Episode12「混乱と不信」②
東ユーラシア死神協会本部、四百四十四階。ここには調停者の私室があり、同時に東ユーラシア統治区の全体を見下ろすことができる見張り台でもあった。壁には「回生の樹」の枝葉を納めるほどの巨大な窓がはめ込まれ、広い床は鏡面のように磨かれている。
そしてその広い床の上には、一際大きなイスが一脚と執務机が一台、そしてソファが二台、ローテーブルを挟んで置かれていた。ソファは黒い革張りで、ローテーブルは窓さえうらやむ透き通ったガラス製だった。
「はあ……」
この私室の持ち主である蓮花は、ソファに腰掛けて大きなため息をつく。ローテーブルに乱雑に資料を広げ、電話をソファに投げ出して、誰に見られることも無く頭を抱えた。
蓮花を取り巻く状況は、日に日に悪化している。
ひとまず議会での混乱は抑えた。支部長はものわかりがいいし、蓮花の判断が理にかなっていることも理解しているはずだ。この混乱の最中で、反乱を起こすようなことはしないだろう。各支部の会員についても、『規律』に対する信仰があるのなら問題はない。
蓮花が気に掛けているのは、そうではない一般市民についてだった。死神は全員が全員協会で仕事をしているわけではない。商店を営むものもいれば、野菜を作り育てるものもいる。サラリーマンだけで社会が回らないように、冥界もさまざまな業界で事業を営むものによって経済が回っている。そして、彼等にとって重要なのは、自分たちを『規律』が守ってくれるかどうか、という点だ。
「市民への情報を制限するのは要らない憶測を生むでしょう。なら、公式に会見を開くべきね。でも不安を煽るような内容はだめ。現在調査と救助活動を行っている――この程度にしましょう。救助活動の現在の報告を聞いて、それから……」
混乱を防ぐため、そして彼から受け継いだ「規律」を守るために、蓮花にはやらなければならないことが山ほどあった。しかし、こういうときにこそ落ち着くことが重要だと、蓮花はよく知っている。
「……極夜卿」
今は居ない、かつての上司。その二つ名を舌の上で転がせば、蓮花の精神の奥底から少しずつやる気が湧き上がってくるような心地がした。
「貴方は私に言ったわね。『お前なら俺よりも優秀な調停者になれる』って。私もそうなってみせると息巻いたけど……まだ、何かが足りないみたい」
薄く埃の積もった王座を眺め、蓮花は使っていない執務机を撫でる。
「やっぱり、冥府に認められていないからかしらね。部下は皆、疑念を帯びた目で私を見つめるわ」
蓮花の脳裏に浮かぶのは、このイスに座っていた極夜卿の姿だった。上司と部下という関係性だったが、個人としての蓮花と彼の間に上下関係はない。似たような時期に冥界で活動を始めたからだろうか、冗談も言い合ったし、部下達が身震いするほどの喧嘩だってしたことがある。
ゆえに、蓮花は彼に託された。この協会の未来を、『規律』による平和の維持を。
「けれど、だからこそ。貴方から受け継いだ『規律』を、私は守りぬいてみせる。貴方が安心して自分のことに向き合えるように」
ここには居ない蓮花の友人。彼を想像して、蓮花は深く息を吐く。窓の外から見上げる「回生の樹」の光は、極夜卿の髪色とは正反対の色をもって、この広い私室を照らしていた。
「……そのために、私は歩き続けなければ。もう貴方をこのイスに座らせない。貴方に重荷は背負わせない。それが、調停者の名を冠することを決めた私の覚悟――そうでしょう、蓮花」
そう言い残して、蓮花は仕事に戻るべく立ち上がる。残された空虚な玉座は、彼女の背中をじっと見つめていた。
『東ユーラシア死神協会本部より、蓮花会長の緊急会見を行います』
商業区画の交差点に掲げられた巨大な電光掲示板が突如として光を放つ。付近で救助作業を行っていた死神達は一斉に耳をそばだたせ、僕もアリスとリゼとともに土埃から顔を上げて電光掲示板に視線を向けた。
『冥刻十三時ごろ、商業区画にて爆発事故が発生しました。我々協会は現在救助活動を行っています。東ユーラシアの住民の方々のご協力により、避難および救助活動は現在順調に進行しております。原因の究明のため、今しばらくご協力をお願いいたします』
画面に映された蓮花は、現在の状況を簡潔に説明したあと、本部に集まっているらしい記者のフラッシュを一身に浴びる。質疑応答の時間に入ったようだ。少しのざわつきの後、そのうちの一人、真面目そうな若い女性の声が聞こえてきた。
『蓮花会長。この度の一件につきまして、事件ではないかとの声が上がっております。東ユーラシアの『規律』を守護するものとして、何かお話はございますか』
女性の質問に、蓮花は顔色を変えずに口を開く。
『我々は現在調査を行っております。フォース・スクエア南館においては爆発物が発見されており、事件である可能性は高いと言えるでしょう。みなさまの不安も理解できます』
直後、記者たちが一斉にざわついた。画面越しにその不安が伝わってきたのか、僕たち現地で動く死神たちの間にも凄まじい緊張が広がっている。
『ですが』
そんな緊張や不安を払拭するように、凛とした蓮花の声が響いた。
『住民の方々は、我々協会がこの身を賭してお守りします。みなさまには、安全な場所への落ち着いた避難と、調査へのご協力を引き続き、繰り返しお願いいたします。みなさまの協力により、我々はこの件の真相を解明することができるとともに、みなさまの身を守ることにもつながるでしょう』
蓮花の姿勢は揺るがない。真っ直ぐに彼は視線を前に向け、背筋をピンと伸ばしている。それはまるで、彼女が掲げ、重んじる「規律」の堅固さを体現しているようで、僕はしばらくの間彼女の瞳に見蕩れていた。
『……そもそもなぜ、このような事件が起きたのでしょうか』
しかし、そんな彼女の発言を無に帰すように、一人の男がくぐもった声で疑問を呈す。彼女の発言によって落ち着いたはずの会場が、静かにまたざわつき始めた。
『貴方の『規律』が揺らいでいる――その証左ではないのですか。今まで、こんな事件は起きたことがないでしょう。少なくとも、かの極夜卿の御代において、このようなテロは起きなかった』
『何を根拠に、この事件がテロだというのですか』
挑発するような物言いに、しかし蓮花は冷静に応対する。その目は「これ以上は許さない」と言いたげだったけれど、男の口は止まらなかった。
『テロでしょう! 誰がどう見ても、誰がどう考えようと! 商業区画で住民を襲う爆破が二度もあったのです。多くの死神が瓦礫の下敷きになりました。貴方の『規律』の成す秩序は、そんな彼等を守ることができなかった!』
男が朗々と語る。聴衆を煽動するように、禍々しいなにかを蓮花にぶつける。会見会場を支配し始めた疑念のざわめきが、全国放送によって東ユーラシアを駆け巡っていた。
『極夜卿よ。彼女が後継に相応しいわけがない――やはり、彼女は選ばれてなどいないのでしょう。冥府は彼女に特権を与えず、彼女には実力もない。ここは、責任を取ってその座を降りるべきではないのですか!』
『退室を! 規則では、会見会場での許可のない発言は禁止されています!』
記者の男は、警備によってずるずると引きずられているのか、どんどんとその声が小さくなっていく。しかし、その声が完全に聞こえなくなるその瞬間まで、男は延々と蓮花に向かって叫び続けていた。
『これにて会見を終了いたします! 新たな情報が判明し次第、改めて情報を発信いたします!』
会見会場を疑念と混乱で満たしたまま、中継はぶつりと切断される。真っ黒になってしまった電光掲示板を見上げて、死神たちは口々に不安の声を上げ始めた。
――あんな風に切ってしまって、会長は大丈夫なのだろうか。
――本当にテロだとしたら、これは前代未聞だぞ。
あらゆる疑念が、不安が、恐怖が、電波に乗って東ユーラシアを混乱に陥れる――そんな妄想すらしてしまえるほど、商業区画の交差点は一気に雰囲気が変わっていた。それぞれの胸中にしまっていたはずのネガティブな感情が、あの記者の言葉によって輪郭を得たかのように。
「……まずいわね」
隣でアリスがぽつりと呟く。リゼはわなわなと唇を震わせて、消え入りそうな声で「はい」と肯定した。
「今の放送で、皆の中に不信が生まれている。『規律』が揺らげば、東ユーラシアが崩れるのも時間の問題よ」
「ど、どうしましょうか。統率に問題が生まれれば、救助活動もままなりません。どうしかして、皆さんの不安を取り除かないと。でも、私たちはただの平社員ですし」
「できる限り、行動で示すしかないわ。皆が固まっている間、私たちで少しでも多くの死神を助けるの。『規律』はあなた達を守るのだと、協会の意志を住民に伝えるために」
僕とリゼは頷いて、アリスの言葉のとおりに瓦礫に敷かれた人々を探す。血の海を踏みつけて、崩れた瓦礫を壊しながら、粉塵の中魂を集め続けた。
魂さえあれば、死神の肉体は元に戻る。そもそも冥府によって与えられた肉体なのだから、冥府さえ健在であれば死神は何度でも蘇るのだ。でなければ、先程足を断ち切った女性のように、楽観的でいられるはずがない。
けれど、簡単に死なないということは、死ねないということでもある。死ねないのなら苦痛は続くし、痛みはずっと残り続ける。死神だって、痛覚を失っているわけではないのだから。
「『規律』の名の下に――貴方を助けに来たわよ」
潰れた死神を瓦礫の中から見つけると、アリスはスラックスが汚れるのも厭わずに血だまりに膝をつく。そして、小刀のような大きさのデスサイズを創り出し、魂と肉体を繋ぐ糸を断ち切った。靄のような魂がふわふわと誘われるように試験管に収まると、肉体はその場でぴくりとも動かなくなる。それはまさに、「死体」と呼べる抜け殻だった。
腹の底から、何かがせり上がってくるような心地がする。
この数時間で、一体何人の死体を見ただろう。現世でもこんな場面に出くわしたことはない。あの忘れられない光景だって、こんなにもむごたらしい様相ではなかった。少なくとも両親は、人の形を残していたのだから。
しかし、目の前に広がっている光景はまるで違う。死体が当たり前のように転がっていて、足下は潰れた肉片と絞り出された血で満たされている。何とか耐えようとしたけれど、食道がひりひりと焼け付くような感覚がどうしようもなく僕を襲った。
「……試験管が一杯になったので、一度私は拠点に戻ります。二人の分も纏めて持って行きましょうか。あまり魂を連れ回したくないですから」
「よろしくお願いします、リゼさん」
「ミツキさん……大丈夫ですか。顔色があまり良くないみたいですが。疲れているなら、少し休んだ方が」
僕の様子がおかしいことに気が付いたのだろう、リゼは僕の顔を覗き込むように訊ねてくる。僕は何とか作り笑顔を浮かべて、せり上がってくるものを不安と共に飲み下した。
「気遣いありがとうございます。でも、まだ動けますから」
そう、まだ動ける。
動けるのなら、できることをしなければならない。
気持ち悪いからと言って、認められないからといって、ここで休んではいけないのだ。
――他でもない僕自身が、彼等の世界に踏み入れることを決めたのだから。
「……わかりました。でも、無理はしないでくださいね」
「リゼの言う通りよ。こういうことに慣れていない死神も多いんだから、気分が悪くなることは恥ずかしくないわ。休めるときは、しっかり休みなさい」
「……ありがとうございます」
「では、私は魂を運びます。アリス、ミツキさんのことをよろしくお願いしますね」
「ええ、任されたわ」
リゼはにこりと笑うと、僕たちの分の試験管を持って、瓦礫の上を身軽に走って飛んでいく。その背中を見送ってから、僕たちは眼前に広がる惨状に向き直った。
「それにしても、これほどの威力の爆発……普通の爆弾では無理ね」
地面に転がったコンクリートの破片をつまみ上げ、アリスはぐるりと周囲を見渡す。ガラス片、コンクリートの瓦礫、燃えて灰になった衣服。全てが地面に転がっているけれど、そのどれもが理解しがたい現状だ。
フォース・スクエア南館は八階建ての商業施設。五階が爆発し、それより上の階層は皆崩壊し、下の階層も影響を受けて一部倒壊し、一部脆くなっている――というのが、調査班からの報告だった。だが、むき出しになった鉄筋を見ても、まるで支えを失った積み木のようにそう簡単にがらがらと崩れるだろうかと疑問が湧き出るばかりだ。
「……例えば、これがただの爆弾による爆発ではなく、『デスサイズ』による力だとしたら。犯人は……まだ、この近くにいるはずよ」
「デスサイズによる爆発……って、そんなことが可能なんですか?」
僕の疑問に、アリスはゆっくりと首肯する。そして、何を思ったのか手のひらを虚空に向けて、「見ていなさい」と一言告げた。
「私は大地を駆ける者。規律を乱し秩序を崩す芥を払い、混沌たる世に平穏をもたらさん」
アリスが何かを唱えたその瞬間、彼女の手のひらから凄まじい風が生み出される。風はやがて彼女の肉体をふわりと持ち上げ、まるで彼女自身が風になってしまったかのように、瞬きの合間に彼女の身体をどこかへ運んだ。その光景は虚無から武器を生成するデスサイズとよく似ていて、僕は思わず瞠目する。
どこに消えたというのだろう。ハッとして辺りを見回すと、いつの間にか目の前に立っていたアリスはどこからか助けてきたのであろう怪我人を横に抱いていた。
途端、彼女の二つ名が脳裏に蘇る。
「雄風」。
それが彼女の二つ名だとリゼは言った。例えばその剣が風のように早いとか、身のこなしが軽やかだとか、そういう例えの話ではない。
彼女自身が風だった。
大地を駆け、空を舞う風。
「雄風」の名は、彼女そのものを表す二つ名なのだ。
「……驚きすぎよ。とにかく、この人を運んでくるわ」
びゅん、と頬を切りつける猛風と共に姿を消したアリスは、ほんの一瞬で怪我人を医療班に届けてみせる。何が起きているのか上手く処理できず僕があっけに取られていると、彼女はこほん、と軽く咳払いをした。しっかりしろ、とでも言いたげに。
「……ある程度デスサイズを使っていると、こんな風に『武器』以外のものも作り出せるようになるの。ただ、作れるものは人によって違うけど」
とにかく、とアリスが続ける。
「私の風は、私がどれだけこの力を扱えるかによって威力が変わる。同じように、あの爆発がデスサイズによるものならば――固有のデスサイズとして、爆弾を創り出すことができるなら、私たちの想定をはるかに超える威力をもつ爆弾を創れるはず」
アリスの言葉に、僕はゴクリと喉を鳴らした。
デスサイズ――死神の武器は、まだ知らないことが多そうだ。自分の大剣もいつか別の姿に変わるのだろうかと空想しながら、僕はアリスの言葉に頷いた。
「なら、凄く危険じゃないですか? 犯人がいる限り、この被害は広がりますよね」
つう、と首筋を嫌な汗が伝った。
もしアリスの推測通りなら、この事件は一見落ち着いたように見えてそうではない、ということだ。今でも犯人が何処かに潜んでいるかもしれないし、他の地域に移動しているかもしれない。ここではないどこかが、また爆発する可能性がある。
「でも、犯人捜しはできないわ。『規律』の名の下に、私たちが規則を破っては意味が無い。上から命令が出ない以上、私たちができるのは住民の救助だけ」
「……それは」
つまり、僕たちはこの事件を解決することができない。
例え、さらに被害が広がったとしても。
「私たちはできることをするしかない。試験管の空きはまだある? もっとフォース・スクエアの奥に向かいましょう。瓦礫が崩れてきたとしても、私が全てなぎ払ってやるわ」
胸中に広がる無力感を紛らわせるように、アリスは無理矢理な笑顔を浮かべてそう言った。その顔を見て、僕の中には言いようのない感情があふれ出す。
果たして、このままで良いのだろうか、と。
「規律」は大切だ。皆が好き勝手動き始めて、取り返しのつかない状態になってはもう遅い。一度壊れた花瓶がもう下には戻らないように、「規律」を守ることは治安という花瓶を守ることと同義だった。平穏のためには一ミリのヒビも許されないことは、僕にもアリスにも、そして他の死神だって分かっているだろう。
それでも。
どうにかしたくてもどうにもできない、そんな歯がゆさが、僕の思考をぐるぐると巡っていた。




