82 フラレリーニと愛の奇跡
わたしの右手の指先は、石化してしまっていた。
「えっ!? もう呪いが反転し始めてる!」
「ど、どうしましょう」
思ったより猶予は全然なかったらしい。
むしろ、術式が歪んでいたからこそ、アルドメトスがこの像の違和感に気付けたのかもしれない。
「ロロちゃん、大丈夫!?」
「痛くはないけど……解析して止める暇はないから、とりあえず王都の外に運ぼう」
無事な左手で慌てて魔石を取り出して握る。
地属性魔術で台座ごと像を動かして王都の外を目指すことにしよう。
しかし、人がいないところってどれくらい運べばいいんだろうな。
差し出した左手の先で、魔術が発動する代わりに、タイルの割れるような音が再び鳴って、魔石を落とした。
左手が、手首まで石に変わってしまっていた。
「げっ」
乙女にあるまじき声を出すと、指先だけ石化している右手でなんとか魔石を拾い直して距離をとった。
像の足元から石化が広がり始めていた。
慌てて呪い避けの結界を張った。
「おりん! ピン打ち! ストラミネアを呼んで!」
おりんが連続して探知魔術を使った。魔力があると弦を弾くような音が聞こえるので俗にそう呼ばれている。
王都中の魔力持ちを叩き起こしてしまうかもしれないけれど、そんなことを言っている場合でもない。
石畳の色が代わり、広場を彩っていた花が石化していく。
「こ、これ……どうなるの!?」
フィフィが石になった花を見つめたまま呆然としている。
「呪いの強さ的に、このままだと王都が丸ごと石になるかも!」
「ウソでしょ!?」
「この愛にウソはなくどこまでも本物だとも。ああ、我が愛しの君の前には、緑に生い茂る木々さえもまるで色の無い彫刻のようだ」
いつの間にか戻ってきたフラレリーニが歌うようにつぶやきながら、ちょうど結界の範囲に入りこんできた。
あと色の無い彫刻は本当にそうなってるからだ。
「この人、像の下に一晩いたのに平気なの?」
フィフィが不思議なモノを見るような目をフラレリーニに向ける。
「まだ呪いが反転してなかったからじゃ?」
「いえ、この人よく見たら足が石化してますよ」
千鳥足の原因はそれか!
「我が愛の前には全てが些細なこと。知っているかね、私がいつも愛する者に捧げるこの花の花言葉を……」
「知りません!」
「まあ、私もさっき店で聞いて知ったんだがね」
「自分も知らなかったんじゃん! あと、わたしは婚約者いるから!」
「先ほどから、君は何を言っているのかね」
フラレリーニとフィフィについては放っておくことにしたらしく、おりんが心配そうにわたしの石化した手に目を落とした。
「その手、元に戻りますかね」
「伝承通りならおりんの愛で治るかもね」
「あ、あい……!?」
今は手の石化は後回しだ。さすがに複合魔法だけあって耐呪結界だけでは完全に防ぎ切れてない。
結界内でもじわじわと石化が進行してきている。
「チアの愛は?」
「ありがと。チアも愛してるよ」
「そう、愛だ! 君はこの私の奏でる愛のささやきに心を奪われてしまったのか。なんと罪深き、我が魂の輝き!」
チアが鼻をつまんだ。
「この人、しゃべるとお酒くさい」
「外に捨てて石にしちゃえば」
フィフィがさらっとフラレリーニを捨てようとしている。
その時、異常に気付いたストラミネアが文字通り飛んできた。
「ストラミネア、この像をできるだけ遠くへ!」
事情を伝えるのももどかしく、それだけ伝える。
ストラミネアの現身は石化する心配はない。
本体は屋敷にあるので、彼女は石化するまでまだしばらく時間があるだろう。
ストラミネアが空中をすべるように像へ向かうが、見えない壁に阻まれているかのように途中で近付けなくなった。
「魔力濃度が異常に高くて近づけません。破壊してしまうかもしれませんが、吹き飛ば」
「やるにゃ!!」
ストラミネアにおりんが食い気味に指示を出した。
石化の速度が上がり、影響範囲を拡大していく。
広場に面した店が石化を始めている。昨日入った軽食屋が石に変わっていく。
呪いが反転しているせいで、辺りの石化と引き換えに像の女性の石化が解け始めているようだ。
髪の一部の石化が解けて、金色の髪先が風になびいた。
ストラミネアが魔術で風を起こすと、結界内以外の周囲の地面が同時にきしむ。
「この石、全部つながってる!」
ストラミネアが即座に台座ごとかち上げるように下から風刃を放った。
真横に放てば周囲の家が住民ごと真っ二つになるからだろう。
轟音を響かせて、台座が半分えぐれた。
「硬いですね」
本気で撃ち込んだのだろう。むっとした表情のストラミネアからは、苛立った様子が伝わってくる。
実体があれば舌打ちくらいしたかもしれない。
石化した人間を数百年単位で欠けもせずに完璧に保っていたのだ。魔法で保護されたその頑強さは、さっき魔神の眼で見た時に知っている。
むしろ一撃で台座を半壊させたストラミネアの方が異常なのだ。
もう、見える範囲では結界を張っているわたしたちを残してほとんど石へと変わってしまっている。
一つ向こうの広場で犬を連れた老人が石の彫像へと変わったのを見て、フィフィが息を呑んだ。
見えないところでも、すでに石に変わってしまっている人間が間違いなくいるだろう。
手の中の魔石に小さなヒビが入った。
このままでは魔石がもたない。結界が壊れて四つの美少女像酔っ払い付きが誕生してしまう。
「へー、ふきのまへき、ふきのまへき……」
手の中の魔石を口にくわえて、カバンの中を石に変わった指先でまさぐる。
石化が更に進んでいて魔石がうまくつかめない。
この魔法鞄はわたしの作った固有空間につながっているので、中から物を取り出せるのはわたしだけだ。
「月明りを求める女性たちに、太陽のごとき私の愛はまばゆすぎるのだろうか。伝わらぬ想いに、今まで何度、星の下で涙を流し、酒とともに夜を明かしたことか」
「……つまり、いつも酔っぱらって外で寝てるってこと?」
「ロクデナシだね」
フラレリーニの話をフィフィとチアが身も蓋もなく切り捨てる。
「だが、ついに真実の愛を見つけたのだ。私をいつも微笑んで見守ってくれていた彼女を……ああ、今胸の中でグンカンドリたちが一斉にノドを鳴らしている!」
「もう少しロマンチックな表現ないのかしら」
「胸の中でアザラシたちが水しぶきを浴びせ合っている!」
「言い直してる! それにもっと変になってる!」
「……なんか向こうは楽しそうですね」
騒いでいるフラレリーニたちにおりんが感想を漏らす。
ひょっとしなくてもあきれているのかもしれない。
「我が愛を今あなたへ捧げよう!」
「あ、ばか!」
止める間もなく、半分石化した足にしては異常な勢いで後ろからフラレリーニが飛び出した。
次の一撃を放とうとしたストラミネアをさえぎるように酔っぱらいが宙に舞う。
空中で石へと変わりながら、半分石と化した花束を、腕と体の間に挟み込むようにして、たしかにその石像へと渡したのだった。
「そっち!?」
重い音を立てて、空中で石像と化したフラレリーニが地面へと落下する。
わたしの方はようやく魔石を取り出したけれど、新たに術式を走らせる前に口の中の魔石が砕けて結界が壊れた。
足元から石化の波が押し寄せてくる。
「まだ結婚してないのに石になるなんていやー!」
「せめて、ロロちゃんとおやすみのチューを……うー、足が動かない!」
パニクっているフィフィとチアが騒いでいる。
「おりんは精霊になっちゃえばなんとかなるんじゃない?」
「依代がなければ長期間の存在維持は難しいんじゃないかと」
もう体は半分石になっている。
どうしようもないのと、チアとフィフィが横でわかりやすくパニクっているので、わたしたちは逆に冷静になれている。
それにわたしに関して言えば、転生したことがあるので時間を飛ぶのは二度目だ。
これ、起きたら今度は何百年後になってるんだろうな。
そして、変化は急激に起こった。
辺りに響き続けていた石のひび割れるような音が止まると、石化が急速に解けて、反転していた呪いが像へと収束していく。
石化の解けていた女性像の髪が元の石へと戻った。
「石が戻ってる!?」
気付いたフィフィが驚いて叫び声をあげる。
言っていることは完全に酔っ払いのたわごとだけど、フラレリーニの想いは本物だったらしい。
周囲の石化がすべて解除された次の瞬間、像の表面が砕け散った。
「相手があれで本当にいいの!? 考え直した方が……」
フィフィがなんか言っているけれど、解呪の条件を満たしただけで、本人の好みとかはこの場合関係ない。
あと、今の状況で言うべきセリフはそれなの?
美しい女性が像の中から現れて、ちょうど石化の解けたフラレリーニの上に落っこちてきた。
酔っ払いの愛が古代の呪いに打ち勝った、奇跡の瞬間だった。