Episode13「我らが『規律』の名の下に」①
爆風がビルの隙間を縫うように吹き荒れる。爆風だ。間違いなく、目の前に放り投げられた爆弾は爆発した。
集まっていた市民の叫び声が、何処か遠くから聞こえてくる。まるで、何か巨大な膜が張られているかのように。もしかして鼓膜がやられたのだろうか。そう思って、ミッシェルは衝撃に備えるために瞑っていた瞼を恐る恐る持ち上げる。
しかし、目の前に広がっていたのはミッシェルの予想を遙かに超える光景だった。
黒い壁がミッシェルを守るように展開されている。それはぱらぱらと結晶になって消え去って、その向こう側にはミッシェルを守るように二人の人影が立っていた。
「……戻ったわ、ミッシェル。今まで守ってくれてありがとう」
「間に合って良かった。お怪我はありませんか」
風に揺れる亜麻色のポニーテール。その隣には、黒髪の青年が一人、しりもちをついたミッシェルに手をさしのべている。ミッシェルは、この二人をよく知っていた。
「あ、あ、あっ……アリス様に、貴方は、あの」
「深月です。立てますか」
「は、はい。ありがとうございます」
ミッシェルは大急ぎで身体を起こし、スーツについた塵を払う。突然現れた二人の死神に混乱しつつ、けれど少しずつ、状況を把握する。
どうやら、先程の壁のようなものは、この青年が張ったもののようだ。爆弾を覆うように張られたそれのお陰で、地面のコンクリートがえぐれるほどの被害で済んでいる。民衆にも、警備員にも怪我はない。間一髪ではあったものの、ミッシェルはこの二人に助けられたようだった。
「想定よりも到着が早かったな、協会のイヌ」
目論見が失敗した男は、はあ、とわざとらしく大きなため息をつく。そんな彼を、アリスは剣を片手に冷徹な瞳で見据えていた。
「貴方が犯人ね。ここで大人しく捕まって貰うわ」
「それはできないな。俺には主命がある。大人しく地面に転がるのはお前の方だぜ」
一触即発の空気の中で、先に動いたのはアリスだった。アリスは風の如き身のこなしで剣を振るう。瞬きすら許さない速さの斬撃は、しかし男の創り出した斧によって防がれた。
「それにしても、第四区の方はいいのか? 犯人捜しは後回し――そんな指示が出ていたはずだが」
「悪いけど、こっちもただのお堅い組織じゃないの。このくらいの融通は効くのよ。まあ貴方がここにいると分かったのは、新入りのお陰だけどね」
アリスの言葉に、僅かに男の視線がミッシェルの隣に立つ深月を向いた。ミッシェルが深月と協力し、周辺に屯っていた市民を逃がし始めて間もなくの頃だ。
「……どういうことですか」
ミッシェルが深月に訊ねると、深月は少し具合が悪そうにはにかんで、いえ、と照れくさそうに笑った。
「相手の行動を、少しだけ予想してみたんです。でも、皆さんの協力合ってこそ、ですけどね」
「……柊さん。僕の考えを聞いてくれますか」
冥刻十八時半ごろ、つまり僕たちが本部に駆けつける三十分前に、僕は柊にひとつ自分の考えを共有した。ネットに溢れる本部への疑念が最高潮に達した今、犯人がするであろう行動についてだ。
「犯人はきっと、間もなく本部に現れるか、接触を始めると思うんです」
「それはどうして?」
リゼの質問に、僕は忙しなく拍動する心臓を落ち着けながら続ける。
「ネットでは、本部に突撃しようと呼びかける人が現れています。なのに、本部からの新情報や会見は開かれないまま。おそらく、ネットの人々の計画は間もなく実行されるでしょう。そして、犯人の目的が蓮花さん――会長の失脚なら、この波に乗らない選択肢はないはずです」
「確かに、深月さんの言うとおりですね。あふれかえる市民の波になら、犯人は容易く身を隠すことができる。それでいて、市民の力を借りて本部の中に入ることができるかもしれない」
柊の肯定を得られたからか、僕の心臓がようやく元のリズムを取り戻し始めた。しかし、そのつかの間の安心は、柊が発した言葉によって奪われる。
「……であるのなら、最悪の場合、今度爆発するのは本部かもしれません」
その一言によって、その場にいる誰もが何を言えば良いか分からなくなった。リゼはさあっと血の気が引いた顔色をしていたし、アリスは顔を歪めてそっぽを向いた。僕も視線のやりどころに困ってしまって、ただ呆然と柊の後ろにある地図を見つめることしかできない。
そうだ。最悪の場合、本部が爆発する。
これはテロなのだ。犯人の顔は見えないけれど、紛れもなくこの事件はテロだった。上層部を武力によって脅迫する――これがテロで無ければなんだというのだろう。
そして、最悪に最悪が重ねた結果として考えられる結末はただ一つ。
協会が創りあげてきた全ての秩序の崩壊だ。住民は協会の保護を失い、テロリストによって支配される。いつ爆発するかも分からないのに、自由に暮らせるわけがない。
何も恐れずに街を出歩くことも、買い物を楽しむことも、何もかもができなくなるのだ。
「それだけは。それだけは絶対に許さない。極夜卿と会長の秩序を壊させるわけにはいかないわ」
「……アリスの言うとおりです。会長は立派なリーダーだと私たちは知っています。決して、いわれの無い罪でテロリストに狙われるようなことはあってはいけません」
「柊さん」
僕たちは三人で柊を見つめる。何を言わんとしているのか視線だけで伝わったようで、柊は「緊急事態ですからね」と頭を掻いた。
「三人に特別任務を与えます。本部に行き、犯人らしき死神がいないか探してください。いない場合でも警戒を続けて見回りをお願いします。そしてもし、犯人がいた場合は――無力化のため、交戦を認めます。できれば交渉してほしいものですが、きっと相手から仕掛けてくるでしょうから」
「はい!」
「それと」
今にでも飛び出して行こうとする僕たちを呼び止めるように、彼は微笑む。
「住民の安全と、あなた達の安全が第一です。もし手に負えないようであれば、すぐに私を呼んでください。一区までの距離であれば、五分もあればつくでしょう。余裕を持って判断をお願いしますね」
純粋な心配がにじみ出たその笑みに、僕たちも思わず笑顔が零れた。犯人と対峙するかもしれないというこの状況で笑えるとは思わなかったが、それでも僕たちの中にあった不安は確かに吹き飛んでいる。
「もちろんです。任せてください、柊さん。我らが『規律』の名の下に、必ず任務を遂行します」
「――ええ。アリスさん、リゼさん、そして深月さん。三人の力を信じています。我らが『規律』の名の下に」
そうして僕たちは柊に背中を押され、第四区の仮設テントを後にした。
「……それにしても、まさか本当に犯人がいるとは思いませんでした」
アリスは男と応酬を続けているけれど、今まで一度も決め手になる一撃を繰り出せていなかった。離れたところで見ていても、相手が全て上手いこと受け流しているのがよくわかる。アリスは苦しそうに歯を食いしばっている一方、男は飄々とした笑みを浮かべるばかりで、なんともないように全ての攻撃を回避し、受け流しているのだ。
なんとしても、あの男が起爆スイッチに手を掛ける前に取り押さえなければ。
「ミッシェルさん、動けそうなら、リゼさんと協力して周囲に避難指示を出してくれますか。僕も、アリスさんに加勢します」
「っ、ええ。もちろんです」
ミッシェルは幾度か目を瞬かせると、すぐに立ち上がり住民達のもとに向かおうとする。しかし、遠回りをして本部前広場に向かおうとしたところで、ミッシェルはその足を止めた。
「深月様!」
振り返って、彼が叫ぶ。恐怖に震えるその声が僕の鼓膜を震わせて、僕は顔をそちらに向けた。
「今朝の無礼、ここで詫びさせてください。貴方はこんなにも『規律』を重んじている。貴方は、我々が誇る『規律』の死神の一人です」
こちらは任せてください、後を頼みます。
そう言って、彼は野次馬を遠ざけるべく広場にいるリゼの所へと駆け出していった。
「……頑張らないと、だよな」
その言葉は、自分を鼓舞するためのもの。目の前で繰り広げられる戦闘に加勢するべく、僕は武者震いを起こす足に力を込めた。
「デスサイズ!」
アリスに向かって振り下ろされた斧の一撃を、即席の盾によって受け止める。その反動から男は思いきり仰け反って、男の懐が露わになった。そして、生まれたその隙を見逃すほどアリスも弱いわけでは無い。的確に、けれど「雄風」の名に恥じぬ速さで、アリスは男の腹を切りつける。
鮮血がコンクリートに飛び散った。男はすぐさま距離をとり、ぎろりとその目を歪ませて、腹を押さえながら僕たち二人を睨みつける。
「……二対一かよ。卑怯だなあ『規律』の死神は」
「私たちは共闘するの。同じものを掲げる仲間として。同じ理念を貫く同志としてね。深月、ありがとう」
「いえ。僕も、ここからアリスさんに加勢します」
男の目がさらに鋭く僕らを射貫いた。しかし、この程度で揺らぐことはない。僕の隣にはアリスがいて、そしてすぐそこでリゼも共に戦ってくれているからだ。
一緒に戦う仲間がいる。それだけで、奥底から止めどなく力があふれ出してくるような気さえした。
「……まあ、このくらいの傷、すぐに治せるんだが」
男が自身の腹を指でなぞると、そこにあったはずの切創がみるみるうちに消えていく。どうやら、相手の回復が間に合わないほど、攻撃を叩き込む必要があるようだ。
僕とアリスは互いに視線を交わす。僕も大剣を装備して、男を見据えて剣を構えた。ここからはアリス一人では無い。二人で、あの男と戦うことになる。
対人の実戦は初めてだ。けれど、僕の中には不安をかき消すほどの覚悟がごうごうと燃えている。背に腹は代えられない、そんな状況だからだろうか。
いや。僕はただ、蓮花のことを、覡やルカ、アリスやリゼ、柊みんなが所属するこの協会を守りたいだけだ。
――大切なものを守るため。僕の刃は、そのために存在しているのだから。
男が斧を構え直したのを見て、僕たちは頷き合った。呼吸を合わせ、犯人の一挙手一投足に意識を向ける。
そして。
「危なくなったらリゼが柊さんに連絡してくれるわ。だから、私たちは目の前のあの男に集中しましょう」
「はい」
「……よし。第二ラウンド、開始よ」
アリスの合図に合わせて、僕たちは同時にコンクリートを蹴り飛ばした。




