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葬送哀歌は夜明けとともに  作者: 月乃はな
序幕「始まりの月が昇る刻」
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Episode6「冥界より訪れし者」③

「それで? 俺に連絡もせず飛び出して、悪霊を三人送って……その女の子を連れ帰ってきたって?」

「……はい」


 腕を組み、いつもの朗らかさを消し去ったルカが、僕たちを見つめている。その目は完全に据わっていて、いかにもご立腹といった様子だった。

 悪霊を送った後、僕はすぐにクロトを連れて事務所に戻った。ちょうど、時刻としては日が傾き始める午後三時ごろだ。おやつ時を迎え、ケーキが売りのルカのカフェが最も賑わう時間でもある。一人で切り盛りしているのだから目も回るほどの忙しさであるはずなのに、ルカは僕が店の前に現れたのを見るなり、カフェの扉を勢いよく開けて、笑顔を忘れたような表情で「上で待っていなさい」と言い放った。

 そして今。仕事を終えた彼は僕を向かいのソファに座らせて、僕は彼に説教されている。


「昼に突然でていったから、何事かと思ったんだよ。翔くんとかご親族になにかあったのかとか思って連絡を待ったけど、電話どころかメッセージのひとつもない。俺がどれだけ気が気でなかったか分かる? 店を閉めようかとも思ったよ。流石に、今日は予約が入ってたから閉められなかったけど」

「……すいません」


 ここまで機嫌を損ねたルカは初めて見た。覡がルカを怒らせるところは何度か見たことがあるが、彼が明らかに不機嫌そうな表情を浮かべるのは見たことがない。いつも笑顔で快活な彼からの真面目な説教は、正直僕の心にグサグサと刺さった。

 クロトはといえば、ルカが持ってきた売れ残りのクッキーをかじっている。甘い物が好きなようで、先程までは目をキラキラと輝かせて食べていた。僕へのお説教が始まる前までは。


「一人で悪霊三人を送ったのは評価せざるを得ないけど。それでも、一人で出て、連絡もなしに突っ込んでいくなんて。悪霊との戦いは……一歩間違えれば死ぬような、危険なものなんだよ。特に、Cランク以降の悪霊はね」

「それは……分かってます。けど」

「けど?」


 ルカからの氷のような視線が痛い。それでも。


「ニュースを聞いてもしかしたらと思って……居てもたってもいられなくなってしまったんです。たとえ一度出会っただけでも、知っている人が傷つくのは嫌ですから」 


 僕はルカの目を真っ直ぐに見つめ返して言葉を紡いだ。緊張で声が震えたけれど、視線を逸らすことも言いよどむこともするべきではない。それをしてしまえば、ただの言い訳になってしまうだろうから。

 ルカは僕の言葉を聞いて、ふむ、と覡のように息を吐いた。長い睫で縁取られた目を伏せて、じっと僕のことを見つめ返す。


「あ、あの。深月お兄ちゃんのこと、あんまり責めないで」


 その時、クッキーをかじっていたはずのクロトが声を上げた。


「お兄ちゃんが来てくれなかったら、わたし死んでた。だから、お兄ちゃんを責めないで」


 たどたどしくも告げられたその言葉に、ルカは目を丸くする。そして、その蒼の双眸を柔らかく細めた。


「ああ、君を救ったことは素晴らしいことだからね。そこはちゃんと認めているよ。でも運が悪かったら、彼は死んでいたかもしれないんだ。俺はただ、深月にも傷ついてほしくないんだよ」


 その口調はいつになく優しかった。まるで干したての布団のような、あるいは素足を撫でる波のような声色で、ルカはクロトに微笑みかける。そして、ソファに座る僕に向き直り、ふう、と大きく息を吐き出した。


「とにかく。今後は、悪霊を見つけたら連絡すること。どこにいるかとか、何人居るかとか、状況報告は大切だよ。報連相は組織の基礎だからね」

「は、はい」

「それと、もし君の手に負えないようであれば、こっちの事情は無視して連絡してくれ。なにがあっても駆けつけるから」


 彼の声は、もう僕を問いただすような厳しいものではない。ただ純粋に、こちらを心配してくれているのが伝わってくる。その心配を無視することなんて、僕にできるはずがなかった。


「わかりました。それと……すみません」


 僕はルカに頭を下げる。心配させてしまったことや、独断で行動したことなど、謝らなければならないことがたくさんあった。


「うん。深月、顔をあげて。君がちゃんと理解できたのなら、この話はこれで終わりにしよう。何せ、俺たちには他に考えなければならないことが山ほどあるんだから」


 説教の苦い空気を呑み込むように頷いたルカは、目の前に居る僕から視線を下に動かす。そこには、僕たちを不安そうに見上げるクロトがいた。

 クロトについては、ルカに事情説明を求められた際にこちらの知る範囲で伝えている。寺で出会ったこと、中野で恐らく事件に巻き込まれていたこと、そして悪霊に狙われていたこと。ルカはその話を聞いて、何か思い悩むように頭を抱えた。どうやら、クロトのことはルカにもわからないらしい。


「死神から逃げてきたって話だけど、一体どういうことなのか俺に話してくれるかな。もしかしたら、何か力になれるかもしれないしね」


ルカの問いかけに、クロトは小さく首肯した。僕の隣のソファに飛び乗って、ゆっくりと事情を話し始める。


「わたし、その……冥界から逃げてきたの。悪いことなんてなにもしていないのに、ずっと部屋で暮らしてたから。外に出たくて、けど怖い死神のお姉さんが追いかけてきて。なんとか走って逃げてきたんだよ」


 クロトはその身を震わせて、何かに耐え忍ぶように拳を握った。


「現世についたけど、いろんなひとが話しかけてきて。その中に悪霊もいたの。襲ってきたから逃げていたら……周りの人も巻き込んじゃった。それでもなんとか逃げて、でも悪霊に捕まって。そこで、深月お兄ちゃんに助けられたんだよ」


 周りの人、というのは、恐らくクロトを追った悪霊に怪我を負わされた人間たちだろう。悪霊の刃なら、顕界の人間に干渉することができる。かつて、翔が狙われたように。


「なるほど。冥界で死神を閉じ込める場所といったら、ケルベロスの駐屯地のどこかかな」


 ケルベロス。つい最近聞いたその言葉に、僕ははっとして顔を上げる。

 確か、ケルベロスというのは死神の業務監査機関の通称だったはずだ。業務違反を行った死神を捕らえ罰するという、協会とは別の組織。まさか、そんなところからクロトは逃げてきたというのだろうか。


「あの、追っ手は大丈夫なんでしょうか。今もクロトを探してるんじゃ」


 僕がクロトを寺で見つけたとき、もう既に彼女はボロボロだった。追っ手は、クロトを傷つけている可能性だってあるのだ。そんな奴らに見つかってしまえば、クロトの身に危険が及ぶ。


「そうだね、ケルベロスから逃げてきたとなると、ちょっと厄介なことになるかも」


 ルカが眉を顰めながら零した言葉に、僕の不安はより一層増大した。ごくりと息をのみ、隣でうつむいている少女に視線を向ける。安心させられるような気の利いた言葉の一つでも言えれば良いのだけれど、僕の身体も緊張で強張っていた。

「まあ、所長に相談してみるよ。あの人なら何か対策を練れるかもしれないし、俺よりも弁が立つからね」

「覡さんに、ですか?」


 覡は今、用事があると言って冥界に行っている。なんの用事かは詳しく聞いていないが、なんでも死神の間で会議があるらしい。リゼ曰く、冥界の東ユーラシア協会は不安定な状況にあるというし、これ以上覡の仕事を増やすのは気が引けた。

 だが、ルカはそうは思っていないようだ。スマホをポケットから取り出すと、流れるような手つきで覡にメッセージを送りつける。


「報連相、だよ。まあ、報告くらいなら所長も怒らないさ」


 そう言って、ルカは僕とクロトにからりとした笑顔を向けた。ルカの思いきりの良さには頭が上がらない。行動力の塊、というのは正に彼のことをいうのだろう。


「傷害事件は俺が対応しておくよ。追っ手に関しては、事務所にいれば気にしなくて良い。この事務所には所長お手製の特殊な結界が張られていてね、悪霊も死神も、俺と所長どちらかの許諾がないと立ち入ることができないんだ。現世でもっとも安全な場所だよ」

「結界って……死神はそんなこともできるんですね」


 目から鱗の情報だった。道理でこの事務所に悪霊が勝手に入ってきたり、近付いてきたりすることがないわけだ。

 それにしても、そのような結界が存在しているとは思わなかった。もし僕もその結界を張ることができるようになれば、翔や自分の家をセーフティーゾーンに変えられるかもしれない。

 そんな淡い期待が、僕の眼差しからにじみ出ていたらしい。ルカは僕のことを一瞥すると、残念ながら、と両手のひらを上にした。


「結界だとか、そういう次元に至るには相当な修行が必要だ。少なくとも一朝一夕でできるようなことじゃない。もちろん、武器以外のものを製造することもね。まあ、そういうことに関しては所長の方がプロフェッショナルだし、所長が帰ってきたら聞いてみると良いよ」

「は、はい」

「よし。じゃあクロト、しばらくこの事務所に寝泊まりする、っていうのはどうかな。俺と所長、そして深月が君の安全を保証しよう」


 ぱん、と両手を合わせたルカの提案に、クロトの表情は少しずつ明るくなる。藤色の瞳がきらきらとLEDを反射して、期待に満ちあふれた顔で僕とルカを交互に見上げた。


「いいの?」

「もちろん」


 ルカの言葉に、クロトは大きく頷く。ありがとう、と微笑むクロトは幸せそうで、出会った時の不安そうな表情など忘れてしまったかのようだった。

 その時、ぐう、と地響きのような音が部屋中に鳴り響く。その出所は、他でもない僕の腹だった。


「……何の音?」


 クロトは僕の腹部を不思議そうに眺める。


「す、すいません……お腹すいちゃって」


 そういえば、朝食を食べたきり何も口に入れていない。今になって空腹を感じるなんて、随分と緊張していたようだ。

 僕の腹の音を聞いたルカは、仕方ないなあ、と言いたげに微笑んで席を立つ。隣の部屋の戸棚からどらやきを二つ持ってきて、僕に一つ、そして興味深そうにどらやきを見るクロトに一つ手渡した。


「夕食作ってくるから、少し待ってて。あ、でも食べ過ぎたら駄目だよ、特にクロト」


 どら焼きにかぶりついたクロトはぴくりと肩を跳ねさせる。そういえば、先程売れ残ったクッキーを食べ尽くしていた。その胃袋に限界はないのだろうかと疑問に思いつつ、僕もどらやきを一口かじる。

 口の中に広がったほのかな甘みは、疲れ果てた僕の身体にじわりと染みた。







「それで……クロトは見つかったのか」


 暗闇の中、凜とした女が集まっていた他の死神に問いかける。空はまるで墨を零したような黒に染まっていて、遙か遠くに臨む「回生の樹」のみが、まるで太陽のように眩い光を発していた。

常夜でありながら白夜でもあるこの場所こそ、死神によって、あるいは人間によって「冥界」と呼称される場所だ。そして、今女がいるのは、その冥界の端に位置する監査局本部である。

女は金糸の如き美しい髪をウルフカットにし、黒と赤を基調とした軍服にその身を包んでいる。タイトスカートからすらりと伸びた足は暗闇に映える白さを湛えていて、言うに言われぬ艶めかしさを放っていた。


「申し訳ございません。現世を中心に調査を行っておりますが、まだ特定には至っておりません。やはり東ユーラシア協会は規則が厳しく、行動が制限されております」


 女の部下の一人が声を上げる。女ははあ、と大きく息を吐き出して、手元の資料に目を落とした。黒のバインダーによって留められたそれには、クロトが居ると思われる大まかな地域が記されている。

 東ユーラシア協会――女はそれに思いを馳せて、痛む頭を軽く抑えた。

 死神にとって、各協会による自治は尊重されるべきものだ。例え監査局であっても、それを無視して調査を強行するわけにはいかなかったし、少なくとも、女はそのような性質だった。


「分かっていると思うが、クロトは我々にとって重要な存在だ。もし彼女を襲った輩にまた襲われでもしたら、冥府と監査局の威信に関わる。何がなんでも見つけ出し、こちらで確実に保護するんだ」

「はっ」


 部下たちが現世へと繋がった扉の奥に姿を消す。その背中を見送って、女は空高くそびえる「門」を見上げた。

 あの日、クロトがこの施設から逃げ出したとき――何故かひとりでに門が開いた。門を開けるための門番はいなかったはずだし、間違っても「境界」を守るこの場所が自動開閉機能を門に搭載するわけがない。彼女が如何様にしてこの重厚な門を開けたのか、女には分からなかった。


「……今、何処に」


 漆黒の空を見上げながら、女はぽつりと言葉を零す。するとその時、背後からやけに明るい声が聞こえてきた。


「そんなに暗くなっちゃって。どうしたの? もしかして、まだ見つからない感じ?」

「アトロポス」


 女の陰気な顔は、その快活な声によって歪められる。アトロポスと呼ばれた小柄な女は、金髪の女と同じ意匠の軍服を身に纏い、紅蓮のマントをなびかせながら、ヒールを鳴らして金髪の女の隣に並んだ。


「フルネームで呼ばないでよ、ラー姉様。だから堅物だなんて言われるんだよ」

「……アトロ。なぜこの場所に来た? お前は中心部の管轄だろう。境界に用はないはずだが」

「それを言ったら、ラー姉様だって顕界の担当じゃないでしょ。それに、自体は急を要するはず。私の力も必要なんじゃない?」


 アトロポスの言い分に、女はさらに顔を歪める。しかし、そんな女の態度などいざ知らず、アトロポスはパチンと指を鳴らした。


「アトロポス様。お呼びですか」


 途端、誰も居なかった広場に何十人もの死神が現れる。彼らはみなアトロポスに向かって跪き、ただ静かに彼女からの命令を待っていた。


「今すぐ顕界に飛び、あの小娘を探し出して。どんな手を使ってもいいし、現地の死神と衝突しても構わないから」

「待て、アトロ。彼女が逃げたのは「規律」を重んじる東ユーラシアの縄張りだ。各支部への調査には、彼らの上層部に許可を取らなければならない。いくら監査局だからといって、彼らの自治を侵害するのは」

「そんなの関係ないよ、ラー姉様」


 女の制止をアトロポスは一蹴する。


「協会の死神が私たちに逆らえるはずがない。特に東ユーラシアはね。私たちと同等の強さを持つ死神はあの協会を捨てたんだから。それに今、東ユーラシアの上層部は混乱してる。上層部に許可を求めたところで、仕事の邪魔になるだけ」

「だが」

「ねえ、ラー姉様? あなたは――取るに足らない死神の規則と姉妹の絆、どっちが大切なの?」


 アトロポスはそう言って、藤色の瞳をすっと細めた。その瞳は冥界の闇に輝いて見え、彼女を彩る空色の髪が、彼女の動きに合わせて揺れている。その笑顔に圧倒されて、金髪の女はごくりと喉を鳴らした。

 言葉を失った女を見て、アトロポスはにこりと笑う。


「私も手伝うね、ラー姉様。何が何でも、あの小娘を見つけないといけないんだから。全ては、我が主の……そして、私たち三姉妹のために」


 大仰にお辞儀をしてみせたアトロポスはくるりと踵を返し、部下を引き連れて門の向こうへと消えていった。間もなく彼女たちは境界を越え、顕界へとたどり着くだろう。


「はあ」


 これから巻き起こるであろう騒乱を想像し、女は大きく息を吐き出した。

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