55 執事サミュエル
隣の屋敷の執事さん視点です。
飛ばしていただいても問題ないお話になります
「すみませーん」
ノッカーの音が微かに響き、屋敷に来て二年目の下男の少年、ルークが私を呼びに来た。
来客には失礼があってはならない。追い返すにしても、主人に案内するにしても、対応は私の仕事になる。
玄関に向かいドアを開くと、花柄の模様の入った給仕服に身を包んだ三人の少女。そのうちの二人は獣人だ。
新しく、洒落た異国風のカフェでもできるのだろうか。
「隣の使用人の離れに引っ越してきまして……まだまだ屋敷の準備は整っていないのですが、ごあいさつに伺いました」
「おや、それはどうも」
隣の屋敷は下級貴族の区画にあるのに、二区画分近い広さというちぐはぐさで、ここ数年は誰も住んでいなかった。久し振りに住人が来たらしい。
メイドの服は、使用人と分かるよう地味なのが一般的だが、三人ともかわいらしい格好をしている。主人の趣味なのだろうか。
確かに三人とも見目麗しい少女ではあるが……貴族は獣人をメイドとして屋敷に雇ったりはしない。
目につかないところで働く下働きにしたとしても、屋敷には裏口からこっそりと入らせる。
誰かに見つかれば、尻尾付きが出入りしていると陰口を叩かれるのが常だ。
安く使える獣人を屋敷で働かせるような貴族は、財政的に厳しく、余裕がないと言っているも同然だからだ。
見目のいい獣人や子供を使用人のように使い、このような服を着せるとなると、余程の変わり者なのは間違いない。
……もしや情婦として置いているのだろうか。
二人は未成年に見えるし、三人とも自分の子供たちよりも幼い年だ。
腹の中で黒い感情が持ち上がるが、顔には出さない。
よく見れば、服はデザインだけでなく生地もいい物のようだし、三人とも礼儀を知っている。
そのような立場だとしても、奴隷のような扱いを受けているわけではなさそうだ。
自分は一介の執事に過ぎない。これ以上、深入りは避けた方がいいだろう。
頭を切り替えた。
「ちょっとした贈り物がございますので、よろしくお伝えください」
代表して挨拶をした銀髪の獣人が頭を下げた。
栗色の髪の娘から、きれいに包装された小さな箱を受け取る。
「ほう、これはご丁寧に……ふむ。あなた方は王都は初めてですかな?」
「はい。立ち寄ったことはありますけど、住むのは初めてです」
「なるほど、なるほど」
昔王都に来たばかりの頃、お使いの帰りに、つい一杯だけ、と立ち寄った店で、街の酔っぱらいに声をかけられたことがある。
まだ王都に馴染めていない私は、その酔っ払いから見てもわかる程度には田舎者だったのだろう。
どこにでもある言葉だが、初めての王都の暮らしに戸惑うことばかりだった私は、不思議とほんの少しだけこの街に受け入れられたような気がした。
男の野太い声が、頭の中に思い出される。
‘’ようこそ、俺たちの王都へ! シケた面をした若僧、この街はお前を歓迎するぞ!!‘’
そう言って、冒険者風の男は大口を開けて豪快に笑い、運ばれてきた自分の酒に強引に乾杯していった。
今なら分かるが、おそらくは名のある冒険者だったのだろう。冒険者にしては、かなりよい身なりをしていた。
「では、僭越ながらこの街を代表して。王都へようこそ、この街はあなた方を歓迎します」
三つの花が咲いた。
「では、失礼します」
頭を下げてから去っていく三人の後ろ姿を見送り、主人に報告に向かうために振り向き、ため息をついた。
「ルーク、次の仕事にかかる前に、その顔をなんとかしておきなさい」
そこには、ほうけた顔で閉まったドアを見つめる下男の姿があった。
受け取った贈り物を主人に了承を得て開封した。花の絵があしらわれた蓋を開けると、中には白と茶色、黒の滑らかな四角が区切られた中に上品に並べられている。
「見たことはないが菓子のようだな……サミュエル、知ってるか?」
「いえ、存じません。香りはいかにも甘そうですが……何か薬草のような匂いもしますね」
主人が嫌な顔をした。
「黒いのは甘草でも入っているんじゃないだろうな。どれか試してみてくれ」
「承知しました」
一番手前にあった白い物を手に取り、端を折るとあっさり割れる。そのまま口に含むと、舌の上で溶けた。
「ほう、これは……お口に合うのではないかと思います。甘く味付けされたバター……のようですが」
彼の主人は甘い物に目がない。下級貴族の経済状況的に、それ程口に入る機会はないのだが。
それを聞いて、主人は白、茶、黒と順番に手を伸ばした。
一つ口にいれるたびに目を輝かしている。
「なるほど、これはうまい。黒いものほど苦くて甘くないわけだな。白いのが一番甘かった。黒いのも苦味があるが、不味くはないぞ。甘いのが苦手な者……サミュエルなんかはこちらの方が好みだろうな」
そこまで言って、主人が振り向いた。
「と、いうわけだ。残りは食べていいぞ。ああ、紅茶を淹れてからにするといい」
奥様と二人のご息女が大喜びで駆け寄ってくる。
主人は甘いものに目がないが、それ以上に奥様と娘たちの喜ぶ姿に弱いのだ。
そこでふと思い立ち、ルークと一緒にこの屋敷に入った二年目のメイド見習い、ジニーに言いつけた。
「ジニー、うちとリンドムル子爵の所はよいのですが、裏のドラードフ伯爵は領地にお帰りになっていることを伝えてきなさい。今、こちらを手土産にするのは不向きでしょう」
もちろん無人ということはなく、取り仕切る使用人たちが居て、屋敷を維持管理している。
しかし、食べ物ならよほど日持ちするものでなければ今渡しても伯爵には届かない。他の物にするか、伯爵が社交シーズンなどで王都に滞在している時に訪問したほうがよいだろう。
それから、普段なら言わない言葉を付け加えた。
「隣家の使用人の子たちは、王都は初めてだそうです。困り事があるなら、相談にのってあげなさい」
そこで手の中に残っている、割れた白いかけらの存在を思い出した。
「……それと、少し割ってはあるがいりますか? 私は甘いものはあまり得意ではないのでね」
白い菓子の残りを受け取るとジニーが早足で部屋から退出し、一度柱の影に入ると口の中に放り込んだらしい、スキップしながら出ていく。
めったにないことだからと、大目に見てやった。
ジニーはそれからすぐに隣の三人と友人関係を築いたようだ。
年の近い女の子同士話が合ったのだろう。休みの日に訪ねて、一緒にお茶をしたり食事をしたりしている。
そして、隣家の主人は精霊使いである女性だということや、日国かぶれであること、三人を妹のように可愛がっているらしいということをジニーから聞き、私はようやく胸を撫で下ろしたのだった。
「あの子たちを心配していたみたいだったから、特別ですよ。精霊使いとか、秘密ですからね」
どうやら見抜かれていたようだ。
私もまだまだ修行が足りないらしい。