07 愛は勝つ
「い……いやぁぁっ!」
突然、マスタールームにオルーシェの悲鳴が響く!
見れば、彼女は頭を抱えて絶望した表情で踞っていた!
「ど、どうしたオルーシェ!?」
「……フ、フフフ」
慌てる俺達の耳に、静かに笑うマルタスターの声が届く。
こいつ……何か知ってるのか!?
「おいコラ、『聖女』様よぉ!うちのオルーシェに、何をしやがった!」
「フフフフ……ワタクシは何もしていませんわ。寧ろ、やらかしてしまったのは、貴方の方です!」
「なに……?」
頭に「?」を浮かべる俺に、マルタスターは説法の如く語りだす。
「オルーシェ様にとって、貴方は肉親のような大切な方なのでしょうね。ですが、その方が事もあろうか、神とその下僕たるワタクシ達にとてつもない不敬を働いた……それはとてつもなく恐ろしい、罰当たりな行為ですわ!」
マルタスターは傷口を押さえていた手を広げ、舞台女優さながらに天を仰いで言葉を続ける!
流れる血にまみれながらも、神の言葉を代弁しようとするその姿は、まさに殉教者だった。
「いずれ、貴方達には神罰が下りますわ!その日を、震えながら待つことですわね!」
絶対に訪れると確信している預言を、マルタスターは俺達に叩きつける!
だが……俺が内心に浮かんだ言葉は、「アホか」だった。
つーか、その神罰とやらを下す神とやらはとっくに死んでるから、お前が『聖骸』を移植してたんじゃねぇのかよ。
まぁ、テンションが上がりきってこちらの話を聴きそうにないから、ほっとくとして……今はオルーシェだ!
「おい、オルーシェ!大丈夫だから、落ち着け!」
俺は恐慌状態に陥っている彼女を抱き上げ、背中を擦りながらなだめようとする。
だが、俺の声は届いていないのか、オルーシェは震えながら焦点の合わない瞳で涙を流し、嗚咽するばかりだ。
くそっ、どうすれば……。
「こうなれば、手段はひとつだな」
「!?」
いつの間にか傍に来ていた、ティアルメルティの呟きに、一縷の望みを繋ぐように目を向けた!
「何か、手はあるのか!?」
「モチロンよ!」
おおっ!さすが魔王!
たまには、頼もしいところもあるじゃねぇか!
「それで、どうすりゃいいんだ!?」
「うむ!古来より伝わる、お姫様を救う究極の手段……それは、『王子様のキス』に他ならん!」
拳を握りしめ、起死回生の一手を高らかに告げるティアルメルティ!
……だが。
「……お前はいったい、なにを言ってるんだ?」
突然、訳のわからん事を言い出した魔王様に、俺は困ったような顔を向ける。
しかし、寧ろ彼女は「なんで分からんのだ?」といった感じで、睨み返してきた!
「ええい、お主は伝承とかおとぎ話の類いを知らんのか?」
「いや、そりゃ知ってるが……別にオルーシェは、お姫様じゃないだろ?」
「女の子は、いつだってお姫様っ!」
「あ、ハイ……」
断言する迫力に、俺は気圧されて頷くしかなかった……。
「し、しかしよぉ……王子様のキスったって、誰がやるんだよ?」
「そりゃ、もちろんダルアス、お主に決まってるではないか!」
「はあぁぁっ?」
魔王の提案に、俺は今度こそすっとんきょうな声をあげる!
「お、お前は何を言ってんだ!俺は、『王子様』つーか良くて『おじさま』だぞ!第一、俺とオルーシェじゃ絵面がヤバすぎるっつーの!」
「しかし、ダルアスの他に男といえば……」
そう言って、この場にいたもう一人の男性……魔王四天王のタラスマガへと、目を向ける。
うっ……確かに、あいつに任せるのは嫌だな。
しかも、満更でもなさそうに唇のケアをしてるのがムカつくし。
「……わ、わかった。俺が……やる!」
「おおっ!」
瞳を輝かせるティアルメルティを余所に、俺はオルーシェの顔を優しく持ち上げる。
うう……いまだに恐怖の涙にくれる彼女を救うためとはいえ、なんか罪悪感と緊張感がすごいな。
「ほれ!早くやらんか!こちとら暇ではないのだ!」
「そうですよ!思いきって、ぶちゅっとやっちゃってください!」
「うるせえ、バカ野郎!」
なぜかノリノリで煽ってくる魔族達に一喝し、俺は何度か息を整えた。
「……よし!」
意を決し、そっと顔を近づける。
そして……彼女の涙を拭いながら頬を撫で、その小さな唇を軽く塞いだ。
しっとりとした柔らかい感触……いわゆる、そういう商売の女達と何度か経験はあるが、なぜか今回のそれは、もっと大切な物を感じる気がした。
「うおぉぉっ!やったあぁぁぁっ!」
後ろから、ティアルメルティ達の浮かれた叫び声が届く!
だが、さすがに長くキスする訳にはいかんし、俺はすぐに顔を離した。
ふぅ……。
唇が触れあっていたのは、一秒程度の短い時間。
しかし次の瞬間、怯え泣いていたオルーシェは、カッ!と目を見開いた!
そうして、近くにあった俺の顔をマジマジと見ると、震える指で自身の唇に触れる。
「ダル……アス……今、なにを……」
「あ、いや……その……」
「喜べオルーシェ!お主を救うために、ダルアスが『キス♥️』をしてくれたぞ!」
「おい、バカ魔王!」
言い淀んでいた俺に代わり、しゃしゃり出たティアルメルティが囃し立てる!
すると、その事実を確認したオルーシェが、再び硬直してしまった!
うあぁ……やはりショックだったか。
「私の……初めてのキス……ダルアスと……」
みるみる、オルーシェの顔が赤くなっていく。
そりゃ、初めてのキスがこんな感じじゃ、相当に恥ずかしいだろうしな。
「あ、あのな……まぁ、人命救助みたいなもんだから、ノーカンだろう。ただ、それで気が済まないなら、好きなだけ殴られるくらいは我慢するわ」
「問題ないっ!」
どうフォローすべきかと狼狽えていた俺に対し、オルーシェは興奮覚めやらぬといった大きな声で吼えた!
そ、そうなの?
「むしろ僥倖……将来の計画に……既成事実……」
なにやらフンフンと鼻息も荒く、ブツブツと呟くオルーシェさんがちょっと怖い……。
とはいえ、どうやら元気にはなっていくれてようだ。
あとは、マルタスターにかけられた洗脳についても確認しておかなければ。
「あー、オルーシェさんよ。君にとって、大切なのは?」
「ダルアスとの将来!責任はとってもらう!」
即答かよ!
しかも、その答え……俺、もしかして将来的に訴えられたりするの?
「……んんっ!じゃあ、教会の連中はどうするよ?」
「邪魔するなら、ダンジョンの餌に」
おお、この答え……いつものオルーシェだ!
どうやら、神への恐怖と共に洗脳も克服したみたいだな!
てっきり、ティアルメルティの奴が適当な事をぬかしてると思っていたが、こんなに効果があるとは……恐るべし、『王子様のキス』!
……とはいえ、誰にやらせても良いって訳じゃないよな。
今後はせめてオルーシェがしっかり選び、俺が認めるような男でなけりゃ、この娘にキスなんぞさせられん!
「……それって、またダルアスがキスしてくれるという事?」
「は?」
いかん、つい心の声が口に出てたか!?
「あ、いや、そういう事では……」
「私はいいよ。ダルアスなら」
そんな事を言いながら、輝く笑顔を見せるオルーシェに、不覚ながらドキッとしてしまう。
「なんなら……キスのその先も、ね」
「大人をからかうんじゃねぇ!それに、年端もいかねぇ娘が、そういう事を簡単に口にするもんじゃないぞ!」
「フフ、そうだね」
本当にわかっているのかどうか……洗脳から解放されたためか、テンションの高いオルーシェの笑顔を見ながら、俺も苦笑いしつつ、やれやれとため息をついていた。
まぁ……なんにせよ、良かった。
どうやら、ファーストキスの相手が俺だった事にも、さほどショックは受けていないようだしな。
だが、そんな恐慌状態から復帰したオルーシェの姿に、ひとり『聖女』だけは愕然とした表情を浮かべていた。
「そ、そんな……創造神に逆らう事を……神罰への恐怖を乗り越えたというの……」
「ふっ……神への信仰や恐怖よりも、最後に勝る物がある」
「え……?」
「愛……つまりは、そういう事よ」
「畏れよりも……愛…』」
なぜか勝ち誇る魔王を見上げていたマルタスターだったが、やがてガクリと項垂れるようにして意識を失うのだった。




