Episode16「反撃の狼煙を上げよ」①
蓮花会長たちが居たのは十三区唯一のレストランだった。レストランと行っても建物は実に古びていて、室内にいるのにところどころ隙間風が吹いてくる。天井は一部が経年により汚れていて、テーブルもあちこちに欠けが目立っていた。
「お待たせいたしました。オムライスです」
恐らく店内で一番白いであろう皿に乗って、薄焼きのタマゴが被せられたオムライスを店員が運んでくる。皿の枚数は全部で四枚。蓮花と柊とカサンドラ、そしてリゼのぶんだ。
「ルカも深月も、食べなくて良いのですか。何かを食べた方が気も安らぐかと思いますが」
カサンドラの言葉に、ルカは眉を下げながら首を横に振った。
「気にしないでくれ。気分じゃないんだ」
「はい、どうぞ気にせず召し上がってください」
ルカは表情にこそ出していないけれど、恐らく冥界で何も食べられない僕のことを気遣ってくれたのだろう。会話の雨に紛れるように、ルカに「そのお茶も飲んではいけないよ」と耳打ちされる。ルカが視線を向けたのはグラス一杯のアイスティーだ。何も頼まないことはできないと頼んだそれを、僕は「お願いします」とルカの方にさりげなく差し出した。
傷心ぎみの蓮花はと言えば、出されたオムライスを黙々と食べ進めている。カサンドラは中に入ったグリーンピースが嫌いなのか、隣に座る柊の皿にぽいぽいと放っていた。
「ちょっと、何をしているんです」
「このくらい良いでしょう。グリーンピースのパサパサ感嫌いなので。我の分も食べてください」
「全く、仕方が無いですね」
そんな風に他愛のない話をしながら、数刻前の騒動など忘れたかのような穏やかな時間が過ぎていった。それぞれがオムライスを食べ終わり、食後のお茶を飲み始めた頃、ふう、と今まで肺に溜めていた空気を吐き出す勢いで蓮花がため息をつく。皆の視線が一斉にそちらを向いて、蓮花もまた僕たち一人ひとりと目を合わせた。
「……まず始めに。皆、ありがとう。感謝してもし足りないわ。お陰でだいぶ気分も落ち着いてきたし、これから何をするべきか、ゆっくりと考えられる」
蓮花は長い睫を震わせながら、さらに話を続ける。
「まず、私たちがやるべきことについて。それはつまり、『規律』を在るべきかたちに戻すこと。でも、その目標の達成は完全なる過去への回帰であってはいけないわ」
蓮花の言葉に僕たちは首肯した。
僕たちがなぜあの「極夜卿」に反感を抱いたのか。その点について整理すれば、蓮花が導いたこの結論は皆の胸の中に共通してあるものだった。
別に、蓮花が選ばれなかったことに怒っているのではない。極夜卿が偽物であることについて反対しているのではない。
――彼等が、守るべき「規律」を破ってまで調停者の座を取り戻したことが、なによりも許せなかった。
無論、蓮花の統治が完璧だったわけでもない。もし蓮花に非の打ち所もなかったのなら、本物の極夜卿が出てきたのだとしても彼等は決して揺るがなかったはずだ。けれどそうならなかったという事実に鑑みれば、蓮花もまた今のままでは調停者として認められることはないだろう。
「『規律』――ずっと、これについて考えてきた。どうあるべきか、どうしていくべきか。少なくとも、今を否定したところで過去が正しかったことにはならない。私は、私なりの『規律』を見出す必要がある。過半数の支持を獲得できるほどの」
そう言い切った蓮花の瞳は、真っ直ぐに僕たちに向けられていた。真摯な光を宿したその視線に射貫かれて、僕はごくりと息を飲む。その場にいた全員が黙りこくって、神妙な面持ちで蓮花の次の言葉を待っていた。
「……武力はある程度のわがままを通すことができるけれど、問題を解決することはできないわ。それに、六人では明らかに戦力に差がありすぎる。できれば議会で不信任決議を行うことができればいいのだけれど」
「そもそも受理してくれるのか、という問題がありますね。私が思うに、あの極夜卿の『穴』が見つからなければ、議員は議会を開かないでしょう」
柊の言うとおりだった。今のトップに不満がなければ不信任案は受理されない。それは現実でも同じことだ。だからこそ、僕たちはあの極夜卿の足下を崩す必要があった。
「違和感や根拠のなさなどという、我らの主観に基づいた曖昧な理由では無理でしょう。信仰とは、時に人を盲目にするもの。真っ向勝負は不利になります」
カサンドラの冷静な分析も的を射ている。極夜卿という名前が持つ実績や信頼は二十年そこらの蓮花とは文字通り桁が違う。そして、そのようなつもりに積もった信頼がもたらす期待は、生まれた穴を簡単に塞いでしまうだろう。「まあ、この人ならきっと大丈夫だろう」と。
考えれば考えるほど、真面目に調停者の座を取り返すのは難しいことのように思えてくる。ああすればいいのでは、こうするのはどうかと出ていた意見も、次第に聞こえなくなってしまった。全員が黙りこくって、机の上のグラスも空になったころ、ルカがやおら言葉を発した。
「よし、じゃあとりあえず殴り込もうか」
「は?」
まるで散歩にでもいかないかと提案するような軽さで発せられたその言葉に、一同が目を丸くする。一方で発言をした張本人は、名案だろう、と言いたげに笑っていた。
「何を言っているんです、貴方。こちらは武力を否定したのに、結局武力に頼ってはダブルスタンダードになります。そうなってしまっては、我らは不利な立場に置かれるでしょう」
「カサンドラの言うとおりですよ。ルカ、貴方の脳味噌は筋肉でできているのですか」
二人の支部長から詰められたルカは、しかし浴びせられた反論に怯まない。飄々と、さも当然とばかりに「だってそうだろう」と笑い飛ばした。
「カサンドラも言ったじゃないか、信仰に真っ向勝負は難しいってね。それに、何も武力に全てを頼るわけではないよ。あくまで手段として、そして、こちらが叩かれる心配のない使い方で――利用してやろうって話だ」
「具体的にどうするつもり? そこまで言うのなら、なにか案があるのでしょう」
カサンドラも柊も乗り気ではないけれど、どうやら蓮花は違うようだ。その表情からは、この状況を打破してやるという意気込みがひしひしと感じられた。
蓮花の質問に、ルカは上体をぐっと前に持ってきて、まるで内緒話でもするかのように言葉を紡ぐ。皆も同じようにして身を寄せ合い、ルカの驚きの発言に僅かな光明を見つけ出そうと耳をそばだてた。
「要は、肉を切らせて骨を断つんだよ。こちらから手を挙げられないのなら、向こうに手を挙げて貰えばいい」
規律。それは極夜卿が何千年も前に築き上げた、東ユーラシア統治区が守護する秩序の礎。人々を守り、人々をまとめ上げ、人々を「回生の樹」に返すための死神の理念だ。
けれど、私がそれを知った時、そんな高尚な理由は私にとって重要なことではなかった。当時の私にとっては誰かが守ってくれる環境だけが重要で、自分で自分を守れるだけの力も無く、ただ漠然と「規律」があれば苦しむこともないだろうと踏んだだけ。
もう二度と、生前のあの屈辱は味わいたくない。
ただそれだけの理由で、私は東ユーラシア死神協会への入会を決意した。生まれた土地からはほど遠い地域を担当することになるけれど、それでも別に構わなかった。
日本の関東支部――私が配属されたのは名前しか知らない極東の島国で、同僚は皆日本人かアジア出身の人ばかり。そんな中に一人飛び込んだ金髪碧眼の女など、奇異な目で見られるものだ。
「貴方がアリスさんですね。私は関東支部支部長、柊誠です。どうぞお見知りおきを。困ったことがありましたら、なんでも相談してください」
「初めまして。私は副会長の蓮花よ。慣れないことも多いと思うけれど、私たちは皆貴方を歓迎しているわ」
上司には恵まれている、とつくづく思う。柊支部長は物腰穏やかで丁寧だし、蓮花副会長は親しみやすくて話しやすい。
そして、死神として統治区を回っているうちに、決して自分のような存在が異端ではないことを実感した。
肌の色も、髪の色も様々なひとが街中を往来している。その光景はやはり「理念」に準ずる冥界のあり方の象徴だった。自分が信じる理念についていく。私の髪色も、瞳の色も、この世界においてはただの特徴に過ぎなかった。重要視されるのはいつだって、「私が何を考え、何を選ぶか」ということだけだったのだ。
それを理解して初めて、私は東ユーラシアの掲げる「規律」に向き合った。
一、悪霊は見つけ次第葬送するべし。善霊は、できうる限りその未練を晴らすべし。
――それは、悪逆に染まっていない者の理性を重んじ、彼等に平穏な死を与えるために。
一、睡眠と食事を怠ってはならない。生の重みを忘れるべからず。
――それは、死神が生きていた頃を忘れないために。人の心をもって、人を送るために。
一、規則は万人のために存在する。調停者もまた、規則によって拘束される。
――それは、全ての死神が規律による恩恵を受けるために。誰しもが平等であるために。
現状の「規律」に鑑みれば、きっとあの極夜卿を許してはならないのだろう。いや、許すつもりは毛頭無い。爆破テロで崩れた市街を、瓦礫に下敷きにされた市民を、私はこの目で見たのだから。
だからこそ、見極めなければならない。
あの男が一体何者なのか。どういう理由で、なぜ極夜卿の名を騙ってまで調停者の座を奪ったのか。
蓮花会長は何を示すのか。救済を掲げる男を打破した上で、一体何を目指すのか。
――私にとって、「規律」とは。
その問いを自身に投げ続けながら、私は時代の変革を求める。
真の極夜卿が玉座を降り、二度と戻ってこないというのなら、私は私が信じたいと思う「規律」についていくだけだった。
「承知した。であるなら、お前の好きにするといい。ひとまずは、お前がこちら側についてくれたことに感謝しよう。頼んだぞ、『雄風』のアリス」
極夜卿を騙る男は、私が示した意志を受け入れた。最上階に位置する調停者の椅子に腰掛けたその男の傍らには俊宇とあの爆弾魔が立っている。一度は離れたものをこうも易々と受け入れるとは思っておらず、私ははたと目を見開いた。
「何をそう驚くことがある。まだ私を信じ切れない理由も分かる。むしろ、そのように見極めようという姿勢は、議会による統治を掲げる東ユーラシアの協会において無くてはならないものだ。拒否するわけがないだろう」
そして最後に「安心して業務に戻ると良い」と言い放ち、男は私を最上階の執務室から追い出した。大きな執務室の扉を前に、私は呆然と立ち尽くす。
実のところ、この本部ビルに戻ってすぐに投獄されると考えていた。極夜卿を騙る男に会うことは叶わないだろう、とも。しかし実際はそうでもなく、ロビーにつくなりさらさらと通されて、いとも容易く最上階に登ることができてしまった。拍子抜けとはまさにこのことだった。
「おい、雄風」
最上階のエレベーターホールから「回生の樹」を眺めていると、ふと背中に乱暴な声がぶつけられる。聞き覚えのあるその声に、私はいやいや振り返った。
「――牢屋のご飯は口に合わなかったようね、爆弾魔」
「随分な良いようだな。まあ、俺は懐が深いんだ。その敬意のない言い方も許してやろう」
背後に立っていたのは、一昨日私を吹き飛ばした男だった。身に纏っていた白いコートは脱いでいるのか、第二ボタンまで外したワイシャツを身に纏い、薄灰色のスラックスを穿いている。シャツの裾がスラックスにしまわれていないところを見るに、この男は身だしなみというものに興味がないのだろう。
「俺の名前は爆弾魔じゃない。俺には『狂想』という二つ名があり、死神としての名前もちゃんとある。お前がアリスと名乗るようにな」
「そう。悪かったわね、『狂想』」
「全然悪びれてねえな、お前。まあ、そういう気の強い女は嫌いじゃない」
不満げな顔を隠さずに「狂想」を名乗る男は続ける。
「それにしても、まさかお前が帰ってくるとは。あいつらと同じように、蓮花を持ち上げて去るのかと思ったが……どうやらお前は、ちゃんと物事を冷静に考えられるようだな」
男の言い様はこちらの苛立ちを煽るようなものだった。上面だけはまともなことを言うルカの方がまだましに感じられ、私はなにも答えず口を噤む。こういう輩とは会話しないに限るのだ。
「はは、あいつらは何をしているんだろうなあ。今ごろ辺境でてんやわんやだろうが。まあ、お前は大丈夫だ。こちら側に戻ってきたんだし、間違いなく出世できる。きっと次期関東支部支部長になれるはずだ。まあ、そのためには現支部長を弾かないといけないだろうが」
「……黙って聞いていれば」
しかし、いくら我慢をしようとしても、男の言葉は私の神経を逆なでる。まるでこの男の口は人を煽るために存在するかのようだ。ついに苛立ちは頂点に達し、私は男を睨みつけた。
「地位なんて要らないの。私が欲しいのは、この冥界の秩序を維持する新しい『規律』。それを貴方たちが提示できないのなら、私はいつだって反旗を翻すわ」
これは、宣戦布告に近かった。特にこの爆弾魔は、あの偽物の極夜卿と繋がっている。彼等がこうして東ユーラシアの調停者の座を手に入れるその前に、きっと何かを画策していたに違いなかった。そのことを考えれば、私の発言は獅子の前に肉体を投げ出すことと同義だろう。
だからこそ、私は試すことにした。
もし、この男たちの目的が秩序ではないところにあるのなら、いずれ敵対する死神を内部に入れておく必要は無い。むしろそのような障害を徹底的に除去しようとするはずだ。
私は真っ直ぐに男の双眸を見据える。男の目は黒々としていて、紅蓮の炎を思わせる鮮やかな髪色とはまるで違う闇を抱いていた。見ているだけで正気を失いそうになるくらい何処までも深い闇は、退屈そうにこちらを見つめ返す。
「……そうかよ、面白くねえ。まあいいさ、お前が欲するものは時期に現れる。この東ユーラシアも、近いうちに様変わりするだろう。その日を、じっと待っているといい」
男は悪態をつきながら、数階下まで漸く昇ってきたエレベーターを顎で指した。「そろそろだろう」と言いたげに。私もここに居る理由を見出せなかったので、彼に背を向けてエレベーターの扉に向き直る。背中が妙に落ち着かなかったけれど、一応警戒を向けたまま、私はベルと共に到着したエレベーターに乗ろうと足を踏み出した。
――その時。
「たたた、大変です!」
昇ってきたエレベーターから受付係らしい女性がひとり、ひどく慌てた様子で私の胸に飛び込んできた。
「わっ……貴方、大丈夫? どうしたの、そんなに慌てて」
その身体を受け止めて、ひとまず落ち着いて貰うために声を掛ける。女性は苦しそうに息を切らしながらも、途切れ途切れになりながらもゆっくりと言葉を紡いだ。
「す、すみません。あの、至急、極夜卿のお耳に入れたいことが……」
「俺が代わりに聞いてこよう。女、簡潔に言え。無駄な情報はいらん」
「ひえっ」
圧の強い「狂想」の言葉に、受付係の女性の息が詰まる。
「この男の言葉は無視して良いわ。落ち着いて、ゆっくり、私に教えて」
女性の背中をさすりながら、ひたすら彼女の呼吸が落ち着くのを待った。彼女がようやく呼吸を整えることができたのは、それから数分後のことだ。
女性はひとつ大きく息を吸うと、意を決したように私と「狂想」をじっと見つめる。その額には汗が滲んでいて、彼女の神妙な顔つきは事態の重大さをひしひしと伝えてきた。
「……ロビーに。ロビーに、いらっしゃいました」
――誰が?
一瞬だけ、そんな疑問が頭を過ったけれど。それでもすぐに、私はその来訪者に思い当たった。そして同時に、一体何をするつもりなんだという不安と期待がわき上がってくる。ごちゃまぜになった感情を滲ませながら、私は女性の次の言葉を待った。
「蓮花様が。先日共に去った皆様をつれて、ロビーにいらっしゃいました。彼女は――極夜卿への謁見をお望みです」
震えながら発せられたその声は、私たち三人以外誰もいないエレベーターホールに響き渡った。




