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葬送哀歌は夜明けとともに  作者: 月乃はな
序幕「始まりの月が昇る刻」
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Episode4 「仕立屋リゼ」③

 そんな会話をしたからかもしれなかった。

 電車に乗り、昼にリゼと出会ったあの集団墓地に到着してすぐ、周囲に黒い靄がたちこめ始め、僕とリゼ、そして覡を二つに分断したのである。フラグ回収、とは正にこのような状況のことをいうのだろう。


「……それで、どうするんですかこの状況」


 墓地には、明かりと言った明かりがない。大きな道を照らすための街灯がいくつかあるが、そうでない場所は一寸先も見えなくなるほどの暗闇だった。そんな暗闇を照らすのは空に浮かぶ月だけだったのに、頼みの綱たるその月光も今やたちこめる靄によってかき消されている。

 僕は持っていたスマホのライトを付け、あたりを照らした。しかしこの靄は光を吸収しているようで、周囲の状況がまるで分からない。そばに立つリゼを横目に見ながら、僕は彼女に問いかける。


「この現象の原因となっている悪霊を送るしかないですね」

「その前に覡さんと合流するのは?電話とか、メールとか、なんでもいいので連絡さえ取れれば」

「悪霊の影響下でそれをするのは……いえ、実際に体験した方がいいでしょう。ミツキさん、試しに覡さんに電話をかけてみてくれますか」

「わ、分かりました」


 何やらただならぬ予感がして、恐る恐る覡の電話番号をタップした。通話ボタンを押すと、聞き慣れた音が鳴り始める。音声をスピーカーに変えてしばらく待っていると、なにやら壊れたラジオのような音が聞こえてきた。聞き取り辛いノイズと共に、言葉が僅かに発せられている。


『シネ』

『ユルサナイ』

『コロシテヤル』


 聞こえてきた言葉の意味を理解して、僕は思わずスマホを落とし、数歩後退りした。言葉自体はフィクションや怪談でもよく耳にするありきたりなものだったけれど、知識として知っているのと、こうして実際に体験するのとでは何もかもが違った。その声色は何かを堪えているようで、ひたすらに、どこかにいる誰かを呪っている。


「悪霊の怨嗟は、現実世界に影響を及ぼします。こうして電波を通じて、普段聞こえないものが聞こえるようになったり、見ることができないものが見えるようになったりするんです。恐らくこれほど強力な怨嗟なら、霊感のない一般人でも聞き取ることができるでしょう。姿を見るにはある程度の霊感は必要ですが、このように何かを介すれば……『霊』の存在を認識するのは簡単ですから」


 そう言いながら、リゼは僕の代わりにスマホを拾い、ボタンを押して電話を切った。電波に干渉するということは、恐らくメールも使えないのだろう。となるとやはり、僕たちにできることは一つしか無い。


「僕たちで悪霊を送る。それしかないんですね」

「はい。といっても、悪霊の本体を探し出さなければいけないんですけどね。もしかしたら、その最中に覡さんと合流できるかもしれません。とにかく行動しましょう」


 そうだ。じっとここで待っていても状況はなにも変わらない。確かにリゼの言っていることは正しかった。けれど。

 けれど、まさかこんなにも早く「実戦」が訪れるとは思っていなかった。

 リゼからスマホを受け取った僕の手は、端から見ても分かるほど小刻みに震えている。武者震いとはほど遠い、緊張と恐怖の現れだ。未だに大剣を振り回せない僕は、彼女の足を引っ張ってしまうかもしれない。僕のせいで、リゼが、覡が、迷惑を被るかもしれない。そんなことばかりが思考を支配して、それ以外のことが何も考えられなくなってしまった。


「ミツキさん」


 パン、という小気味良い音が鳴り、僕はハッとしてその音と声の主に視線を向ける。その先には、真剣な顔つきで微笑み、シャンパンゴールドの美しい瞳をきらりと輝かせるリゼがいた。


「気負う必要はありません。私達がやるべきことは、死者が輪廻に還る手伝いをすることです。勿論この規模の悪霊なら戦闘は避けられないでしょうが、私が全力で背中を守ります。協会の先輩として」


 そう言った彼女は、夜風に髪を靡かせながら、その細腕を突き上げる。


「具現化せよ、『デスサイズ』!」


 彼女の呼び声に反応し、現れた黒い靄が彼女の周りを渦巻き始めた。そして、少しずつその像を結び始める。鋭い片刃を持つ丸い大きな柄が交差したそれは、普段からよく目にするものだ。もっとも、その全長はリゼの背丈より少し小さいくらいの、今までに見たことがない大きさだったけれど。


「私の相棒はこの裁鋏です」


 胸を張ってリゼは言う。光沢のある柄を握り、刃を地面に突き刺して。


「これを……いつも振り回しているんですか?」


 彼女の腕は細く、ルカや覡のような筋肉に覆われているようには到底見えなかった。そんな腕で、果たしてこの大きな鋏を持ち上げ、振り回すことができるのだろうか。しかし、僕の不安とは裏腹に、彼女はそれぞれの手で柄を握ると、刃の部分までしっかりと持ち上げて見せる。


「全く重みがないわけではないですが……要はコツですよ。デスサイズの形や質量を上手く操れば、自分で扱える丁度いい重さにすることができますから。って、覡さんに教わりませんでしたか?」

「……初耳です」


 知らなかった。大剣を大剣として創り出したからには、その重さを持ち上げられるようにならなければいけないと思い込んでいた。よくよく覡の発言を思い返してみれば、確かに「武器の重さは変えられない」とは一言も言っていなかったような気がする。しかも、僕が大剣を持ち上げられず、これから頑張ります、と宣誓したとき、彼は何も言わずじっと僕を見つめていた。一か月半前の僕には彼の考えていることなど想像できなかったが、今なら彼があの時何を考えていたのか理解できる。

 あの時覡は、「武器を軽くすれば良い」ということを教えるか教えまいか考えて、結局僕に教えないことを選んだのだ!

 そう思い至ると、僕の心を蝕んでいた不安は吹っ飛んだ。上手く振り回すことができるかどうかは別として、とにかく武器を持ち上げるという第一段階はクリアできそうだ。


「具現せよ、『デスサイズ』」


 頭の中で、いつも創り出す大剣を想像する。けれど今度は、教科書が入ったスクールバッグぐらいの、自分でも辛うじて思うままに操れる重さになるように。

 白い光を纏った靄が集まり、大剣の姿を編んでいく。その幻想的で非現実的な光景は、何度見ても慣れないものだ。悪霊の靄に囲まれ、光源がどこにも存在しないこの場所で、どこからともなく光が現れるのだから尚更だった。

 構築した大剣を試しに持ち上げてみる。剣先を上部に維持すると腕の筋肉が笑い始めるけれど、地面と磁石でくっついているかのような今までの状態に比べれば遙かに改善され、僕は大剣をしっかりと振り上げることができた。


「……その剣」


 僕がその軽さに感動して何回か素振りをしていれば、リゼの小さな声が聞こえた。その視線は僕の大剣に注がれている。


「ああ、実は僕のデスサイズ、色がちょっとおかしくて……覡さん曰く性質は同じものらしいので、ちゃんと機能するとは思うんですが」

「そ、そうなんですね。なにせ初めて見た色だったので驚いてしまって。覡さんがそう判断したなら間違いないです」


 リゼは冥界でも一、二を争う有名店の職員だと聞いた。協会で働く一般会員から協会の上層部まで、幅広い客層から支持を得ているという。つまり、たくさんの死神と面識があるということだ。事務所で話していた噂話のように、人と話す機会が多ければ多いほど情報は数多く、多様なものが集まってくる。そんな彼女でも知らないということは、この大剣はやはり異質なのだろう。

 僕は、白銀の刀身を静かに見つめる。

 覡の弓やルカの短剣、リゼの鋏とも違うこの剣は、確かに不気味だ。何故こんな色をしているのかなど分からない。武器を振るう前にその理由を知ることができていたらどれだけ良かっただろう。リゼには大丈夫だと言い切ったものの、覡の発言を思い返せばそう安心できるものでもなかった。彼でも、実際に使ってみるまでは断言できないと言ったのだから。

 それでも、今の僕にはこれしかない。死神の仕事を全うするために必要なのは。


「……ミツキさん、大丈夫ですか」


 黙ってしまった僕を、リゼが心配そうに見上げている。


「大丈夫です。早く悪霊を探しに行きましょう」


 ちゃんと笑えていただろうか。ちゃんと、不安を隠すことができていただろうか。これ以上、リゼの足を引っ張るわけにはいかなかった。死神として、仕事をこなすときがやってきたのだから、いい加減覚悟を決めなければ。

ものごとの始まりはいつも突然で、一歩を踏み出すには勇気がいる。そして、自分への誓いを守るために、僕は進み続ける必要がある。この仕事は、その最初の一歩に違いなかった。これから先、大切なものを守る力を得るために。

大剣の柄を握りしめ、目の前の光を飲み込む闇を見据えながら、僕たちは悪霊の靄のなかへと足を踏み入れた。





 悪霊から発生する靄は悪霊自体の思念が具現化したものである。

 そう覡が講義の中で言っていた。悪霊はその魂を「悪意」で染め、周囲に発する。悪霊の感情の発露こそが、この靄なのだと。

悔恨、懺悔、憤怒、怨恨。それら負の感情に支配され、悪霊と化した死者達は魂へと手をのばす。魂が有する力で、「死」という運命に抗うために。

つまり、魂であればなんでもいいのだ。生きていても、死んでいても、現世に存在している以上少なからず「死」とは反する能力を有しているから。だから悪霊は、生きた人間のみならず、他の善霊たちをも喰らおうとする。

その手段として用いられるのがこの「靄」だった。

悪意は伝播し、人の心を蝕んでいく。負の感情が負の感情を呼び、悪霊が増えていく。望んで悪霊になる善霊は少ないから、この靄に触れると彼らは酷く苦しむらしい。その隙を見て、悪霊は魂をぱくりと腹の中に収めてしまう。

 悪霊を送ること。それは、人の魂を在るべき輪廻に戻すということ。それ以上に、他の全ての魂を守ることに繋がる。覡は、悪霊に関する講義をそう締めくくった。


「それにしても、付近に善霊が居なかったのは不幸中の幸いでした。善霊の護衛と悪霊の葬送なんて、流石にたった二人では骨が折れますから。……はあ、覡さんはどこにいったんでしょうか。こんなに歩いているのに気配すら感じられないなんて」


 悪霊の本体を探し始めて三十分は経っただろうか、僕たちは靄を振り払いながら墓地を道沿いに巡っていた。悪霊の本体を探すと言っても、ダウジングマシンやコンパスのような居場所を指し示すものが在るわけではなく、靄、つまり悪霊の悪意の濃度を指標に、少しずつ探して回るしか方法はない。しかし、より靄の濃い方を目指して三十分ほど巡り歩いても覡と出会うことはなく、だんだんと深くなっていく靄に比例して、僕とリゼの焦りも増していった。


「大分、靄が濃くなってきましたね」


 何も喋らないでいると気が可笑しくなりそうで、僕はリゼに声をかける。靄は悪意のかたまりだ、なんてうまくいったものだ。靄が濃くなってきてからというもの、幾分か気分が悪い。


「ええ。きっとそろそろ悪霊の本体が……」


 ふと、リゼが立ち止まる。その視線は真っ直ぐに靄の中へと向けられていて、彼女は裁ち鋏を片手に握りなおし、隣で歩いていた僕の袖をもう片方の手で掴んだ。


「危ない!」


 掴まれた袖が勢いよく引かれ、リゼによって僕は後ろへと突き飛ばされる。地面にしりもちをついてから、ようやく僕は何が起きたのかを察した。

 僕がさっきまで立っていたところが、深くえぐられている。


「すいません、とっさに突き飛ばしてしまいました!怪我はないですか!?」


 リゼはそう叫びながら、鋏を両手で構え、刃先を正面の靄へと向けていた。鋏を向けられた靄の方はというと、少しずつ凝集し始め真っ黒な人型を形成している。周囲の気温が一気に冷え込んだ気がして、僕はごくりと息を呑んだ。じっとその「人型」を見つめていれば、どこかに引き込まれるかのような感覚が身体を支配する。その漆黒は身の毛がよだつほど恐ろしいのに、なぜか視線が逸らせなかった。


「……す。……を……して……」


 途切れ途切れの言葉を繰り返しながら、悪霊は確かにその姿を形作っていく。けれど、顔や性別までは靄に隠れて分からなかった。翔があの地下通路で襲われたときの悪霊によく似ている。ただ一点、その体躯の大きさを除けば。以前出会ったあの悪霊は、成人男性を一回り大きくしたような見た目だった。だが、今回の悪霊はそれとは比べものにならない。集団墓地ひとつをその靄で覆い尽くしてしまえるほどの巨人といっても差し支えのない背丈で、こちらをはるか頭上から見下ろしている。


「僕は大丈夫です。それよりも、この悪霊は」

「ええ、相当な大物です。自我が多少希薄ではありますが、漏れ出ている靄がこんなにも濃い。少しでも気を抜いたら、喰われるかもしれません」


 喰われる。

 その言葉を聞いて、僕は目の前に現れた巨大な悪霊を見上げた。スーツについてしまった土埃を払い、大剣を握り直す。こうして悪霊が姿を現したと言うことは、また何時攻撃されても可笑しくないということだ。先程のように、隙を見て僕の魂を食べに来る。


「悪霊と戦う……いえ、「送る」準備はいいですか、ミツキさん」


 正直、大剣を握った手が震えて仕方が無かった。手汗だってこうして悪霊に面と向かった時からずっと酷いし、なんなら大剣を振ることもさっきの素振りが初めてだった。リゼに励まされなんとか抑え込んだ恐怖と不安が、もう一度喉の奥からせり上がってくるのを感じる。

 それでも、僕はそれを飲み下した。飲み下して、大剣を握る両手に力を込める。

 つい先刻、心に決めたはずだ。この死神の仕事を全うすると。


「はい!」


 自分を鼓舞するために威勢良く返事をすれば、リゼは嬉しそうにその瞳を煌めかせた。


「では、一緒に頑張りましょう。覡さんが来る前に、ちゃちゃっと送り出しますよ!」





 深月とリゼが悪霊に出くわした、同時刻。

 少しずつ晴れ始めた靄を弓でなぎ払いながら、覡は数百メートル先に現れた悪霊の巨躯を眺めていた。どうやらこの悪霊は、覡が想像していたものより遙かに大規模のものらしい。深月とリゼが共に戦って、漸く倒せるか倒せないか、といったところだ。


「はあ」


 覡は、あからさまに大きなため息をついた。つい数分前から、木の上でこちらを見下ろしている存在に聞こえるように。


「お前はつくづく師に向いていないな」

「仕方ないだろ、俺の師はスパルタだったんだ。こんな風にね」


 心配しなくても加減はしているよ、と、枝に腰掛けている青年はからからと笑った。


「情報管理部に依頼して、明確な自我のない『贋霊』を作って貰った。表情も言葉も曖昧なあいつは、図体が大きなただの怪物と変わりない。いってしまえば、見かけだけのハリボテだよ。それに、あんたが言ったんでしょ。これは深月への試練だって」


 土埃をあげることなく、声の主が木の上から飛び降りてくる。その澄み渡る青空のような瞳は細められ、隣のすまし顔の上司に向けられていた。


「深月が悪霊を送れるように。もしくは、リゼからなにか得られるように。そう考えて、あんたはこの戦いをセッティングした。それなら、簡単に乗り越えられる壁を用意するのは逆効果だよ」


 心底この状況を楽しんでいる青年――ルカを見やってから、覡は改めて息を吐き出す。


「大丈夫。心配しなくても、きっと二人はこの試練を乗り越えられる。一か月半とはいえ、所長はしっかりと深月に基礎知識を叩き込んだし、深月も自主的に筋トレをして、身体作りを頑張ってきた。あと必要なのは実戦だ。実戦こそが、知識を経験に変え、新たな知恵を生み出してくれる。リゼだって、伊達に十年以上死神をしてきたわけじゃない」


 朗々と語る彼の言葉は、確かに覡の考えを理解しているが故のものだった。もっとも、覡はこんなにも巨大な贋霊を作ろうとは本気で考えては居なかったけれど。

 遠く、木々の向こうに見える贋霊は、その巨躯をのろまながらも動かしている。時々その身体から靄が噴き出ているのを見る限り、リゼと深月はうまく霊体に攻撃をしかけているようだ。現時点ではまだ危険な状況ではないことを理解して、覡はその巨躯に背中を向けた。覡が今やるべきことは、彼らの戦いを見守ることだけではない。


「お前はここにいろ。周辺の見張りは俺がしてくる」

「いや、俺もいくよ。リゼと深月への報酬はもう用意したし、やることがないからさ」

「だが」


 覡が続きを言う前に、その口元にルカの細い人差し指が向けられる。つい先程まで浮かべていた笑顔は何処へと消え去り、青空のようだった瞳は冷たく光る氷のように、鋭く覡のことを貫いた。


「俺は動いてこそ価値がある。あんたは、それを上手く活用するべきだ」


 そう言われて、覡は言おうとしたことを飲み下そうと試みる。けれど、それは喉奥につかえて上手く腹に落ちずに、喉を詰まらせたような感覚が覡を襲った。


「……では、西と南を頼んでいいか」

「ああ、もちろん。任せて」


 覡が何とかそう答えると、ルカは先程の様相とは打って変わって晴れ渡るような笑顔を浮かべる。死にそうな顔をしている覡とは正反対の明るい表情で、ルカは短剣を片手に夜闇の向こうへと消えていった。そんな彼の背中を見送って、しっとりと肌に張り付くような風を感じながら、覡は槍を握り直す。


「はあ」


 喉につかえたものを吐き出すために、一人の死神は本日何度目かの大きなため息を零さずにはいられなかった。





 首筋を汗がつたっていく。湿度の高い風と悪霊の放つ靄の冷気が風を作りだし、僕たちの間を通り抜ける。一回り大きな借り物のスーツと、リゼの長いシルクのような金髪が、風に靡いてひらめいた。


「同時に攻撃を入れましょう。タイミングをみて合図をするので、ミツキさんはできるかぎり悪霊の懐に潜り込んでください。私はそれまで囮になります」


 そう言って、リゼは裁鋏を手に飛び出した。眼前に現れた天敵に、巨躯もそちらに釘付けになったようだ。靄でできた大きな拳をリゼに向かって振り下ろす。しかし、胴体が大きい分その動きはのろくなっていて、リゼはいとも容易くその拳をひらりと躱した。靄が地面に衝突し、周囲に靄がまき散らされる。視界が悪くなる前に、僕はリゼの居る反対側に走った。双方に散った僕たちを視界に捉えて、悪霊は一瞬の戸惑いを見せる。その隙を逃すまいと、リゼが下ろしたままの腕に鋏の刃先を振り抜いた。

 デスサイズは、霊体に干渉できる。石や木の棒などはこの悪霊にはまるで効かず、その身体をするりとすり抜けてしまうというが、デスサイズは別だ。その質量は確かに質量も素早さもない悪霊に勝っていて、悪霊の巨躯をいとも容易く突き飛ばした。


「いまです!」


 リゼの声が、靄の向こうから聞こえてきた。僕はその声に背中を押されるように、大剣を手に悪霊の懐に向かって走り出す。真下まで来ると悪霊は殊更大きく見え、不甲斐なくも背筋に寒気が走った。昼間、この場所で感じたような異常な冷たさを感じ、緊張からか恐怖からかにじみ出てきた手汗で大剣が滑りそうになる。それでもなんとか食らいついて、滑り落ちないように柄をしっかと握りしめ、大きく頭上へ振り上げた。

 縁を切る。霊体ではなく、かの悪霊を現世に留める縁を。

 覡に言われたとおり、その意識を絶やさぬように、僕は悪霊の腹に向かって大剣を振り下ろした。大剣を通して、手に切り裂く感触が伝わってくる。なにか紐のようなものが、自分の大剣によって切れていく感覚も。靄の隙間に薄らと見えるリゼも、同じタイミングで斬撃を加えたらしい。巨躯は聞くに堪えない地響きとも思えるうなり声をあげた。

 やったか。

 そう思って、僕ははっと顔を上げた。あげてしまった。


「ミツキさん!」


 それは一瞬の出来事だった。故に、僕は反応することができなかった。いち早く空へと高く跳び上がったリゼが、シャンパンゴールドの瞳をこぼれ落ちそうな程大きく見開いて、こちらにむかって手を伸ばしている。僕の視界はそんな彼女を捉え――そしてすぐに、漆黒で塗りつぶされた。


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