Episode5「君を送る子守歌」②
ルカがスパルタ気質である、ということは、この身を以て実感している。数日前、覡に用事があるときに何度かルカが僕の訓練に付き合ってくれたが、その時は散々だった。「俺に一撃当ててみてよ」なんて単純な課題が出されて、必死に剣を振ったものの、一回たりとも当てることができなかったのだ。しかもその間、休みという休みが与えられなかった。思い出すだけで目眩がしそうな訓練内容で、覡による訓練が再開したときは嬉しくて泣きそうになったのを覚えている。いや、実際泣いていたかもしれない。
とにかく、ルカは今回の依頼を僕に全て任せようとしたのである。「とりあえず一人でやってみたら」と。普段は世話焼きなのに仕事になると放任主義になるのはルカの悪いクセなのだと、ルカの言葉を聞いた覡は僕の隣で頭を抱え、それなりに時間をかけてルカと話し合っていた。
その結果、今回の依頼は覡がついてきてくれることになったらしい。翌日の朝に改めて召集がかけられて、僕と覡、そして子供の善霊で、人混みの中から母親を探すことになった。朝の東京駅前ともなれば、立ち止まっている人はよく目立つ。次から次へと通り過ぎる人の川を眺めながら、少年――白河颯斗は事の詳細を語り始めた。
「母さんはいつも、伯父さん……母さんのお兄さんの家で寝泊まりしています。そして、朝と夕方に、駅の改札近辺で通行人に声をかけているんです」
「伯父の家、ですか?」
「はい。ぼくの家はずっと西にあるので。最後の目撃情報が東京だったんです。そのことを知ってから、母さんはしょっちゅう東京に来ています。新幹線代だって安くないのに」
なんでも、颯斗は母子家庭だったらしい。父親はとうの昔に蒸発して、母親はたった一人の息子を必死になって育てていたのだと。仕事を探して、朝から晩まで働いて、帰ってきたと思ったら泥のように眠って、またお金を稼ぐために家を出る。颯斗が家に帰るときには誰もいない。きっとそこを狙われたのだろうと、颯斗は申し訳なさそうに眉を下げた。
「まあ、身代金目的ではないでしょうね。あの時のことは思い出したくありませんが……それでも、母に迷惑をかけてしまって、今もそれが続いてる。ぼくはそれが嫌なんです」
颯斗の表情は暗かった。それでも、その瞳には変わらない覚悟が宿っている。その意志を無駄にしたくなくて、僕は人混みに目をこらした。
ふと、視界の端に様子のおかしい女性がふらふらと現れた。流れる人混みをせき止めるように、けれど邪魔にはならないように道の端で、チラシを配ろうと四苦八苦している。髪は一つにまとめられているものの、所々まとめ損ねた髪の毛がぴょこぴょことその存在を主張していた。服装はストンと着られるタイプの簡素な無地のワンピースで、スーツ姿が多い波の中では一際その異質さを醸し出している。
「あ、あれ」
颯斗は透明な指をその女性に向けた。僕と覡は顔を見合わせ、しばらく彼女の様子を見守ることにした。話しかけるのは、せめてこの人混みが落ち着いてからだ。
「あの、すみません」
件の女性は弱々しい声で、比較的話しかけやすそうなスーツ姿の女性に声をかける。声をかけられた女性は軽く会釈し、すっと視線を前に戻して駅の改札に足早で向かっていった。次も、その次もだめだった。誰一人として立ち止まらず、よくて視線を寄越してくれるほど、悪ければ完全に無視されていた。朝の忙しい時間だから仕方が無いとも思いつつ、一枚も減らないチラシを握りしめる彼女の姿は痛々しい。颯斗も、苦しそうに目を伏せていた。
「深月、そろそろ人の流れが落ち着くだろう。落ち着いてから、彼女に声をかけてくれ」
「わかりました」
覡の言ったとおり、数分後には辺りを歩く人の数が減る。朝とはいえそれなりの湿度と温度があり、壁沿いに立つ女性は額から汗を滲ませていた。落ち込んで、バッグから取り出したハンカチで額を拭いながら、誰にも邪魔にならないようにうなだれている。
「……すみません。そのチラシ、僕に一枚くれませんか」
僕の言葉に、はっと彼女は顔を上げた。近くで見ると良く分かる。その顔はやつれていて、目の下には大きなクマが消せないシミのように張り付いている。髪の毛も想像以上にぼさぼさで、身なりに気を配っていられないという余裕の無さを感じさせた。
「あ、あの。この子……白河颯斗のこと、ご存知ですか?何年も前のことだから、きっとこの写真よりも大きくなっていると思うんですけど……あ、両目の下にほくろがあるんです。左利きで、サッカーが大好きで」
「ちょ、ちょっと落ち着きましょう。話なら聞きますから」
喰い気味にまくし立てる女性をなだめ、覡の居る壁際まで連れてくる。颯斗はいつのまにか離れたところにいて、僕たちのことを見つめていた。
「突然声をかけてすみません。僕たちは探偵でして……駅前に人捜しをしている人がいるという噂を聞いて、力になれないかとここで張り込みをしていたんです。良ければ、お話を聞かせてくれませんか」
ルカや覡との打ち合わせで決まった設定を並べ立てていく。嘘を織り交ぜた言葉と共に渡すのは、昨夜ルカが急ぎで作った「探偵所」の名刺だ。出会い頭に死神です、なんて説明するのは、信じて貰えないに決まっている。声は震えていないだろうか。違和感はないだろうか。不安になりながらも、僕は女性の目から視線を離さないようにした。
「ア……えっと。この方は?」
僕の隣に立つ覡を見上げて、女性はその身を竦める。流石に、身長一八〇センチ超えの威圧感は隠せないらしい。
「俺は彼の助手のようなものだ」
「じょっ?!」
「そうだろう。今回の依頼はお前が主導するべきだ」
女性に聞こえないよう小声で伝えられた事実に、僕は驚愕と緊張で心臓が爆発しそうになった。まさか最初の依頼を自分が主導することになるなんて想像していなかったのだ。
覡の言っていることはわかる。僕だって、この依頼は自分が動く必要があるという認識くらいできている。とはいえ、上司を助手に据えるなんて恐れ多いし、突然リーダーをやれと言われても、初めての依頼で上手くできるかわからない。
僕の動揺を覡は感じ取ったらしい。覡は相変わらず動かない表情筋のまま、小さな、けれど芯のある声で淡々と続けた。
「今回の依頼は目に見えた危険はないだろうし、初めての依頼には丁度いいだろう。仮に何かがあったとしても、必ず俺が責任を取る。心配するな。サポートはするからできるかぎりやってみろ」
覡はぽんと軽く僕の背中を押す。彼の瞳は僕を真っ直ぐに見据え、そして口角が僅かに持ち上がるのと同時にそっと細められた。
彼からの期待を背負っている。依頼主からだけではない。僕は今、二人の期待を背にこの場所に立っている。
息を吐き、軽く咳払いをして、僕は女性に向き直った。本当に、ひどくやつれた女性だ。しわもあるし、肌荒れも酷いし、痩せて頬がこけている。女性の向こう側、駅の柱の陰には依頼主が顔を覗かせて、その表情を曇らせていた。脳裏に十歳頃の見目をしたその依頼主の言葉が響く。
『どうか、母さんを止めていただけませんか』
その声を思い出したらもう、後に引くことなんてできなかった。
「……あの、大丈夫ですか?」
柔らかな声が僕の頬を撫でる。僕はさっと顔を上げて、重苦しくならないように、かといって明るくなりすぎないように笑顔を浮かべた。
「すみません、考え事をしていまして。……立ち話はなんですから、場所を変えて話しませんか。新宿に、僕たちの拠点があるんです」
女性を招いたのは、支部の事務所だ。名刺に書かれた住所通りの場所だし、立て看板もこの日のためにルカが「人間用」に変えてくれたらしい。
女性の名前は白河優香。探しているのは息子の白河颯斗だと、上座のソファに腰掛けた女性は今にも泣きそうな顔でぽつぽつと事情を話し始めた。
「息子が攫われたのは十年前です。当時はその目撃情報の移動距離が話題になって、よくニュース番組に取り上げていただきました。今はもう、噂にすらなりませんが」
「その事件は記憶に残っている。他の事件や事故のニュースに呑まれて、結局手がかりが途絶えたまま報道されなくなっていった」
「覚えておいでですか。そうなんです。もう誰も見向きもしてくれなくて。あんな風にチラシを配っても、誰も足を止めてくれなくなって。こうやって話を聞いてくださったのは久し振りです」
覡が同意を示したことに、白河優香は喜色を滲ませた。大衆からは忘れ去られた事件だ、覚えていてくれたことが嬉しかったのだろう。生憎僕は当時颯斗と同じ十歳にもなっていない。その時のニュースは覚えていなかった。僕だけでは彼女の心を掴むことは難しかっただろう。
渡されたチラシに目を落とす。そこには、幽霊となった颯斗と同じ顔をした少年が、泥だらけのサッカーウェアに身を包み、弾けるような笑顔を浮かべている写真が貼り付けてあった。彼が人間であったときは、どこにでもいるようなただの子供だったらしい。こんな子供が誘拐されて幽霊になって、その末に妙に大人びた表情を貼り付けて僕たちを頼ってきた。当時の事件は覚えていないけれど、その事実が僕の胸を締め付ける。
「警察も探偵も匙を投げました。手がかりが全く見つからないからです。でも私は、私だけは、諦めるわけにはいきません。もしかしたら生きているかもしれないんです。いえ、きっと生きています。あの子は賢いから、きっと。私だって、あの子に会うためなら悪魔にだって魂を売ります。なんでもしてみせます」
声を震わせながらもそう言い切った白河優香に、颯斗は背を向けていた。彼女の言葉に何も言わず、事務所の窓から空を見上げている。それでも、こちらに耳は傾けているようだった。その小さな肩は、何を思ってか小刻みに震えている。
颯斗の感情は何となく想像できる。これから、母親に事実をつきつけなければならないのだ。ここまで自分の生を望んでくれているのに、その全てを否定する必要がある。それが自分の未練で、願望で、母親を思って決断したことであったとしても。
僕は一息、大きく深呼吸した。一つは、まくし立てるようにぶつけられた母親と、背中で語る颯斗の感情を自分の中で整理するため。そしてもう一つは、これから起こるであろう事を想像し、それに向き合うためだった。
「わかりました。こちらで十年前の事件について調べます。少し時間を頂戴しますが、よろしいでしょうか」
「ほ、本当ですか」
はっきりと協力する旨を伝えれば、白河優香は隈で縁取られた目をぎらぎらと輝かせた。こぼれ落ちそうなほどに開かれた瞼からは狂気さえ感じる。その様子は、彼女が相当参っていることをありありと表していた。そうならない方がおかしいだろう。愛する一人息子が居なくなって、けれど社会からは忘れ去られて、それでもなお息子は生きているのだと信じて探し続ける。そんなもの、執念以外のなにものでもない。正気でなんて成し遂げることができないのだ。
「……任せてください。この依頼は、僕たちが責任を持って取りかかります」
だから、これが僕の答えだ。彼らが僕たちを頼ってくれたのだから、僕もそれに応えたかった。彼らの努力や想いを無駄にしたくなかった。具体的どうすればいいかなんて今はまだ分からないけれど、とにかく彼らのためになにかをしてあげたかったのだ。
僕がそう言い切ると、彼女は嬉しそうに何度も頭を下げる。その勢いで首が転がってしまいそうなほど、何度も。それがむず痒くて視線を窓へと移せば、颯斗がこちらをじっと見ていることに気が付いた。彼の透き通った瞳が、僕のことを映している。何か言いたいことでもあるのだろうか、視線で発言を促せば、颯斗は哀しげな笑顔を浮かべながら、落ち着き払った様子でただゆっくりとお辞儀をした。
「じゃあ、まずは死体探しだね」
ルカがパン、と手を叩く。白河優香には「情報が見つかったら連絡する」と伝え一度帰って貰い、僕たちは遅めの朝ご飯を事務所で食べることにした。
ガラステーブルに並んでいるのは、昨晩から仕込んでいたというフレンチトーストとハムエッグ、そして淹れたてのコーヒーだ。ちなみに、フレンチトーストはカフェのメニューでもあるので、不要部分のパンの耳で作ったものである。ルカは十一時の開店に向けてお店の掃除をし、ついでに僕たちの食事を用意してくれていた。
「死体探しといっても、どうするんですか?現状颯斗くんくらいしか手がかりがありませんけど」
僕たち三人の視線が、ソファにちょこんと腰掛ける善霊に向けられる。幽霊だから、腰掛けているように見える、というのが正しいけれど。
「……すみませんが、ぼくもよく覚えていないんです。殺された場所はわかります。でも、そのあとどうなったかは知らなくて。こうして幽霊になった自覚が生まれたのも、死んでから時間が経った後でしたから」
悔しそうに項垂れる颯斗は、太ももの上で小さな拳を握っている。すると、見間違いだろうか、彼の透き通った青白い霊体がほんの一瞬だけ黒い煙のようなものを吐き出した。
黒い煙。この数週間で死神用に鍛えられた僕の脳味噌は、すぐさま一つの推測をはじき出す。はっとしてルカと覡を見れば、二人も同じようにその表情を暗くしていた。
悪霊は決して最初から悪霊だったわけではない。善霊に蓄積した負の感情に、次第に彼ら自身が呑まれてしまうことにより悪霊が誕生する。その蓄積速度は霊によって異なるけれど、善霊がこの世界に留まり続ける限り、いつか必ずその限度に達するのだ。だからこそ死神はできる限り善霊の未練を無くすことに協力して、悪霊が現れるのを未然に防いでいる。
つまるところ、颯斗はもう限界が近いのだろう。だからこうして、必死になって僕たちを頼っていたのだ。十年間蓄積し続けた負の感情は、今にも周囲に、そして彼の大切な人に、なによりも彼自身に牙をむこうとしている。
「なら、まずはその殺された場所の近辺を探すしかないよ」
ルカの言葉が固まっていた空気を動かした。覡はその言葉に背中を押されるように立ち上がって、ワードローブから適当に見繕ったジャケットを一枚、僕に向かってふわりと投げた。先日借りたものと同じスーツだ。けれど、先日の模擬戦によるほつれやら土埃やらは綺麗に手入れされ、生地も皺なくピンと張っている。軽く覡に会釈して、僕はそのスーツに袖を通した。それだけで、思考が晴れて背筋の伸びる心地がする。
「俺と深月が調査しよう。颯斗、辛いだろうが案内を頼みたい」
「わかりました。お二人とも、よろしくお願いします」
「ルカは他の調査を頼む。十年前の事件について調べてくれ。詳細はメールで送る。仕事の合間に頼むことになるが、構わないか」
「いいよ。夜までには間に合わせる」
先程の停滞など嘘のようにトントン拍子に話が進む。そして、次は、と言わんばかりに覡の深紅が僕を捉えた。緊張で身体が強張り、握りしめた拳は武者震いか小刻みに震えている。僕はその震えを抑え込むように深呼吸をし、覡の深紅の双眸を見上げた。透き通る赤が何かを見定めるように僕に向けられている。
「深月。今回は深月の力が必要だ。よろしく頼む」
未だ一抹の不安は拭えない。それでも、そんな彼の言葉は僕の背中を静かに押した。




