08 『勇者』の切り札
「ぐあぁぁぁぁぁぁっ!!」
今までにないほど、激しい叫び声がダンジョン内に木霊する!
俺の一撃によって左腕を失った『勇者』は傷口を抑え、苦痛に顔を歪めながら悶え転げ回っていた!
……って、野郎!?
一見、無様な姿を晒しながらも、俺達から距離を取ろうとしてやがる!
「意外と冷静な野郎だな!」
『勇者』を追った俺は、すかさず残る手足の間接部に剣を走らせ、完全に奴の行動を封じる事に成功した。
ふぅ、これで一安心だぜ。
「やれやれ……アタシやレオパルトの攻撃にも耐えた鎧だったのに、よくもまぁ斬れたもんだね」
バトルメイスを肩に担いだエマリエートが、俺の元へやって来ながら呆れたように言う。
「まぁ、装甲の薄い間接部を狙ったからな。それに、お前らがダメージを与えていてくれたから、動きの鈍ったこいつを仕止められたようなもんだ」
「へぇ、随分と素直じゃない」
ニヤリとしながら拳を突き出してきた彼女に、俺も拳を合わせて互いの健闘を称える。
うむ、これぞチームワークが決まったって感じだな。
レオパルトやサポートを買って出てくれたオルーシェが、この場にいないのはちょいと残念ではあるが。
「ぐうっ……な、なぜだ!なぜ俺が、こんな冒険者くずれごときに……」
床に転がり、ろくに身動きもできなくなっているにも関わらず、『勇者』は相変わらずの物言いで俺達を睨み、見上げる。
「冒険者くずれとは、言ってくれるねぇ」
「だが、冒険者をやってた経験の差が、この結果に繋がったのさ」
「な、なにぃ……」
訳がわからんといった感じのトルディスに、俺達は懇切丁寧に語ってやった。
「確かに、戦闘力やら様々な能力に関して言えば、お前は俺達を凌駕してる。だが、俺達はそんな敵を倒す事を生業としていたんだぜ?」
「いくら強くても、研究所から出てきたばかりで経験値赤ちゃん並なアンタが、海千山千のアタシらに勝てる訳がないでしょって話よ」
世界に蔓延る様々なモンスターからすれば、人間なんぞ「ざぁこ♥よわよわ♥」な存在に過ぎない。
そんな連中を相手に、心身を鍛え策を練って退治してきたのが、俺達冒険者だ。
臨機応変の対応力という一点に置いては、この世界で最強の人種と言っても過言ではないだろう。
頭のよろしい魔術師どもが、シコシコと机上で考えた「僕の作った最強の勇者」だろうがなんだろうが、結果はこの通りである。
「ば、馬鹿な……俺は、あの魔族四天王ですら蹂躙できる、『勇者』なんだぞ!」
まだ納得がいかないのか、『勇者』はギリギリと歯ぎしりしながら悔しげな言葉を漏らしている。
まぁ、その魔族四天王だって初見殺しの奥義もあるし、正面からやれば俺達よりは強いだろう。
しかし、強さ=勝者でない事は、俺達が一番よく知っている事実だからな。
「──さて、行動不能にしたのはいいが、こいつの処遇をどうするか……」
『そいつは、私の所に連れてきて』
さっさとドドメを刺して、ポイントに変換しちゃおうかしら……なんて思っていた所に、ダンジョンマスターの声がこの場に響いた。
って、おいおい!
「いいのかよ?手負いとはいえ、油断できる相手じゃねぇぞ?」
『大丈夫。ダルアス達が与えたダメージのおかげで、今のトルディスは生命維持がやっとの状態』
「くっ……」
オルーシェの言うとおり、片腕を失い四肢の間接部を負傷しているこいつは、自慢の回復能力をもってしても立ち上がる事すらできていない。
文字通り、手も足も出ないだろう。
ただ、あの目……この期に及んで、一切敗北を認めていないように感じられる、あの目付きが気になるんだよなぁ。
「まぁ、嬢ちゃんは依頼主みたいなもんだけど……アタシは、ちょっと賛成しかねるわ」
エマリエートも『勇者』の様子に嫌なものを感じているのか、素直にオルーシェの要請に応えかねている。
多分、レオパルトがこの場にいても、俺達と同様の意見を持つだろう。
『……心配してくれて、ありがとう。だけど、そいつだけは私の手で決着をつけないと気がすまない』
口調こそは静かな物であるが、その内に秘めた感情の激しさは隠しきれていない。
それだけ、この二人の間に横たわる確執や因縁といったものは根深いんだろう。
『それに、個人的な事だけじゃなく、現在の魔導機関が何をどこまで行っているか、そういった情報も聞き出したいの』
ああ、なるほど……。
確かに、この『勇者』は魔導機関の集大成とも言える存在だろうけど、トルディスで終わりって訳じゃないよな。
別のラインで進めてる外道な研究なんかもあるだろうし、何より魔導機関の長であるバスコムとかいうジジイが健在なんだから、情報はいくらでもほしい所だろう。
『そういう訳で、そのトルディスを重要参考人として、私の前に引っ張ってきてほしい』
ふむう……まぁ、そういう事なら連れて行くのもやぶさかではないか。
一応、魔王や残りの四天王もいるし、今のこいつの状態ならそこまで危険でもないか……なんて事を考えていた、その時。
ふと、足元に転がるトルディスの野郎が、小さく震えながらか細い声を漏らした。
一瞬、泣いているのかと思ったのだが……笑ってる?
「クッ……ククク……あのガキが……オルーシェごときが、俺に対して上から目線で偉そうな口を……」
「おい、変な真似をするんじゃ……!?」
俺はそう言いかけて、『勇者』の身に現れた微妙な変化に気がついた。
何て言うか……顔付きが、妙に険しくなってきてね?
「ハハッ!フハハハハハッ!」
嘲笑から始まった『勇者』の声は、段々と大きくなっていき、今は全身を揺らしながら大笑いになっていた!
どうしたんだ、こいつ……壊れちゃったの?
危なげなトルディスの様子に、俺とエマリエートがオロオロしていたのだが……ふと、奴の奇妙な変化に気がついた。
なんか……体がでかくなってないか?
それが俺だけの気のせいではない証拠に、エマリエートも奴の様子に目を見張っている。
やがて、肉体の変化に耐えきれなかった鎧の留め具が壊れ、纏っていた鎧が勢い良く外れていく!
「ククク……まさかお前らみたいなカスのために、切り札を使う事になるとは思ってもみなかったよ……」
そんな事を言いながら、立ち上がるトルディスの見た目は大きな変化を遂げていた!
筋肉が膨張し、身体が二回り以上巨大化しただけではない!
弾けとんだ鎧の下から現れた肉体は、金属を思わせるような硬い獣毛に覆われ、指先や爪先からは、鋭い爪が伸びている!
さらに、トルディスの頭部は獣のような形状に変化していて、ズラリと並ぶ牙と縦なに走る瞳孔を爛々と輝やかせながら、俺達を見据えていた!
な、なんじゃこりゃあ!
「……魔族の一部には、『魔獣化』と呼ばれる能力を持っている奴らがいるのは知っているだろう?」
動揺する俺達に、外見とは裏腹に静かな口調で奴は問いかけてきたが……いや、知らん……。
つーか、魔族が台頭してたのは俺が死んでる間だったし……。
しかし、そんな事情を知らない俺と違い、エマリエートには心当たりがあったのか、「バカな……」と声を漏らしていた。
「アンタ、人間の『勇者』でしょう!なんで、魔族の能力を……」
「使える物は使う。それがたとえ、魔族の技能だとしてもな」
ぬぅ、なんて貪欲な奴!
オルーシェから聞いていたよりも、強さに対する執着は大きいのかもしれない。
だが……パワーアップしたとはいえ、まだ奴は手負いだ。
突け入る隙は、その辺にありそうだな……。
「ありがたく拝むがいい!これこそ、人間を超越した究極の戦闘体型、だっ!」
最後の「だっ!」というセリフと共に、失われていた奴の左腕が一瞬で生えてきた!
って、嘘だろっ!?
いままでとは桁が違いすぎる、なんつー再生能力だっ!
驚愕する俺達を眺めて自尊心が多少は回復したのか、トルディスは凶悪な笑みの形に顔を歪めた。
そして、次の瞬間!
奴の爪が俺とエマリエートを掠め、横凪に振るわれた!
その一撃は通路の壁を易々と粉砕し、文字通りの巨大な爪痕を深々と刻み付ける!
「ん?外したか……」
どうやら、トルディス自身がまだその形態に慣れていないのか、今の攻撃は単なるミスだったようだ。
だが……問題はそこじゃない!
奴の攻撃があってから一瞬遅れて、全身を駆け抜けるような悪寒が足元から沸き上がる!
それは俺だけではなく、百戦錬磨のエマリエートですら、ドロリとした冷や汗を大量に流して顔を青くしていた。
きっと、俺も骸骨兵状態でなければ、彼女と同じような反応をしていた事だろう。
それはつまり、死の恐怖!
冒険者をやっていれば、その感覚を感じた事は何度かある。
だが、ここまで絶望的にそれを認知させられたのは、初めてかもしれない。
なんせ、今の軽々と振るわれたトルディスの攻撃すら、俺達の目には見えなかったのだから。
「ふん……まぁいいか。この体の調整には……」
呟きながら、トルディスの目が明確に獲物へと向けられる。
「お前らが付き合ってくれよな!」
その言葉と同時に放たれた殺気に反応して、俺とエマリエートは反射的に動いた!
奴の顔面へ目掛け、エマリエートのバトルメイスが打ち上げ気味に振るわれ、顎をかち上げる!
同時に、俺の剣がトルディスの首を捉えた!
だがっ!
「……ククク、くすぐったいな」
エマリエートの攻撃はダメージを与えられず、俺の攻撃も獣毛に阻まれて薄皮一枚を傷つけた程度に過ぎなかった!
つーか、マジかよ!?
咄嗟の攻撃だったとはいえ、なんだこの硬いとかタフだとかを越えた、デタラメでむちゃくちゃな耐久性は!?
信じられない物を見る目を向けられ、ますますトルディスの酷薄な笑みは暗さを増していく。
その姿の通り、まるで獲物を痛ぶる獣よようだった。
「さっきまでの威勢の良さはどうしたんだ、冒険者?ビビってないで、かかってこい」
嘲笑いながら、手招きを交えて俺達を挑発するトルディス。
その舐めきった態度に、少々のムカつきを覚えないでもないが、ここは冷静に奴を観察して切り抜ける隙をうかがわなくては……。
『ダルアス……エマリエート……』
すると、その時。
不意に、俺達を呼ぶオルーシェの声が、ダンジョン内に響き渡る!
その声に一瞬、この場にいた全員がそちらに気を取られた。
『……逃げて!』
再び響き渡った彼女の声に、俺とエマリエートは弾かれるように後退しながら、トルディスに背を向けて逃走を計る!
「逃がすか、バカっ!」
当然のように、俺達を追おうとするトルディス!
だが、逃げようとする俺達の先、通路の奥から数本の矢が飛来してトルディスに着弾した!
これは……レオパルトかっ!
「ぬっ!」
爆発するような衝撃を受けていながら、やはり奴に大したダメージを与えられた様子はない。
だが、俺達を追う足は止まった!
そして、そのタイミングを見計らったように、突如ダンジョンの壁がせりだし、俺達とトルディスを隔絶する!
「ちょっと、これは……」
「ああ、オルーシェがダンジョンを操作してくれてるんだろう」
壁の向こうから、かすかに聞こえるトルディスの声を無視しつつ、俺達は時々届くオルーシェのナビゲートに従って、形の変わるダンジョン内をひた走った。
やがて、扉を開けてひとつの部屋に飛び込むと、そこには俺達を援護してくれたレオパルトが待っていた。
「よぉ、大丈夫だったか、お前ら」
「ああ……なんとかな」
「助かったよ、レオパルト」
ようやく一息つけた俺とエマリエートは、あの化け物から逃げられた安堵感も相まって、その場にへなへなと座り込む。
「お前らがそこまで消耗するってことは、変身した『勇者』は相当にヤバいんだな」
「いや、ヤバいなんてもんじゃないよ!久々に死を覚悟したわ!」
「ありゃ、何か対抗策を立てねぇと絶対に勝てんな」
冒険者をやっていれば、自分達よりも格上のモンスターと戦う事になるのもしばしばある。
場合によっては、何度か挑戦と退却を繰り返して、標的の能力を探りながら対策を立てるなんて事だってあるのだ。
それを考えれば、ほんのわずかにでも『勇者』の実力を計れたのは上出来だったと言えるだろう。
「さて、これからどうする?」
「そうだな……一旦下がって……」
今後の行動について、俺達が意見を交わそうとした時!
遠くから響く、不吉な破壊の衝撃と音が俺達の耳に届いた!
これはいったい……?
『みんな!早くその場を離れて!』
珍しく少し慌てた様子のオルーシェが、語りかけてくる。
「いったい、どんな状況なんだ?」
『あいつ……トルディスの奴、ダンジョンの壁を破壊しながら、みんなの元に一直線に向かってきてる!』
「なにぃっ!」
オルーシェの言葉に、俺達全員の声がハモった!
「んな、バカな……そんな力業、聞いたことねぇよ!」
「それに、なんでアタシらの場所がわかるのさ!?」
『たぶん、ダルアスとエマリエートの臭いを追ってきてる』
なんだってー!?
野郎、獣じみた姿になったとは思ったが、感覚器官もそこまで強化されてるのかよ!
「なるほど、とんでもない化け物だな」
直接に奴の姿を見ていないレオパルトですら、常識はずれな『勇者』の行動に冷や汗を流す。
『とにかく、対策を立てるにしても一旦私の所に帰ってきて!』
そうオルーシェが言うと同時に、部屋の片隅の床が動いて、ぽっかりと穴を開ける。
おそらく、ここを潜れば彼女達のいるマスタールームに直行できるんだろう。
『急いで!』
またも届くダンジョンの壁を破壊する音に、焦ったようなオルーシェが俺達を促す。
先にエマリエートとレオパルトが、穴に潜り姿を消す。
最後に残った俺は、チラリと振り返ると見えない『勇者』に向かって拳を突き出して、呟いた。
「待ってろよ……必ず、てめぇは倒す!」
娘同然な少女のためにそんな誓いを立てながら、俺はエマリエート達の後を追って撤退用の穴に飛び込むのだった。




