Episode12「混乱と不信」①
「第四区で爆発とは! 『規律』の平定するこの地で、そのような事件が起こるとは」
「事件? 本当に事件なのか? 二棟も爆発したと聞いたぞ!」
「犯行声明は来ていないのでしょうか。来ていないなら、まだ事故という可能性もありましょう」
東ユーラシア死神協会本部、その四百四十五階に位置する大会議室は混乱に陥っていた。丁度議会を行っていたこの会議室に届けられた急報と、第四区の方角に立ち上った煙を見て、支部長たちは会議も忘れ口々に事件について話し始める。
「落ち着きなさい」
そんな騒動を収めるように、一人議長の椅子に座っていた蓮花が声を上げた。支部長達の視線が一斉に蓮花に向けられるが、蓮花は眉一つ動かさずに言葉を続ける。
「第四区の担当支部は……関東支部ね。現場からの連絡があるなら報告を」
「関東支部の柊です。現場に派遣している死神三人が現場で爆発を目撃したとのこと。爆発したのはフォース・スクエアの南館と冥冥百貨店の本館。緊急事態と判断し、こちらで既に救援部隊を要請いたしました」
「分かったわ。では、隣接する第三区と第五区は避難民の受け入れを。周辺地域を含め対策委員会を設立し、救援部隊は粉塵が落ち着き次第、逃げ遅れた住人の救助および治療を行うように伝達して。二次被害を防ぐため、建物内への立ち入りは当面許可しない」
「承知いたしました。失礼いたします」
蓮花の指示を聞き入れた支部長たちは、大急ぎで会議室を飛び出していった。しかし、会議室内の不穏な空気は収まることなく、殆どの支部長は大きなガラス窓から見える煙にばかり目がいっている。
「事件だとしても犯人捜しは後回しよ。被害状況の把握と安全の確保が最優先。手の空いている支部はある? 今すぐ柊たちの助力に回って。救助には人手が必要だわ」
「第二区担当上海支部、現地に向かえます」
「第六区担当バンコク支部も向かえます。命令があれば、すぐにでも」
「ありがとう。医療班を含めた救援部隊を編成して。他の支部は混乱の伝播を防ぐため、警備の警戒レベルを引き上げなさい」
「はっ!」
次々と人が出払っていく会議室の中、現場から離れた地区を担当する支部のリーダー達は蓮花の指示を聞きながらひそひそと話を続けた。蓮花は現状でき得る限りの指示を飛ばし終えると、喧噪が支配する会議室を眺め回す。空気に触れるだけで、彼等がこれまでにない動揺と不安を抱えていることがひしひしと伝わってくるようだった。
「蓮花会長!」
ふと声が上がった方に視線を向けると、一人の恰幅の良い支部長がこちらを見上げて立っていた。その目はどろりとした欲望に塗れていて、蓮花は思わず言葉を失う。
「これは爆破テロに違いありません。貴方が『規律』に相応しくないからこそ、このような形で不信が暴走したのです」
「なんて言いがかりを!」という声がところどころから上がったものの、中にはその発言に頷く支部長もいた。どうやら、彼等は責任の所在を求めているらしい。まさかこんなことになるとはと、蓮花は心の中で頭を抱えた。
「責任など、今は考えるべきではないわ。それに、犯行声明が出ていない以上、これを事件だと決めつけるのは時期尚早よ。まずは事件の収束を図るべきだという私の考えは間違っているかしら」
「しかし、今まではなぜ事件が起きなかったのですか? なぜ、今になってこのような騒動が? ついに……かのお方の栄光が薄れたということではないのですか? 貴方が王座になどつかなければ、このようなことには」
「黙りなさい」
どん、と机を叩く音が会議室に響く。蓮花は拳を突き立てて、凄まじい剣幕でその恰幅の良い支部長を睨んだ。
「今はそれどころではないといっているの。責任を追及したいならするといい。けれど、そんなことにうつつを抜かして無辜の民を死なせることはあってはならない。『民は守るべき宝である』――あなた、極夜卿の教えを忘れた訳ではないわよね」
蓮花の言葉に恰幅の良い支部長は黙りこくる。ざわついていた他の支部長も蓮花の言い分が正しいことを再認識したのだろう、大人しくその口を噤み、蓮花の次の言葉を待つように姿勢を正した。
「我らが『規律』は規則を守る万人のためにある。秩序のために刃を振るい、平和のために忠義を尽くせ。第一に行うべきは住民の救助であると私は判断した。この意見に異議を唱えるものは、この協会から出るといい。……分かったわね」
「……出過ぎたことを申しました。会長の仰るとおりでございます」
すっかり萎縮した支部長は、へなへなと椅子に戻っていく。中立を貫いていた支部長達はその様子を眺めながら、しかし何かを言いたげに唇を噛みしめて、議長たる蓮花のことを見上げていた。
蓮花はそんな彼等をひととおり眺めたあと、窓から見える煙に視線を移す。
――まさか、こんなことになるなんて。
つとめて冷静に混乱を落ち着かせたつもりではあったが、動揺しているのは蓮花も同じだった。蓮花がこの座に座って二十年余り、その前の極夜卿の時代数千年を通して、このような騒動が起きたことはない。西ユーラシアの地域で暴動が発生し、その救援に応じたことこそあるものの、この東ユーラシアの土地が燃えることなど一度もなかった。
だからこそ。
――本当に、私が会長に相応しかった?
蓮花の胸中には、どうしようもないくらいの疑念と不安が、拭いきれない灰燼のように降り積もっていた。
「誰か! 誰かいませんか!」
僅かに粉塵の残る市街を僕たちは駆け回る。救援部隊に避難誘導を引き渡してから、僕たちは事件現場であるビルの近辺に逃げ遅れた人が居ないかを探していた。瓦礫の中に声を掛け、地面にばらついたガラス片を踏みしめて、粉塵を吸わないように気を付けながら人影を探す。
「ここ、ここよ! 助けて!」
倒壊した建物の向こう側、瓦礫の奥から若い女性の声が聞こえた。なんとか振り絞っているのであろうその声に、僕は大急ぎで駆け寄った。瓦礫を飛び越え声の元に近付くと、粉塵のなか薄らと人影が見えた。
その人影に「大丈夫ですか」と声を掛けようとして、僕は言葉を失う。
ようやく見つけた女性の足は瓦礫の下に潰されていた。凄まじい血だまりが周辺に広がっている。しかし、当の本人は僕の姿を見つけるやいなや、まるでトンネルの出口でも見つけたかのようにその表情を明るくさせた。
「ああ、極夜卿。貴方は我らを見捨てていなかったのですね。ありがとう、協会の坊や」
「……すぐに、そこから救助しますから。人を呼べば、その瓦礫は持ち上げられるはずです。だからもう少し頑張って」
「いいわ、貴方がきてくれただけで充分」
人を呼ぼうと引き返そうとした僕の裾を、彼女は柔く引っ張る。なんで引き留めるのかと彼女の顔を見ると、女性はにっこりと優しい笑顔で僕に言った。
「両足を切って頂戴。生憎、自分でデスサイズを作れるだけの力が残っていなくて。無くした足が生えるまでは流石に時間がかかるけど、それが一番手っ取り早いわ」
「両足を切るって……え?」
「ほら、切って。近くに医療班も来ているんでしょう?」
――彼女は何を言っている?
僕は呼吸も忘れるほど愕然とした。両足が生える? その方が手っ取り早い? 女性の言っていることが理解できず、僕はただ目を瞬かせる。そんな僕を一瞥した女性は、気にしないでと言いたげに口角を上げ、さらに言葉を重ねた。
「死神は簡単には死ねないんだから。両足失ったくらいじゃ大丈夫。一週間も寝ていれば生えてくるはずよ。だからはやく、ひと思いにお願い。流石に足を無くすのは辛いけど、じわじわ痛いのが続くのはもっと嫌よ」
早く、と急かすように見上げてくる彼女のことを、僕は呆然と見下ろすことしかできなかった。普通に考えて、彼女の言っていることは普通ではない。
瓦礫に下敷きになった人を助けるために、その人の足を切断するなんて。しかも、それが「生えてくるから問題ない」としてしまうのも、彼女の判断や価値観が僕とかけ離れていることを実感させられた。
それもそうだ。僕は人間で、彼女は死神だ。
ルカが傷を負うのを厭わないように。
覡がどこか傍観するように現世の事象を眺めているように。
僕と彼女では、住まう世界が違う。物事に対する価値観が違う。命に対する、肉体に対する考え方が違う。そして、僕はそれに向き合う覚悟を決めたはずだった。
「……わかりました」
大剣を創り出し、彼女の関節に刃を当てる。照準が狂わないように意識を集中させながら、僕は大きく息を吐き出した。そして、ひと思いに剣を振り上げる。
「あああっ!」
ぶつり、と肉と骨が断ち切られる感覚が、彼女の悲鳴と共に僕の腕に伝わってきた。決していいものではないその感覚に顔を歪めながら、僕は大剣の重量を上手く使って彼女の足を切断する。一度では上手くいかなかったため、何度も剣を振り上げて。
「……すぐに、医療班の元に連れて行きますから。もう少しだけ耐えてください」
やがて、彼女は悲鳴を上げるのも疲れたのか、ぐったりと血の海にしなだれかかった。彼女の足を切断した僕は、血まみれになるのも厭わずに彼女を抱き上げる。近くに来ている救援部隊の医療キャンプを目指して、僕はひたすらに足を動かした。腕の中で、「ありがとう」と力なく僕の袖を掴む彼女を見下ろしながら。
僕が女性を連れて医療キャンプのもとにたどり着くと、そこには似たように足やら腕やらを失った人達が、患部を包帯で処置されてブルーシートの上に寝かせられていた。今見える時点だけでもおよそ百人はいるだろうか。医療班の白衣を着た男性が僕の姿に気が付くと、包帯を片手に駆け足で近付いてくる。
「こちらに寝かせてください。治療は私たちに任せて、あなたはすぐに対策本部へ」
「はい。彼女をよろしくお願いします」
医療班の男性に連れてきた女性を預け、僕はキャンプの端に作られた対策本部に向かって歩を進めた。あちこちで要救助者を探す声が上がり、土埃の中で逃げてきた人がキャンプに向かって足を引きずりながら歩いてくる。周囲を見渡せば目に飛び込んでくるその凄惨な光景に、僕は思わず喉を鳴らした。
「深月、早く。柊さんが来たわ」
対策本部には、すでにたくさんの死神が集まっていた。様々な国籍や人種で構成されながら、そこに立つ死神は皆険しい表情を浮かべている。そんな死神達の中心で、柊が僕に向かって片手を挙げた。
「御苦労様です、深月さん。その血は君のものではなさそうですね。早速ですが、調査隊から倒壊した二棟についての報告が上がっています。まだ体力はもちますか」
「はい」
僕の返事を聞き、満足げに目を細めた柊は、ホワイトボードに記した簡単なマップを指さした。
「では報告を共有します。まず初めに、爆発したフォース・スクエアの南館について」
フォース・スクエアは商業区画随一の商業施設だ。二番目に爆発した冥冥百貨店は高級志向だけれど、こちらは庶民向けのお手頃なブランドや飲食店が詰め込まれている。その誰でも入りやすい雰囲気からか、冥冥百貨店よりも中にいたと思われる客の数が多いという。
「爆発したのは五階の雑貨エリア全域。爆発の痕跡から、支柱を壊すように爆弾が張り巡らされており、そのためにフォース・スクエアは半壊したと考えられます。一階ホールは倒壊のおそれがありますから、既に壊れている裏口から中に入ってください。冥冥百貨店の救助経路については、調査報告が上がり次第こちらのマップを更新します」
柊の説明を聞き、死神達はこくりと頷く。その反応をみとめて、柊は更に言葉を連ねる。
「肉体が六割残っているものは、肉体ごとキャンプに連れてきてください。それ未満の者は、魂だけをこの試験管に入れて集めます。その場合、肉体は放置で構いません。よろしくお願いいたします」
柊の後ろには、山ほどの試験管がケースに入れられて置かれていた。ざっと一ダースが三百箱ほど。冥冥百貨店と合わせた客数を考えれば、恐らく足りない。一時的にかきあつめてきたのだろう。この手のひらほどの試験管に一人分の魂が入るというのだから驚きだけれど、もはやこの程度で驚いてはいられなかった。配られた試験管を他の死神に倣って腰のベルトにくくりつけ、僕は柊の次の言葉を待つ。
柊は僕たちが出発の準備を終えたのを見届けると、最後に、と深刻そうな面持ちで声を上げた。
「これは事故ではありません。事件です。しかし、犯人捜しは後回しにしてください。もし救助中に犯人とおぼしき人物と遭遇した場合は、ただちに対策本部に連絡をいれること。拘束できそうであれば拘束してください。ただし交戦はしないように。『民は守るべき宝である』――先代の教えを忘れないようにと、会長は仰せです」
「はっ!」
死神達の返事が、低く対策本部のテントを震わせる。そして、彼等は靴底を鳴らして現場へと掛けていった。その衝撃に圧倒されながら、僕は柊の方に視線を向ける。僕たちの前で背筋を伸ばし、不安のひとかけらも見せずに指示を飛ばしていた彼の表情は、僅かに曇っているように見えた。
「……柊さん」
「ああ、深月さん。なにか聞きたいことでもありましたか」
解散していく死神の中で、彼は眉を下げながら僕に問うた。その様子は随分と心労を溜めているように見えて、僕は慌てて首を横に振る。
「いえ。質問ではないんです。ただ、柊さんが何か悩んでいるように見えたので……すみません。僕も、今すぐ救助に向かいます」
「待ってください」
そう言って、柊が踵を返そうとした僕を呼び止めた。はっとして立ち止まり振り返れば、そこには眉を下げて困ったように微笑む柊が立っている。
「……貴方は察しが良いのですね。その観察眼は、顕界で培われたものでしょうか」
柊の言葉に僕は押し黙った。どちらかといえば、僕がこうして人の顔色やら感情やらを窺おうとするのは、僕の育て親による影響の方が大きいだろう。けれど、それを訂正する必要は感じられない。僕は何も言わぬまま、柊の次の言葉を待った。
「犯人捜しはするなと言ったのを覚えていますね。それは貴方を守るためでもあります。貴方は決して、自分の本来の所属を口外してはいけません。今の冥界では、知らない人物は犯人として叩かれかねない。なにかがおかしいのです」
「おかしい、ですか?」
柊は首肯する。その眉間には僅かにしわが寄せられて、彼の抱く悩みがただ事ではないことを僕は理解した。
「この規模の混乱が起きたのはこの東ユーラシア統治区では初めてのこと。極夜卿の時代まで遡ったとてありません。何か嫌な動きが、私には感じられるのですよ。ですから」
そう言葉をきった柊は、ゆっくりと瞼を持ち上げる。紫紺の双眸で僕を真っ直ぐに見据え、柔和に目尻を下げて言葉を紡いだ。
「もしなにかあったら、すぐに私を呼んでください。貴方の身柄を預かるものとして、必ず力になりましょう」
なぜ、彼が今僕にその言葉を伝えたのか。僕にはその心理が正しく理解できないけれど、それでも分かることが一つだけあった。
柊は、僕を信じてくれている。
僕という普通ではない存在が現れた直後に、こんな混乱が起きたのにも拘わらず。普通なら、僕を怪しむほかないはずなのに。彼の真摯なその瞳には、僕に対する期待が燃えていた。
「……はい。僕も、あなた方の期待に応えられるように頑張ります」
「ええ。よろしくお願いしますね」
柊に微笑まれ、僕は覚悟を決めて踵を返す。僕ができることは、彼等の期待に応えること。僕の冥界での立ち位置を示すこと。そして、ひたすらに歩き続けることだった。
この先、どうなるかは分からない。現世にいつ帰ることができるのかも分からない。それらについて不安はないかといえば嘘になる。けれど、僕は今立ち止まってはいけない――それだけは確かだ。
粉塵の溜まる瓦礫の山を前に、僕は静かに拳を握った。




