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葬送哀歌は夜明けとともに  作者: 月乃はな
序幕「始まりの月が昇る刻」
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Episode3「揺るがぬ覚悟があろうとも」④

 それはあまりにも突然のことだった。暗闇に目が慣れていたからだろうか、しばらく視界が明滅して、何が起きたのか理解が追いつかない。視覚が使い物にならなくなったなかで、正常に働いていた聴覚が覡の声を拾った。


「深月、大丈夫か」


 その声は、平素よりいくらか焦っているように聞こえる。一体何が起きたというのだろう。早く状況を確認したくて、僕は目を瞬かせた。少しずつ、世界に闇が戻ってくる。

 少しだけ高くなった東京の夜空に、手のひらに感じる熱のないコンクリートの床。僕は気づかない間に転倒してしまったようだ。


「大丈夫です。覡さんは」

「問題ない。だが……」


 言い淀んだ彼は、僕に手を差し伸べながら、僕の足下に視線を向ける。


「これは何だ、深月」


 ありがたくその手を拝借して立ち上がった僕は、彼の視線に導かれるまま目を動かした。視界に入った想像とは異なるそれに、思わず驚愕の声が漏れる。

 そこにあったのは、月光を反射する大剣。

構築自体はうまくいったらしい。僕が想像したものよりもほんの少しだけ豪華な装飾がついていたけれど、大まかな形は大体同じだったから、間違いなくこれは僕が作ったものだ。

でも、これは明らかに異質だった。ルカが持っていたあの短剣とも、覡が今手に持っている弓とも違う。

この大剣は、白かった。

例えるならば、誰も立ち入っていない新雪のような。もしくは、空に浮かぶ白銀の月のような。とにかく、彼らの持つ『デスサイズ』とはまるで対照的な色だった。


「大剣か。広範囲かつ高火力の武器。なかなかいい選択だな。だがこの色は」

「わ、分かりません」


 そう。別に白い大剣を想像したわけではない。真っ黒な、彼らの持つそれに似たものを思い描いた。それなのに、なぜ色が変わってしまったのだろうか。


「基本的に『デスサイズ』は漆黒だ。本人の意思に関係なく武器が黒くなることはすでに解明されている。だが、色が異なると言った事例は聞いたことがない」


 どうやら覡にも理由は分からないらしい。ルカにも確認してみるかと彼に提案したが、彼はその必要は無い、と首を横に振った。


「俺もあいつも、持っている情報はほとんど同じだ。あまり収穫は得られないだろう。他の死神に訊ねるというのも……俺達は友人が少ないからな、すまないが難しい。あとは冥府の資料室に行って調べる方法だな。そこには古今東西、彼岸と此岸のあらゆる情報が詰まっている。そこに行けば何か分かるかもしれない……が、まあすぐには無理だ」

「つまり、しばらく分からないってことですか」


 覡は無言で首肯する。眼下の大剣を見下ろして、僕は思わずため息を零した。

 死神の武器と言うにはほど遠い白さを持つこの大剣が、まともにデスサイズとして機能するのだろうか。そもそも僕は、死神として働けるのだろうか。もしできないのなら、僕の願望は叶うことなく、ここで契約も打ち切りになってしまうかもしれない。

 最初からうまくいかなかったからだろう、僕の頭は悪い方向に思考を深めてしまって、後戻りができなくなっていた。

思考を支配していた不安が、顔に出ていたのかもしれない。突然、肩に大きなゴツゴツした手が乗せられた。ルカの細く骨張った、水仕事をしていることがわかるような手とは違う。普段から武器を握り、ペンを握っていることが分かるような、ルカが与えてくれるものとは違う種類の安心感を与えてくれる手。簡単に言うのなら頼もしい手、だろうか。はじかれたように顔を上げると、その手の主と目があった。

彼は何も言わず、地面に転がった純白のそれを拾い上げる。左手は弓で塞がれているから、右手だけで。


「見たところ異なるのは色だけで、他は普通のデスサイズとよく似ている。雰囲気や、持った感触、そして性質はな。恐らくちゃんと武器として機能するだろう」

「……そうなんですね」

「もっとも、実際に使わなければ断定はできないが」


 覡は僕を元気づけようとしてくれているのかもしれなかった。最後の一言がちょっと余計だったけれど、肩に乗せられた手の感触も、無感情に思えて実はそうでもない彼の声色も、僕の不安をいくらか拭い去ってくれたことは事実だ。予想外のことが起きても冷静に対処する大人の余裕というものを彼の背中に感じて、僕は自分の幼さを理解する。普通とは違うだけで、あれほど動揺して不安に駆られた自分に。


「さて、武器が出せたところで実践としたいところだが……生憎悪霊はそう頻繁に現れるものではない。よって、今日は素振りの練習をしよう。基礎という土台を盤石にしなければ、実践も応用も不可能だからな」

「わかりました。よろしくお願いします」


 僕は頷いて、彼の前に向き直った。彼の言うことは理にかなっている。早速仕事を体験してみたかった気持ちはやまやまだけれど、今恐ろしい悪霊と退治したところで一方的に嬲られるのがオチだからだ。流石に初日から怪我はしていられない。


「早速始めよう。時間が惜しい」


 持ってみろ、と言うように差し出された大剣の柄を両手で迎えに行く。慎重に、落とさないように気をつけながらそれを握れば、どこか身体の奥の方がぽかぽかと温まるのを感じた。あるべきものがあるべき場所に戻ってきたかのように手になじみ、興奮で高鳴る心臓が一際大きく鼓動を打ち鳴らす。胸中を埋め尽くしていたのは、不安と興奮、そして溢れんばかりの期待だった。この剣を使いこなせるようになって、悪霊と戦えるようになったのなら。きっとそのときの僕は、大切なものを守ることができる人間になっているはずだ。そんな未来を思い描いて、僕は確かに高揚していた。

 だが、現実はアニメや漫画のように易しい作りになっていない。もっと厳しいものである。

 覡の支えがなくなった途端、剣先が勢いよく下を向き――コンクリートの地面にたたきつけられたのだ。ガキン、という大きな金属音と共に。

 予想外のことに、僕の口はなんの言葉も紡がなかった。覡も、僕の目の前でわずかに目を見開いて固まっている。


「深月」


 ふう、とため息をついて気を取り直した覡が、怪訝そうにこちらを見た。


「いままで、剣道などの経験は?」

「ないです」

「では、日常的な筋トレなどは」

「……あまり」

「そうか……」


 そんな目で見ないで欲しい。まるで残念なものを見るような目で。


「身体を動かすのが、昔からどうも苦手なんです」


 幼い頃からリレーはビリを連発するし、短距離がだめなら長距離か、と思えばマラソンもビリだった。ボール競技ならどうかと思っても、ドッジボールは顔面からボールを迎えに行き、サッカーは盛大に空振りしてすっころんだ記憶がある。思い返してもなかなかひどい。運動会での思い出なんて、母が作ってきてくれたお弁当と父が差し入れと言って持ってきてくれたアイスを、翔の家族と一緒に食べたことくらいしか良いものがなかった。

 そこまで考えて、僕は思考の海から浮上した。これ以上沈んでいたら、きっと哀しくなってしまうと思ったから。


「……こ、これから頑張ります。流石に剣を持ち上げられないなんて大問題ですから」


 慌ててそう言ったけれど、別にこれは嘘ではない。このままでは働くこともできないし、なにより力が得られないから。悪霊に抵抗するため、大切なものを守るためになんでもすると覚悟を決めたのは僕だ。苦手な筋トレも運動も、僕の中では障害になり得ないのだ。

 そう言った僕に対して、覡は何も言わなかった。ただ無言でしばらく僕を見つめ、ふ、と視線をそらす。

 彼が何を考えているのか、僕には想像ができなかった。話しかける気にもなれなくて、僕たちの間を静寂が満たす。まるで二人下の部屋に置き去りにされた後のようだ。この場にルカがいれば、こんな静寂を味わうことはなかっただろう。

 湿気を含んだ六月の風は生ぬるく、僕たち二人の間を通っていく。八階建ての、そのさらに屋上というそれなりに高さのあるこの場所は、地上よりも強い風が吹いていた。新宿という土地柄ゆえ高い建物が多いけれど、八階建ての屋上ともなれば周囲の風景が見渡せる。彼は鉄製のフェンス越しに夜景を眺めていて、僕も特にすることが無かったので彼と同じように未だ明るい街並みを見下ろした。

 人が驚くほど小さく見える。街灯に照らされながら駅までの道を歩いて行く彼らのすぐそばで、青白く光る霊たちが点々と漂っていた。

 彼らは善霊だ。けれど、昨日の彼女のように豹変するかもしれない。そう思って、僕は彼ら一人ひとりの動向を監視した。酔っ払っているらしい、ふらふらと動く人影を追いかける霊や、道路の片隅に立ち呆けて動かない霊。こう見ても、善霊が結構身近に溢れていることが見て取れる。


「あまりそう睨んでやるな。少なくとも、このビルの周辺では悪さはしない」


 今までの静寂を切り裂いて、彼はフェンスに背を向けた。彼の瞳には、己の発言に対する絶対的自信が宿っている。けれど僕の頭には、昨日の彼女の姿が色濃く残っていた。善霊のふりをして、ルカに近づき殺そうとしたあの悪霊が。


「急に人を襲うかもしれないじゃないですか」

「それはあり得ないな」


 決めつけるような彼の台詞に、僕はちょっといらついた。この人、上司のくせに昨日のルカを知らないのではないかと。先月だって、駅の地下道に悪霊がでたというのに。

 あり得ないなんてあり得ない。そう言い返そうと口を開いたけれど、続けられた彼の言葉に遮られて僕は諦めて言葉を飲み込んだ。


「なぜ悪霊になるかと言えば、現世に少しでも長くとどまるために生者の魂が必要だからだ。お前がオオカミだとして、狩人の前で家畜を襲うか?しないだろう。狙うなら夜。狩人が家に帰り、見張っていない時。それと同じだ。悪霊になるならば、つまり狩られる対象になるならば……それは狩人から見えない場所が最適だろう。長生きしたいのにすぐ殺される場所で成るなど無策にも程がある」

「……でも、先月はこの近くで悪霊が現れました。昨日だって、ルカさんの目の前で悪霊になった」

「ああ、そのことか。あれは最早恒例だからそう不安に思うことはない」


 なんだそれは、と思った。

 恒例と言うことは、毎月覡が不在の間、ルカの命が狙われているということだ。昨日の悪霊なんてその最たる例だろう。つまり覡は、それを理解した上で冥界に行っている。

 それが僕には非情に思えて仕方が無かった。外せない用事だとしても、そしてルカの実力を認めているが故に留守番を任せているのだとしても、彼一人にかかっている負担はきっと僕の想像以上だ。いくら東京が他の県に比べて狭くとも人口はそれなりに多いし、ルカの場合はカフェ経営もある。休む暇なんてなかなかないのではないか。そんな彼に対して、「恒例だから不安に思うことはない」なんて。よく言えたものだと思う。

 だから、僕はさらにもう一つ決意を固めた。


「……なら、僕がその恒例を無くして見せます。死神として、この東京の悪霊が恐れるくらいまで」


 そうすれば、きっとルカの重荷は軽くなる。そもそも、僕は彼に守られるだけなのが嫌だったから力を欲したのだ。大切なもの。その中には既に、僕を守ってくれたルカが入っている。

 覡はただ冷ややかな視線を僕に向け、そうか、と呟いた。燃えるような紅蓮の瞳が細められ、僕は思わず身構える。

 大きなことを言いすぎて、彼に呆れられたのだろうか。感情のままにそう啖呵を切ったけれど、上司相手になかなか大口を叩いてしまった気がする。けれど、反省こそすれ後悔はしていない。だってこれが、僕の本心だったから。

 そんな僕たちの間に張り詰める緊張をたやすく斬ったのは、目の前の男だった。


「そういうことは、武器を振り回せるようになってから言うんだな」


 僕の宣誓にそう返した彼は、わずかに口角を上げていた。ひどく面白いものを見るように、けれどそこにからかいの感情はなく、ただ興味深い、とでも言いたげな笑み。一体どんな叱責が飛んでくるかと思っていたのに彼の態度が思っていたものとまるで異なっていたから、僕は驚いて口が開いたまま塞がらなかった。


「なんだ、信じられないものでも見たような間抜け面だな。さっきの強気な態度はどこへいった」


 いや、そうさせたのはあんただろう。とは言えなかった。

 彼の反応が意外すぎて、正直頭がついていかない。僕の想像していた彼の人物像が、この数分で弄ばれるようにコロコロ変わっている気がした。厳しいと思ったら優しくて、優しいと思ったら非情で。けれどこうして、部下の宣誓を「できるわけがない」と一蹴することもなく。

 困惑する僕に、彼は未だ笑いながら言った。


「言っておくが、俺はお前のような威勢の良い若者は嫌いじゃない。もっとも、口だけで終わらせるのなら話は別だが。実現しようという心意気があるからこそ、その宣誓はさらに面白く、意味あるものになる」


 覡が、僕が握ったままの大剣を片手で持ち上げる。そのぱっと見細い腕は一体どれほどの筋肉量なのだろう。少なくとも、尋常じゃないのは確かだ。

 僕は彼の一挙一動に目を奪われる。漆黒のスーツが風に揺らめき、美しい東京の夜景を背景に、彼は大剣の先で心底楽しそうに言い放った。


「まずは筋トレだ。腕だけじゃない、身体中の筋肉を鍛えるぞ。軽い大剣に意味は無いからな。そしていずれ……有言実行してみせろ。お前の覚悟を、決意を、夢を、理想のままで終わらせるのは実に惜しい。そう思わないか」

「……はい!」


 彼は彼なりに、僕のことを認めてくれたのかもしれない。まだ僕は「覚悟」を彼に見せられていないから、死神として正式に彼の部下になることを認められたわけではないけれど、きっと仮の部下としては認めてくれたのだろう。そうでなければ、彼がこうして笑って教えてくれるはずがない。彼は意外と顔に出るタイプで事務所を出てきたときとは違って生き生きとして見える。

 僕と覡の二人しかいないこの屋上を、満月は静かに見下ろしている。その光は夜明けまでの夜道を照らしてくれているようで、僕にはとても心強く思えた。





 こうして僕は「死神」になった。

 まだ仮だけれど、大切なものを守る力を得るための一歩を踏み出した。

 死神として暮らす彼らのことを僕はまだよく知らない。それでも、そういうことはこれから先少しずつ知っていけばいい。例え、彼ら死神の抱えるものが僕の想像を絶するものだとしても。

 彼らの世界に足を踏み入れた以上、向き合うべきものだと思うから。

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