Episode11「規律を守りし雄風」②
「二人とも。彼らを自治統括部に引き渡すから、所轄に連絡をお願い」
「分かりました。アリス、怪我はないですか?」
「心配ありがとう。この程度なら大丈夫よ。全く、『規律』を軽視するなんて治安の悪化も良いところね」
あっという間に気絶させられた若者達を見下ろして、アリスは剣を虚空へ解く。リゼが自治統括部――第四区において規則違反を行った者を対応する部署に蓮絡を始めたのを見届けてから、アリスの翡翠は突然の戦闘に立ち尽くしている僕へと向けられた。
「驚きすぎ。このくらいまだまだ序の口よ。全ての死神が武器を持っているんだもの、もっと大規模な戦闘になることも多いんだから。それこそ……」
アリスが何かを言おうとしたその瞬間。
地面を揺らす衝撃と共に、肋骨に響き渡るほどの轟音が、僕たちの立つ商業区の中心街に響き渡った。
数刻前。商業区の中でも随一の高さと賑わいを見せるフォース・スクエア北館の屋上には、二つの人影が立っていた。本来であれば第四区と展望台として賑わいを見せるこの場所は、しかし今はその二つの影を除き誰もいない。
「首尾は上々でございます。全ての観客は着席し、貴方の公演を今か今かと首を長くしております」
影の一つは初老の男だった。もう一つの影に向かいうやうやしく頭を下げたその男は、純白のスーツを身に纏っている。そんな男のことを面白がっているのか、もう一つの影は「ハッ」と払うような笑みを浮かべた。
「公演……公演ね。アイツのセンスだな、その表現嫌いじゃない」
もう一つの影は夕日の如き赤いショートカットの髪を靡かせて、展望台から第四区の交差点を見下ろした。普通の人間であれば交差点にいる人々などただのごま粒にしか見えないが、この影の墨を零したような瞳には、交差点に現れた三人の死神の姿がハッキリと映っている。
「あいつらがここの担当の死神か。ああ、どんな顔をするんだろうな。守るべき『規則』が傷つけられたら。『規律』が瓦解し、あの男の築いた平和が壊されたら」
「……貴方も良い趣味をお持ちです」
「狂想」――初老の男にそう呼ばれた影は、「回生の樹」に照らされた笑顔を更に深めた。漆黒の双眸は狂気に歪み、ぎらぎらと不穏な光を宿している。
「褒めるなよ、『聖譚』。流石にあんたには負ける。まさか生者を冥界に突き落とすなんてな。流石の俺も聞いたことがないぜ」
「……彼は一番の観客です。やがて舞台に上がるものとして、この公演を見届ける義務がある。ああ、ですから間違っても殺してはいけませんよ。死神とは違って脆いので」
「それはルールか?」
「いえ。『現段階では』という前置きがつきますから、ルールとは言えません。どちらかと言えば命令です」
その言葉に「狂想」は心底嬉しそうに口角を上げ、初老の男――「聖譚」とは異なり羽織るだけに留めていたスーツのジャケットをばさりと床に落とした。「聖譚」は明らかに顔を歪めるが、落とされたジャケットを無言で回収し、目の前に立つ「狂想」の背中をじっと見つめる。
「最後に、あのお方より伝言がございます。『自由に任務を遂行せよ』とのこと。我々の目的は分かっていますね」
「ああ。確認するまでもない」
「我々が成すべきは世界の変革。そのためには東ユーラシアを打倒しなければなりません。頼みましたよ、『狂想』」
商業区を駆け抜ける風に吹かれながら、「聖譚」は頭を垂れる。そして風に攫われるように、その姿を瞬きの合間に消し去った。残された「狂想」は誰も居なくなった展望台を眺め回すと、眼下に広がる商業区、そして遙か西側に佇む東ユーラシア死神協会の本部と「回生の樹」を見据え、くつくつと堪えるような笑い声を上げる。
「『我らは太陽を落とす黄昏の使者であり、いずれ空を支配する月光である』……さあ、開幕の時だ」
そう言って、「狂想」が高らかに指を鳴らす。
直後。
隣接するフォース・スクエア南館が、けたたましい爆音とともに粉塵を上げた。
「な、なに?!」
そこかしこから上がる悲鳴に、ワンテンポ遅れて吹き付ける熱風。なにか肉が焼けたような焦げ臭い匂いが鼻先をかすめる。僕たちは突然の混乱に瞠目しながらも、爆音の震源地に視線を向けた。
「……なんですか、あれ」
リゼの震える声が聞こえる。その隣で、アリスは固唾を呑んで呆然と空を見上げていた。僕も彼女たちを追うように、奥底から沸き上がってくる震えを抑えながら顔を上げる。
そこには、商業区を埋め尽くす灰色の煙と漆黒の空を染める紅蓮の炎が広がっていた。聳え立っていたはずの商業施設が崩壊し、満たされた煙から逃げ出すように人々がこちら側へと走ってくる。
「爆発した! フォース・スクエアが、突然……!」
「……爆発?」
避難してきた死神から聞こえた言葉に、僕たち三人は目を合わせた。
「と、とにかく、協会本部に連絡を。自治統括部の電話はまだ繋がってる?」
「いえ、今の衝撃で切れてしまって……でもこの騒ぎなら、三区と五区からも救援がくるはずです。ひとまず本部に繋ぎます」
「分かったわ。リゼ、よろしく。深月、貴方は私と周辺の避難指示を飛ばしましょう。これ以上被害を拡大させないために」
「は、はい」
リゼに本部との連絡を任せ、僕とアリスは混乱の渦巻く中心街を走り回る。突然の事件に動揺している人が多いのか、倒壊していたビルに隣接する施設にいた人達が慌てて外に出始めていた。中心街にある交差点はもはや歩道という概念がなくなってしまったのではないかと錯覚するほどに、混乱に染まった人々によって埋め尽くされている。
「慌てないでください! 走らないで、落ち着いて避難を。私は協会関東支部のアリス・ブランシェです。歩いて、できる限り建物から離れて避難をして下さい!」
「同じく協会の日野深月です。落ち着いて、ゆっくり逃げてください!」
そんな僕たちの指示も空しく、人々は一心不乱に商業区から逃げ出そうと走っていた。人々の波にもまれながら、しかしアリスは懸命に叫び続ける。だがそれも、混乱と動揺に支配された人々には届かなかった。
「はやく、はやくにげなきゃ」
「なんだよ突然?! 爆発って、このビルは大丈夫だろうな?」
「テロか? この『規律』の地域でテロが起きたってのか?」
「ああ、極夜卿! どうか我らをお助けください……!」
人々の不安がみるみるうちに増していく。空気からは極度の緊張と恐怖が滲み、驚きのあまり硬直して動けないものもいた。転んだ人、呆然とする人。その全てに目もくれず、動ける人々はただ独りよがりにこの地区から逃げだそうと走っていく。
そして、そんな人々にさらに追い打ちをかけるように。
交差点の向こう側にあった商業施設が、爆風を吹き出した。
「あああああ!」
「やばい、こっちのビルも爆発するか知れないぞ!」
逃げろ、逃げろ、逃げろ。
そんな意識が一瞬にして空気を満たす。煙に飲み込まれ、落ちてくるガラス片の雨に打たれた者を見捨てて、死神達は逃げていく。人々の奔流の中、アリスだけがそれに逆らうように、必死で人々に呼びかけていた。
その時。
アリスから十メートルほど離れた位置で、一人の女性が躓いた。そこを震源地とするように、人々がバランスを崩し始める。それはさながら人間のドミノ倒しのようで、人々の苦悶の叫び声が鼓膜を震わせた。
このままでは、僕たちも飲み込まれる。
ハッとして隣で声かけを続けるアリスを見るも、彼女はまだ気付いていないようだった。それも仕方が無い、彼女は僕以上に避難の指示を飛ばすのに必死になっている。僕は慌てて彼女の腕を引こうと手を伸ばすも、どうやら間に合いそうに無かった。バランスを崩した成人男性が、アリスに向かって倒れ込んでくる。
「危ない!」
アリスを逃がすことはもうできない。なら、僕にできることはただ一つだ。
以前、間一髪のところラケシスの攻撃を防いだときのことを思い出す。倒れ込んだ人が持ち直せるだけの厚さの壁を想像する。この場合、地面に倒れることは圧死に繋がりかねないだろう。ならば、すこしばかり「ふわふわ」していた方がいいかもしれない――。
そしてなにより、アリスを守れるだけの壁を作らなければ。
「デスサイズ!」
僕は手を伸ばし、人混みの中で声を上げた。どこからか立ち現れた靄がやがて成人男性の身体を包みこむ。靄は次第にその輪郭を結び始め、人々の雪崩をせき止めんとやわらかな壁を形成した。
「な、なんだ?!」
「落ち着いて、体勢を元に戻してください。転んでしまっては逃げようにも逃げられなくなる」
「お、おう」
ぼふり、という音と共に倒れ込んできた人々を支えた壁は、成人男性の体勢を持ち直させたあとすぐに大気に解けて消えてしまった。しかしその壁のお陰だろう、倒れてきた人は平静とバランスを取り戻し、それに伴って少しずつ雪崩も収まっていく。
「皆さん! 足下に気を付けて、前の人を押さないように慎重に逃げてください!」
つかの間の静寂を逃さないよう、避難を再開する死神たちに僕は大声で呼びかけた。すると、人々はこれまでとは打って変わって、ゆっくりと歩いて第四区の外に向かって歩き始める。
「どうにかなってよかった。アリスさん、大丈夫でしたか」
耐久性こそまだまだだが、何とか目的を達成することができた。軽傷者はいるだろうが、取り返しのつかないことにはならずにすんだようだ。僕はほっと胸をなで下ろし、隣で唖然とするアリスに声を掛けた。しかし、何が起きたのか未だ整理がついていないのか、アリスははたと目を瞬かせる。
「……壁」
「壁?」
「ああいうデスサイズの使い方をする死神は珍しいから、驚いて……。とにかく、助けてくれてありがとう」
そう言って、アリスはふわりと綻ぶような微笑みを浮かべた。その笑顔はこれまでの厳しい彼女からは想像できないほど柔らかく、僕は思わず息を飲む。
――こんな顔を向けてくれるなんて、想像もしなかった。
「と、とにかく! はやくリゼさんとも合流して、この後について話し合いましょう。避難の方はなんとかなりそうですから」
「そ、そうね。ビルの爆発についても、原因を探らなければいけないし……深月、早く行くわよ」
「はい!」
頬に熱が集まっているのを誤魔化すように、僕たちは避難の流れから逆らって歩き始めた。
リゼが立っていたのは、避難の流れが大きい大通りから外れたところだった。スマホを片手に心配そうに周囲を見回していた彼女は、僕たちの姿を見つけた途端破顔して、その手を大きく振り始めた。
「ミツキさん、アリス! 無事だったんですね!」
「リゼも怪我がなさそうで良かったわ。それで、どう? 本部から何か連絡はあった?」
「本部はいま対策委員会を設立し、爆発事故の原因究明を行っています。それと、救援部隊をこちらに派遣してくれるそうです。怪我人の把握、被害状況の整理……やるべきことは山ほどありますから」
未だ土煙の収まらない街並みを眺め、リゼは睫を震わせながら目を伏せる。商業施設に収まっていた人の数を考えれば当然のことではあるけれど、混乱が比較的落ち着いたとしても避難は決して順調ではない。そこかしこから「立ち止まるな!」と怒号が上がり、避難する人々の顔には不安や焦燥感がにじみ出ている。
「またいつ皆の焦りが爆発するか分からない。救助や避難は救援部隊に引き継いで、私たちはこの爆発の原因を探らないと。もし犯人がいるのなら……次に何かをする前に捕まえないといけないわ」
「……やっぱり、事故ではないですよね」
リゼの言葉にアリスは頷く。
「一棟だけなら、まだ倒壊事故や施設内での爆発も考えられたけれど……流石に複数となると、あまりにも偶然すぎるわね。事件だと考えて動いた方がいいと思うの」
アリスの言い分は確かにその通りだった。たった数分の差で、商業区のビルが二棟爆発し崩壊したのだ。事故であると考える方が難しい。
「少なくとも、気を抜いて行動してはいけないわ。事件ならまだ爆発が起きるかもしれない。それに、これ以上建物が倒壊する可能性もある。どちらにしろ救援部隊を待つほか無いわね」
逃げ遅れた人は必ずいる。白昼の爆発を一体誰が予測できるというのだろう。しかしミイラ取りがミイラになることは避けなければならない。アリスの判断は冷静で、理にかなっていた。けれどそう言ったアリス本人ですら、その顔に表れる焦燥を隠せないでいる。
「……アリスさん。救援部隊の到着が遅れる可能性もあります。煙が引いたら、見えるところだけでも救助活動を行いませんか」
「そうね。そうしましょう」
僕の提案に首肯したアリスの目は、ひたすらに粉塵の先に向けられていた。




