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葬送哀歌は夜明けとともに  作者: 月乃はな
第一幕「規律の御旗を揚げる刻」
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Episode11「規律を守りし雄風」①

「いやあ、まさかアリスとミツキさんがお知り合いだったとは!」


 僕とアリスの間に漂うぎこちなさを払拭するように笑うのは、柊によって呼ばれた助っ人――リゼであった。彼女は丁度僕のオーダースーツを顕界に持って行こうとするところで、柊の電話によってスーツを片手にこちらに飛んできたのである。どうやらリゼはアリスとも仲が良いようで、先程から僕を置いて、道中でのアリスとの談笑を楽しんでいた。


「私こそ、貴方がこの男と知り合いだったなんて驚きよ。とうきょ……あそこにまで商売の手を伸ばしていたのもね」


 僕に向ける冷たい表情とはまるで違う、凛とした優しさを湛える顔でアリスは微笑む。花が綻ぶようなその笑顔に、そしてキラキラとした女性二人の創り出す雰囲気に、僕は気後れして一歩後ろを影のように歩いていた。


「東京支部は私のお得意様ですから。そうだ。ミツキさん、スーツの着心地はどうですか?」


 そんなとき、くるりと後ろを向いてリゼが問う。僕は顔を突き上げて、慌てて突貫の笑顔をリゼに向けた。


「はい。サイズも丁度良くて、動きやすいです。ありがとうございます」

「それはよかったです。きっと筋トレをしていると思って、少し大きめに作りましたが……どうやら合っていたようですね。前に会った時よりも、少しだけ腕や足に筋肉がついていますから」


 彼女が仕立てたというスーツは、僕のオーダー通りに、僕のためだけに作られたようだった。裾余りもなく、つんつるてんという訳でもなく。筋トレをしていた僕の身体の成長を予測して、見事なサイズ感で作られている。その出来映えに感動して思わずため息をついてしまったのは記憶に新しい。


「深月。いくらリゼの仕事がいいからって、彼女に遠慮して上手く動けないなんてことにならないように。私たちの本業は、悪霊を送り、境界を守ることにある」


 アリスの指摘に僕は一人背筋を伸ばす。確かに、彼女の言うように――新品というものは、それなりに着用者の心を縛り付けるものだ。おろしたての服に土がついたり、新しい靴に擦り傷ができたりというのは、長い使用期間を考えれば当たり前のことではある。しかし新品であればあるほど、それに最初の傷がつくのをどうしても避けたいと思ってしまうのは、きっと僕だけではないだろう。


「わ、わかりました」

「アリスは真面目ですね。ミツキさん、大丈夫です。もし破れても汚れても、私が何度でも繕ってあげますから。だからって、貴方の先輩みたいな無茶な戦い方をするのはいただけませんが」


 そんなリゼの言葉を聞いて、僕の頭にはルカのことが過った。先日のクロトの剣でも随分と傷ついていたし、寺での事件でもそうだ。東京支部の中で、彼が傷ついている姿を見ることは多い。最も、ルカは先鋒を務めることが多いから、覡やクロトに比べて怪我をしやすいのはわかるのだけれど。


「深月、貴方に先輩がいるの?」


 アリスが驚いたようにそう聞いてきて、僕は苦笑いを浮かべた。


「はい、まあ……先輩って呼んだことはないんですけどね」


 所長が一人、先輩が一人。そして、支部への加入順では後輩――になる死神が一人。そのことを説明すれば、アリスは面白いと言いたげに目を細める。


「……へえ。あそこ、それなりに人が居るのね。四人――関東支部と数人しか変わらないわ。どんな死神があそこに配属されるのか気になるところだけど、きっと協会の規則に抵触する。だから聞かないでおくわ」


無いと思っていた支部、その実情の一端を知り、彼女の好奇心を刺激しているのだろう。「極夜卿に合わせる顔がなくなるもの」と呟いたアリスの顔は、しかしなにやら興味を隠せないように緩んでいた。


「そういえば、その極夜卿、っていうのは誰のことなんですか?」


 ふと、彼女の言葉に引っかかった言葉について訊ねてみる。先程も上がっていたが、僕はこの名前に聞き覚えが無かった。どうやら蓮花のような調停者とは違う誰かを指しているらしいその異名に首を傾げる。

 すると、アリスは歩いていた足を止め、僕の顔をじっと覗き込んだ。目と鼻の先で輝く翡翠に、僕はゴクリと息を呑む。


「貴方、極夜卿も知らないって……本当に入会前の座学を受けた?」

「……すいません」


 はあ、と大きなため息が騒がしい街中に吐き出された。そして、遠く高天を貫く『回生の樹』を見上げたアリスは、どこか懐かしいものを思い出すように目尻を下げる。吹き付けた風が彼女の亜麻色の髪を優しく撫でて、どこか宗教画のような美しさを彼女に与えた。


「極夜卿は、今は居ない先代調停者のこと。かつて夜闇を切り裂き、混沌とした冥界に『規律』という名の秩序をもたらした、偉大なかのお方の敬称よ」


 極夜。

 それは、遙か北の地域に見られる、太陽のでない現象のことだ。その名を冠する「極夜卿」がどのような死神かは知らないけれど、その語感はどこか冷たい理性的な印象を僕にもたらした。


「各国の調停者にはそれぞれ敬称があるんです。東ユーラシアの極夜卿、アメリカ・オセアニアの白夜卿、アフリカの宵闇卿、そして西ユーラシアの暁闇卿。この四人は冥界の王の勅命を受け、冥府の権力者として冥界の各地域を統治しています」


 リゼ曰く、極夜卿の『規律』に代表されるように、それぞれが理念を掲げて死神を統率しているという。そして死神たちはその理念を知り、統治の形態を知り、どの地域を担当するのか決めるのだと。


「人種も、性別も、生まれた地域も関係ない。全てを本人の意志によって選び取れる。それが冥府の秩序なの。最も、彼等の理念に賛同できない者には妥協が必要になるけどね。とにかく、東ユーラシア死神協会を設立し、この地域をまとめあげたのが極夜卿よ」


 そう語るアリスの双眸は、尊敬と哀切に煌めいている。恐らく彼女も、極夜卿――先代調停者のことを尊敬しているのだろう。でなければ、こんな大切なものを失ったような表情ができるはずがない。


「あの。一つ聞きたいんですけど……蓮花さん、今の会長は調停者なんですよね? 会長は極夜卿とは呼ばれないんですか?」


 調停者とその敬称をイコールで結びつけるなら、現極夜卿は蓮花ということになる。しかしアリスの説明は、まるで先代調停者のみが極夜卿であると言わんばかりのものだった。僕がそんな疑問を投げかけると、アリスは言いにくそうに歯がみして、リゼは悲しそうに目を伏せる。


「その疑問は当然のことだと思います。蓮花会長は確かに東ユーラシアの調停者ですが、極夜卿の名は――未だ、彼女に継承されていません」

「継承されていない?」


 はい、とリゼが小さく頷く。


「彼女は調停者ではありますが、未だ冥府から認定を受けていませんから。いわば、先代によって決められた仮の調停者なんです」


 彼女の言葉に、僕は何も言えなくなった。

 何故、蓮花が議会から認められていないのか。それは、「威厳が足りない」とか、「実力が足りない」とか、そんな単純な問題では無かったらしい。いや、むしろ理由としては、逆に単純すぎるといっても過言ではないだろう。

 蓮花は冥府に認められていないから、議会からも認められていない。故に反発を喰らっている。例え本人が慕われていたとしても、それに伴う「認証」を受けていないから。


「その顔を見るに合点がいったみたいね。そう、それが今の東ユーラシアの問題よ」


 表情を曇らせたアリスは、リゼを窺うように一瞥してからその薄い唇を開いた。


「私は蓮花会長のことも、先代のことも知っているわ。ここの死神は皆、先代の理念に賛同して集まっている。蓮花会長は先代の右腕のような存在だったけれど、だからといって彼の掲げた理念を引き継げるかといったら……議会に不信や不安が残るのも分かる。冥府が彼女を認めていないのが、何よりの証拠になってしまうから」


 要するに、国のトップが変わることへの懸念が強いのだろう。国のトップはいわば船長だ。国という船の航路を決め、船内をまとめ上げるだけの責任と実力が求められる。ある日突然船長が変わってしまったら、どれだけ同じようにしたところで船はそれまでと異なる道を進むだろう。この世界には誰一人として同じ人間などいないのだから。


「……それだけじゃありません。皆さん、嫌がっているんです。新しい会長が――正式な調停者だと認めることを」


 そう呟いたリゼの手は、僅かに震えているように見えた。そんな彼女を横目で見ながら、アリスは「そうね」と首肯する。


「もし蓮花会長を調停者だと認めたら、彼の座る椅子は無くなってしまう。先代はあくまで失踪扱い。もしかしたら帰ってくるかもしれない――そんな期待を捨てられないのよ」


 アリスの言葉で、僕は覡の言っていたことを思いだした。

 東ユーラシアは、過去の亡霊に囚われている。

 覡の言い方は言い得て妙だ。覡は先代がいなくなったことを受け入れて、蓮花を応援しているようだったけれど、全ての人がそう上手く割り切れるわけではない。「前の方が良かった」と思う人もいるだろうし、「自分の方が上手くやれる」と考える人もいるだろう。蓮花に求められているのは、実力や威厳を示すことだけではない。自分の着任に難色を示すものを納得させられるほどの、「証拠」を示さなければならないのだ。

――先代はもう戻らないということを。

――自分が最も、後を継ぐのにふさわしいということを。

 蓮花を押しつぶさんとする重責を思うと、僕の背筋は寒気を覚えてぶるりと震えた。僕なら、朗らかに笑うことも、「大丈夫」と安心させるような声かけもできないだろう。リゼや覡が蓮花を応援する理由が、何となく分かった気がした。


「……さて。雑談はこれくらいにして。目的地に到着したわ。私たちの今日の仕事を始めるわよ」


 そう言ってアリスが立ち止まる。アリスに誘導されるように視線を前方へ動かして、そこに広がる光景を前に僕はこくりと息を飲んだ。

 東ユーラシア統治区中央に位置する商業区画、通称第四区。本部が置かれる第一区から少し離れたところにある、賑やかな商業施設が並ぶ地域だ。大きな看板、ディスプレイ、街中に響く雑踏の音。都市部に近いからか建物もまた大きく、その街並みはどこか現世の渋谷を想起させる賑やかさだった。


「今日の仕事は規則違反者の取締。各支部が持ち回りで各地域を担当していて、私たち関東支部はここ、第四区を任されているわ。規則については覚えた?」

「はい。本部で読んだあれですね。なんとなく……覚えています」


 任務に出る前に渡された分厚い本を思い出す。そこには東ユーラシアの「規則」がびっしりと書き連ねられていて、リゼが来る前に僕は隣のアリスによって頭の中に詰め込まれた。冥府についての雑談ですっかり気が抜けていたが、僕たちはこれから、この広大な商業地区にいる違反者を取り締まらなければならない。


「あまり緊張しすぎないでください。取締といっても、滅多にいるものではありませんから。注意すべきは不審な行動をする死神と、路上や公共物の無許可使用です。監査局を通すまでも無い小さな違反は、見つけ次第注意したり、違反切符を切ったりすればいいんですよ」

「……警察みたいですね」

「似たようなものよ。協会がこうして自治を行うからこそ、大きな犯罪が起きずに済むの。『規則』は全て、『規律』を――そして、それらを守る全ての死神のためにある」


 そういって、アリスはヒールをカツカツと鳴らしながら、交差点の隅で屯している若者達の集団に近寄っていく。


「そこの君たち。路上での飲酒はやめなさい。店か自宅でのんびり楽しむこと。ゴミのポイ捨ても不法投棄で罰金が科せられるわよ」


 アリスの指摘通り、若者達の足下には空き缶と空になったお菓子の包装が転がっていた。しかし、彼等はぴくりともその場から動こうとしない。若者集団の一人、一際ガタイが良く強面の男が、アリスのことを鬱陶しげににらみ返す。


「なんだよ姉ちゃん、いいじゃないかこれくらい。商業区は楽しむためにあるんだろ」

「良くないわ。規則を一度でも軽んじれば、次からは規則を破ることへのハードルが低くなる。この地域が安全に、安心して楽しめる場所であるために、規則には従ってもらう」


 男の威圧にも怯まずに、アリスは背筋をピンと伸ばして彼等を冷静に見下ろしていた。その立ち姿は勇ましく、武器すら構えていないのに圧倒的な強さを彼女に宿している。


「うっさいな。この程度で気にしすぎんなよ。死神狩りをやっているわけでもなし。厳しいオンナは嫌われるぜ。なあ、姉ちゃん?」


 しかし、男も一切引こうとはしない。アリスの身長や体格が自分より劣っているからか、その目にやましい熱を燃やしてアリスをじろじろと見つめている。


「リゼさん、僕たちも」

「待ってください。この程度なら、アリスには余裕です」


 そう僕を引き留めたリゼのシャンパンゴールドには、アリスへの信頼が輝いていた。僕は固唾を飲み込んで、遠くからアリスと男達のやりとりをじっと見据える。いつでも武器が出せるように身構えながら、男達の出方を窺った。


「それに規則規則って、インコじゃねえんだから。第一、その規則を作ったリーダーはもういないんだろ。そろそろ協会も変わるべきだと思うけどなあ!」


 男は大口を開けてアリスを前に笑っている。しかし、アリスはただ一つ小さく息を吐き出すのみで、彼等が絶賛売り出し中の喧嘩には目もくれず、淡々と言葉を紡いだ。


「これ以上は罰金よ。もし『規律』が嫌なら、他の統治区にでもいきなさい。アメリカ・オセアニア統治区のフリーダム・マーケットなんて、貴方みたいな束縛を嫌う死神にはぴったりだと思うの。移動手続きが必要なら、協会に来ると良いわ。けれど、この場所に残るなら……ここのルールには従って貰う」

「そんなの知らねえよ」

「なら、問答無用ね」


 一向に言うことを聞かない男に対し、アリスは冷徹な一瞥を向ける。その右手は虚空を握り、やがて彼女の周りを黒い靄が渦巻き始めた。


「――罰則規定、第六条。『もし対象が抵抗する場合は、武力による無力化が認められる』……貴方だって東ユーラシアの住民。この規則を知らないわけが無いわよね?」


 黒い靄はだんだんと、黒光りする剣身を携えたナイトリー・ソードへと姿を変える。アリスはその剣で男の鼻先にある空気を断ち切るようになぎ払うと、剣先を驚愕で目を見開かせる男へと向けた。


「なあ兄貴。この片手剣、しかもこの亜麻色の髪。まさかこのオンナ、協会でも厳しいって噂の……」


 男の後ろで、小柄で痩せぎすのもう一人の男が震えながら進言する。しかし、強面の男はその額に汗を滲ませながらも、アリスに抗うように一本のダガーを創り出した。


「くそ、目障りなんだよ、協会の犬が!」


 男はダガーを振りかぶる。しかし、リーチは圧倒的にアリスの方が上だ。しかも男の太刀筋は僕から見てもブレブレで、似たような短剣を扱うルカの動きと比べてみても、雲泥の差に思えるほどによれていた。僕たちの予想通りアリスは軽々男の攻撃を躱すと、そのダガーを自身の片手剣で弾き飛ばす。その斬撃は目で追えないほどに早く、あっという間に目標を空高く打ち上げた。カラン、という甲高い音を立てて遙か数十メートル先に落下したダガーは、持ち主を失って所在なさげに回転する。


「……無意味よ。大人しく従いなさい。死神の肉体は替えがきくもの、その両腕を切り落としたっていいわ」

「う、うるせえ。いくらお前が強いからと言って、数には勝てないだろ。おいお前ら、やっちまえ!」


 アリスの忠告も聞かず、男の一声で後ろに控えていた若者達が一斉に武器を取る。ナイフ、カットラス、ビルとその武器は多種多様だったが、アリスに向けられた刃は皆「回生の樹」の光を反射して輝いていた。


「……馬鹿ね、ほんと。大人しく聞いていれば厳重注意で済んだのに」


 けれど、アリスは怯まない。扱く冷静に剣を構え直し、神経を研ぎ澄ませるように瞼を閉ざす。


「貴方たち程度、力を解放するまでもない。大人しくお縄につきなさい」


 そしてほんの数秒、瞬きの間に。


「あああああ!」


 僕とリゼの目の前には、紅蓮の赤と弾かれた黒が散りばめられていた。男達は絶叫し、腕を切りつけられたらしい、傷を必死に押さえて痛みに悶えている。そして、地面に転がった漆黒とコンクリートを染める赤をその翡翠に収め、アリスは凛として剣を解いた。


「……すごい」


 その姿を見て、僕の口からは感嘆の息が漏れる。凄惨な傷害が目の前で起きたというのに、僕の意識はすっかりアリスの剣筋に奪われていた。無駄が無く、鋭く、素早い、その一閃。目で追うことすら難しい攻撃は、戦闘面では未熟な僕にとって魅力的に映って仕方が無かった。


「ね、この程度アリスには余裕だって言ったでしょう」


 僕の隣でリゼが自慢げに胸を張る。


「『雄風』。それこそ、高潔で勇敢、誰よりも美しく剣を振るう彼女の二つ名です」


 剣筋はまるで風。人数比など気にせずに勇猛果敢に凛として立ち向かう後ろ姿。彼女に付けられた二つ名は、確かに目の前で冷静に事態の処理に当たる彼女自身を表していた。

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