01 危険人物
◆◆◆
「どういう事だっ!」
薄暗い部屋の中、円卓に拳を叩きつける音が響く!
その余韻も消えぬ内に、追撃のような怒声が続いた。
「天啓に続いて、浄化まで行方不明だと!?」
「まさか、彼女達がやられたというのかっ!」
「落ち着け、あくまで仮定の話だ」
興奮する同士を宥めるように、円卓に座る一人が声をかける。
ここは教会の最高幹部達が集う、秘密の会議室。
以前、天啓の『聖女』が消息を断った時のように、集結した面々は再び苦悩の表情を浮かべながら、もう一度報告書に視線を落とした。
「この報告書を持ち帰ったのは、教会の手の者なのだな?」
「ああ、浄化の『聖女』に付けた、手練れの者達だよ」
「ふむ……彼女達の指示に従い、ダンジョンの入り口で待機するも、逃走した冒険者を含めて『聖女』達の帰還はならず、数日が経過したために報告してきた、と」
「……仮定とはいえ、この報告書の通りなら、やられたと見るべきなのだろうな」
ポツリと誰かが呟くと、先ほど拳を叩きつけていた神官がギリギリと歯ぎしりをする。
「ありえん……天啓が神の言葉ならば、浄化は神の力の具現化したものだ!それが、魔王などに返り討ちに会うなど……!」
「確かに、浄化の『聖女』には武器による攻撃も、魔法の類いも一切が通用しない。なればこそ、魔王には未知数の力があるのだと、認識しなければならないだろう」
「何を悠長な事を……これは、我々の存亡に関わる一件だろうが!」
「だからこそ、頭を冷やして考えろと言っているのだ!」
絶対的な神の力の象徴であり、無敵と思われていた浄化の『聖女』が敗北したかもしれないという事実に、さすがの最高幹部達も冷静ではいられない。
ダンジョンに『聖女』を派遣する前の余裕な雰囲気は嘘のようで、誰も彼もが不安と苛立ちを抱え、どこか攻撃的になっている。
今や円卓の間は、聖職者の集まりとは思えぬほど、殺伐とした空気に満ち溢れていた。
「……起こってしまった事よりも、これからの対処について考えねばならんな」
そんな中、今回の進行役である神官がそう告げると、室内はわずかな時間だけ沈黙が流れる。
この異常事態に対して、どうすれば起死回生の一手となるのか、皆が頭をめぐらせていたからだ。
「……各国へ協力を仰ぎ、件のダンジョンを物量で押し潰すか?」
「いや……マルタスマーがいれば国の上層部を丸め込めただろうが、現状では教会の独断専行を糾弾する流れになりかねん」
「そうなれば厄介だな……ならば、ダンジョンへの干渉緩和を促して、冒険者連中を送り込むのはどうだ?」
「魔王の支配するダンジョンだぞ……冒険者連中が、どこまで本気で攻略にかかるか、期待などできんよ」
ああでもない、こうでもないと議論を交わしている内に、やがて誰もが意見を出し尽くしたのか、ため息の音だけが部屋の中に響いていく。
そんな中で、進行役の神官が重々しく口を開いて言葉を漏らした。
「……豊穣の『聖女』を使うか?」
その一言に、全員が顔を上げて進行役を凝視した!
「あ、あれはダメだ!危険過ぎる!」
「制御できん神の力を解き放てば、尋常ではない危機が訪れるか量りしれんのだぞ!」
魔王に対して、激しい怒りを顕にしていて神官達でさえ、豊穣の『聖女』を派遣する事に反対に回る。
そんな彼等の態度の端々からは、危機感と共に恐怖のような感情が見て取れた。
「確かに危険ではあろう……しかし、敵は浄化の『聖女』をも退ける魔王だ。なればこそ、我々の手に余る力をぶつけるしかないのではないか?」
「そ、それはそうかもしれんが……」
「なに、作戦は考えてある」
「作戦?」
「ああ。要は、魔王のダンジョンそのものを、豊穣の『聖女』を封じ込める檻にしてしまえばいい」
進行役の神官が提示した作戦は、豊穣の『聖女』をダンジョンに送り込んだ後、入り口を結界と物理的な処理で封鎖し、閉じ込めるという物だった。
魔王の首を上げ、それを晒して教会の権威を増すという目的は果たせなくなるが、教会の手で魔王もろともダンジョンを封鎖し、脅威を排除したという最低限の面子は守れる。
手詰まりな状況に出口の見えない彼等にとって、その妥協策はとても魅力的に思えた。
「……我々がもて余していた、豊穣の『聖女』の使い道としては良いのかもしれんな」
「そうだな……『聖骸』の回収ができそうに無いのが、残念ではあるが」
「なあに、まだ『聖骸』自体のストックはあるのだ。少々高めな必要経費と考えれば、惜しくはあるまい」
少しばかり行く先が見えてきた事で心に余裕が戻ってきたのか、幹部達の顔にはわずかな笑みが浮かぶ。
「よし。では、裁決を取るぞ!」
進行役の神官が決議を求めると、賛成の意見に全員の手が上がった!
「裁定は決まった!これにより、豊穣の『聖女』を魔王の巣くうオルアス大迷宮へ派遣し、後に封印の儀式を行うものとする!」
決定の言葉に、幹部達は拍手をもって答える。
そして、祈るように言葉を紡いだ。
「我々の行く末に、神のご加護があらん事を……」
◆◆◆
ガーベルヘンとラクトラルを捕らえてから、数日が経った。
レオパルト達は、俺達と密通している国、各々の要望などを文書に記し、今回の一件の報告も兼ねて、一度ホームへと戻っている。
そんな訳で、ウチのダンジョンはいつもの面々で回していたのたが……。
「ぬあぁぁ……」
疲れきった猫みたいな声を漏らしながら、マスタールームに戻ってきたティアルメルティが、華麗にソファへとダイブする。
魔王としての威厳など、微塵感じられないその姿は、まるで見た目通りの少女そのものだ。
「おいおい、仮にも魔王がなんてザマだ」
「……仕方あるまい、一触即発だったあの『聖女』達を、なんとか宥めてきた所なのだからな」
「そりゃ大変だとは思うがな……拾ってきたのはお前さんなんだから、自分でちゃんと面倒みてやんないとダメだろ」
「お母さんみたいな事を、言うでないわ……」
うんざりした声で、ティアルメルティはソファに突っ伏す。
うーん、こりゃだいぶキテるな……。
「いったい、何があったの?」
作業が一段落付いたのか、手を止めたオルーシェがティアルメルティに尋ねた。
「聞いてくれるか、あの阿鼻叫喚の地獄を!」
「いや、本当に何があった?」
思わず問い返した俺を無視し、ガバッと上体を起こしたティアルメルティは、オルーシェに抱きついていく。
そんなすがり付く魔王の頭を、よしよしと撫でて宥めるオルーシェ。
なんか、妙に手慣れているが……もしや、俺がダンジョン内をパトロールしてる時なんかは、当たり前のようにこいつを甘やかしているのだろうか?
そんな俺の視線に気づいたのか、オルーシェはちょっと意味深に笑みを浮かべると、囁くような声で尋ねてくる。
「ダルアスも、甘やかしてあげようか?」
「はぁっ!?」
きゅ、急に何を言い出すんだね、オルーシェくん!
いい歳こいて、娘みたいな年齢の女の子に甘えたい訳がないじゃないか!
「照れてる……かわいい♥」
艶っぽい笑顔でそんな事を言われ、俺は迂闊にもますます同様してしまう。
「て、照れてなんかねーし!むしろ、通報されるんじゃねーかって、ドキドキしてるだけだし!」
「どういう反論だ、それは……」
戸惑う俺に、呆れた様子でティアルメルティはツッコミを入れてくる。
ええい、元はと言えばお前がオルーシェに甘えたりするから、変な空気になったんじゃねぇか!
「んな事よりも、『聖女』達がどうかしたのかよ」
強引に話を戻すと、ティアルメルティは思い出したのかのように、くしゃりと顔を歪める。
「それよ!あの『聖女』どもが、バチバチに揉めておってな」
「『聖女』達が?」
「うむ!」
魔王は力強く頷くが……あいつら、元々は仲間同士だし、同じように敗北した身だろ?
そんなにガチンコで揉める事なんて、あるのだろうか?
「……前の話し合いで、ガーベルヘン達をトラップの一環として、利用する事になったであろう?」
「ああ」
「それで、みすぼらしい格好をさせていては、侵入者の目を引く事は出来んから、マルマに世話役を任せたのだ」
まぁ、サボテンでも枯らしてしまえると豪語する、魔王や四天王に任せるよりは堅実だな。
しかし、それがまずかったらしい。
マルマに心酔するマルタスターが、嫉妬心からガーベルヘン達にちょっかいを出すようになってしまったというのだ。
「そんな訳で、一触即発だった連中をなんとか抑えてきたのだ。なんとも、一苦労であった……」
「なるほど、そういう事か……しかし、かつては同じ釜の飯を食っていた『聖女』達が、そんな事で揉めるようになるとは」
「まぁ元々、厳しく自分を律してきていた連中だからな。抑圧から解放されて、欲望に忠実になったら、そりゃもうすんごい事になってしまうものなんだろう」
うーん、確かにそういうものかもしれない。
ティアルメルティの言葉に、俺達は無言で頷いた。
「だからオルーシェ!余をもっと労ってくれ!」
少しだけ真面目な雰囲気が流れていたのをぶった切り、オルーシェに膝枕されながら、魔王はガンガン甘えに行く!
そして、オルーシェの方も、ティアルメルティをこれまで以上に優しくと撫でながら、積極的に甘やかしに行っていた!
まったく、こいつらは……。
互いに、初めての親友と呼べる相手とはいえ、あんまりベタベタしすぎるのは問題だな。
そんな事を考え、若干呆れながらも、少女達の姿を俺は微笑ましく見守る。
そんな、なんとも平和で順調な日々が、ずっと続くような気がしていた。
──そう、この時はまだ、そう思えていたのだ。
しかし、このダンジョンが出来てから、最大にして最悪の敵が現れるのは、それから一月ほど過ぎた日の事だった。




