09 ダンジョン総力戦へ向けて
◆◆◆
「むっ!」
行く手を阻むように形を変えるダンジョンの壁を破壊しながら、獣化したトルディスは怪訝そうな声を漏らした。
(あのドワーフ女と骸骨兵の気配が……消えた?)
その存在が唐突に消滅してしまったかのように、追っていたターゲットの気配を見失った『勇者』は舌打ちをする。
「まさか逃げきられるとはな……実験体のやつが、横やりでも入れたか」
強ばっていた殺気が霧散し、落ち着きを取り戻したトルディスは周囲に注意を払いながらも、今後の行動について思考を巡らせ始めた。
(さて、どうするか……)
切り札である獣化能力を使用した事で、片腕を失うという深手も回復する事はできた。
しかし、ここで獣化を解除してしまえば、数日はこの能力を使う事はできなくなるだろう。
かといって、このまま獣化を持続すれば今後どのような副作用が起こるか予想がつかない。
引くべきか、進むべきか……。
そんな選択肢が、『勇者』の前に突きつけられる。
だが!
「ククク……ちょうどいい、このまま獣化能力の検証と行こうか!」
トルディスは迷うことなく、進む事を選択する!
そう、真の『勇者』である彼に、後退の二文字はあり得ない!
これが彼に課せられた試練であるのなら、邁進し、困難を粉砕して踏み越えていくのが『勇者』という者に相応しい姿なのだ!
「精々、悪あがきをするがいい……俺の糧になるためになぁ!」
凶悪な獣面に不敵な笑みを浮かべ、『勇者』はダンジョンのさらに奥へと歩を進めていった。
◆◆◆
「うおぉぉぉぉっ!」
オルーシェが用意してくれた脱出口に飛び込んだ後、スベリ台のような坂を滑り落ちながら団子状に縺れ合った俺達は、勢いよくマスタールームへと放り出された!
そのまま、床に転がり落ちると同時に、「ぐえっ!」と声をあげてぐったりする俺達を、オルーシェを始めとする魔王連中が心配そうに覗き込む。
「大丈夫……?」
「お、おう……助かったぜ」
絡まる手足をほどいて、俺達は一息つきながらも、フラフラと立ち上がる。
と同時に、安全な場所まで退避できた安堵感からか、別の意味で手足が震え始めた!
「な、なんなんじゃ、ありゃあ!」
「あれはもう、人類の範疇じゃないっつーの!」
「おお……あのプレッシャーはヤバいな……」
あの獣人化した『勇者』とやり合った時は無我夢中だったが、落ち着いて考えると自殺行為に近かった気がする!
直接戦り合った俺とエマリエートだけでなく、援護はしてくれたが対面はしていないレオパルトまでも、顔を青くして同調していた。
俺達も今まで何度となく危険なモンスターとやり合ったもんだが、ダンジョンの壁をぶち破って追ってくるような存在は初めてだ。
郡を抜いてヤバい『勇者』の底力に、俺達はかつてないほどの脅威を覚えていた。
「ぬぅ……さすが、人類最後の切り札を自称するだけの事はあるということか」
ティアルメルティのそうした評価も、今は間違いだと思えない。
確かに『勇者』は間違いなく、この世界……少なくとも、俺達が知る限りでは最強の生物だろう。
そんな化け物が、こちらのダンジョンを徘徊して、ダンジョンマスターを探して進行して来てるんだから、状況ははっきり言ってよろしくないと言える。
くそっ、普通は侵入してきた方がこんな心境になるもんだろうに!
「しかし……アレをどうすればいい……」
冒険者の常として、どれだけ強い化け物だろうと倒すための手段を模索するものだが、武器が通じないレベルの相手なんてどうしたらいいのか、正直なところ戦う手段が見えてこない。
そうなってくると、期待できるのはダンジョンの構造を利用したトラップなどの搦め手だが……。
「通路一杯の巨石を転がす……」
「もしくは、天井を落とすとか?」
「……そういう、質量による圧死を狙う罠は、すぐには作れない」
直接対峙した俺とエマリエートは耐久力を超える質量責めを提案したが、ダンジョンマスターであるオルーシェはすまなさそうに首を横に振る。
くっ、ダンジョンマスターである彼女が、そう言うなら無理か……。
「なら穴に落とすか、個室に閉じ込めてからの水責めはどうだ?」
「ですが、四天王のソルヘストの奥義で窒息しなかった『勇者』が、溺死とかするでしょうか?」
獲物を捕らえた後の処理を行うような、狩人視点からのレオパルトの立案だったが、横から意見してきた四天王のガウォルタの言葉でピタリと止まってしまった。
確かに、あの野郎はあらゆる状態異常や異常事態への、対抗策を持ってそうだもんなぁ。
その後も、なんやかんやとアイディアを出し合うが、これだ!という決定的な物は無く、ジリジリと時間が過ぎていった。
ぬうぅ、こうしてる間にも、あの『勇者』はこの最深部を目指してきているというのに……!
『──ひとつ、私に案があるのですが』
対策に行き詰まり、皆が黙り込んだタイミングで、意外にもダンジョン・コアがそんな事を言ってきた。
今まで積極的に提案してくる事なんてなかったのに、いったいどういう風の吹き回しか……『勇者』に壁とか破壊されて、怒ったのかな?
「コア、その案というのは?」
マスターであるオルーシェが問い返すと、ダンジョン・コアは『勇者』への対抗策を語り始めた。
『ズバリ、私に蓄積されているダンジョンポイントを戦闘力に変えて、ダルアス様に注ぎ込む事です!』
「え?そんな事もできるのか?」
『いままでも、マスターから貴方に渡された指輪を通して、戦闘時に生き返えらせたりしていましたからね』
その魔力経路を使えば可能だと、ダンジョン・コアは胸を張って答える。
まぁ、実際には人型じゃないから、言葉のニュアンスにそういった物を感じただけだが。
しかし……思わぬ正攻法ではあるが、その手があったかっ!
確かに先の戦いでは使う間もなかったが、一時的に生き返った時の俺は、ダンジョンポイントを使って生前の肉体を維持している。
そこへ、ダンジョン・コアと直結してポイントを注ぎ込めば、さらなる戦闘能力の上昇が可能という事を聞いて、オラなんかワクワクしてきたぞっ!
『ですが……この方法にはひとつの危険があります』
「危険……だと?」
ダンジョン・コアの言葉に思わず聞き返すが、まぁ急激なパワーアップにリスクが付き物なのは当然といえば当然か。
「それはどんな危険なの?」
俺が口を開くより先に、オルーシェがダンジョン・コアに向かって問いかける。
その表情は当事者の俺よりも不安げで、なんだかこっちが心配になってくるんだが……。
『当たり前の話になりますが、限界を越えて力を注ぎ込めば器が持たなくなる……つまりは、ダルアス様の肉体が崩壊される恐れがあります。そして、あの『勇者』を倒すには、その限界を超える覚悟が必要になるでしょう』
要するに、俺の今の体が持たない可能性が高いって事か。
まさに一か八かって所だが、元々冒険者なんかやってる以上は、命を賭けるなんざ常に覚悟の上だ。
しかし、そんな風にあっさりとダンジョン・コアの言う事を受け入れられた俺とは違い、オルーシェは青ざめて顔で「ダメ……」と小さく呟いた。
「ダメ……そんな、ダルアスが自壊するような戦いを強いるのは、絶対にダメ!」
徐々に声は大きくなり、半ば叫ぶようにダンジョン・コアの提案を却下するオルーシェ。
いつもの冷静な態度は鳴りを潜め、不安に駆られるその姿は年相応な弱さを漂わせていた。
そんな彼女の根底にあるのは、今や家族同然に思ってくれている、俺を失うかもしれないという恐怖なのだろう。
「オルーシェ……」
半ば取り乱すように怯えるオルーシェの姿は、俺の父性本能を激しく刺激した!
ううん、この娘を安心させてぇ!ついでに、いい格好もしてみてぇ!
そんな、ある意味で男の本能に突き動かされた俺は、動揺しているオルーシェの頭にポンと手をのせた。
「心配すんな!俺がそんな、自爆するなんてドジを踏むわけないだろう?」
元気付けるためにあえて明るく声をかけるが、オルーシェの表情には不安の色は消えていない。
「でも……ダルアスの死因は、うっかりミスだし……」
うぐっ!
そ、それを言われると、返す言葉もないんだが……。
それでも、ここは引き下がる訳にはいくまい!
「ま……まぁ、確かにそうかもしれんが、冒険者ってのは元々、修羅場から生きて帰る事が重要な職業だからな。どれだけヤバい案件だって生き残ってきた、元A級冒険者の俺を信じろ!」
実際、この職業を長くやれる奴っていうのは、どん底でも諦めない不屈の精神と、仲間に恵まれる運を持っているもんだ。
ありがたい事に、俺は後者を確実に持っているし、諦めって言葉を知らないという前者の素質も備えている。
だから、今回の件だってなんとかしてみせるっつーの!
そうオルーシェに告げると、ようやく彼女はダンジョン・コアの提案を受け入れてくれた。
「だけど絶対……絶対に私の所に帰ってきてね!」
「任せろ。俺は、かわいい娘との約束を破った事はねぇんだ!」
そんな俺の軽口に、普段なら閃光のようなツッコミを入れてくるレオパルトとエマリエートも、空気を読んだのか微笑ましく見守っている。
オルーシェも、少し砕けた雰囲気に小さく笑みを浮かべながら、コクリと頷いて見せた。
「よぉし!そうと決まれば、あとは舞台のセッティングだ!」
ダンジョンの一フロアを、決戦に相応しい場にすべくオルーシェに整えてもらい、そこで『勇者』を迎え討つ!
ついでに、俺が有利になるようなギミックも念のためいくつか仕込み、これで準備は万端である。
そうして、やるぞ!と気合いを入れていると、ティアルメルティ達と打ち合わせをしていたオルーシェが、何やら小声で俺に話かけてきた。
「……ダルアス、いますぐに人間形態になって」
「ん?もうか?」
ちょっと気の早い事だとも思うが、彼女がそういうなら従おう。
俺は、キーアイテムである指輪に向かって合言葉を告げ、骸骨兵から生前の姿へと戻った。
うん、やはり生身の肉体はいい……。
「これでいいか?」
「うん。次は、ちょっとしゃがんで」
俺はオルーシェに言われるまま、しゃがみこんで彼女に顔を近づけた。
すると、不意にオルーシェの顔が寄ってきて……頬に、柔らかい物が触れる感触が伝わる。
それが彼女からのキスだと理解したのは、一瞬の間を置いてからだった。
「勝利の……おまじない」
柄にも無い事をやったせいだろう。
オルーシェは真っ赤になりながら、か細い声でそんの事を言った。
だが、そんな彼女の心遣いに、俺の中では再び父性を伴った闘志がギンギンに沸き上がる!
「ありがとうよ、オルーシェ。これで、勝利はこっちのもんだぜ!」
お返しとばかりにギュッと抱き締めてやると、なぜかオルーシェはさらに真っ赤になってヘナヘナと座り込んでしまった。
あれ、そんなに力は入れてなかったのに……。
「ほれほれ、後は余達に任せて、ダルアスは戦いに集中せい」
むぅ……どうやら、オルーシェのらしからぬ行動は、この魔王の入れ知恵っぽいな。
まぁ、気分は悪くないから許すが……。
「それじゃ、行ってくるぜ!」
ふにゃふにゃになったオルーシェをティアルメルティ任せて、俺は『勇者』との決戦に望むべく、皆の激励の声を背に受けながら、マスタールームを後にするのだった。




