Episode8「紡ぐ者」②
「さあ、二人とも。私を実力で以て説得してみせるがいい」
夜すら忘れた新宿も、路地に入れば人の気配は消え失せる。目と鼻の先には事務所があって、けれどその前には、恐ろしいほど高い壁がそびえ立っていた。
監査局に属する死神、ラケシス。
レイピアを扱う彼女は、そのプラチナブロンドの髪と深紅のマントを靡かせて、朗々と声を上げる。僕とクロトはお互いに視線を送り合い、強者を前に身を構えた。
「クロトは後ろからサポートをお願い」
「わかった。いつでも、なんどでも、けがは治してあげるから」
大剣の柄を握り、僕はふう、と息を吐く。
「はああああっ!」
そして、気合いを入れてアスファルトを蹴り飛ばした。ぐん、と身体が前に進み、凜と立つラケシスへと急接近する。その胴体を叩き切らんと大剣を振り上げれば、彼女のレイピアは僕の攻撃を易々と受け流した。
「わかりやすい軌道だ。次はこちらから行かせてもらうぞ」
擦れ合う刀身が離れる瞬間、彼女は高く空に跳び上がる。ひらり、と月光を浴びながら身体を回転させ、剣を構えてこちらを見下ろした。
「受けてみろ、青年」
その瞬間、彼女のレイピアが鈍く光を放つ。靄を纏い、異様な雰囲気を醸し出しているそれに、僕の身体は硬直した。つかの間、彼女は重力さえ味方につけた刺突をもって、僕を貫かんとレイピアと共に頭上から舞い降りる。その速さは気を抜けば見逃してしまうほどで、なんとかそれを捉えた僕は、大剣の樋でその攻撃を受け止めた。
腕を痺れさせる衝撃に、僕はぐ、と歯を食いしばる。
彼女の攻撃には、それまでの軽さやしなやかさとは打って変わって、強固かつ重みがあった。恐らく、空に跳び上がったあの一瞬に、レイピアの硬度と質量を変化させていたのだろう。その重みをなんとか跳ね返し、僕はそのまま剣を振りかぶる。宙に浮いている状態なら躱せない――そう思ったが、ラケシスは大きく身を仰け反って僕の一閃を華麗に避けた。代わりに、僕の剣はマントに大きな切れ込みを入れる。
一回転しながら着地したラケシスは、その地面と靴を強く擦りながら、無防備なクロト目がけて剣を向けた。僕の斜め後ろで、クロトがさっと身構える。
「させるか!」
そんなラケシスに、僕はすぐに横から大剣を振り抜く。懐を狙った一撃は彼女に受け止められたが、受け流すために彼女はそのバランスを僅かに崩した。
今だ。
生まれた僅かな隙を逃さぬように剣を構えなおし、さらに一閃を加える。その一撃は彼女の防御をくぐり抜け、僅かに頬に赤い一筋を刻み込んだ、彼女は攻撃を受け止めるのを諦めて、そのまま地面に転がり受け身を取る。
「……はは」
アスファルトに手をついた女性は、楽しそうに、嬉しそうに、彼女はその頬に滲む血を拭う。それは、初めて見る死神ラケシスの笑顔だった。
「動けてはいるようだ。なら、これはどうかな」
ゆらり、とラケシスのレイピアは光を放った。また、何か剣に仕込みをしているらしい。僕は剣を握る手に力を込めて、彼女の動きを注視する。
ラケシスが次に取った行動は、ごく単純な刺突だった。瞬きすら許さない速度で、彼女は僕に向かって飛び込んでくる。
ただの一瞬ですら、ラケシスから目を逸らせない。脳味噌の血管が切れてしまい壮なほどの集中力で、僕はラケシスの更なる攻撃を受け止めた。
その時。
彼女の剣が、まるでフェンシングの剣のようにぐにゃりと曲がった。大きく軌道をずらした剣は、大剣にぶつかった反動で強く跳ね返り、僕の顔目がけて飛んでくる。
「ッ!」
僕は慌てて身をよじり、攻撃を回避しようとしたが、それでも完全には成功せず、無慈悲な刺突は僕の頬を深く削った。僕の動揺を見たラケシスは、続けざまに脚で僕の腕を蹴りつける。剣を握る手に顔を歪めるほどの痛みが走り、僕は思わず剣を手放した。
「……お兄ちゃん!」
「武器を手放しては危ないぞ、青年!」
僕が無防備になった瞬間に、ラケシスはレイピアを流水のように動かした。その鋭い剣先は、体勢を整える暇すら許さず僕へと向かってくる。僕の怪我を治すため、クロトの「武器」が傷を包みこむけれど、放してしまった大剣を取り戻すには時間が足りなかった。僕はがむしゃらに身体を引くが、剣はひたすらに僕の身体を追尾する。
どうすればいい。
既に焦燥と恐怖でショートしそうになっている脳を、最大出力で稼働させる。
武器はない。この攻撃を受け止めることなど――。
そこまで考えて、ふと、ルカの話を思い出した。
死神は、武器以外のものを作ることもできるのだと。
死神の武器「デスサイズ」は、いわゆる想像の産物だ。使用者の想像をもって、万物を創造する。それは物体であることもあるし、クロトのような人の傷を治す力ですら、創り上げることができる。そして覡は、事務所を守る結界を構築した。
要は、僕の想像によって「デスサイズ」はありようを変えることができる。
人を傷つける武器だけではない。誰かを、そして自分を守る防具に至るまで。
僕は目を見開いて、刃が僕の肉体に触れる寸前に、必死に脳内で想像した。
剣ではない。それは俗に、シールドと呼ばれるもの。あまり大きなものは間に合わないだろうから、より小さく、より強固な、ただ一点を守る障壁。
レイピアが肉迫する。あと一ミリで、僕の身体に穴が開く。
その瞬間、カキン、と甲高い音が新宿の熱気を震わせた。
「なっ」
ラケシスは瞠目し、僕も続けて目を見開く。恐る恐るレイピアの剣先に視線を運べば、そこには僅か直径五センチにも満たない白色の薄い壁が、彼女のレイピアを受け止めていた。しかし、その白色の壁は瞬く間にその実体を失っていく。目を瞬いた後に残されたのは、刺突攻撃を相殺されたレイピアだけだった。
――驚いている場合ではない。
地面に転がった大剣を拾い上げ、僕はすぐに体勢を整える。彼女から距離をとり、クロトのサポートを受けて細かい擦り傷を回復した。
「ありがとう、クロト」
「うん。それより……さっき何をやったの?」
「えっと……咄嗟に、自分を守る壁を想像した、って言えばいいのかな」
ただ、それも一撃分しか保たなかったけれど。
やはりルカの言うとおり、武器以外のものを創るのは大変だ。形の想像だけではなく、相手の攻撃を意識しなければならないというのは、精神的な疲弊が著しくあまり多用できるものではない。
「やっぱり、覡さんは凄いな」
彼は何を考え、事務所の結界を創造したのだろう。そして、どのようにそれを維持し続けているのだろう。彼は殆ど前線に立とうとしないから、その実力は未知数だけれど。
「……覡?」
僕のつぶやきに、ラケシスが反応する。握っていたレイピアを構えることなく、彼女は零れんばかりに目を見開きながら、その眉間に皺を寄せた。
「今、覡と言ったのか」
武器を片手に、けれどその剣先は地面に向けたまま、ラケシスはこちらに問いかける。その思いもよらない質問に、僕の口から「へ」と間抜けな息が零れた。
「だから、今……覡と。そう言ったな。その覡は、あの『覡紅夜』か」
返答は、すぐに出てこなかった。
答えていいものか分からなかったのだ。ここに覡は居ないし、相手は他でもない冥界の警察たる監査局だ。何を考えているのか不明瞭で、僕の言う覡が「覡紅夜」であることに、どのような意味があるのか窺い知れなかったから。
「どうなんだ」と問い詰めてくるラケシスの目は、逃がさない、とでも言いたげだった。その目を見て、僕は逡巡し続ける。
その時だった。
「――ああ、そうだ」
答えられなかった僕の代わりに、僕たちの頭上から聞き慣れたテノールが降ってくる。ハッとして顔を上げると、そこにはよく知るもう一人の死神が門に腰掛けてこちらを見下ろしていた。
「覡さん!」
上空に開いた門から地上へと着地した覡は、僕をちらりと一瞥した後、僕の隣に立っていたクロトに視線を向けた。その目はなにか事情を察したように細められ、やがてそれは目の前のラケシスへと向けられる。
「どうやら色々と苦労をしているようだな、『境界の番犬』よ」
「……覡紅夜。まさか、貴方がここにいるとは」
「そう驚くことだろうか。俺は、お前がここにいる理由と似ていると思うが」
至って冷静に言い放つ覡に、ラケシスは押し黙った。レイピアを握る手が、小刻みに震えている。
「さて。俺としては、これから先は穏便にことを進めたい。クロトの処遇に関しても、お前たちの手荒な捜索活動に関しても、な。無論、お前たちが武力行使を望むなら……俺も、相応の対応をさせてもらおう」
彼の拳が虚空を掴んだ。それはいつでも武器を握れる、という意思表示だ。ラケシスがそれを見逃す理由もなく、彼女はため息をつきながらも、握っていたレイピアを離散させる。
「……私も、貴方と戦うつもりはない。捜索が手荒であったことは認めよう。だが、クロトに関しては妥協できない。クロトは監査局が保護すべきだ。例え、この土地が貴方の縄張りだとしても」
覡の視線に怯むことなく、ラケシスは続けた。
「クロトは、私たちにとって大切な存在だ。もう二度と傷つけさせる訳にはいかないし、これ以上失うわけにもいかない。貴方なら……大切な死神を二度も失った貴方なら、私の感情は理解できるはず。そうだろう」
「……それって」
どういうことだ。僕はラケシスの言葉に驚いて、覡の表情を窺う。覡は僅かに眉をひくつかせたけれど、それ以上の動揺を見せることはなく、ただ静かに瞼を閉じた。
「ああ。理解できる。だが、共感はできないな。大切に守り続けることが彼女のためになるとは思わない。現に彼女は逃げだし、かつてと同じ扱いを受けることを拒絶している」
ラケシスの視線がクロトに向けられる。その視線からはなにか悲哀のようなものが感じられて、同時にクロトに対する憂慮がその藤色に宿っていた。
「それに、保護にも限界はあると思うが。そもそも――なぜ、こんなことが起きたんだ? お前たちの警備体勢に、問題があったからではないのか?」
挑発するように言い放った覡に、ラケシスは青筋を立てる。その表情はいつになく感情的で、今までで一番人間らしかった。
「監査局を侮辱するか、覡紅夜! いくら貴方だとしても、その発言は看過できない!」
「事実だろう」
覡は昂ぶったラケシスの言葉に極めて冷静に反論する。
「でなければ、あの名高い『顕界の番犬』がこのような姿になっているはずがない」
ラケシスの目がかっと開かれた。薄い瞼に隠されていた深紅はその姿を現し、ゆっくりと、僕の隣を横目で捉える。そこにいるのは――。
こちらを不安そうに見上げる、まだ幼いクロトだった。




