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葬送哀歌は夜明けとともに  作者: 月乃はな
第一幕「規律の御旗を揚げる刻」
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Episode10「東ユーラシア死神協会」②

「……心配しないで、彼の身分は私が保証する。彼は間違いなく協会の死神だから」

「しかし」

「大丈夫だって。私を誰だと思ってるの?」

「し、失礼しました!」


 バタン、と忙しなく扉が閉じる音がする。ゆっくりと浮上した意識は未だ浮遊感に包まれながら、僕はごろりと寝返りを打った。重い瞼を持ち上げれば、目の前には病室とはほど遠い真っ黒な天井が広がっている。


「……ここは」

「起きたんだ、おはよう」


 息を吐くように声に出すと、視界の外側から聞き覚えのある声が聞こえてきた。導かれるように顔を動かせば、そこには空色の長髪を揺らす少女がイスに腰掛けている。眼窩にはめ込まれた双眸は僕のよく知る藤色をしていて、その表情はめんどくさいとでも言いたげに歪んでいた。


「……アトロポスさん?」

「そうだよ、『冥界の番人』アトロポス。その様子をみるに、寝惚けているわけじゃなさそうだね」


 はあ、というため息と共に、アトロポスはこちらに近付いてくる。軍服のコートを脱いでいるらしい、シャツとスカートという随分とラフなその恰好は、彼女の華奢な肉体をより小柄に見せていた。


「どうしてここに?」


 身体を起こし、辺りを見回す。黒い壁と黒い床、そして窓から見える巨大な『回生の樹』は、ここが冥界のどこかであることを如実に語っていた。


「それはこっちの台詞だよ。顕界にいるはずのあんたがどうして冥界にいるの」

「えっと……」


 どう説明したものか。

 追及するような彼女の視線に居心地の悪さを覚えつつ、僕は仕事帰りに出会った謎の男のこと、そして目が覚めたら冥界にいたこと――記憶に残っている全てについて、順を追って説明していく。


「それで、東京支部に行けば何か分かると思って東京支部に行ったら……アリスさんに不審者だって言われまして。身分証明書も没収されてしまいました」


 ポケットを見ても身の周りを見ても、ピンバッジはどこにも見当たらなかった。どうやら、本当に持って行かれてしまったらしい。

 僕の説明を聞いたアトロポスは、じっと僕を呆れたように見つめたあと、はあ、と特大のため息と共に天井を仰ぐ。


「ど、どうしたんですか」

「どうって……馬鹿で、間抜けで、考えの至らないあんたに、クロト姉様を預けたことをちょっと後悔しているの」


 そう言って、顔を天井に向けたまま、藤色の双眸が僕のことをじっと睨んだ。その鋭さに僕はたじろぎ、けれど事情を理解して貰うべく言葉を重ねる。何せ、知り合いが目の前にいる以上、僕にできることはそれしかないのだから。


「すみません。でも、本当になんでこうなったのかわからなくて。アリスさんが言っていたことについても、まだちょっと理解ができないんです」

「アリスが言っていたこと?」

「はい。『東京支部は一世紀以上前から存在しない』って」


 その途端。それまで不満げに、呆れた様子で僕の話を聞いていたアトロポスは、僕の発言に目を剥いた。


「……あんた、何も聞いてなかったの? ルカからも、覡からも、何も?」

「なにって……え?」


 頭に疑問符を浮かべる僕を見て、アトロポスの表情がくるりと変わる。「なるほどね」とでも言いたげに、一人で何かに納得した様子で、彼女は淡々と言葉を紡いだ。


「分かった。全てについて説明することはできないけど、あんたの疑問をある程度解消するくらいなら罰は当たらないよね」


 そう言って、アトロポスが僕の隣に腰掛ける。ぎしり、とベッドが悲鳴を上げたことに彼女は不服そうな顔をしたが、すぐにその表情を真面目なものにして、呆然とする僕を真っ直ぐに見据えた。


「結論から言えば、アリスが言っていることは半分合ってる。東京支部は本部から隠されるようになった特殊な部署だから、公的には存在していないことになっているんだよ」

「だから、本部の部屋が開かなかったんですか」


 そう、とアトロポスは頷く。


「東京支部はある事情で本部と距離をとってるの。でも、これについては覡に直接聞いて。私も事情は知っているけど、あいつに無断で話すことはできないよ。とにかく、私の方から覡に連絡してみるから、それまで大人しくここにいることね。身分証明書は――私から蓮花にかけ合ってみる」

「……わかりました。よろしくお願いします」


 ある事情。アトロポスが言ったその言葉に、僕は少しだけ引っかかった。アリスの話による疑問は解消されたけれど、また別のところで問題が発生したような感覚だ。

 覡とルカは僕に隠し事をしている。

 そのこと自体についてはなんの驚きもない。何となく、彼等には事情があるのだろうということは察していたし、覡が時折見せるなにか思い詰めたような表情からも、隠し事の存在は理解していた。

 理解は、していたけれど。

 どうしようもなく、ちくちくと胸が痛んで仕方がない。頭では分かっているはずなのに、身体がその事実を認めたがっていないようで、僕は何を言うこともできず床を見た。

 埃一つない黒く磨かれた床に、僕の姿が映っている。

 死神としてトレーニングを始めた肉体は数か月前よりも筋肉がついていて、腕も足もそれなりに太くなっている。けれど、そんな肉体を覆うファストファッションの私服が、僕の本当の姿を写しているようだった。

 その時。

 僕の手の甲が、何か柔らかいものに包まれる。ハッとして顔を上げると、そこには驚いて目を見開いたアトロポスが座っていた。どうやら、僕の手の甲に触れていたのは彼女だったらしい。いや、彼女以外あり得ないのだけれど。


「ごめん。嫌だったなら、謝る。昔、私が落ち込んでいたとき――姉様がよくこうしてくれたから」

「……すみません。気を遣わせてしまって。それと、嫌ではなかったです」

「そう。なら、もう少しだけこうさせて」


 そして、彼女は改めて僕の手の甲に触れる。彼女の温かな体温が、ふれあった肌を通してじんわりと伝わってくるようだった。


「……あのさ。これは私見だけど、二人があんたに隠し事をしていたのは、きっとあんたのことを考えていたからだと思うよ」

「僕のことを?」

「うん。あんたはどうやら他人の顔を窺い過ぎるみたいだね。まあ、だからラー姉様はあんたを認めたし、クロト姉様はあんたについていくことを決めたんだろうけど」


 彼女は続ける。その瞳は僕に向けられることはなかったけれど、今まで見たことがないほどの優しさをもって、何処か遠くを懐かしむように見つめていた。


「あんたの事情は知ってる。あの後正式な文書を交わすときに覡から全てを聞いたから」


 僕の事情といえば、僕が人間であるということだろうか。まさか彼女が知っているとは思わなくて、僕はごくりと息を呑んだ。


「人間は簡単に冥界に引きずり込まれる。ほんの少しでも冥界との縁が強くなるだけで、生死を司る縁の均衡は揺らぎ、死に至る。例えば……」


 そう言って彼女はサイドテーブルに置かれたクッキーをつまみあげる。それはごく普通のお菓子屋に売っていそうなクッキーだ。目と鼻の先に差し出されたそのクッキーは、芳醇なバターの香りを漂わせて、香ばしくきつね色にこんがりと焼けている。

 それこそ、思わず口がクッキーを迎えにいってしまうほど。


「だめだよ。食べたら君は顕界に戻れない」


 唇がクッキーに触れる瞬間、まるでおやつをお預けにする飼い主のように、彼女はクッキーを自分の口へと放り投げる。さくさくと美味しそうな音を奏でながら、アトロポスはふふん、と鼻を鳴らした。


「黄泉戸喫って言葉、聞いたことある? もしくは、ギリシャ神話におけるペルセポネの逸話」

「聞いたことはあります。……実在したんですね」


 黄泉戸喫――それは、死者の国の穢れたものを食することで、現世に生きたまま帰ることができなくなるという、世界各地に見られる話だ。つまるところ、このクッキーはザクロのようなものなのだろう。食べた時点で冥界に縛り付けられる、誘惑の果実。


「実在する――まあ、その表現に思うところはあるけど、確かにその現象は存在するんだよね。だから、生者が死者のものを食するだけで、簡単に死ぬの。食っていうのは、生命にとって重要な行為だから」


 とにかく、と息を吐き出しながら、彼女はクッキーの乗ったサイドテーブルを遠くに除けた。そして、僕と重ねた手のひらを柔く握る。


「私が言いたいのは、覡もルカも、あんたが『死』に引っ張られないようにしていると思うよってこと。そして、それ以上に――あんたが気になるのなら、ちゃんと踏み出さないと駄目だってこと」


 アトロポスの藤色が、ついに僕に向けられた。手のひらの熱以上に、彼女の視線に込められた感情が僕のことを射貫いている。その熱から目を逸らすことができなくて、僕は呼吸を忘れるほどに彼女の熱に囚われた。


「二人はあんたと一定の距離を保とうとしてる。だから、知りたいのなら自分で距離をつめなきゃ駄目。置いてけぼりにされたくないなら、自分から行動しないと駄目なんだ」

「……それ、は」


 果たして、いいのだろうか。彼らは僕のことを考えて、僕のためにそうしてくれているのに。その思いやりを崩すようなことをして、許されるのだろうか。

 僕が困惑していると、彼女はにやり、と悪戯っぽい笑みを浮かべる。その笑顔に、僕の心臓は大きく跳ね上がった。鼓動が早まり、緊張か高揚か僕の体温がぐんと上昇していく。


「ほら、また遠慮した顔してるじゃん。もっと自分に素直になればいいのに」


 アトロポスという死神について、僕はよく知らない。むしろ、クロトに関して悪いイメージを持っていた。けれど、こうして彼女と面と向かって話してみて――分かったことが一つだけあった。

 彼女はどこまでもアクティブだ。失った姉を取り戻すため、どんなことでもやってのけるほどのわがままな死神。僕と正反対のところにいる、僕とはまるで異なる性格の持ち主。それが、このアトロポスという死神なのだろう。

 なんて恐ろしい人だ。

 僕は、彼女に気付かされてしまった。こうして手を重ねられ、逃げることすらできないまま、彼女によって抗えない熱を与えられたのだ。

――知りたい。

 脳内で警鐘が鳴り響いている。この感情は、生きる上で危険になりうるものだと。

――知りたい。

 呼び起こされる老婆の言葉。踏み越えてはいけない一線が、僕の目の前に引かれている。それは僕を生に繋ぎ止めるもので、僕が今までの人生で積み上げてきた処世術そのものだった。


「……必要なのは覚悟だよ。例え、柔らかなクッションの外が針のむしろだと知っていても。家の外が鉄の雨降り注ぐ戦場だと知っていても。それでも、目的のために外に飛び出す覚悟。茨の道を往く覚悟。あんたには、その覚悟はある? 死神としての力を得る――その本当の意味を、受け入れる覚悟は?」


 覚悟。その言葉が、僕の頭をぐるぐる巡る。

 覡は言った。「人を殺す覚悟はあるか」と。

 ルカは言った。「覚悟の真意を見出すために、経験を積むべきだ」と。

 僕は、目の前の一線を見下ろした。そしてその向こうに、ルカや覡、リゼにクロト――他の死神たちの背中を幻視した。

 今のままでは、僕は彼らのようにはなれない。まやかしの力だけを手に入れて、果たしてそれでいいのだろうか。

否。

 僕はもはや、力を手に入れる――それが目的だとは言えなかった。

 僕がしたいのは、力を手に入れることではない。戦って、強くなることでもない。僕が本当にしたいことは、最初から何一つとして変わっていなかった。

 結局のところ、僕はみんなを守りたいのだ。僕が縁を紡いだ全ての人を。それは翔だけではなく、覡やルカ、他の死神も例外ではない。力は手段であって目的ではないのだから。

 そのためなら、僕はこの越えてはならない一線を越えることだってできるだろう。いや、越えなくてはならないのだ。僕の目的を果たすために。


「――どうやら、何をするべきか理解したみたいだね」


 気が付けば、アトロポスの手のひらは僕から離れ、遠くに追いやっていたはずのクッキーに伸ばされていた。自然と僕の喉はゴクリと鳴って、誘われるように彼女の動きを視線で追う。ベールを想起させる蒼い長髪を揺らしながら、アトロポスはうっそりと笑みを深めた。


「ミツキ。あんたに『死神の世界』へ踏み入る覚悟があるのなら。どうか私の手を取って」


 誘惑の果実を乗せたアトロポスの手のひらが、ベッドに座る僕の目の前に差し出される。

 これは儀式だ。僕が目を逸らしてきた全てのことに向き合い、そしてぶつかる覚悟を試すためのもの。


「……はい」


そうして、僕は恐る恐る、震える右手を彼女に伸ばした。

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