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葬送哀歌は夜明けとともに  作者: 月乃はな
序幕「始まりの月が昇る刻」
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Episode5「君を送る子守歌」①

 意識がゆっくりと浮上する。否、浮上という表現は可笑しいかもしれない。どちらかと言えば、意識がぽんと世界に投げ出されたような感覚に近い。

 目を開ければ、そこには息を呑むほどの絶景が広がっていた。空はおろしたてのキャンバスのように真っ白で、地面は地平線の彼方まで対極的な黒に塗りつぶされている。

 そんな普通ではあり得ない光景を見て、僕はこれが「夢」であることを理解した。地面を埋め尽くす漆黒は、よく見ればその全てが黒い花弁と黒い葉を持つユリのようだ。柔らかな風に揺れて、さわさわと小さな音楽を奏でている。

 その幻想的な光景に、僕は思わず息を零した。そしてなるべく花を踏まないように気を付けながら、何もない花畑を進んでいく。太陽は見当たらないけれど、空からは眩しいほどの光が降り注いでいて、その全てを漆黒の花が吸収していた。

 なだらかな丘陵だった。どうせなら高いところからこの花畑を見下ろしたくて、僕はゆっくりと丘の頂上を目指す。きっと壮観だろう。空が青くないのは面白味に欠けるけれど、まるで白と黒の世界の狭間にでも立っているかのような感覚はそうなかなか味わえるものではない。それに、これはどうせ夢だ。醒めるまでやることもなかったし、この花畑が完全な平面ではなかったのは丁度良かった。

 一歩、また一歩と歩を進める。風が僕の頬を撫で、どこからか小鳥のさえずりが聞こえてくる。その穏やかな時間に癒やされながら登っていけば、だんだんと頂上が見えてきた。


「……あれは」


 ふと視界に入ったのは、明らかな人工物だった。人の気配を感じないこの花畑を見下ろす場所に、ぽつんと何かが立っている。

 その人工物は正しく異質だった。石造りのそれは念入りに手入れがされているのかピカピカで、中央に何やら文字が彫られている。そしてその形は、誰がどう見ても十字架だ。


「墓?」


 西洋式の墓が、何もない花畑にぽつんと立っている。それだけでも異質なのに、その不気味さを際立たせているのがその供え物である。

 穢れなき純白のユリが一輪、添えられている。その葉は緑色で、中央に向かうにつれて花弁に緑が混じるような、普通のユリ。だが、漆黒のユリで埋め尽くされたこの場所ではその普通が嫌に目立っていた。

 近くに白いユリは咲いていない。もしかしたら遙か遠くには咲いているかもしれないが、それでもこの近くには空にしか白が存在していない。つまり、遠くから来た誰かがここに供えたということだ。そして、供えて間もないのだろう。こんなにも瑞々しい花びらは中々お目にかかれない。

 その墓に刻まれた文字を読み解こうと試みたけれど、僕には読むことができなかった。日本語ではないし、英語ですらない。ただ、誰かの名前であろうことは察せられた。

 誰かの墓と、その誰かに手向けられた一輪の白いユリ。

墓の前に来て何も供えないのは気が引けたため、僕は近くに咲いていた一際綺麗な黒いユリの一輪を摘み、そっと白いユリの横に置く。そして、どこの誰かは知らないけれど、その魂に安寧が訪れることを祈って手を合わせた。

その時だった。


「……あれ、君は」


 僕の背中に、気の抜けたアルトの声がぶつかった。その声に弾かれるようにして顔を上げれば、声の主がこつん、とヒールを鳴らす。


「驚いた。こんな辺境の墓には、誰も来やしないから」


 僕の首はコンクリートで固められたみたいにぴくりとも動かない。一体誰なのか、どんな人なのか知りたくて、けれど身体は自分のものではないように、まるで言うことを聞いてくれない。

 そうこうしている間に、声の主は僕の隣にやって来た。視界の端に見えるのは、風に煽られてたなびく白いロングコートだった。背丈は僕と同じほどで、コートに付属したフードを目深に被っている。白い空から降り注ぐ白い光が彼の衣服に反射しているせいで、その顔はよく見えなかった。


「これもなにかの縁だ。君の名前を教えてよ」


 どうやら男らしい。声の割には体つきが直線的だった。白い男は墓を前にして屈み、墓石をこれまた真っ白な指でそっと撫でる。その手つきを見るに、きっと、ここに眠るのは彼にとってとても大切な人なのだろう。


「日野深月といいます。日付の日に野原の野で日野、深い月と書いて深月です」


 首は動かないけれど、喉は正常に動いてくれた。白い男は「みつき」としばらく舌の上でその言葉を転がしてから、ぱっと喜色を滲ませる。


「良い名前だね、君によく似合ってる」

「あ、ありがとうございます。えっと……貴方の名前はなんですか?」

「僕? ああ、僕は――――」


 肝心なところで、世界を洗い流すような強い向かい風が吹いた。風音に彼の声がかき消され、その勢いで漆黒の花弁が空へ高く舞い上がる。真っ白な空を点々と染める黒はまるで一枚の絵画のようだ。もっと見ていたいと思ったけれど、次第に視界は少しずつ空の白に支配されていく。彼の声を含めたあらゆる物音が遠のいて、世界の輪郭がぼやけていく。

どうやら、この夢はここで終わりらしい。本当に、肝心なところで終わってしまうみたいだ。どうせなら彼の名前を聞きたかった。


「大丈夫、また会えるよ」


 僕の感情が伝わったのだろうか。意識が途切れる直前、風によって持ち上げられたフードから僅かに見えたその口は確かにそう笑っていた。






「――月。深月」


 柔らかい声色の呼び声と共に、肩を軽く揺すられている。閉ざされていた瞼を持ち上げると、人工的な白い光が視神経を刺してきた。


「おはよう、よく眠れた?」


 瞬きを繰り返す内にハッキリとしていく視界の中で、見慣れたダークブロンドが揺れている。簡易的なベッドから身体を起こすと、体重をかけた部分がぎしりと軋んだ。

 ここは東ユーラシア死神協会東京支部……その出張所に併設された仮眠室だった。年々酷くなっていく暑さから逃れるため、訓練は早朝に、そして死神としての仕事は夜に、と時間を分けて僕たちは活動している。つまり日中は完全な休憩時間だ。けれど暑い中自宅に帰る気力の無い僕は、こうして事務所で休ませて貰うことが多かった。


「はい。おかげさまで」


 なにか夢を見ていたような気がするからぐっすりとまでは言えないものの、午前中の筋トレやら素振りやらの疲れは比較的楽になっている。時計を見れば、針は五時半を回っていて、長いこと自分が眠っていたことを理解する。きっとルカは、起きてこない僕を心配に思って上がってきてくれたのだろう。その証拠に、まだ店のエプロンをしたままだ。


「すぐに下に来られるかな。カフェの残り物になってしまうけど、夕食を用意してあるんだ。食べ終わったら、俺たちも所長に加わろう」

「なにかあったんですか?」


 心なしかルカが急いでいるように見える。自分はまずい時間にのんびり仮眠をとってしまったのではないかと不安になってそう尋ねれば、彼は口を開く前に開いたままのドアノブに手をかけた。

 扉の向こうには、出張所の事務室が広がっている。視線の先には対になった黒革のソファと覡の机があり、覡は下座のソファに腰掛けて正面に座る誰かに声をかけていた。寝起きでふらつく足を叱咤しながら立ち上がれば、上座に座る「誰か」の姿がはっきりと見えてくる。

それは、今にも空気に溶けてしまいそうなほど青く透き通った身体をもった、十歳程度の少年だった。






 慌てて一階に下りて食事をとった僕は、先に話を進めていた所長の隣に腰掛ける。始めはルカに席を譲ろうとしたものの、彼は頑なに座ろうとせず、結局僕がソファに、ルカがその更に一歩引いたところで立って話を聞くこととなった。


「彼は深月、俺の部下だ。そして奥の彼がルカ。紹介が遅れてしまってすまなかった」

「……かまいません。急に押しかけたのはぼくの方ですから」


 返ってきた子供にしては酷く落ち着いた言葉に僕は目を丸くする。けれど当の本人は何でもない風にぎこちない笑顔を浮かべた。


「今日はお願いがあってきたんです。所長さんにはもう事情は伝えたのですが、お二人にも力を貸していただきたくて」


 そんな前置きをして子供の霊は真っ直ぐにこちらを見る。その小さな拳を小さな膝の上でぎゅっと握りながら、覚悟を決めて言い放った。


「どうか、母さんを止めていただけませんか」


 その声はどうしようもなく震えている。少年が放った覚悟の奥底に、恐怖や苦痛などの様々な感情が見え隠れしている。それでも、少年はあらゆる感情を覚悟というセメントで塗り固め、死神の前に座っていた。


「ぼくは十年前に死にました。けれど、母さんはそれを知らない。知らないまま、まだ生きていると信じてずっとぼくを捜している。ぼくはそれをやめさせたい。なんとかして、ぼくが死んだことを理解してほしいんです」


 その言葉を聞いて、驚愕と共にどこか納得することができた。少年がこんなにも落ち着いているのは、僕よりも長くこの現世にいるからだろう。けれど、何故彼は死んでしまったのだろう。どうして、母親はそれを知ることができていないのだろう。そんなことを考えて、僕の思考は遂に、最悪の答えに辿り着いてしまった。

 少年は僕の表情を見て何かを察したらしい。「ご想像のとおりです」と苦しそうに微笑んでみせた。


「ぼくは殺されました。誘拐殺人です。でも犯人は捕まっていないし、ぼくの死体もまだ見つかっていないから、母さんも事実を知ることができていません。警察の捜査も当時に比べたら風前の灯火です。社会の関心も、十年前なんかの事件に向けられていないですし。だから、もう普通の人に期待するのは絶望的なんです」


 つまるところ、彼にとって死神こそが最後の砦だったのだ。かの少年の唯一の願いを叶えてあげられる存在は、もう僕たちだけになってしまっている。けれど。


「この依頼……僕たちが協力してもいいんでしょうか」


 僕の疑問に、ルカと覡は同じように眉をひそめた。

 死神にも、最低限守らなくてはならないルールが勿論存在している。覡はこれを「冥界の原則」と呼び、その一つ一つを講義で僕に丁寧に教えてくれた。


一、現世と冥界において、いずれかに属する魂を意図的かつ強制的に対岸に送る行為は認められない。また、自然な渡界行為の妨害も認められない。

一、冥界は現世の歴史に対して直接的に干渉してはならない。

一、冥界に属するものは皆この原則を守らなければならない。ただし、境界の保全の危機など重大な事案が発生した場合はこの限りではない。

一、以上の規則に反したものは、境界送りの刑に処す。


 本当に最低限といった内容だったからよく記憶に残っている。残っているからこそ、今回の依頼の困難さが理解できてしまった。

 死者が生者に自らの死を伝えること。それは本来あり得ないことで、あってはならないことだ。僕たちの干渉によって現世に「事件の解決」という歴史が刻まれてしまえば、それは原則の二番を破ることにほかならない。


「……無理ですか」


 僕たちの表情を見て、少年は静かに肩を落とした。伏せたその瞳が潤んでいるのは見間違いではないだろう。大丈夫だと声をかけてあげたいけれど、この依頼を合法的に解決する方法を僕は思いつくことができなかった。

 先程から覡は静かに子供を眺めている。その眼差しはまるで彼を見定めているかのようだ。原則を破りかねない危険を冒してまで、彼の依頼を受けるべきかどうかを。

 そして暫くして、覡は長く続いた沈黙を破るようにそっと小さく息を吐き出した。


「無理ではないだろう。難しくはあるだろうが。あの原則はつまり、俺たちがあらゆる事実を発言することを禁止している。死者の介入によって現世が変わってしまうことを防ぐためだ。だが裏を返せば、俺たちが直接介入しなければいいということでもある」


 覡の発言に、ルカがなるほど、と手を叩く。


「要は、君のお母さんに死体を見つけて貰えばいいわけか。そうすれば、事実上は君のお母さんが自分で息子の居場所に辿り着いたことになる。俺たちが「直接」この子の死を伝えたわけではなくなるから、原則は守られる。相変わらず所長は法の抜け穴を見つけるのがうまいね」

「でも、どうやって母親に死体の場所を伝えるんですか? 死体の場所を直接伝えるのは駄目ですよね?」

「その通りだよ、深月。でもこれにも一つだけ抜け道がある」


 待ってましたと言わんばかりに、ルカは僕の疑問を切り返す。ピンと真っ直ぐ人差し指を立てて、そのままそれを僕に向けた。その指に引っ張られるように、この部屋の全員の視線が僕に集まる。


「ぼ、僕……ですか?」


 僕の言葉に覡が満足そうに腕を組んだのを見て困惑した。なぜ僕が「抜け道」になるのか、その答えを求めて覡とルカに目配せすれば、二人とも同じ顔をする。厳密には全く同じではないけれど、それなりにこの二人と一緒に活動してきた僕には分かる。

 これは、なにかを企んでいるときの顔だ。


「だってほら、君、完全にこっち側じゃないからね」

「ああ。俺たちとは違って生者として現世に干渉できる。原則も『冥界は』ではあるが『死神は』ではない。深月、お前ならこの依頼を解決することができるだろう」


 なにやら楽しそうな二人を見て、ぞっと背筋に寒気が走る。蘇るのは、数日前に僕とリゼが巨大贋霊の葬送を行ったときの記憶だった。


「深月。今回の依頼、やってみないかい?」


 想定通りの笑顔で、想定通りの言葉が、無害そうにみえてそうでもないルカの口から放たれた。


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