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191  パールディル家の執事

 名乗るほどでもございませんが、私はパールディル伯爵家に仕えてそろそろ四十年になろうという執事でございます。


 当伯爵家の末娘でいらっしゃるリベルチカお嬢様がご病気になってから、半年ほどが過ぎた頃でした。


 パールディル家の息のかかった情報屋が、一つの報告をしてきました。


「最近噂の、尻尾付きの聖女が治せるかもしれませんぜ。試しに人を送り込んでみましたが、見事なもんです。病気の方も神官とは比べ物になりませんな」

「その、送り込んだ者とやらは?」


 いつも薄ら笑いを浮かべている情報屋は、初めて見るなんとも言えない表情をいたしました。


「ほだされちまって、手伝いをしています」

「……まあ、よいでしょう」


 実を言うと、お嬢様は国内有数の法術師である高位の神官に治療をしてもらったこともあります。


 依頼するのにツテも使い、パールディル家としても少なくない額を包んだのですが、結果は他の神官と同じで一時しのぎにすぎませんでした。


 その時に、これ以上はもうどうしようもないとさじを投げられてしまっております。

 あまり期待はしない方がよろしいでしょう。


「今は貧民街でしたか。先触れの者を走らせて、迎えの馬車をやりましょう」


 パールディル家の名前を出せば、つながりを持っておきたいと思うのは当然のこと。

 まだこの国の事情をそれほど知らなくても、当家のことは知っているでしょう。


 しかし、それは情報屋に止められました。


 女性はなにかと支度のいる生き物です。

 たしかに、貧民街にいるのですから、伯爵家を訪れるにはふさわしくない格好であるかもしれませんね。


「いえ、そうではなく……。実は貴族も治療してもらう者の列に潜り込んでいましてね。平民の格好はしていましたが、病気で隠居した先代のカミンシア男爵や、他にも貴族らしい者がちらほら……」

「……それが?」


 そのようなみっともないことをするとは……。

 たしかに当家ほど金銭的な余裕はないのでしょうけれど、正式に依頼すればよいものを。


「あちらさん、気付いていましたね。なんとか唇を読んでみたんですが、『貴族らしい方まで来てますね』『神官にかかっても治らなかった者でしょう。いちいち呼ばれるよりも、手間がかからなくてよいです』と」

「男爵家の者と、軽侮されたのではありせんか?」


 私の仕えるパールディル伯爵家と男爵家は同じ貴族でも天と地ほどもちがいます。

 同列に語れるものではありません。


「誰かまでは知っちゃいない雰囲気でしたぜ」

「それで、それがどうかしたのですか?」

「つまりただ目の前にいるケガ人や病人を治しているだけで、獣人の聖女さんにとっちゃ貴族も貧民も関係ないってことですな」

「…………は?」


 貴族と平民……ましてや貧民街に住む乞食たちまで同じように扱う……?


 ああ、日国は野蛮人の住む後進国ですからね。

 貴族そのものが存在しないのでしょう。


 世の常識というものを教えて差し上げてもよろしいのですが、まずはお嬢様の治療が先決です。

 ここはひとつ、大人の態度でこちらが向こうに合わせましょう。


「なるほど。こちらを優先させることに反発を覚えるかもしれない、という理解で合っておりますかね」

「そういうことで」


 こちらが気分を害していないことに、情報屋は安堵したようです。

 硬くなっていた気配が緩みました。


 田舎者相手にいちいち目くじらを立てるのも、伯爵家に仕える者としてみっとものうございますからね。


 それから、無事に聖女に会いお嬢様の治療を取り付けることができました。


 少々強引でしたが、パールディル伯爵家とつながりを持てたのです。聖女も後々感謝することでしょう。

 気にする必要はありません。


 まずはお嬢様の病状の説明をいたします。


「痛がり方はどんなふうなのでしょう? 神官の治療はどういった内容でしたか? それから……」


 私の説明を聞き終わると矢継ぎ早に質問を繰り出し、それから納得したようにうなずきました。

 どうやら、心当たりがある様子です。


 しかし、この聖女を名乗る者は不思議と気品を感じますね。

 やや男性的ではあるものの、獣人だというのに意外なことに所作や作法に付け焼き刃ではない自然さと優雅さがあります。

 ほだされる者がいることも理解できるというものです。 


「おおよそ理解しました。おそらく、治療に問題はないでしょう。それほど難しくないと思います」


 そう答えた聖女は、屋敷で少しだけお嬢様を観察したあと、驚くことに本当にあっさりと治してみせました。

 神官たちが誰一人治せなかったものを、たった数十秒、一度きりの治療で完全に治してしまったのです。


 それは、正しく本物の御力でした。


「終わりました。もう大丈夫ですよ。では、これで」


 治療を終えた聖女様は、本当になんでもないことだったかのように、せいぜい落としたハンカチを拾ってあげたくらいの態度で、もうさっさと帰ろうとしています。

 この方にとっては、治療した大勢の中の一人にすぎないということなのでしょう。


 喜ぶのは旦那さまと奥様たちに任せて、私は侍女の少女に礼金を差し出します。


 侍女の少女は、かなり重い袋を首をひねりながら軽々と受け取りました。

 そういえば、付いてくるときに護衛だと言っていました。

 見た目通りの腕力ではないようです。

 

「何これ? おやつ?」

「なんでですか……チアのお腹が減ってることはわかりましたが、礼金でしょう。私はこういったものは受け取っていませんから、お返ししてください」


 聖女様は、金貨にはまったく反応を示しませんでした。

 やせ我慢している様子もありません。

 本当に興味がないのでしょう。


 侍女の少女も、金貨と聞いて残念そうに袋を見ています。

 もしかすると、お金の価値がわかっていないのでしょうか。


「それはできかねます。パールディル伯爵家の矜持の問題ですから」

「正直に言いますと、お金で治療を引き受けるという話が広まり、お金を払えば治してもらえると思われては困るのです」


 言いたいことはわかりました。

 つまり、礼金でなければよいのでしょう。


「では、こちらは当家のお嬢様の快気祝いです。めでたい日でございますので、たまたま居合わせたこちらのお嬢様へ。我々の喜びをおすそ分けいたしましょう」

「たまたまですか」

「ええ、偶然にも聖女様の侍女殿だったとは世間は狭いものでございます」


 白々しく言い放つと、聖女様はため息を一つついた。


「こちらの本音も言わせていただきますと、これでもお立場を考えて当家としては控えめにしております。申し訳ありませんが、これ以上は譲れません」


 今まで一時しのぎの役にしかたたなかった神官たちに払った額を考えれば、それでもお釣りがくる額なのです。

 強引に押し付けさせてもらいました。


 その後、リベルチカお嬢様に起こる大きな変化は、この押し付けた金貨から始まることになります。

 私は、今でもあれを受け取らせた自分を褒めたたえたいと思っております。



 ◇ ◇ ◇



 数日後、一通の手紙が孤児院より届きました。


「ふむ? 孤児院から、わしとリベルチカあてに快気祝いの恩恵にたまわり感謝を、と来ておる。そのような寄付をしたのか?」

「いえ、私めは存じません。……そういえば、治った祝いにとお嬢様は奥様と買い物へ参られておりましたよね」

「うむ。新しい服が欲しいと」

「あの時に支払われたお金の、お釣りか余り金でも、ご寄付するようお申し付けられたのでは?」

「ふむ、なるほどな。ちょっと聞いてみるか」


 苦しんでいた病を治療してもらったことで、ひょんな仏心でもお嬢様に芽生えたのかもしれません。

 そういうことは、今までもたまにありました。

 すぐに忘れてしまいますが。


「え? ええ、そうなんですの」


 明らかにウソでした。

 旦那様は気がついておられませんが、私にはすぐにわかります。


 ということは……そうか、あの聖女様ですね。


 お渡しした金貨を寄付されたのでしょう。

 やはり多すぎたのかもしれませんね。


 ともあれ、つまらない散財をしなかったところは褒めるべきでしょう。


 旦那様の前では真心あふれる娘であることを心掛けるリベルチカお嬢様は、ぺらぺらとウソを重ねています。


「自分も病気で苦しい思いをしたので、辛い思いをしている者になにかできましたらと……」

「孤児院のことはいつも気にかけていまして……」

「貴族家に生まれた身として……」


 よくもまあ、あれだけ心にもない言葉が出てくるものだと感心いたします。


「そうかそうか。それでは、ぜひ訪ねてあげるといい。向こうも、是非にと言ってきておる」

「そ、そうですわね」


 あれはいつもの、内心面倒くさいと思っている顔ですね。

 旦那様がいなくなってから、リベルチカお嬢様がこちらへ詰め寄ってきました。


「ちょっと、どういうことか説明できますの?」

「ええ、おそらくですが……」


 私の推論を話しますと、お嬢様は大きなため息をつかれました。

 私めの方こそため息をつきたいところです。


「治してもらって言うのもなんですが、面倒ですね。まったく余計なことを……」


 それから数日後、お嬢様は孤児院へと供の者を連れてお出かけになりました。


 帰ってきたお嬢様は、いつにないほど険しい顔をしていました。


 学園の教師に余程の難題を出されてもあれ程の顔はなさらないでしょう。

 というのも、無理難題だと思うとすぐに諦めてしまいますので。


 それもそのはず、国内最大の港を持ち、うなるほどの財産を蓄えるパールディル伯爵家の娘となれば、湧き出る金貨の袋のようなもの。引く手あまたです。

 それを知っているリベルチカお嬢様は何に対してもやる気がなく、すさまじく怠惰なのでした。


「なにか、お気に召されないことでもありましたか?」


 お尋ねしてみると、話したかったのでしょう。

 怒涛の勢いで次々と言葉が飛び出しました。


「大歓迎でしたわよ! おいしいものを食べれた、きれいな服が着れたと! 孤児の自分たちを助けてくれたのだから、きっと困ってる人を放っとけない立派な人間だって信じておりましたわ! 私にも教えられるような初歩の初歩の刺繍を少し教えたくらいで喜んでみたり、つまらない知識にすごいすごいって……なにもかも褒められっぱなしでしたわ!」 


 これ以上ないくらいに恥をかかされたような顔で、お嬢様が地団駄を踏んでいます。


「まったくバカじゃないかしら! もし困ったことがあっても私がついているだとか! 私はお父様にお金をねだるくらいしかできない、何の才能ももっていない人間ですのに!」


 私はお嬢様のあがった息が落ち着くのを待ってからズバリお答えしました。


「お悔しゅうございましたか」

「何を……」

「刺繍一つ満足に教えられぬのが、悔しかったのでございますね」

「ちが…………ええ、ええ、そうですわよ!」


 一度下を向いて深く息をはいたお嬢様の目は、これ以上ないくらいに吊り上がっておりました。


「……じい! 刺繡のレッスンを今の三倍に増やしなさい。次に孤児院に行く時までにもっとマシになっておきます」

「承知いたしました」


 なぜもう一度行く必要があるのかは問いません。

 今は水を差すべき場面ではないのです。


「ピアノ……はしばらくいいわ。孤児院にないもの。代わりにヴィオリネの時間を増やして」

「そちらも、ただちに手配いたしましょう」

「あとは……なにがいるかしら。何か思いついたら言ってちょうだい」


 それ以来、リベルチカお嬢様の怠惰な暮らしは一変し、寝る間も惜しんで勉学や、レッスンに励むようになりました。


 そうなると教える側も熱が入ります。

 熱心な指導を受けて、お嬢様は驚くような早さで成長し、上達していきました。


 考えてみれば、お嬢様は今まで本気でなにかを期待されたことがなかったのかもしれません。

 できても、できなくても困らないし、何も変わらない。ずっとそう思われてきたのですから。


 しかし、お嬢様を心優しき英雄だと心の底から信じる子供たちと出会い、今はその憧れに応えようとしているのです。




 そして、それからしばらく時間が経ちましたが、お嬢様はいまだに孤児院の訪問を続けられています。


 今では、お嬢様のご希望で孤児院より一名が侍女見習いとして屋敷に入り、日々懸命に働いております。

 伯爵家の侍女に孤児院の者など、以前なら絶対に考えられぬことです。


「自分の娘だというのに、わからんものだ……。うーむ、またライプニッツ家から縁談の話が来とるな。あそこは一度断ったのだが」

「若人というのは、小さなきっかけで変わるものですから」


 当伯爵家とよしみを結びたい家々から縁談の話が舞い込むのはいつものことですが、最近はリベルチカお嬢様が才女として名を馳せられたことで以前にも増して申し込みが届いております。

 旦那様としては嬉しい悲鳴というところでしょうか。


 それだけではありません。

 お嬢様は、新たな挑戦を始めようとされておいでです。


「金貨一枚渡すのにも、私はお父様にねだらなければいけないわ。それに、もし孤児に手を差し伸べるなら、お父様は領内だけとお考えになるわよね」


 最初はそんな愚痴のような話から始まりました。


 貴族の世界しか知らず、興味も持たなかったお嬢様が、他領や国のことまで考えるようになるとは驚くばかりです。


「人を動かすことができるのも、一つの力です。しかし、領内だけということについては、その通りでしょうな。旦那様は領民を守るのが役目ですし、お立場もありますから」


 王都の孤児院も、管理する者を上に上っていくと国王様にたどり着きます。

 よそに領地を持つ貴族が手を出し過ぎるのは、あまりよろしくありません。

 これは当然、他領にある孤児院などでも同じことが言えます。


「例えば、どこかの商会などを通じて援助するのはどうかしら。もう少し垣根を越えて動けると思うのだけど」


 それならば、たしかに貴族という肩書きよりは角も立ちません。

 ある程度は自由がきくでしょう。

 ただし他所の組織を通すため、細かいところで思い通りにならない部分も出てくるかもしれません。


「パールディル領は成長の余地がまだまだ大きい領です。いっそ新たに商会をお立ち上げになられてはいかがでしょう。その方がお嬢様の思い通りに動けるかと存じます」

「でも、私は商売なんてわからないわ」

「私の親戚に、ウカ商会で働いているパントスという者がおります。彼に相談してみましょう」


 領主である旦那様がいらっしゃるわけですから、私でもいくつかやり方は思い付きますが、ここは実際に商いに携わっている者に相談しておくのがよいでしょう。


 そんなわけで、商会を立ち上げる方向で現在動き始めようとしているところです。


 ……とっくにパントスがウカ商会をやめて聖女様にお仕えてしていることも、そのパントスの伝手によって聖女様の知恵を借りた結果、商会があり得ない速度で急成長していくことも、この時の私やお嬢様はまだ何一つ知る由もありませんでした。


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[良い点] 執事の独白が途中から聖女「様」に変わってるのがいいですね。 登場人物が基本的に善人しか出てこないところが好きです。
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