98 星眺の魔女・ソフィアトルテ
「じゃあ、仕上げだね」
山崩れによりマナの流れが受けた影響の確認と調整のため、描いた術式を発動さる。
視界が切り替わった。
「えええええ!?」
「やあ、いらっしゃい。まさかこのボクを喚ぶとはね」
「ボクっ娘!?」
「気にするのはそこかい?」
小さな庭の真ん中にある椅子に、まだ二十歳にならないくらいの、一人の赤みがかった黒髪の女性が座っている。
さすがにこれは予想外すぎた。
ただ、この人物が誰なのかだけは知っている。
「マナと魔力が豊富なところだったからね。ちょっと拝借してボクの世界を作らせてもらったよ。ようこそ、ロロナ君」
「……お初にお目にかかります。人類の守護神、星眺の魔女ソフィアトルテ様」
ソフィアトルテが苦笑した。
「仰々しいねえ……。ロロナ・リエ・ミソデミヤ・マックターゼ・アバンディア魔法候?」
「なんでそれを!?」
わたしが転生したことも知っている!?
「まあまあ、座りなよ。ボクのことはソフィアでいいよ。かわいくトルテちゃんって呼んでくれてもいいけど」
「……ありがとうございます。ソフィアトルテ様」
「えー」
ソフィアトルテがつまらなそうな声を上げる。
おどけているが、目の前にいる相手は本物の化け物だ。
いや、今は神様か。
「そうそう、深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいている。今の質問の答えはこれでいいかな」
「……え? 神がわたしを?」
魔法を使う時に、わたしをのぞいてる?
「そうとも。キミは今、人気者なんだよ。なにせ異世界の記憶を丸々持ち帰って頭の中に留めているんだからね。まあそれだけが理由でもないんだけど……キミのことをのぞき見したい者たちから、ずいぶんサービスされていただろう?」
鑑定が妙に細かいのも、やたらと本体が来ようとするのも、それが原因……!?
……もしかして、蜘蛛神様が地球っぽいデザインの服を作ったりしていたのも、わたしの記憶をのぞいていたから?
「上位存在ほど暇を持て余しているものだからね……。おっと、考えるのはあとにしたまえ。時間は有限だ」
いつの間にかティーカップを持っているソフィアトルテがお茶をすする。
「へえ。キミ、いいお茶を飲んでいるねえ……。そうそう、イリスのことありがとね。キミのような者が近くにいるならボクも安心できるよ。元々、そのお礼が言いたくて顔を出したんだ」
また、勝手に記憶を読んでいるな。
プライバシーの侵害だ。
なんかいい人っぽい雰囲気だしてるけど、恋愛のイザコザで怒ってイリスを石化させたのって、ソフィアトルテ本人だよね。
まあ、二人の間には色々ややこしい事情がありそうだし、首を突っ込むと地雷を踏み抜く未来しか見えないので余計なことは言わないでおこう。
「わたしは何もしてませんよ」
「そうかい? つい先日も世話を焼いてくれたようだけど……。ついでに、今後も世話を焼いてやってくれたまえ」
「……今のわたしはただの子供ですよ」
ソフィアがおかしそうに笑った。
「魔法使いとしてはボクより上のキミが、どの口でいうのやら」
そっくりそのままお返ししたい。
どの口が言うんだ。
「……ご冗談を。わたしはあんな石化の魔法を即興で使うような真似、どうやったってできませんよ」
「ん? ああ、それはそうだろうね。あれは、本物の『魔法』だから」
……本物?
構築した魔術によるものではなく、それ自体が……?
「……まさか、自分でマナを!?」
「そうとも。ボクは生きている時から、マナを扱えたんだよ。でないと、悪神とまともに戦いなんてできないさ」
次元が違う。
この魔女は、規格外も規格外だ。
届きはしなくても、その背中はそれほど遠くはないと自負していた。
彼女は想像していたよりも、ずっとずっと遥か彼方、雲の上の存在だ。
どうやってマナを?
どうやって神の領域に?
それとも、生まれた時からそういう存在だった?
「はずれ。元々わたしはただの人間だよ」
……今度は心を読んできた。
ソフィアトルテが真剣な顔になった。
春のような穏やかな空気が、一瞬で研ぎ澄まされた刃のような鋭さをもつ。
「魔法を極め、世界の理を解き、マナの本質をつかんだ時、その先にあるのは神の領域だよ」
すぐにソフィアトルテのまとう空気がのどかなものに戻った。
「……と、まあ、わたしがイリスのお礼にキミに言えるのはこれくらいかな」
……魔法使いとは、そこまで至れるものなのか。
伝説の魔女のあった高みを考えると目まいがする。
同時に、心が震えた。
もっともっと先があった。
偉そうにふんぞり返っていたわたしなんて、彼女に比べれば駆け出しもいいところだ。
知りたい。わたしも、その景色が見たい。
魔力すらない今の自分を考えると、とてつもない遠回りをしている。
ため息をついた。
「そんなこと言われたって、わたしは魔力も持ってないんですよ」
いかにも子供っぽい、自分でもわかるすねた声が出た。
「今のキミにとって、それは障害になりえないと思うけどね。それと、ボクには遠回りどころか、近道をしているように見えるよ。頭の固いご老体のままじゃ、千年経ってもそのままだったんじゃないかな」
また、しれっと心を読んでいるな。
かわいい顔して、やることはかわいくない人だ。
「もっと褒めてくれていいんだよ」
褒めてないです。
「さて、楽しい時間はそろそろお開きだ。今回はマナの流れに影響はないから、今のままで十分なはずだよ」
言われて、何のためにソフィアトルテの力を借りようとしたのかを思い出した。
山の、マナや魔力の流れを元に戻そうとしていたんだったな。
「最後に何かあるかい? 今のうちだよ?」
「じゃあ、サインください」
「……は?」
即答すると、ソフィアトルテの目が点になった。
この魔女の意表を突けたことになんとなく達成感を感じながら、書きやすそうな紙を渡す。
「ファンなので」
「ボク、あまり字はキレイじゃないんだけどなあ」
割と素直にソフィアトルテがサインをし始めた。
「カッコいいサインを考えてみたこととかないんですか?」
「十四才の病気はもう卒業したんだ」
一度は通ったことがある道らしい。
「えーっと、後輩魔女のロロちゃんへ。ワガママでいることが秘訣だよ。大先輩ソフィアトルテ・シフォンマドレーヌ……っと」
「何ですか、それ?」
「先輩魔女からのありがたいアドバイスさ」
「はあ……。ソフィアトルテ様の家名、おもしろいですね」
家名もあるんだな。
まあ当時は英雄だったわけだし、別におかしくはないか。
より深く知れば魔法で喚び出す時のハードルが下がるので、今度呼ぶ時に助かるな。
「カワイイだろう、自分で考えたんだ……。あっ、キミ、知らなかったんじゃないか。まさかこんな方法で神様の名前を聞き出そうなんて、なかなかやるね」
星を見て未来を読んだという逸話もあって、星眺の魔女の二つ名の方が有名な彼女は名前がほとんど伝わっていない。
わたしはソフィアトルテという名は知っていたけれど、家名については知らなかった。
「勝手に自分で書いたんじゃないですか……。それに、名前はイリス姫からそのうち聞いたと思いますよ」
「えー。そうだけどさー」
それが、その時聞いたソフィアトルテの最後の言葉になり、一瞬のめまいとともに視界が戻った。
「どうかしましたか?」
「あ、えっと。確認は終わったよ。崩れてたのは、これでもう大丈夫みたい」
ソフィアトルテと話していた時から足場や体勢が急に変わってバランスを崩しかけたので、おりんが不思議そうな顔をした。
おりんの反応的にソフィアトルテとの時間は、実際にはほんの一瞬程度のことだったらしい。
「お、そうか。じゃあさっさと帰るか……と言いたいが、今日は無理だな。そこらで野営だ」
「寒いから嫌だけど、仕方ないね」
「きゃんぷー」
全員夜目は利くので強行軍もありだけど。
ストラミネアがいるので、安全面の心配はないしどちらでも問題はない。
ソフィアトルテに言われたことについて、ついつい色々と考えてしまい、次の日は寝不足気味で帰ることになってしまったのだった。
家に帰るまでを追記しました。




