66 サリシアの花
予定と大幅に違ったけど、無事にモルザ海トカゲは退治された。
あまり海が魔物の血で汚れるのも心配になるので、さっさと回収した方がいいだろう。
「チア、おりん、一番乗りだよ!」
「お、おい。ここで脱ぐやつがあるかね」
魔術師長が、服を脱ぎ始めたわたしたちに慌てた声を出した。
服の下にはすでに水着を着ているので、心配無用だ。
「最初から着ていたのか……どれだけ気が早いんだ」
最初から、海トカゲを倒すつもり満々だったからね。
一度は仕切り直しかとあきらめかけたけど、魔術師長が来てくれて、町の人を守るのをお願いできたので助かった。
水着とカバン、風精霊の靴だけになり、海に向かって走っていく。
そのまま海の上をすべっていき、モルザ海トカゲを固有空間に回収した。
後ろからやってきたチアと手をつなぐと、今度こそ海の中へ飛び込んだ。そのすぐ後ろでおりんも海中に入る。
水中で呼吸をする魔術があるのだけど、チアはもちろん使えないし、わたしも使うには魔石がいる。
それならば、と水中ではチアを魔石代わりにさせてもらって二人で行動することにしていた。
もともと見物半分だったので、わざわざそのための魔道具を作ってまで必死に採るのも……と思ったのもある。
おりんについては自分で使えるので、そちらは心配ない。
上から見た時にも感じていたけれど、水は透明度が高くきれいだ。
ラムネ色の海の中は、潜ると遠くまでよく見えた。
魚はみんな気絶して海面に浮かんでいるので、水中には一匹もいない。なんだか、時間が止まっているみたいだ。
サリシアの花は、白い花に深緑色の葉の、大きいが地味な花だと聞いていた。
でも、実際に海の中に広がっていた光景はまったく違うものだった。
海底には、サルビアによく似た外見の、ガラス細工めいた不思議な質感を持つサリシアの花の花畑がどこまでも続いていた。
サルビアよりは余程大きく、高さはわたしの肩くらいまでありそうだ。
花のほとんどは紫がかった青色で、場所によって花びらの根本から先へ白から青へグラデーションになっているものや、白と青の花を咲かせているもの、真っ白のものもいくらかはあった。
縦に連なったその青紫の花、その葉のすべてが日の光を反射して宝石のような輝きを放っている。
アメジスト色に輝く無数の花の庭園は、海の底だというのがウソみたいだ。
――きれい。
それだけしか言葉が出てこなかった。
呆然として見惚れている横で、手をつないでいたチアが、今はわたしに抱きついて花畑を指差して興奮している。
しばらくすると気絶していた魚たちが目を覚まし、海面から海中へと戻ってきた。
ようやく、海の中らしい景色になってきた。
静かな庭園から、今度は花の間を魚たちが泳ぎ回る賑やかな花畑に変わっていく。
これはこれで、いつまでも見ていられそうだ。
おりんに肩を叩かれて我に返った。
下を指差して下りていったおりんに続いて、わたしとチアも底の方に向かう。
おりんは白い方を採ってくるとジェスチャーして離れていった。
チアに持ってもらった青紫のサリシア塩花をナイフで刈り取る。
とりあえず一束だけ採って海面にあがった。
少し離れたところに顔を出したおりんもやって来た。
「ロロちゃん、すごい! すごいよ! チア、あんなきれいなの初めて見た!!」
「うん! わたしもこんな景色が見れるなんて、思ってもなかった!」
「すごいです! 大陸の西に、こんな素敵なところがあったなんて!」
こんなガラスのような宝石のような不思議な花は、初めて見た。
チアも、おりんも興奮している。わたしももちろん大興奮だ。
「ねえ、ロロちゃんは、こういうすごいのを見たかったんだね」
「……うん、そうだよ」
ずっとずっと見てみたかった。
おとぎ話のような不思議な景色たち。
「まだまだたくさん、いろんなものを見に行こうね」
「うん、次はミネアちゃんも」
「ストラミネアはちょっと感覚ズレてるから、どうかなあ……」
あの子は精霊だし、わりと感性が違うからな……。
無感動に景色を眺めるストラミネアが、容易に想像できた。
「これ、とりあえず見せてこようか」
花の色が聞いていた話と違ったので、ひとまず魔術師長に見せにいくことにした。
おそらく例年通りだろう白い花は、硬めながらも普通の花の範囲だと思う。葉も深緑色だ。
青い花については、内部に貯蔵したものにより花自体も結晶化を起こしているのか、別の現象が起きているのか。気になる点はあるけれど、その辺りについては、今は後回しだ。
「潜ったままで、なかなか上がってこないから心配したぞ」
「すみません。あんまりきれいだったから……花の色が聞いていたのと違っていて、ちょっと見てもらえますか?」
海の様子を見にきていた町の人たちは、みんないなくなっている。
採集の準備のために一度帰ったんだろう。
残っているのは、魔術師長たちだけだ。
「こういう色になることもあるんですか?」
わたしたちは、青紫と、青と白のグラデーション、それから真っ白のサルビアの花を差し出した。
陸に上がったら色が変わるのかと思ったけど、葉や茎もエメラルド色のままだ。
「なっ、青い!? 茎も、なんだこれは!?」
魔術師長と、商人さんたちが驚きの声をあげた。
「見える限り、ほとんどがこんな感じでしたよ」
「いや、こんな色の花が咲いたのは初めてだ。茎や葉も色が違うようだし、ちょっと味をみてみたい。代金は報酬にのせておくから少し分けてくれ」
「ええ、どうぞ」
わたしたちだと元々の味を知らないので、比較ができない。
魔術師長がいくつかの花や葉を取り、商人や息子さんに分けて一緒に味見を始めた。
「白い花はいつもと同じ味だな。青い方は……」
「わたしたちも味見してみよっか」
おりんとチアを誘い、まずは白い花から一つ取って味見してみる。
サルビアのような花は、先が閉じている。
花びらを裂くと、白い花の中には、サリシアの花真珠と呼ばれている小さな白い粒が入っていた。別に、真珠のような光沢はない。単純な外見ではなく、貴重さや人気からついた呼び名なんだろう。
「あ、少し甘いね」
口に入れるとふわりと溶けて、わずかな甘さと爽やかな酸味が通り過ぎ、それから最後にほんのわずかな塩味が浮かんできた。
「わ、おいしー」
「こんな感じなんですね」
さて、次は何が出るかお楽しみの青い花だ。
「……硬っ」
指で裂こうとしたが、花自体が硬すぎて無理だ。
仕方ないので折り取った。
折った花を噛んでみる。
食感は違うけど、桜の花びらを爽やかにしたような味がする。
花の中にあったのは、透明感のある、花よりも薄い色の結晶だった。
アクアマリンみたい。海の色だな。
「花真珠じゃなくて、花宝石……違うな。花結晶って感じだね」
「たしかに。真珠と呼ぶには無理があるな」
おりんとチアに言ったつもりが、魔術師長が反応した。
こちらは、口に入れると最初にシュワッとした感覚があり、それからゆっくりと溶けながら、はっきりとした甘さを感じさせた。酸味や最後の塩味はあまり変わらない。
お、これはおもしろいな。
初めて見たと魔術師長が言う青いサリシアの花は、見た目だけでなく味もまったく違うようだった。