09 紡がれる気持ち
「オルーシェェェ!」
自分でも思った以上の大声で名を呼びながら、俺は倒れたオルーシェに駆け寄った!
床に横たわる彼女から流れる血が、赤い水溜りになってその身を染めている。
そんなオルーシェの側に膝をつき、俺は細心の注意を払いながら、ゆっくりと彼女の上体を抱き起こした。
「ダル……ア……」
「話さなくていい。大丈夫だからな……」
何が大丈夫なのかは、俺自身にもわからない……。
ただ、オルーシェを励ますように、無理矢理に微笑もうとした。
ヒュー、ヒューと風が抜けるような呼吸音が、オルーシェの口元から漏れている。
胸に刺さったままなコピー野郎の投げた剣は、心臓こそは外れたものの、出血具合から大きな血管を貫いているのは間違いないようだ。
回復魔法を……と思いはしたが、並みの魔法では一気に治す事は困難だと、俺でもわかるほど傷は深い。
しかも、刺さった剣が邪魔ではあるが、下手に抜いてしまえば大量出血でショック死する可能性があるという、危険な状況だった。
『ハハハハハ!援軍が来た所で、頭を潰せば終わりだよねぇ!』
してやったりといった、ウェルタースの耳障りな高笑いが響く!
すぐにでもあの野郎の口を引き裂いてやりたい所だが、今は瀕死のオルーシェを置いては行けねぇ!
後で、必ずぶっ飛ばしてやるがな!
「ダル、アス……」
「おい、喋るな!」
気管に血が流れ込んでいるのか、水っぽい響きが混じる声で、オルーシェは俺の手を弱々しく握る。
「ごめん……へま……しちゃ、た……」
「気にすんな、誰だってたまには失敗くらいするもんだろ?」
あえて軽く返すと、オルーシェは苦しげながらも笑顔を見せた。
「ハァ、ハァ……今の、うちに……言っておく……ね……」
「まてまて!今は無理に話すな!」
「ううん……時間……なさそう、だから……」
オルーシェも、自分の状態がわかっているのかもしれない。
まるで、遺言でも残すかのように、自身の気持ちを語り始めた。
「わたし……ダルアスのこと、好き……なの……」
「そりゃ、光栄だな」
「言っとく、けど……娘、とかじゃ……ないよ……一人の……女の子……と、して……好きなん……だから……」
「……そうか」
俺は、静かに頷く。
本当の所、すこし前から彼女の気持ちには、気付いてはいた。
ここ最近のオルーシェのリアクションを見てれば、さすがに俺がどんだけクソボケでも分かるわな。
しかし、生死の境にいる彼女に、俺はなんと答えるべきか……いや!
偽る事なく、真摯に答えてやればいい!
「お前の気持ちは嬉しいよ、ありがとうな……」
頭を撫でながら、なるべく優しい声色で話す事を意識しながら、俺は言葉を続ける。
「だが、やっぱり歳の差がでかすぎるからな……もうちょい、お前が大きくなったら、その時にまた気持ちの確認しようや」
この言葉は、本心から出たものだ。
もしかしたら、その時は来ないかもしれないが……それでも死の淵にある彼女に、下手な励ましやてきとうな嘘をつくような事はしたくなかった。
ったく、昔は平然と女を口説いた俺が、なんとも真面目になったもんだと自嘲してしまう。
「……それじゃ……さ……ダルアスに、お願い……あるの……」
「なんだよ、こんな時に。何でも言ってみろ、今はチャンスタイムだぜ?」
「フフッ……うん……わたしが、もう……すこし、大きくなっ、たら……結婚、して……」
「っ!?」
か細い声で伝えてくる、オルーシェのお願い。
俺はその内容に、一瞬固まってしまう!
正直、いきなりそこまで踏み込んで来るとは思っていなかった。
だが、こんな状態であってもそこまでの想いをぶつけてくる少女に、はぐらかすような真似はできねぇな……。
最初は敵対してたし、クソ生意気さに辟易もしたが、一緒にダンジョン運営したり侵入者の撃退なんぞをやってる内に、俺にとってもいつの間にかオルーシェの存在は大きくなっていた。
子供だからとか、世間から後ろ指さされそうな年齢差とかは、ひとまず置いといて……一人の人間として、ここまで想ってくれる彼女の気持ちに、俺は真摯に答えようと思う。
「……そうだな、お前がティアルメルティと約束してた、十年後くらいならちょうどいいだろう」
俺がそう答えると、腕の中でオルーシェが、カッ!と目を見開いた!
「ほん……とう?」
「ああ、本当だ」
震える彼女の手を握り、できるだけ優しく頷いて見せる。
これが、俺にできる最後の……。
「言質、取ったあぁぁっ!」
……はい?
唐突に、元気よく両手を振り上げたオルーシェに、俺の思考は停止しかける!
しかも、刺さっていたはずの剣はするりと床に落ち、傷口から溢れていた血も止まっているではないかっ!
「え……?あー……え?」
急展開に訳がわからず、よるべなくキョロキョロと視線を動かしていると、不意に四天王のガウォルタと目が合う。
すると、彼女は気まずそうにペコリと頭を下げた。
そこで俺は思い出す!
「…………あ!」
そうだ、ガウォルタの究極奥義!
幻と現実を曖昧にし、攻撃を受けた事実すら覆す彼女の能力……。
「す、すいません……私の『胡蝶の夢』で、すでにオルーシェ様を助けてました……」
申し訳なさそうなガウォルタの声と、それを理解するまでに数秒……。
「うわあぁぁぁぁぁぁっ!」
思わず叫んでしまうほどの感情の爆発が、腹の底から沸き上がった!
そして、その衝動のままにオルーシェを正座させると、彼女の頭にゲンコツをお見舞いする!
「きゃいん!」
子犬みたいな悲鳴をあげ、頭を押さえて踞るオルーシェ!
子供相手に……なんて言うやつもいるだろうが、やっていい事と悪い事がある事を叱ってやるのも大人の務めだ!
今回のこればっかりは、許す訳にはいかねぇ!
「お、おっ、お前ぇっ!俺が、どれだけ……し、心配したと思ってんだよっ!」
本気で頭に血が登り、言葉に詰まるほどの怒りが、再び拳を握らせる!
いくらなんでも、本気で人を心配させておきながら、ドッキリ成功みたいなノリで喜ぶなんざ、悪ふざけがすぎるだろうがっ!
言葉にならない怒りで、呼気を荒げていると、いつの間にか寄ってきていたティアルメルティが、俺の背中を叩いた。
「タイミングが悪く、結果的に騙すような形になってしまった事は、余も謝罪する……すまんな」
「あぁん?お前もグルだったんかぁ!?」
「ひいっ!」
大物っぽく決めたかったのかもしれんが、俺のぶちギレる様にティアルメルティは小さく悲鳴をあげ、そそくさとガウォルタの背後に隠れてしまった。
「お、お、お、落ち着け、ダルアス!確かに激怒されても仕方ない行為ではあったが、オルーシェとて本当に反省しておるのだ!」
「なんでお前に、そんな事が分かるんだよ!」
「お主が、オルーシェに攻撃できたからだ」
そのティアルメルティの言葉を聞いて、ハッとする。
一応、ダンジョンモンスターな俺は、ダンジョンマスターであるオルーシェに対して、危害を加える事はできないハズだったからだ!
「本来なら、お主のゲンコツはオルーシェに届かんよ。しかし、彼女はそれをあえて受け入れたのだ!」
俺からのお仕置きを、わざと食らったって事か。
それが、謝罪の形だと……。
「ダ、ダルアス……」
まだ痛みは引いていないのか、オルーシェが涙目でゲンコツの着弾点をさすりながら顔をあげる。
「本当に、ごめんなさい……でも、貴方をおちょくった訳じゃなくて、不安だったの……」
「不安……?」
俺が問い返すと、オルーシェは小さく「うん」と頷いた。
「私は……ずっとダルアスの事が好きだった。でも、貴方にとって、私は『娘』のポジションであって、恋愛対象にはなれないんじゃないかって、いつも不安だった」
……確かに俺は、オルーシェの保護者のつもりであって、異性としては見ていなかった。
まぁ、オルーシェが子供だって事もあったし、厳しい身の上だという事を知ってからは、ますますそのポジションに固執していたとは思う。
「だから……私の本当の気持ちを知ってもらうため、そしてダルアスが私の想いを受け止めてくれる可能性があるのか、確かめたくてあんな小芝居をしたの……」
そう言って、オルーシェはもう一度俺に深々と頭を下げ、「ごめんなさい」と詫びをいれた。
ぐぬぬ……経緯はどうあれ、動機を知ってしまうと、なにやら怒るに怒れないじゃないか……。
モヤモヤした物は、まだ胸中にあるが……何か気の抜けたような心境になった俺は、大きくため息を吐いた。
「……わかったよ。ただ、もうこんな真似はするなよ!」
「もちろん!」
元気よく答えた後、オルーシェはすこしだけ真面目な顔つきになった。
「……私を受け入れてくれて、本当にありがとう」
側に寄り俺の手を握ると、グッと力を込める。
「大好きだよ!」
そう言うと、痛みとは違うであろう涙で潤む瞳を細め、にっこりと微笑んだ。
そのまま流れるような動きで、オルーシェは俺に抱きついてくる。
……ハァ、こんなの勝てんわ。
「お前、アレだ……約束はしたけど、今後どうなるかは保証しねぇからな!」
「うん、大丈夫。逃がさないし、逃げられないようにするから」
え、なにそれ……ちょっと怖いんだが……。
まったくもって、俺ごときでは彼女を制御できなさそうだな。
早まったかもしれない……。
そんな考えが一瞬頭を過ったが、抱きつく少女の背中に手を回し、優しく撫でる事が俺にできる唯一の反撃だった。
『…………ふぅん、おめでたいね』
なんとなく、ほわっとした雰囲気が流れていた所に、冷たい含みを持った呟きが空気を揺らす。
その声の主は、俺達の成り行きを面白くもなさそうに眺めていた、ウェルタース。
まぁ、ダンジョンマスターを殺ったと思ったのに、こんな展開を見せられれば白けるのも当然かもな。
だが……ケリをつけたいのは、こちらも一緒だ!
「ククク、余の友であるオルーシェの想いがせっかく成就したのだから、さっさと片付けて祝うとしよう」
「……まぁ、色々と言いたい事はあるが、頭がまとまらねぇ。だから、とりあえずやる事をやった後でだな」
剣を拾い、『聖骸』への必殺技を持つティアルメルティを守るため、俺は再び人間ダンジョンであるウェルタースと正面から対峙した!




