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葬送哀歌は夜明けとともに  作者: 月乃はな
序幕「始まりの月が昇る刻」
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Episode8「紡ぐ者」③

「ど、どういうことですか」


 先程から話に追いつけず、僕は覡に質問を投げかける。覡はふむ、と何かを考える様に腕を組むと、歯がみするラケシスを一瞥した。ラケシスはその視線に気が付いて、その拳に力を込める。


「……クロトはかつて、私たちの同僚――いや、それ以上の存在だった。それこそ、家族のような存在だ。特に私とアトロポスはクロトを姉として慕い、共に顕界、境界、冥界の治安を守っていたんだ。だが」


 ラケシスの瞳に憤怒が宿った。ここにはいない誰かに向けられたそれは、藤色の双眸の中でごうごうと燃えている。


「何者かに、クロト姉様が襲われた。監査局で一人、姉様が休んでいるときだ。私たちが気付いた時にはもう遅かった。姉様は魂の六割を奪われて、少女のような体型になっていた。記憶も力も全て失って、本当に、ただの少女になってしまったんだ」


 ラケシスによれば、監査局の死神と協会の死神はそのルーツが異なるらしい。協会の死神は冥府から肉体が支給されるけれど、監査局の死神は魂に沿って肉体が構成される。だからこそ、監査局の死神が魂を大幅に失うことは、肉体の退化をもたらすのだと。


「誰がやったのかはわからない。警備のものは既に事切れていたし、なぜ姉様だけは魂を奪われるだけで済んだのかもわからない。ただ、その時に誓ったんだ。何が何でも姉様の魂を取り戻すと。そしてそれまで――クロトを、何があろうと守りぬくと」


 僕は何も言えなかった。

 記憶がない。それでも、ラケシスにとってはクロトが肉親の一部であることには変わりない。だからこそ、ラケシスは必死にクロトを探して取り戻そうとした。

 もう二度と、喪失を味わうことがないように。


「アトロポスは姉様を私以上に慕っていた。それこそ恋慕とも呼べるほどにな。だから、姉様が誰かに襲われたという事実も、今のクロトも、どちらも認めることができていないんだ。クロトには申し訳ないことをしたと思っている。本当にすまなかった」


 頭を下げたラケシスに、クロトは居心地が悪そうに視線を逸らした。ラケシスは哀しそうに眉を下げ、ふう、と小さくため息をつく。


「私は貴方を失いたくない。それはアトロポスも同じだ。分かってくれ。今まで以上に警備体勢を強化するし、貴方が願うなら冥界の中で散歩をしよう。甘いものだって一緒に食べよう。だから、どうか……私の手を取ってはくれないか」


 ラケシスの手のひらを、クロトは見つめた。姉妹――そう言われて納得する、透き通ったクロトの藤色の瞳が僅かに揺れる。


「……あのね、ラケシス」


 言い辛そうに、けれど言わなければならないと拳を握って、クロトは首を横に振った。


「守られるだけはいやなの。わたしも、みんなと一緒に戦いたい。そのために、わたしはここにいたい。この場所で、深月お兄ちゃんやみんなの怪我を治したい」


 クロトは顔を上げ、真剣な面持ちでラケシスに訴える。もう藤色の瞳が揺れることはなく、ただ真っ直ぐにかつての妹を見上げていた。

 その言葉を聞き届け、ラケシスは何かを噛みしめるように微笑みを浮かべる。それは哀愁と諦念を湛えながら、目の前の幼い姉を羨望するようだった。


「……覡紅夜とそこの青年のいうことはちゃんと聞くように。それが守れるなら、私は君の意志を尊重しよう」

「いいの?」

「ああ。覡と――青年の示した覚悟に免じて」

「っ! ありがとう、ラケシス」


 夜の新宿を照らすようなクロトの笑顔に、ラケシスはすっと目を細める。

 心の底から愛するものを見つめる目だ。愛しくて、愛しくてたまらないものを見つめる瞳。その瞳はしばらく嬉しそうに跳ね回るクロトに向けられたあと、流れるように視線を動かし、やがて傍観していた僕を捉えた。


「青年。君の名を教えてくれるだろうか」

「……深月です。日野深月」

「そうか。――ミツキ。まずは、君に謝罪を。君の力を試すようなマネをしてすまなかった。どうしても、一人になった君の行動が見たかったんだ」


 頭を下げたあと、ラケシスはことの経緯を語り始める。

 クロトが逃げ出した後、冥界の担当であるアトロポスと境界を担当するラケシスは協力して捜索を始めたという。だが、アトロポスが衝突も辞さない形で捜索を始めたため、ラケシスは先回りして僕に接触し、警告を残した。その上で、クロトを引き入れた僕がどのような死神なのか見極めるため、僕と剣を交えることを決めたらしい。


「君は私の期待以上だった。まさか、腹を貫かれても他人を気に掛けるとはな。……とにかく、強者を前に立ち上がり続けた君であれば、姉様の隣で戦う死神にふさわしい」


 凜としたラケシスの顔には、言い表せないほどの不安と僕に対する純粋な期待が浮かんでいた。僕と戦い、僕を試して、その上で彼女は腹を決めたようだった。


「深月。覡。どうか、私の姉様を頼む」


 謝罪ではなく、託すために彼女は僕たちに頭を下げる。彼女のうなじを覡はじっと見つめて、「ああ」と大きく頷いた。


「俺の認識が合っているのなら、俺とお前の敵は同じだ。肩を並べるためにも、諍いはなくしておいたほうがいい。来たる復讐の日まで、クロトの安全は俺が保証しよう」

「覡がそう言うのなら頼りがいがある。深月も、これからの成長を楽しみにしているぞ。……さて。私は、愚妹を迎えに行かなければ。これ以上は覡の不興を買いそうだからな」


 そう言って、ラケシスはくるりと踵を返し、闇夜の中に颯爽と姿を消す。その背中を追うように覡は視線を動かして、一つ大きな息を吐き出した。


「あの、ルカさんは」


 遠くを見つめる覡の目を見つめ、僕は訊ねる。

 心配で仕方なかった。

 アトロポスはラケシスのような目的で僕たちを襲ったわけではない。僕たちをずたずたに痛めつけてでもクロトを取り戻さんとして、僕たちに斬りかかってきたのである。ルカは強いけれど、武器のリーチを考えても、相手の人数を考えても圧倒的に不利だろう。

 覡はどう思っているのだろう――そんな風に考えて、僕は覡の深紅を覗き込む。

 そして、そこに宿る感情に、僕は何も言えなくなってしまった。

 なんと言い表せばいいのだろうか。

 信頼と呼ぶには不安げで、心配と呼ぶには事足りないような感情。そして、それらによって隠された、底の見えないどろりとした静かな憤怒。その感情が何に向けられているのかなど知る由もないけれど、ただ一つ僕にも分かることがあった。

 覡とルカの関係は、上司と部下という単純なものではないらしい。


「ルカなら大丈夫だろう。ラケシスが止めに行ったこともあるが、アトロポスも死神を殺しはしない。だが……そうだな。深月、すまないが、様子を見に行ってくれ」

「覡さんは行かないんですか?」

「……俺が行くと、ルカは不機嫌になるだろう。代わりに、クロトの面倒は俺が見ていよう。この東京支部に所属するなら、クロトとしなければならない話が山ほどある」


 覡はそう言うと、僕の隣にいたクロトの手を引いて事務所へと入っていった。僕はその背中に声をかけることができず、ただ一人夜の新宿の路地に残される。

 熱風が頬を撫でた。隣の路地から夜も忘れて騒ぎ続ける酔っ払いの声が聞こえてくる。

 突然現実に引き戻されたような感覚に襲われながら、僕は無言で道路を蹴った。






「そこまでだ、アトロ」


 アトロポスが振り下ろした剣が、目の前の男を貫く前にぴたりと止まる。背中にぶつかった女性の声に、アトロポスは目を丸くした。


「……ラー姉様。どうして止めるの」

「どうしてもなにも、もう戦う理由はないからだ。正式な文書は後日になるが、東京支部の支部長と話をして、クロトを彼らに預けることが決定した」

「は?」


 素っ頓狂な声を上げるアトロポスのことを、ラケシスはルカから引き剥がす。ルカはその身体のあちこちから血を流しているが、致命傷のようなものは見受けられない。上手いこと直撃を避け続けたのだろう。


「……『無主の狂犬』。まさか、ここで出会うとは」

「俺も、まさか監査局のトップ二人に会うなんてね。それで……所長に会って話をつけた、ということでいいのかな」

「ああ。そう認識して貰って構わない」


 ラケシスの一言を聞き届けると、ルカは地面に転がっていた自身の短剣を空気へ解いた。しかし、アトロポスは両手に剣を握りしめたまま戦闘態勢を解こうとしない。


「アトロ。武器を消せ」


 聞き分けのない子どもを叱るように、ラケシスはアトロポスに言い放った。だが、アトロポスの剣を握る手はその力を増すばかりだ。剣先がかたかたと震え、アスファルトをなでつけた。


「……あの小娘が死んだら、もうクロト姉様は帰ってこないんだよ、ラー姉様」


 ぽとり、とアスファルトに雫が落ちる。


「そんなに簡単に手放して、ラー姉様はもうクロト姉様に会いたくないっていうの!」

「そんなわけがないだろう!」


 アトロポスの慟哭に、ラケシスは大声で反対した。互いの藤色は、既に薄い涙の膜を張っている。


「いいか、アトロポス。あの子もクロト姉様だ。例えその魂を失っても、彼女の中の意志は揺るがなかった。私たちの知る、クロト姉様と同じだった。姉様はいつだって、私たちと共に戦ってきただろう。彼女はそれを望んだんだ。ただ、帰属する場所が変わっただけ」


 ラケシスの言葉に、アトロポスは涙ごと言葉を呑み込んだ。


「私たちは私たちの業務がある。姉様の代わりに顕界も守らねばならない。不服だが、私たちでは――クロト姉様の隣に立てない。また襲撃があったとき、すぐに抗戦できるわけでもない。その点、この東京支部であれば、共に戦ってくれる死神がいる。姉様にとっても私たちにとっても、この話には充分すぎるほどの利があるんだ」


 藤色がひとしずくの涙をこぼす。それはラケシスの無念をただひたすらに語っていた。


「……ラー姉様」


 アトロポスから見て、ラケシスは頑固で真面目な堅物だ。笑うことは滅多にないし、感情を優先するアトロポスとは違い、いつだって理性的に物事を考える。

 例えそれが、自分の願望と道を違えるものであったとしても。

 アトロポスは理解した。

 ラケシスだって、悔しくてたまらないのだ。もし自分に力があったら、クロトを自分の手で守ることも、見守りながら共に戦うこともできただろう。そもそも、大切な肉親を傷つけ、失うこともなかっただろう。

 無念。後悔。その上で、他の誰かに託すということ。

 それにどれだけの覚悟が必要かなんて、アトロポスにも分かっていた。


「……あいつらは、信頼できるの」


 アトロポスは問う。こちらを眺めるルカと、遠くから近付いてくる一人の青年を一瞥して、その拳を握りしめた。


「ああ。私が保証しよう」


 アトロポスの手から剣が滑り落ちる。それは地面にぶつかる前に、大気に溶けて消えていった。その場に残されたのは、腕をつかみ合う二人の姉妹と一人の傍観者だけだ。


「ルカさん!」


 そこに、先程ルカに逃がされた青年が駆け寄ってきた。ぶかぶかのスーツを羽織りながら、その腹部と肩を赤く染めて、その姿にルカが仰天して瞠目する。


「深月、その血……ッ。ラケシス、まさか」

「確かに貫いたが、もう傷はない。そうだろう」


 ラケシスの視線に答えるように、青年は頷いた。


「はい。クロトが傷を治してくれたんです。僕よりもルカさんの方が……早く傷を手当てしないと」

「――――あの小娘が、治した?」


 アトロポスの口から、いつになく低い声が零れ出る。空色の髪を揺らしながら、アトロポスは深月に詰め寄った。

 間近に青年の顔がある。身長は同じ位だけれど、顔つきがなよなよしていて頼りがいがない。その肉体に薄らとついた筋肉は、クロトの残魂を守るには心許なかった。

 けれど、その目つきだけは。


「はい。クロトが僕の怪我を治して――そして一緒に戦ってくれました」


 一丁前に芯を持って、アトロポスのことを見据えている。

 ラケシスはこの目を見たのだろう。腹を貫かれても立ち上がり、強者を前に剣を振るった彼を見て、どうしようもなく理解してしまったのだ。


「……ミツキ、だったよね。あんた、姉様の魂の一片でも欠けさせたら、あんたのこと殺してやるから。それまで、あの小娘と一緒に首を洗って待つことね」


 アトロポスはふい、と踵を返す。どうにも、あの目を見続けることができなかった。真っ直ぐで、純粋で、それでいて怖いほどに腹の決まっている目。

 そして、あのクロトの残魂が彼の為に「力」を使ったというのも気に食わない。どれだけ虐め尽くしても目覚めなかった力が、こんなにも簡単に引き出されてしまうとは。

 アトロポスはうつむいて唇を噛んだ。その顔はルカにも深月にも見えなかったが、ラケシスだけはなにかを察したようにその目尻を下げていた。

背中に彼の視線を感じながら、アトロポスは目の前に「門」を開く。黒々とした穴がぽっかりと虚空に現れ、アトロポスはラケシスの腕を掴んだ。


「帰ろう、ラー姉様。私たちは忙しいんだから。弱い部下も鍛え直さないといけないし」


 部下の下にも門を開き、地面に伏せた間抜けな部下たちを冥界へと送る。クロトの残魂以下の死神に負けるなんて、情けないにも程があった。


「ルカ、そして深月。この度は失礼した。後日正式な文書を送るから、対応をよろしく頼む。それと――クロトのことも」

「ああ。任されたよ。今度はちゃんと事前に話を通してくれ。協会のトップも、こんな些事に頭痛を覚えたくはないだろうしね」

「無論だ。それでは」


 ラケシスは二人の死神に一礼し、アトロポスの手を引いて門の向こうへと飛び込んだ。

 冥界へと続く暗闇が二人を包みこみ、そしてやがて、門は静かに闇夜に消えた。








「……ルカさん」


 何もなくなった空を、ルカが見上げている。

 ボロボロだった。

 擦り傷か、あるいは切り傷か。綺麗な肌に血液が化粧を施していて、ワイシャツは赤と焦茶色に汚れていた。特に酷いのは腕だ。丈夫なはずのスーツがぱっくりと切り裂かれ、そこから赤黒く染まった肌が覗いている。

 死神の傷は放っておいても治るらしい。先日のクロトの傷も、僕が戦っている間に塞がっていた。けれど、ルカの腕からは絶えず血が滴り落ちている。

――おかしい。

 いや、つい先程負った怪我なのかもしれない。流石に攻撃を受けてすぐ癒えることはないだろう。だから、きっと。

 そんな風に自分を納得させようと思考を繰り返すけれど、何故か僕はその全てを否定していた。何故かは分からない。ただ、これまで積み重ねてきた小さな疑念が、少しずつ輪郭を持ち始めている。


「深月」


 夏空のような蒼が僕を捉えた。月光と街灯に照らされて、ルカのダークブロンドが風に揺らめく。風に攫われて消えてしまいそうなほど、彼の立ち姿が――いや、彼という存在が、とても儚いもののように感じられた。

 彼は僕の疑念に気付いている。気付いた上で、彼は笑った。


「帰ろうか。所長とクロトが待ってる」


 整えられた完璧なその笑顔に、僕は頷くことしかできなかった。

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