ウィルバートはそんな言葉に聞く耳を持たなかった。ウィルバートの斧は柊に向かって振り上げられる。
だが、その直後でウィルバートは斧の向きを柊のすぐ横――カサンドラが居る方向へと翻した。一種のフェイントである。
「もらった!」
だが、カサンドラの胸を捉えたはずの一振りは、ものの見事に盛大に空振りして、床に大きなへこみを創り出した。目の前に居たはずの柊も、カサンドラも、なぜか一瞬のうちにウィルバートの背後に回っている。まるで、ウィルバートがそうすることをわかっていたかのように。
「……は?」
「はは。なるほど、これは確かに便利です」
ウィルバートは考えもしなかった状況に目を瞬かせる。直後、ウィルバートの身体は柊によって軽々と蹴り飛ばされた。さらにその衝突地点を狙って、カサンドラの矢が放たれる。その間はおそらく一秒にも満たなかった。吹き飛ばされた肉体が壁にぶつかり、飛んできた矢に射貫かれて、ようやくウィルバートは何が起こったかを理解する。そして、側で立ちすくむ俊宇のことを睨みつけた。
「お前、こんな話は聞いていないぞ」
「……言う前に飛び出していったんじゃないですか。『狂想』様が」
「もっと前に伝えておけといっているんだ」
「そんな」
ウィルバートの視線が土煙の向こうに立つ二人へと向けられる。その顔には僅かな焦りと、同時に抑えきれていない好奇が現れていた。
「カサンドラ、だったか。お前――視えているんだな」
ウィルバートの指摘に、カサンドラは肯定の代わりに小さく息を吐き出した。
「我は未来を覗く者。我が見つめし全ての未来は、やがて現在に立ち現れよう。俊宇、そして『狂想』ウィルバート。貴方たちは我の未来を超えられますか」




