Episode14「御旗に集うものたち」③
「調停者を降りる、ですって?」
なぜ。どうして。そんな疑問が次々に出てくるけれど、私の口はまともに仕事をしなかった。きっと、驚きのあまり筋肉が凝り固まってしまったのだろう。
「ああ」
そんな私をいつもと変わらない冷静な瞳で見据えた極夜卿は、こくりと小さく頷きを返した。私たち二人を除いて誰もいない四百四十四階の彼の自室で、私は呆然として動けなくなる。
「……なにがあったの?」
辛うじて絞り出したその言葉は、聞くに堪えないほど震えていた。
彼とはもう長い付き合いだ。東ユーラシア死神協会が設立するずっと前から、私は彼と共に冥界の統治に関わっている。住民から深い信頼を得ているのも、冥府の王に調停者として選ばれたのも彼だけれど、そんな彼にも足りないところはあって、それを補うのが私の仕事だった。そうして何千年と積み上げてきた「規律」のお陰で、今では多くの死神がこの理念に賛同してくれている。この協会は私にとっても彼にとっても、一から育てた愛おしい我が子のようなものだ。
だからこそ、突然「調停者を降りる」と言い出した彼の言葉を、私は受け入れることができなかった。
もし彼を心変わりさせたなにかがあるのなら、それさえ取り除けば問題無い――そう思ってしまったのだ。
しかし、彼はその表情を揺らすことなく、平時の威厳を保ったまま残酷にも私に言い放った。
「お前には関係のないことだ。これは俺の問題であり、協会に共有するようなことでもない。だからこそ、俺は調停者を降りるべきだと判断した。俺の私情にお前たちを巻き込むわけにはいかないからな」
「……それは」
一体どういうことだ。私は衝撃で固まってしまった思考を必死に動かして、それでも彼を引き留めるために顔を上げる。
「関係ないわけないわよ。それが退位の理由なんでしょう? 私にくらい教えてくれてもいいと思うんだけど」
極夜卿は私の言葉に眉を寄せた。そこまで聞くのか、とばつが悪そうな顔をして、ふい、と僅かに目を逸らす。
「俺にそこまで言うのはこの協会ではお前だけだ。まあ、だからお前には伝えるべきだと思ったのだが」
「なら、なおさら私に教えるべきよ。一体なにがあって、どうしてそんな決断をしたの」
「私怨だ」
極夜卿の返答に私は言葉を失った。
私怨。私怨と言ったか。
極夜卿はいつだって、全体のために自身をなげうって戦ってきた。自分のことなど後回しにして、東ユーラシア統治区の秩序のために身を粉にしてきたのである。そんな彼から「私怨」という個人的な感情が吐き出されるとは思っても居らず、私はついに何も言えなくなってしまう。
嬉しいことであることには違いなかった。彼が自分の感情を優先するのも、こうして私を信頼してそれを告げてくれるのも。けれど、彼の深紅の瞳に宿るほの暗い覚悟を目にしてしまえば、心の底から彼の変化を喜ぶこともできそうにはない。
そんな風に逡巡していると、極夜卿はどこか遠くを見つめてため息を吐き出した。目を伏せるその様は、他の部下の前では見せない弱々しさに包まれている。
「――俺の友人が襲われた。白い軍服の集団によって、魂の殆どを持って行かれたのだ。あいつらの目論見など分からないが、調停者でもない奴らが魂を扱うなど前代未聞だろう。恐らく、ろくでもないことを企んでいる」
悔恨に染まった彼の双眸がぐらぐらと燃えていた。その熱を目の当たりにして、私は言おうと思っていた言葉と共に息を飲む。普段落ち着いている彼が見せるその熱に、真新しさと同時に懐かしさを覚えた。
そういえば、数百年前も似たような顔をしていたような気がする。
あれもまた、彼の友人が死んだときだったはずだ。友人と言うよりも親友といった方がいいほどに仲が良く、極夜卿にとってもかけがえのない存在だった。
つまり――また、彼は大切なものを失ったのだ。
そんな考えに至って、私はとうとう反対することができなくなった。いったい誰が彼を止めることができるだろうか。怒りに満ちて、それでいて寂しそうな彼に対して、「貴方がいないと協会は協会ではなくなる」と縋ることなどできやしない。
「俺は奴らを追い、今回の件について落とし前を付けさせる。故に、調停者という席は自由に動くには大きすぎるのだ。そして同時に、この行動を他の者に知られるのも避けなければならない」
「それは何故?」
「敵対勢力について何も分からないからだ。よって、協会に所属する死神であっても頭ごなしに信頼することはできないだろう」
「……そんなに警戒している割には、私は信じてくれるのね?」
皮肉めいたようにそう言うと、極夜卿はふ、と小さく鼻を鳴らした。
「お前は誰よりも信頼している。俺と同じ『規律』の御旗を振るう死神だとな。でなければ、こうして後続として選ぶはずがない――そうだろう」
「こ、後続って。まさか私が?」
お前以外に誰がいる。そんなことを言いたげにこちらを見つめる極夜卿に、私の思考は混乱する。ただでさえ彼の退位宣言に驚いているというのに、その後を私に引き継げというのだろうか。
無理だ。なぜなら、私はあくまで裏方で、表舞台で皆を率いているのは彼自身だから。事実、冥府も彼のみが調停の座に座るべきものだと認め、その武器を死神に相応しい姿に変える力すら与えている。
けれど、私には力が無い。信頼も彼には至らない。皆を率いる力量も、リーダーとしては心許ないだろう。
それでも、極夜卿は私のことを真っ直ぐに見据えていた。自分の決断に間違いはないのだと言わんばかりに、彼の眼窩で輝く瞳には揺らぐことのない自信が宿っている。
「……私は、貴方のようなリーダーにはなれないわ」
私が零した不安を、彼は無言で聞いていた。彼が何も言わないのをいいことに、私は溜まっていた感情を吐き出し続ける。
「貴方は偉大よ。力と規則をもって、この統治区に秩序をもたらした。私一人で、その維持ができると思う? 無理に決まっている。力でも信用でも、私は貴方の域には至れないのに。ねえ。本当に、私がリーダーに相応しいと思っている?」
私が投げかけた問いに、極夜卿が首肯する。迷う素振りもなく肯定を返してきたものだから、逆にこちらが不安になってしまった。
貴方には、一体私がどんなカリスマに見えているの。
そんな私の戸惑いが目の前の彼にも伝わっていたのだろう。彼は私から目を逸らすことなく、なにか意を決したように息を吸うと、今まで片手に収まるほどの回数しか下げていない頭を下げる。
「すまない。急に伝えて、お前一人に秘密を背負わせて、申し訳ないと思っている。協会のためだと説いたとて、俺が急に消えていい理由にはならない。それは分かっているのだ。だが、だとしても――俺は、俺の私情にお前たちを巻き込みたくはない」
懇願にしては意志が強く、命令にしては対等な彼の嘆きが、困惑する私の思考にひび期渡った。同時に、私の中に一つの感情が湧き上がる。
――そうだ。彼は私を信頼しているからこそ、自分の意志を赤裸々に伝えてくれるのだ。
そして、彼が「巻き込みたくない」というのなら、それは正しく彼本人の願いなのだろう。リーダーが個人的な事情で全体を振り回すことなどあってはならない。ましてや、それが他の団体との敵対であるならば。
結局のところ、私怨などと言いながら、彼は私たちを不要な争いから遠ざけようとしている。彼の意志にようやく気が付いた私は、首を横に振るための力を捨て去った。
「……分かったわ。貴方の代わりに、私が調停者としてこの協会の秩序を維持してみせる。だから貴方はその仇を探すことに集中して」
「感謝する、蓮花。お前なら、きっと俺よりも優秀な調停者になることができるだろう」
「ええ、そうね。やってみせるわよ。貴方が戻りたくなくなるくらい、『規律』の地盤をより強固なものにしてみせましょう」
それは根拠のない強がりに近かったけれど、それでも私の宣誓には彼を安心させるだけの力があったらしい。極夜卿が滅多に緩めない口角をゆるりとしたものだから、私はもう後に引けなくなった。
言ったからには、成し遂げなければ。
彼から受け継いだ『規律』を盤石なものに。
彼が背後を気にしなくてもいいくらい屈強なものに。
たとえ今は力が足りなくとも。彼の残影が私の治政を覆っていても。
――この冥界を支える『規律』の御旗だけは守り抜く。
それこそ、私がかつての私と交わした約束であり、彼から引き継いだ意志だった。
それから一ヶ月後の冥刻二十三時頃。人も疎らな第一区のビル街を見下ろす四百四十四階で、私は身支度を整える極夜卿を見つめていた。両手には、先程彼から預けられた委任状と彼の手紙がある。
彼から渡された委任状は酷く重い。統治区一つ分だけではない重みが、私の両肩にのしかかってきたような心地さえした。けれど、彼が安心して協会を手放せるように、私は外行きの仕度を終わらせた彼に向かって笑顔を向ける。
「いってらっしゃい。『極夜』の名を冠する私の友人。この位を手放すからには、何が何でも目的を果たしなさい」
「ああ、後は任せた。『極光』を冠する俺の友人。この協会をよろしく頼む」
そう言って、彼は何千年も座っていた椅子を置いて出ていった。黒髪なびく背中は勇ましく、その目は真っ直ぐに何処かにいる敵を見据えている。その孤独な背中を見送って、私は無言で踵を返した。
***
蓮花がすべてを語り終える頃には、聴衆は皆何も言うことができなくなって、すっかりと黙りこくってしまった。あるものは悔しそうに頭を垂れ、あるものは蓮花に何を言えば良いのか分からずにただ握った拳を震わせている。
「……要は、『白い軍服の集団』を追うために、そしてその動乱に私たちを巻き込まないように、極夜卿はこの協会を去ったということですね」
絞り出すように発せられた柊の言葉に蓮花が首肯した。
「証拠には欠けるけれどおおむねその通りよ。だから、今更彼がこの座に返り咲こうとするなんて私には考えられない。それに、私が持ってきた書類が極夜卿本人によって書かれたものということは、この場にいる支部長は承知しているはず」
「ええ。書類については、私たちの総意で『極夜卿本人のもの』として認めました。過去の決議を今覆す必要は無いでしょう。むしろ、私たちが見極めるべきは動画に出てくる極夜卿の真偽と、蓮花会長――貴方の統治が『規律』を守ることができるのかということ」
冷静に状況を整理する柊に、支部長の面々がそうだそうだ、と賛同の声を上げる。会議室の至るところで、それぞれが自分の意見を述べ始めた。
「第三者による証拠、と言う点では、会長の言い分はあの動画に負けている。あれほどまでに極夜卿の威厳を模倣できる輩がいるとは思えない」
「だが、『規律』に則るならば議会の不信任によって任を解くべきだ。極夜卿が自ら定めた規則を破るわけがないだろう」
「……つまり、我々がすべての決定権を握っているのですね」
そして、カサンドラが飛び交う意見をそう締めくくる。確かにその通りだった。蓮花の言い分も、動画に映る極夜卿の言い分も、どちらにも証拠が足りない。信頼すべきはどちらなのか、着いていくべきはどちらの長か――協会のあり方を決めるのは、いつだって議会なのだ。それこそが「規則」に則って規律を維持する協会の方針であり、統治の方法なのだから。
支部長たちはしばらくの間相談を続けたあと、会議室は打って変わって静寂に包まれる。皆これからどうするべきか、じっくりと考え込んでいるのだろう。どちらにつくか、それによって今後が変わるのは自明の理。もし間違った道を選べば、『規律』に置ける地位を失うだろう。
そうして誰もが発言を止めてしまった中、ルカがたかだかと手を挙げる。
「俺は蓮花会長につくよ。そもそも東京支部は極夜卿から勅命を受け、白軍服の集団を追ってきた。なら、蓮花会長に逆らう理由はひとつもない。そもそも訳の分からない集団に持ち上げられる極夜卿なんて、信憑性に欠けるからね」
それでいいかな、という視線が僕に向けられて、僕はルカの投げかけに頷いた。僕だって、蓮花が会長として駆け回っていることを知っている。あったことのない極夜卿がどのような人かは分からないけれど、僕は目の前で真剣に執政を行う彼女を信じたかった。
「……貴方と意見が合うのは非常に不服ですが、私も蓮花会長につきましょう。少なくとも、私の部下を傷つけるような相手が担いでいる極夜卿など信用に値しませんので」
そう言ったのは柊だった。アリスが申し訳なさそうに視線を逸らしているものの、「気にしないでください」と言い切った柊は変わらない微笑みを周囲に向ける。
「極夜卿は決して、部下が傷つく作戦を良しとしませんでした。もし極夜卿の信念が揺らいだというのなら、それこそ覚悟を決めるべきときです」
「……確かに、柊の言うとおりではありますね。極夜卿は偉大ですが、『規律』を軽んじる彼は彼ではありません。であるなら、未熟とは言え蓮花に会長を任せたほうが良いでしょう」
カサンドラも柊の後に続いて蓮花への賛同を示した。やはり、今回極夜卿が起こした行動が引っかかっているのだろう。他の支部長たちも、連鎖するように次々と蓮花への支持を表明していく。
「ちょっと待ってくれ。この反乱が極夜卿の企てたものだとして、なぜお二人が敵対する理由になる。お二人の仲がただの上司部下で終わるものではないことを、皆知っているはずだ」
けれど、議会が蓮花の支持でまとまりそうになったその時、それまで黙っていた俊宇が異論の声を上げた。
「極夜卿が手段を選ばないという決断を下すなら、それには理由があるはずだ。極夜卿の言い分も聞いてみるべきではないか? このまま極夜卿を動画上の存在として終わらせるのは、軽率な判断といっても過言では無いだろう」
「……それはつまり、あの集団をこの場に呼べということかな?」
ルカが俊宇に対して問いかけると、俊宇は嫌そうな顔を隠さずに頷いた。どうやら、この二人もあまり仲が良いわけではないらしい。ルカの質問に過剰に反応するように、俊宇はきっとルカのことを睨みつけた。
「ああ、その通りだ。議会とはそういうものであるべきだろう。あの極夜卿の真偽について確実なものにしなければ、今回の事案について判断は下せない」
「君はどうやら、『規律』のためならテロですら許容するらしいね」
「おや、お前こそ喧嘩を売っているようだ。我々の『規律』を軽視していた異端の分際で」
「いい加減にしなさい、二人とも」
白熱し始めた二人の討論を、蓮花が落ち着いた様子で両断する。自分に対して疑念が向けられているにも拘わらず、蓮花は表情を緩めることなく言葉を続けた。
「俊宇の言い分にも一理あるわ。いいでしょう、こちらから極夜卿を名乗る男に接触を仕掛ける。相手が本当に『極夜卿』なのか、彼の言い分に正当性はあるのか、そして、どちらが調停者にふさわしいのか――その目でしっかりと見極めなさい」
蓮花の宣言が会議室に響き渡る。支部長たちも異論は無いようで、先程まで反対していたルカも蓮花の決断に了解を示した。蓮花はすぐに部下へと指示を飛ばし、SNSでの宣戦布告に正面からぶつかることを表明する。
議会なら、きっと綿密な会議の果てに正しい答えを導いてくれるはずだ。
そんな期待を胸に抱いて、僕はふう、と息を吐く。ここからが正念場なのかもしれないけれど、少なくとも今は蓮花に支持が集まっている。過度に不安がる必要も無いだろう。
――けれど。
このとき、僕たちは想像すらしていなかった。
この決断が、この東ユーラシア死神協会に激震と激動をもたらすことになるなんて。




