24 スタンピードと風の探索者(3)
(ヴィヴィ視点です。少し時間戻ります)
「けが人はいない?」
「あ……ああ、おかげさまでね」
突然現れて、自分たちが手も足も出なかったツーヘッドグリフォンをあっさりと撃破した銀髪の狼人の少女に、あぜんとしながらも、なんとか返事をした。
西の山に獣人たちの村があるのは知っている。
……村の宝でも持ち出したお姫様、というところかね。
興味がなく知らなかっただけで、元は案外れっきとした出どころの獣人たちだったのだろうか。
マイペースなタイラーは、普通に助けてもらった礼を伝えている。
少女の異常な武器についてはさして気にしていないらしく、まるで近所の子供へ声をかけるような気軽さである。
よくも悪くも、深く考えないやつだ。
キセロは、考えるのを諦めたのか、タイラーにあきれているのか、肩をすくめてみせてきた。
子供に振り回させていることはともかく、ツーヘッドグリフォンを打ち倒せる魔剣や魔道具となれば、防衛戦で非常に有用だ。
彼らの安全も考えると、獣人の村の者たち丸ごとジェノベゼに避難させる方向に話を持っていければ理想的だろう。
魔物の暴走について知っていることを話すと、ロロナはまさかの問いかけをしてきた。
「それで、炭焼小屋の洞窟から離れないのは、なんでなのか分かる?」
一言もそんなことは言っていないのに。
勢いで飛び出してきたわけじゃない。この娘、ある程度状況を分かっているようだ。
「魔物が少しずつ洞窟から離れ始めてるね」
話の途中で、突然更なる爆弾を投下してきた。
ゴブリンライダーズを追いかけてきたワイバーンや、先程のツーヘッドグリフォンは、例外ではなかったのか。
そして、なぜそれを知っている。
なぜわかるのかをロロナは答えなかった。
だが、それはいい。
今大事なのは手段ではなく、得られた情報の内容だ。
どんな魔物がいるのか聞いてみるが、要領を得ない。
やっていることはまるで超級の魔法使いなのに、返ってくる言葉は年相応の子供だ。
「具体的にどんなモンスターがいるのか、対策のためにもジェノベゼのギルドに報告がしたいんだがわかるか?」
キセロが意図を説明して、ようやくこちらの知りたいことが伝わったようだ。
Sランク相当の魔物が多数と言う言葉に戦慄したところで、ロロが動きを止めた。
魔物について何かしらの手段で探っているのだろうか。
そのまましばらく待っていると、ロロはあごに手を当ててひとしきり唸ってからあっけらかんと言い放った。
「これから、まとめて全部倒しちゃうから。急いで準備するから、邪魔しないでね」
かばんに手を入れ、明らかに入らないサイズの杖を中から取り出す。
空間拡張魔法を施された魔法の鞄だったようだ。
そういえば、驚きすぎて忘れていたが、たしかにツーヘッドグリフォンもしまっていた。かなりの容量らしい。
ロロが取り出した杖は、一言で言うと常軌を逸していた。
その杖に飾られる魔石は、明らかにドラゴンクラスだ。それが、十を越えてはめ込まれている。
巨大な魔石がふんだんに使われているだけあって、ミスリルで出来ていると思しき杖は大きく、ロロの背丈を越えていた。
タイラーもさすがに口を開いたまま固まっている。
水竜の魔石が一つあれば、砂漠に水の豊かな町を作ることだって出来る。討ち取った地竜の魔石を使い魔法で造り上げられた砦は、一夜で完成したというのに未だにその頑強さで名を馳せている。
火竜の魔石を用いれば、万の軍勢を焼き殺し、風竜の魔石を用いれば、堅牢な城も瞬く間に瓦礫に変わる。
戦略的な兵器にもなり、国家百年の礎にさえなりうる。そういう代物なのだ。
しかし、それをこれだけ集めても、今回の魔物どもを倒し切ることはかなわないだろう。
Sランクとして扱われる魔物たちというのも、つまりはそういう存在だ。
「杖の術式、わかるか?」
キセロが小声で問いかけてくる。もっとも、声を潜めるまでもなく、もうロロには一切の声が聞こえていないようだが。
「杖に彫ってある術式に、魔石の魔力を循環させるためのものがあるってこと程度だね」
準備をすると言ったロロがどう保存されていたのかもわからないコア部分の術式を展開すると、恐ろしい速さでそれを編纂し始めた。
杖に秘められていた術式は、とてつもなく巨大で、あり得ないほどに複雑で、どこまでも精緻で美しかった。
そして、それを丸きり知り尽くしているように、一切迷い無くロロが描き換えていく。
術式は更に複雑さを増していき、一方で単純になったりする部分もあったりと、目まぐるしくその姿を変えていった。
獣人の子供? 村の姫様?
冗談じゃない。この子は、そんなものじゃない。
作業に集中できるように、タイラーに馬車を止めさせる。
二人は、気付いていない。
むしろロロは三人とも何をやっているのかわからないと思っているからこそ、遠慮無く作業に没頭しているのだろう。
冒険者の魔術師は、呪文を用いた魔術しか知らないのが普通だ。自分のように術式をかじった程度とはいえ、理解しているような者は稀なのだ。
この子はきっと獣人の子供に降りてきた神様だ。
こんなのは、人の域を超えている。
昔、一度だけ本物の魔法の術式を見せてもらったことがある。
当時はその幾何学的な美しさに感動したものだが、今のこれに比べればまるで子供の落描きだ。
魔物の咆哮が遠くから聞こえた。
銀色の毛に包まれたロロの耳がピクリと動いたが、術式の描き換えに乱れは見られない。
しばらくして、ようやく作業を終えたらしいロロが荷台からぴょんとかわいらしく飛び降りる。
そして、地面に着地すると、その恐るべき杖を大地へと突き立てた。
杖を地面に突き立てたロロは、一つ息をつくと、すぐに詠唱を始めた。
詠唱と並行して更に術式に細かい修正を加えている。
ここまでくると、もはや気味が悪い。
迫ってくる魔物たちを、ロロは意に介さない。
溶岩巨人も、グリフォンも、アダマンタイトリザードでさえ、視界の端で捕らえるだけで済ませて詠唱を続ける。
一瞬でこちらを死体に変えられる魔物どもがすでに見えていて、すぐそこまで近づいて来ているというのに、すさまじい胆力と集中力だ。
「……竜王バハムート、みんなを護って!」
ロロの杖が、魔石ごと砕け散った。
竜王!
ロロは、竜王のドラゴンブレスを喚んだのだ!
それならば、全てを倒せなくとも、少なくともこの場は切り抜けられるはずだ。
あとはジェノベゼまで逃げ切り、騎士団が勢ぞろいするまで耐えられれば……
思考はそこで止まった。
天が割れ、見えたその姿。
空を覆い尽くす、白銀の竜。
喚び出されたのは、存在そのものだった。
「ほへ?」
ロロの間の抜けた声が、静まった世界にやけに響いた。
端から端までを視界に収めることができない、その存在を、ただただぽかんと見上げる。
呆気にとられているのは、魔物も同じらしい。空を見上げたまま動きを止めている。
どこまで続いているのか見当もつかない巨大な結界が展開されると、ドラゴンブレスが視界の全てを埋めた。
情けなく尻もちをついたまま、苦しくなって、ようやく自分が息をするのを忘れていることに気がついた。
キセロもタイラーも、硬直したまま、すでに何者もいなくなった空を見上げている。
馬はひっくり返って泡を吹いていた。無理もない。
目の前には、どこまでも平らになった大地が続いている。
もちろん、魔物の姿はどこにも見えない。
それを、この事態を引き起こした張本人は、「あー、びっくりした」の一言で片付けたらしい。
「あんなものにお目にかかれるなんて、長生きはするもんだねぇ……」
寿命も縮んだ気がしたが。
ロロと別れた後、しばらくして起きた馬とともにジェノベゼを目指す。
先ほどの竜王は王都からでさえ見えただろう。
どれだけ騒ぎになっているか、想像もつかない。
「わしらが倒したワイバーンも、灰になってしまったのう」
「そういえばそうだな。ヴィヴィ、ツケはしばらくそのままだ」
「店も更地だろうねぇ」
生きていただけ幸運なのだが、我に返って、先のことを考えると少々頭が痛い。
もう少し若ければ、この身一つでなんとでもなる自信があったのだが。
「しかし、あの嬢ちゃん、結局何者だったんだ?」
「獣人のお宝を持った、お姫様とかじゃろう?」
「……いや、あの子がやっていた、あの『杖の準備』はね、普通の人間にできることじゃない。あの子は獣人の子供に化けた、何かとんでもないものだよ」
「とんでもないもの?」
「神に連なる何か……私はハイエルフじゃないかと思ってる」
「ハイエルフ……!」
よく考えれば、最初から少しおかしかった。
魔物の群れが見えたから、倒しに来た、と言ったのだ、あの娘は。
最初から全ての魔物を殲滅できる自信があって、実際にそれをやってのけたのだ。
「でもあの嬢ちゃん、中身は普通の子供っぽかったぞ」
「ハイエルフだって子供くらいいるじゃろう…………ん?」
ロロについての話は、そこで途切れた。
こちらに向かってくる人影が見えたからだ。
「おい、あれって……」
多分のあきれと、ほんの少しの驚きを含んだ声を出して、キセロが道の先を指差す。
「何をやってるんだい、あいつは……」
兜と大盾を背中に担ぎ、剣を吊り下げ、鎧を着込んだ元・パーティーメンバーの最後の一人、ブラスがこちらへと走ってくるのが見えた。
「おーい! ブラスー!」
「おー、お前ら無事だったかー!」
タイラーが呼ぶと、こちらに気付いたのかブラスは走るのをやめて叫び返した。
「お前、何だってこんなところにおるんじゃ」
「洞窟にグリフォンが出て、冒険者たちが逃げてきたって聞いてな。それなのに、お前らを探しに行っても一人もいない。詳しく聞いたら殿を引き受けたと言うじゃねえか。慌ててやってきたところだ」
この男は、先ほどの竜王を見た上で、それでもこちらに向かってきたわけだ。
そんな行動に出るのは、勇者か馬鹿かだが、こいつは絶対に後者の方だ。
「門兵に止められなかったのか?」
「まだ逃げてきた連中が町に入ってきているところを、すり抜けて来たからな」
「さっきの竜は見たか?」
「もちろん見えたぞ」
当然だろうという口振りでブラスが答える。
「なんで、それでここまで来るんだい!」
「もう出発したものは仕方がないし、場合によっては報告がいるだろう」
心の底から不思議そうな顔で尋ねてくるブラスに、血管が切れそうになる。もうすでに切れているかもしれない。
「お前は! 商店の! 店主だろ! いつまで冒険者気分でいるんだい!」
「ふん、俺の心は死ぬまで冒険者よ! それに、これが商店主の体に見えるか!」
ブラスが自分の胸を叩く。
確かに本人の言うとおり、ブラスの体は現役時代に見劣りしない筋肉だるまのままだ。
「俺がいなかったせいでお前らが死んだと、残りの人生をめそめそ暮らすなんて真っ平ごめんだ。この俺の大盾が、今までお前らを助けてきた回数、忘れたとは言わせんぞ!」
タイラーとキセロを見ると、私の手前、一応あきれ顔を作っているようだが、ブラスが来たことを喜んでいるのが感じ取れる。
なんで、男というものは全員もれなく馬鹿なのだろうか。
「ブラス、お前……わしらがすでに死んどって、待っているのが魔物だったらどうするつもりだったんじゃ」
「長い付き合いだからな。その時は仇を討って、墓くらい建ててやるぞ」
「……そこは一緒に死んどけよ。なんで一人で勝つつもりなんだよ」
あきれるキセロに、馬車の荷台に乗り込みながらブラスが答える。
「お前らと違って、鍛えているからな。それに俺が死んでみろ、誰が墓に酒を供えてやるんだ?」
乗り込んだブラスを見て、タイラーが止めていた馬車を歩かせ始める。
キセロが苦笑した。
「違いないが、酒は生きている間に飲ませてくれ。……しかし、正直お前が来ても状況は変わらなかったぞ」
「まあ、その時はその時だ。相手は何だ。やはりグリフォンか?」
首を横に振ったキセロが、口の端を釣り上げた。
「ツーヘッドグリフォンだ。Sランクの魔物なんて、初めて見たさ」
「……キセロ」
ツーヘッドグリフォンの顛末を語ると、話がロロに及んでしまう。
キセロに釘を刺す。
「よく生き延びたな。それと、結局あのどでかい竜はなんだったんだ?」
「……そうだな。ギルドへの報告はしない条件で、ブラスにだけ教えてやっていいか?」
「……まあ、いいだろ。ブラス、嫁にも喋るんじゃないよ。命の恩人との約束なんだ」
「む、分かった」
昔の仲間のためにと命懸けで駆けつけてきた馬鹿には、それくらいの権利はくれてやってもいいだろう。
命の恩人という言葉に、少し神妙な態度になるブラスを見ながらそう思った。