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葬送哀歌は夜明けとともに  作者: 月乃はな
序幕「始まりの月が昇る刻」
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Episode2「その願いは叶わない」②

「ここです」


 女性に連れられてやってきたのは、僕が彼女と出会った交差点とカフェの中間地点ほどにある、住宅街の中の寺。雨の滴る山門の前に立つと、寺のこの世のものとは思えない雰囲気が身体中で感じられた。昼間に前を横切ったことはあるけれど、その時とはまるで違う気配が周囲に満ちている。


「よし、じゃあ入ろうか」


 彼はぱん、と手を叩き、閉まりきった山門を見上げて朗々と言った。入ると言っても、鍵は閉まっているだろうし正面突破は無理だろう。そう思って、どうやって侵入──そう表現するのは気が進まないがそれが適切だった──するのか問おうと口を開いたとき。身体が後ろに倒れて、足が地面から離れていた。


「えっ」

「頼むから暴れないでくれよ」


 ルカの顔が目と鼻の先にある。毛穴がないだとか肌が白くて滑らかだとか、真っ先に思ったのはそういうことだったけれど、はっと現状を理解して思わず声無き叫び声を上げた。 膝裏と、背中に通された腕で抱えあげられている。そして器用にも、傘を一方の腕でさしながら。僕は山門を潜るために傘を閉じていたから、彼にとっては好都合だったかもしれないけれど、問題はそこではない。俗にいうお姫様抱っことやらを、男の僕がされている。アニメだとか小説だとか漫画だとか、フィクションの中で女の子が男の子にされているのをよく見るけれど、まさか実際に体験することになるとは思わなかった。しかも、抱き上げられる側で。

 恐る恐るルカの顔色を窺ってみれば、何とも思っていないようで彼はただまっすぐに山門を見上げたままだった。急にどうしたんですか、などという言葉はルカの突飛な行動にまたも遮られる。


「よっ」

「うわぁぁあ!?」


 彼は地面を蹴り飛ばし、多少の助走をつけて高く飛び上がったのだ。僕を抱き上げたまま、軽々と。そのまま塀の上に飛び乗って、大きな音も立てず境内に侵入した。数メートルもある壁に飛び上がるなんて、人の成せることではない。


「な、な、なにやってるんですか!」

「なにって……寺に入るには、こうした方がいいだろう?鍵は閉まっているわけだしね」

「でも誰かに見られたら」

「大丈夫、誰にも見られないよ」


 本当にそうだろうか。いくら夜とはいえ、人通りが全くないというわけではない。寺ともなれば一人くらい駐在していそうな気もするけれど。

 ゆっくりと地面に下ろされて、境内の中をぐるりと見渡す。人気は無く、あるのは外で感じたよりも多い人ならざるものの気配だった。中でもその気配が濃く感じられるのは、寺の中央に建てられた、一際大きな本堂である。僕がその方向を見れば、壁をすり抜けて後を追ってきた女性は頷いた。


「あそこに……本堂に、霊がいるんです。お願いします、死神さん。もし悪霊になってしまえば、私たちも無事ですむとは限りませんから」

「……ああ、分かってるよ。だけどその前に、辺りを確認しても良いかな。状況把握は基本中の基本だからね」


 そう言ったルカは、状況把握といいながらもこちらを窺う何人かの霊には目もくれず、本堂と逆の方向にある物陰にまっすぐ歩いていく。大きく切り揃えられた半球状の植木をいくつか抜けて、彼はようやく足を止めた。


「どうかしたんですか?ルカさん」


 僕は、彼の背中から首を出すように植木の奥を覗く。辺りは暗く、ろくな明かりもないからよく見えないが、そこにはなにか居るようだ。ガサガサと枝葉が擦れる音がした。ルカは僕に見えやすいように場所をずれたあと、内ポケットからスマホを取りだし、ライトをオンにして木陰を照らす。そこにいた影の正体に、僕は思わず目を見張った。


「子供」

「うん。寝ているみたいだ。目の回りが赤らんでいる。きっと泣いてここに隠れて──そのまま寝てしまったのかもね」


 身体を丸くして横たわる五歳ほどの少年は黄色いポンチョに身を包み、寒さに震えながら腫れた瞼を固く閉じている。普通ならこんな境内に子供がいるわけがない。ポンチョがはだけて泥だらけになった衣服も、その異常さを際立たせていた。


「少年。起きてくれるかな」


 ルカが優しくその身体を揺すれば、少年はぐずりながらも腫らした瞼を持ち上げる。


「……お、お寺のひと?それともおばけ?」


 その声色は怯えていた。恐怖と寒さで身体を小刻みに震わせて、こちらの様子を窺うように見上げている。ルカはその様子を察したのか、起き上がった少年に目線の高さを合わせて言った。


「違うよ。ただ、このお寺に用があってきたんだ。安心して、お兄さんたちは君の味方だ。君はどうしてここにいるのか、教えてくれないかな」

「……あかねが」


 ぽたぽたと涙が溢れ出す。大きな鳴き声をあげ始めるものだから、流石のルカも焦っているようだ。少年のことを抱き締めて、頭を優しく撫でていく。大丈夫、と声をかけながら。彼はしゃくりあげながらも、どうしてここにいるのか教えてくれた。

 どうやら、あかねという彼の一つ下の妹が青い人に連れられて家を出てしまったそうで、そのあとを追いかけていたら彼もここに来ていたようだ。気がつけば日が暮れて、探せど探せど妹が見つからず途方にくれ、あげく疲れはてて寝てしまったらしい。


「青い人もいないんだ。どこにも」

「青い人──霊、ですかね」

「多分そうだろうね。日が暮れたから本堂に隠れたんだろう。きっと、この子の妹さんも一緒に」


 酷い話だ、と思った。きっと、その霊には見境がないのだろう。「魂」という単位だけで見ている。肉体が幼かろうとなんだろうと、そこに魂があれば格好の餌だと思うだけなのだ。それは、先月僕たちを襲った悪霊も同じだ。


「こら、怖い顔しない。子供の前なんだから笑顔でいるんだ。怖がらせるのも、不安に思わせるのもよくないよ」

「……すみません」


 軽く肘でどつかれて、僕は我に返った。こちらを見上げる子供は、今にも泣き出しそうな表情をしている。


「少年。お兄さんたちは今から、君の妹を捜しにいこうと思う。安心して、ちゃんと連れて帰ってくるよ。だからそれまで、このお兄ちゃんとここで待っていられるかい?」


 ルカは僕の手を取って、少年に問いかけた。しかし少年は、首を勢いよく横に振る。


「ぼくもいく。あかねをさがしに」

「でも、危ないんだよ。青い人はきっと怖いひとだから、君も怖い思いをするかもしれない」

「やだ。いく」


 この頃の子供は聞き分けが悪いものだ。ルカの腕を掴んだまま話さない少年に頭を悩ませていると、背後から女性が提案をしてきた。


「なら、一緒に連れていってあげたらどうでしょうか。彼と一緒にいれば、あの石を恐れて霊も近づいてこないでしょうし。なにより、あなたの視界にいた方が守りやすいのではないですか?」

 あなた、死神の中でもお強いでしょう?

 そう笑う彼女になにを思ったのか、ルカはしばらく彼女を見つめたあと、はぁ、と大きなため息をつく。


「それは……まあいいか。確かに君の言うとおり、その方が効率的だ。深月、この子の手を放さないで、固まって行動してほしい。俺より前にでないように、背後にも注意を払いながら。頼めるかな」

「分かりました。……きみ、僕と一緒にいこう」


 小さい楓の葉のような手を握りしめると、震える手で精一杯の力が返された。こんなに幼いのにたった一人で、よくここに来たと思う。同じ年頃の僕なら、きっと恐怖に負けて着いていく、なんて言わなかっただろうから。


「いこうか」

「はい」


 境内に射すのは、スマホのライトだけだった。ざあざあと降る雨音がどこか遠くに聞こえ、雨漏りだろうか、ぴちょん、と水の跳ねる音が耳に届いた。僕たちが本堂の中に足を踏み入れると、こちらの様子を窺っていた霊たちは騒がしく動き始める。ありがたいはずの仏像がどこか不気味に見えて、僕は思わず息を飲んだ。なにか、嫌な予感がする。第六感というのかは分からないけれど、僕は握る手のひらを離さないよう力を込めた。

 本堂内部は真っ暗で、ルカのスマホのライトを頼りに奥へと進む。そこにいる幽霊の数は尋常ではなく、揺らめく青白い人影がひしめき合っていた。


「……すごい数の霊ですね」

「ああ。大分この本堂に集まっているようだ。でも、逃げようと思えば逃げられる。逃走を防ぐ結界のようなものはなかったしね。捕らえられているというよりは───」

「自分から留まっている?」

「そうだ」


 どういうことだろう。隣を歩く女性の横顔を見てみれば、その視線が前をいくルカの背中を捉えているのに気がついた。


「どうかしましたか?」

「……すみません。死神さんって、ここまで親身になってくれるんだなぁと思いまして。私が想像していたのは、もっとこう、冷たい人たちでしたから」


 悪霊を狩り、此岸と彼岸の境を守る。現世に留まり続ける善霊にとって、決して敵対しない存在ではない死神が、こうして力を貸してくれる。そのことに感激しているようだった。


「特にこの東京支部は、死神が少ないと聞きます。だから、私たちの頼みなんて聞く暇もないのかなと不安だったんです。それに、死神に選ばれる人は大抵───」

「……そろそろ奥につく。お喋りはここまでだ。警戒を高めるよ」


 女性の言葉に被せるように、ルカは声を潜めて言った。まるで、それから先を言わせないかのように。女性は若干顔をしかめたが、ルカの視線に気圧されたのか押し黙った。僕は怯えて僕の体にしがみつきながらもついてくる少年を抱き寄せて、ルカの後に続く。女性は、僕たちの横で奥を窺っていた。

 スマホのライトで周囲を観察しても、霊らしき姿は見当たらない。ただ、仏像のふもと、見えづらい隙間に人影がある。ピクリとも動かないそれにライトを当て、恐る恐る近づけば、そこには小さな女の子が横たわっていた。


「あかね!」


 しっかり握っていたはずの僕の手を振り払い、小さな身体に少年が駆け寄って、その身体をゆさゆさと揺すり始める。けれど、閉ざされた瞼は開かない。その様子はまるで、一ヶ月前のあの地下道の僕と翔のようだった。僕はどうしても他人事だと思えずに、少女に駆け寄ってその脈を計る。とく、とくと小さい鼓動を感じて、安堵のため息をついた。


「ルカさん?」


 僕の後方で立ち尽くす青年を見上げれば、何か考え事をしていたのだろうか、ああ、と深刻そうな声色の返事が帰ってきた。ルカはライトで堂内を照らして、小さな──安堵とは程遠いため息をつく。


「……目当ての悪霊はいないし、見張りもいない。霊は自分からここに留まっていて、拐われた人もこの子以外には見当たらない。君は、可笑しいと思わないかい」


 そう言われれば、確かにそうだ。溜め込んだ魂を一気に食べるつもりなら、捕らえた獲物を逃がさないようにして、逃げないように見張りもするはずだ。その割にはあっさりと中に入れたし、人質はたった一人で、しかも、その少女はただ奥に隠されていただけだ。考えられるのは、死神が訪れたと知った時点で獲物を捨てて逃げ去ったか、もしくは。


「罠?」


 僕がそう呟いたときだった。

 突然、僕たちとルカを分断するかのように黒い靄が場を満たしはじめる。視界を遮り、ただでさえ暗い屋内を漆黒の闇で塗りつぶしていく。いつか彼がしてくれたことを思い出し、半ば反射的に僕は幼い子供の視線と耳を塞ぐように抱きしめて、立ったまま動かないルカを見上げた。


「……全く。趣味が悪いよ、君。小さい子供二人と年若い彼を人質にするなんて」

「あら、まるで分かっていたかのような口振りですね」

「君の演技が下手だったからね、最初からバレバレだったよ。――悪霊のお嬢さん」


 ルカが笑っていない笑顔を向けたのは、いつの間にか僕たちを分断するように立っていた案内役の女性の霊だった。

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