3 魔法爺と現代女と獣人少女
最近、もう夢は見なくなっていた。
わたしは六才になった頃から少し前まで、眠るたびに夢を見ていた。
それが自分の記憶だと気づいたのは、いつからだっただろう。
最初は対岸の風景を見ているようだった。
それは、やがて懐かしさを伴い、そして少しずつ自分が誰なのか思い出していった。
過去の自分に飲み込まれるという、恐怖のようなものはなかった。
ぬるま湯にゆったりと浸るような感覚だった。
全ての記憶を思い出し、全てが混じりあい、全てが自分なのだと納得できた。
自分は獣人のロロナだった。
そしてマックターゼ・アバンディア魔法候で、現代日本の御袖宮りえだった。
夢で見た最後の記憶が、魔法候と呼ばれた老人の、晩年の記憶でなかったことはある意味では幸いだったかもしれない。
魔道を駆使して三百年、国に育ててもらった恩義に応えようと働き続けた末に、影響が大きくなりすぎたのか、疎まれ冷遇されるようになった。
ならば隠居して、第二の人生は世界中の国々を訪れ、書物で読み、物語で聞き、憧れていた冒険の旅に出ようと考えた。
そう思っていたら、今度は国を出るのを全力で止められてしまった。
居ればそれだけで抑えになるなどと、好き勝手な言い分には今思い出してもむかっ腹が立つ。
そして、わたしは転生したのだ。
誤算だったのは、魂が異世界へ渡ってしまったことだ。
記憶は魂から世界へ還るものだ。
転生のために、他所に記憶を一時保存しておき、取り戻す魔法を作り出した。
記憶を洗い流された魂は、何も覚えていない。
しかし魂にまで刻まれた愛するものを、人は求め続ける。
それは技術だったり、強さだったり、権力だったり、色々だ。
そして、魂は異なる世界を行き来することで、互いに変化をもたらしていく。
どうやら異世界転生を引き当てたらしい、わたしこと、元魔法候の魂は、一人の女性として生を受けた。
異世界なので、記憶を取り戻す魔法はもちろん発動しなかった。
二十数年ほど生きたその女性は、地球と呼ばれる世界の、日本と呼ばれる国で不慮の事故によりその短い一生を終えることとなる。
そして、本来あるべき元の世界へと戻ってきたわたしの魂から、女性の記憶が世界へ還る前に魔法が発動してしまったらしい。
わずかな時間の中で、可能な限り記憶は魂から転写され、しっかりと記録されてしまったのだった。
◇ ◇ ◇
朝起きると、栗色の髪の毛が視界を埋めていた。
邪魔な髪を払うと、わたしの鼻先にあった可愛らしい寝顔が下から現れる。
まとわりついている髪を引っ張らないように気を付けながら身を起こした。
少し早かったようで、他のみんなもまだ眠っている。
頭を撫でると、ベッドに潜り込んでいた栗毛の持ち主がふにゅふにゅ言いながら目をこする。
「おはよう、チア」
「ロロちゃんおはよ……」
寒くなると一緒に寝たがる同い年の妹分、チアことチランジアは、まだひんやりしている空気を嫌ったのかそのままひっついてきた。
膝枕のような体勢になって、もう一度眠ろうとするチランジアの頭を撫でながら、うとうとする。
しばらくすると、太ももから虫が這うような感触がした。
口元から垂れたヨダレが、わたしの太ももをゆっくりと伝っている。
わたしは無言でチランジアの頭をベッドに投げおろした。
その日から、外には出れなくなっていた。
「おっちゃん、どしたの?」
「お兄さん、な。昨日複数の冒険者のパーティーからも報告があってな、どうも山からクマが降りてきているみたいだ」
山を縄張りにするクマの魔物が、秋に不作で食い貯めできなかったせいで、腹を空かせて森へと下りてきたそうだ。
そして、クマのせいで森に住む動物や魔物が森の浅い所へ追いやられた結果、牙ウサギが町の近くまで来てしまっていたというわけだ。
冒険者を集めてクマ狩りが行われる間は外に出れないと言われてしまった。
でも、わたしにとってはちょうどいい。
明日は一緒に採集に出ていたルーンベルが十歳になる日だ。
……まあ、彼女も捨て子なので、本当に生まれた日は分からないのだけど。
ともかく、わたしはルーンベルに誕生日プレゼントがあるのだ。