02 黒いびっくり箱
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ギシギシと重い音を軋ませながら、二十人ほどの教会兵達に引かれて、荷車は険しい山道を越えていく。
その荷車に載せられているのは、鎖でぐるぐる巻きにされた、真っ黒で大きな箱。
その形状も相まってか、さながら巨大な棺桶のようだ。
「急がなくてもいい、荷は丁寧に運べよ」
荷物を運んでいる部隊の隊長が、もう何度目かになる同じような注意を促す声を、部下達にかける。
それだけ、荷台に載っている棺桶が大切な物なのだと思うと同時に、どこか怯えるような響きも彼の声には含まれていた。
そして、部下達もそれを察しているからこそ、細心の注意を払いながら、無言で頷きを返す。
「ねぇ、先輩……僕らが運んでる、コレってなんなんですかね?」
荷を運ぶ、まだ若い教会兵のひとりが、前にいる少し年上の青年にひそひそと声をかけた。
それを受けて、先輩教会兵は気だるげに答える。
「俺もよくは知らん。だが、例のダンジョンを壊滅させるために必要な物そうだ」
「魔王のダンジョンですか……噂だと、何人かの『聖女』様がすでにやられているとか」
「めったなことを口にするな……と、言いたいが、どうやらそれは本当らしい」
彼等が派遣される少し前から、教会内ではそんな話が流れ始めていた。
『聖女』は各地に散っているため、何処の誰がとまでかはわからないが、迂闊な流言は罰せられる彼等の間でも広まるのだから、それなりに信憑性はある話なのだろう。
「そんなダンジョンに投入する荷物……もしかして、相当にヤバいブツなんじゃ……」
「まぁ、普通のブツじゃないだろうな……」
「そこっ!無駄口を叩くな!」
こそこそと話していたのを隊長に咎めれ、二人は首を竦める!
だが、謎の多い任務に疑問が沸いたり、愚痴を溢したくなる気持ちもわかるのか、それ以上は怒声を浴びせるような事はなかった。
──そうして、数日かけて野生のモンスターや野盗の類いなどを蹴散らしながら、教会兵達は魔王のダンジョンの近くにある、魔族達の住む村へと無事にたどり着く事ができた。
聞いている話では、ここの魔族達は人間と共存する道を選び、ダンジョン攻略に訪れる者達を支援したりしているのだという。
冒険者達にとっては御用達とも言える場所だが、魔王から離れたとはいえ、人類と敵対的だった魔族の住む村だという情報に、教会兵達は不安と緊張を覚える。
だが、そんな彼等を出迎えに現れた村の代表は、思いもよらぬ美女だった。
「ようこそ、教会の皆様。私はこの村の代表を務めさせていただいております、マルマと申します」
迎えてくれた、マルマと名乗るシスターの美しさに、禁欲を旨とする教会兵達も思わず息をのんでしまう。
飾り気の無い、質素でゆったりとした修道服の上からでもわかるグラマラスな肢体のラインは、若い教会兵達にとっては目の毒すぎるといっても過言ではない。
「先触れの方から、お話は届いております。ダンジョンへ向かう前に、休憩できるよう準備をしておりましたので、こちらへどうぞ」
耳に溶けるような甘い声の誘いに、我知らず表情が緩む教会兵達。
さらに、そんな彼等を迎えてくれた村の魔族の住人達はとても友好的で、教会兵達はいつの間にか警戒を抱く事もなく、用意された休憩所で、しばし労働の疲れを癒す事になった。
「あの……よろしければ、隊長様には私達が知るダンジョンの情報をお教えしたいのですが」
「あ、ああ!それはありがたい。お前達は、しばらく休んでいろ」
部下達に休憩を兼ねた待機命令を出し、マルマに誘われた隊長は、彼女と共に村の最奥にある建物へと向かう。
任務ではあるが、美女と二人きりになれる機会に、隊長も少し浮かれている様子だった。
「ほぅ……この村の教会は、結構なアレンジが入っておりますな」
所属ではなく、建築物としての教会を眺めながら、隊長は感想を口にした。
「恥ずかしながら、私は正式に教会へ所属している訳ではありませんので……」
少し照れながら、マルマははにかんだような苦笑を浮かべる。
「なに、地方ではたまにあることですが、志と行動が教会の規範に沿うものであれば、恥じる事などありますまい」
実際、いくつかの国にまたがって影響力を持つ教会ではあるが、各地にあるすべての教会施設や、そこに所属している者を把握している訳ではない。
国が変われば文化も変わり、さらに地方ともなれば独自の風習なども絡んでくる。
なので、地域による多少の違いや、教会中枢に正式登録されていない教会施設に対しても、余程の事が無い限りは口を出す事もなかった。
「このような山奥で、神の教えを伝えるのは並大抵の事ではないでしょうからな」
「確かに苦労はしております。ですが、冒険者や商人の皆様、そしてなにより共存を望む魔族の方々に助けられていますわ」
感謝の祈りを捧げるようなマルマの言葉に、隊長も感激した風に何度も頷いていた。
そうして軽く世間話をしながら建物に入った二人は、礼拝所を通って建物奥の客間のような部屋へと入る。
室内は、仕事用と思われる大きな机と、シンプルなデザインの大きな椅子が部屋の四分の一ほどを占めており、来客用とおぼしき質素な椅子が数脚置いてあるだけだ。
しかし、香でも焚いてあるのか、何か心安らぐような甘い香りが、隊長の鼻腔をくすぐった。
マルマは先に来客用の椅子を用意すると、隊長をどうぞと促す。
そうして、彼が腰かけたのを見てから、彼女は自身の仕事机に座った。
「なかなか立派な、机と椅子ですね」
「ウフフ……僻地の代表ではありますが、ちょっとくらいは権威を示してほしいと、村の皆様から贈っていただいた物なんです」
中央の権力者が所有する物に比べれば、ささやかなで無骨な物だが、それでも住民からの贈り物を嬉しそうに語るマルマに対して、隊長は改めて好意と感心を抱く。
それから二人は、補給やら協力体制などについて、小一時間ほど話し込んだ。
だが……その頃になると、隊長の様子に異変が訪れる。
ゆらゆらと目の焦点が合わなくなり、半開きになった口の端からは、よだれが糸を引いていた。
彼は気づいていなかったが、部屋の香気はマルマから放たれる、サキュバスの薄い魅了が込められている。
それを吸引していた隊長は、まるで酔ったような状態となり、マルマからの質問に黙秘や虚偽などをできなくなっていた。
彼が術中に落ちた事を確信し、マルマは様々な質問をぶつけていく。
やがてそれは、彼等が運んできた謎の箱への言及へと至った。
「それじゃあ、貴方達が運んできた、あの箱の中身はなんです?」
「あれは……豊穣の……『聖女』……」
しかし、隊長がその言葉を口にした途端、突然マルマの座る椅子がガタンと大きく揺れた!
その音に、どこかぼんやりしていた隊長が、ハッとしたように意識を取り戻す!
「あ……いま、何を……」
危うく、大切な機密を話してしまいそうだった自分に呆然とし、こんな状態に陥った一因がマルマにあるのではないかと、警戒の目を向ける!
だが、彼の目に飛び込んできたのは、倒れた椅子と共に床へ伏すマルマだ。
その姿はとてつもない色気に満ちていて、すぐにでも押し倒してしまいたいという衝動が心中を焦がす!
その熱を抑え込み、頭に湧いた疑惑すらも忘れて、隊長はマルマへと手を差しのべた。
「ありがとうございます……」
艶っぽいため息と潤んだ視線を受け、体温が上がるのを感じる。
鋼のような自制心がなければ、欲望のままに襲いかかっていただろう。
「皆様の手作りですから、たまに立て付けが悪く倒れてしまいますの」
「そ、そうですか……」
体を起こしたというのに、いまだに手を握ぎるマルマに集中していて、彼女の言葉はほとんど隊長に届いていない。
自分に向けられた疑念を忘れさせたと、マルマは確信し、そろそろ出立のお時間ですねと、名残惜しそうな振りをする。
「任務の帰りに、また寄ってください……」
そう耳元で囁くと、隊長は蕩けるようなにやけ面で、フラフラと部屋を出ていった。
……これで、よし!
のぼせ上がった彼は、もはやマルマを疑うまい。
だが、一瞬でも彼女の仕事を邪魔した奴隷には、罰を与えねばならないだろう。
マルマは、倒れた椅子を起こして、その表面の板を外す。
すると、空洞になっていた椅子の中で、目隠しと猿轡を咬まされ、全身を特殊な縛られ方で拘束された状態のマルタスターが、鼻息も荒く興奮しながら身を震わせていた!
「いけない子ね……私の邪魔をしたのだから、お仕置きしないと……」
「お仕置き」の言葉に反応して、ビクビクと痙攣するマルタスター。
そんな彼女を妖艶に微笑みながら見下ろし、マルマは猿轡を外してやる。
トロリとした唾液の橋を作りつつ、枷の無くなったマルタスターは大きく息を吸い込んだ。
「ハァ、ハァ……アハァ♥」
目隠しをされたままなので、より感覚が鋭敏になるのか、自分を見下ろすご主人様に向けてマルタスターは惚けた笑みを浮かべる。
そんな奴隷に、マルマはなぜ邪魔をしたのかと問いかけた。
「そ、そうですわ……ご主人様のマスターへ、お伝えください」
「マスターへ?」
「は、はい。私も、他の『聖女』の能力に詳しい訳ではありませんが、豊穣の『聖女』に関して聞いた噂を思い出しましたの……」
それゆえ、先ほど隊長が漏らした豊穣の『聖女』というワードに、同様して粗相をしたのだという。
同じ、二つ名持ちであるマルタスターが聞いた噂となれば、それはかなりの信憑性を持つ。
そう判断したマルマは、続いてマルタスターへ質問した。
「……それは、どんな噂なの?」
「はい……豊穣の能力は、ダンジョン攻略に特化した物……だとか」
ダンジョン攻略に特化した能力……それがどんな物なのか想像もつかないが、浄化の『聖女』以上に危険な能力のような気がしてならない。
「すぐに、マスターへお知らせしなければなりませんね……」
思わぬ情報を得られたマルマは、マルタスターの頬を撫でながら、物欲しげに開く口へと指を這わせる。
すると、口中へと侵入してきたマルマの指を、マルタスターは嬉々としてしゃぶり始めた。
かつての『聖女』が、まるで子犬のように舌を絡める姿に、マルマもゾクゾクと背筋を登るような愉悦を感じる。
「フフフ……お仕置きの後は、いいことを教えてくれた、ご褒美をあげましょう♥」
「ウヒッ♥エヒヒヒ……♥」
主に媚ながら、極上の快楽を期待する堕落した『聖女』の笑い声が、誰もいない神聖なる礼拝所にまで響いていった。
◆
「──と、いう訳で、マルマから連絡が入ったから、みんなを集めた」
オルーシェの召集に応じた俺とティアルメルティ達だったが、そのマルマからもたらされた曖昧な情報に、首を傾げてしまう。
「ダンジョン攻略に特化って……どんな能力だ?」
「私も、よくわからない。でも、ダンジョン特化でないガーベルヘンですらあれだけの被害をもたらしたんだから、注意は必要」
まぁ、確かに。
油断するほどの余裕はないが、相手の能力がわからん内は、あまり気負いすぎない程度には緊張感を持っておこう。
「しかし、以前の尋問では二つ名持ちの『聖女』の名前しか引き出せんかったのに、すっかりマルタスターも落ちたものだな」
ティアルメルティが、感慨深そうに呟くと、俺もそうだなと相づちをうった。
かつての『聖女』然としたマルタスターなら、決して教会の不利になるような情報は出さなかったはずだ。
……怖えぇな、サキュバスのエロ拷問ってやつは。
「さて──連中が村を出てから、そろそろダンジョンの入り口に到着する頃。だから、少し様子を探る」
気を取り直すようにオルーシェは言うと、ダンジョン・コアに命じて、地上の入り口周辺の映像を出させる。
するとそこには、なにやらでかい荷物を運んできた教会兵達の姿があった。
しかし……なんだ、あの箱は?
ざっと見た所、人間が数人は入れそうな、巨大で真っ黒な箱。
しかも、それは太い鎖でグルグル巻きにされ、やたら厳重に封印されているように見える上に、形状が棺桶っぽく見えるて、なんとも悪趣味だ。
まさか、あの中に豊穣の『聖女』が入ってるとか、言うんじゃねぇだろうな?
なんて事を考えていると、モニター向こうの教会兵達が、荷車に載せていた棺桶っぽい箱を、全員で両サイドから担ぎあげる。
そのまま、それをダンジョン内へ運んでいくのかと思いきや……箱を入り口となっている下りの階段前に降すと、勢いよく押し出して自重で突入させやがった!
な、なにやってんだ、あいつらぁ!
当然、箱は時おり激しく弾んだり擦れたりしながら、けたたましい音と共に階下へ滑り落ちていく!
やがて、地下一階のフロアに飛び込むように到着すると、派手に転がりながらようやく止まることができた!
しかし、その衝撃で箱はかなり損傷しており、もしも中身が人だったら、ただではすまないだろう。
くそっ!他人のダンジョンに、不法投棄みたいな真似しやがって!
箱を追って教会の連中が降りてきたら、説教かましてやるぞと意気込んで待っていたのだが……。
箱をダンジョンに投入した連中は、中に入る素振りも見せず、入り口付近で何かの準備を始めた。
「……結界魔法?」
「なんだ?奴等、このダンジョンを封鎖でもするつもりか?」
オルーシェとティアルメルティが、怪訝そうな顔になる。
へぇ……相手が何の魔法を使おうとしてるのか、すぐにわかってしまうんだな……。
さすがは、様々な魔法に精通した、ダンジョンマスターに現役魔王だと、感心している俺をよそに、二人は教会兵達の挙動を、鋭い目付きで見ていた。
しかし……そもそも、教会兵達は俺達もろともあの箱を閉じ込めて、どうするつもりなんだろうか?
例えば、ダンジョンもろとも宿敵である魔王を叩く……なんて考えると、あの箱の中身は『聖女』ではなくて……まさか爆発物!?
頭を過る可能性に、結界が完成してダンジョンの入り口が封鎖されるのも構わず、俺は投棄された箱の方を注視する!
すると、ドン!と激しい音が響くと共に、棺桶の蓋が大きく揺れた!
爆発物の可能性が頭にあった俺は、ビクリと跳ねそうになったが、どうやらそういった物の音ではなかったらしい。
内心、ホッとしていると、オルーシェ達もその音に気づいて、箱の方へ目を向けた!
そんな俺達の視線が集まる中、内側から叩きつけるような音は何度か続き、箱の蓋にボコボコと穴が空いていく!
やがて、最後に残った蓋の残骸をぶち破るようにして吹き飛ばされると……箱の中から、ゆっくりと上体を起こす人物の姿が映る。
長い髪に、凹凸のハッキリした曲線を描くライン……棺桶の中から現れたそれは、気だるげに項垂れる、ひとりの女の姿だった。




