187 スラムでの治療2
さて、のんびりお店を探し回るわけにもいかないし、乳母のあてもない。
ここは作った方が早いだろう。
よく考えたら、組成はわかる。
創造魔法より術式化して幻想魔法で自力で作った方が効率がいいな。
牛乳とその他、肉や魚、野菜など材料になりそうなものをドカドカ出しておく。
入れ物もいるな。缶の材料もだ。
記憶から掘り起こすのは、昔に見た粉ミルク缶のパッケージ。成分組成……。
うん、いけそう。
タンパク質、炭水化物、脂質、ビタミン各種……よし!
出来たのは缶入りの粉ミルク。
おっと、哺乳瓶も作らなければ。
「ん、こんなところかな」
「これが代わりのものですか? 読めない文字がびっしり書いてありますが」
「前のわたしの母国語だよ」
「ああ、再現系ですか」
さすがおりん、理解が早い。
記憶を再現したので、メーカー品のパッケージまでそのままになってしまったのだ。
日本語で商品名や使用量目安などが書かれている。
わたしには便利だが、他の人間にはまったく意味をなさない。
準備の方はそろそろいいか。
起きてくれるかな。
赤ちゃんの頭をなでると、薄く目を開けて口をもちょもちょ動かしている。
お腹は減ってるな。
うん、いけそうだ。
魔術でお湯を用意して、さくっとミルクを作る。
赤ちゃんを受け取って……聖女的にははしたないけどここは仕方ない。
足を組んでその上に乗せて、赤ちゃんに飲ませ始める。
赤ちゃんは早速勢いよく飲み時始めた。
「うん、飲んでますね。あなたも今のうちに食事をしておくといいですよ」
「いえ、他にも助けていただきたい子がいるので、呼んできます。姉たちと一緒に子どもを育てているんです」
保育園や幼稚園はない。
この世界だと家族やママ友で助け合いってところかな。
追加でさっきの母親の姉が二人、赤子を抱いてやってきた。
その二人にもミルクを飲ませながら話を聞く。
「施療院では対応が難しかったのですか?」
「近くの施療院は余裕がなく、乳母やヤギ乳の手配までできないからよそへ行ってくれと断られました」
施療院側もそれぞれ予算には限りがある。
誰をも救えるわけではない。
一般からの寄付なんかもあるが、寄付金がよく集まりお金に余裕があるようなところは、立地が良くて目につくところか、トップが人脈を持っているようなところだ。
この辺りではあまり期待はできそうにないな。
「他の地区の施療院へも行って相談したのですが、貧民街住みとわかると追い払われてしまいました。うちはまっとうな人間が困った時に来る場所だからって」
貧民街の住民は施療院でも扱いが悪いようだ。
聞いている感じだと、わたしみたいな獣人も助けてもらえるのかはあやしそうである。
特にお世話になる予定はないが。
「食い下がったら、体を売ってなんとかすればいいだろって。あいつら、貧民街に住んでいる人はみんな商売女か罪人だと思ってるんです。私らは、生まれて育ったのがここだっただけだってのに!」
文句を言いながら炊き出しのスープパスタを平らげると、母親が乱暴に食器を置いた。
思うところはあるが、これに関しては悪人を成敗してお終いという問題ではない。
悪意というよりは感覚の違いや無理解によるものだから、咎めても次の者が同じことを言うだけだろう。
「ちなみに……お三方の旦那さんは?」
「亡くなりました」
「それはご愁傷様です」
「妊娠したら逃げられました」
「それは……まあ、お気の毒です」
「詐欺で捕まって……」
「……それは、いない方がいいかもしれませんね」
旦那がいて働いている者は、仮に乳の出が悪くても、なんとかスラム内の乳母にお願いしたりしてしのげるそうだ。
まあ、乳母側も仕事でやっているわけだから無償というわけにもいかない。
赤ちゃんたちは籠に毛布を敷いて、今はそこで並んで眠っている。
赤ちゃんをのぞき込んでいるのは、病気の母親と妹の食事ももらえないかと言っていた少年だ。
お手伝いしたいと言われたので、なにかあったら教えてと言っており、妹と一緒に様子を見てくれている。
母親は肺炎だった。
背負われて運ばれてきた時は、ゼエゼエいいながらなんとか呼吸している状態だったが、肺の殺菌と炎症の治療をするとあっさり起き上がって動き回れるようになった。
体力は落ちたままなので今は食事を摂って休んでいる。
乳が出なくなった三姉妹も、肺炎の彼女も、結局は栄養不足が主原因なのだろう。
肺炎の母親の旦那は畑仕事の手伝いや荷運びをしているらしいけれど、神殿にかかるほどの余裕がなかったらしい。
新しく作る村に勧誘できそうな一家なので、頭の端にメモしておく。
しかし、試しにやってはみたが、感染症が洗浄でなんとかできてしまうのは自分にとっても衝撃の事実だった。
原因になっているものについてある程度の知識があれば、体の内部をターゲットにして洗浄魔術を使えば対処可能なようだ。
「あ、おりんちゃんが帰ってきた」
「おかえりなさい。どうでしたか?」
「問題ありません。娼館は話に前向きで、すぐに話がつきました。向こうからしても歓迎される内容だったようです」
「なるほど……。たしかにそうですよね」
娼館も働けない者を置いておきたくはない。
どう扱うか困っていたのかもしれない。
ただし、傷が治るとなると話はまた違ってくるだろう。
「治療後に文句を言ってくる可能性はありません?」
「治療予定であることは交渉時に伝えているので大丈夫です。文句があるなら治療費を、と言っておきました」
あとあとトラブルにならないようにきっちり話をつけてくれているようだ。
それなら遠慮なく治してしまえる。
「交渉時ってか交渉後だったけどな。あれだけ足元みたあげくに、よく言うぜ」
「こちらが足元を見られては困りますからね」
一緒についていったディンさんの言葉に、涼しい顔でおりんが答える。
それなりに現場でやり取りがあったようだ。
「しかし、扱いに困ってあっさり手放すくらいなら、なぜ最初にけがをしたとき治療しなかったのでしょうね」
「放っておけば治ると思っていたようでしたよ」
はいはい、そういうことね。
子供の回復力は高いからね。
大人なら治らないような傷でもきれいに治ることはよくある。
今回、その見立ては外れたわけだが。
「そういうわけで、イオナンタ。あなたは今日からうちの子です。よろしくおねがいしますね。まずは傷を治してしまいましょう」
「あの……治したら、お客を取るんですか?」
「そうですね。あなたがお世話するお客さんは、とりあえずあの子たちですかね」
まだ状況がわかっていない不安そうな様子のイオナンタに、籠を指差して笑う。
籠の中では、赤ちゃんたちがまだ静かに眠っている。
連れて帰る者が増えたので、こうなるとパントスが屋敷にいる間に帰っておきたい。
雇っている立場だけど、パントスは仕事がろくにない上に屋敷の保全は十分やってくれているので、基本的に何も指示を出さずに好きにさせている。
そんな感じなので確実にいるとは言えないけれど、日中はわりと屋敷にいるのだ。
もうしばらく治療と炊き出しを続け、日が暮れる前に切り上げないとな。
明日も来るのを確約したので、急病人がいない今、文句はあまり出なかった。
「では、今日の最後はあなたですね」
身内になったのもあり、一応後回しにさせてもらっていた。
娼館から譲り受けた女の子のイオナンタを治療すると、土下座する勢いで頭を下げてきた。
さすがにもう状況がわかってきたらしい。
「ありがとうございます。私ずっとここから出たくて……でも、きっと死ぬまでここにいるんだって思ってたから……。傷を治してくれたことよりもそれがうれしいです」
「大げさですよ。もしあなたがその気になれば、そんなのは全然大したことじゃなかったんだって、すぐにわかるようになります」
狭い場所から出れば、じきに世界が広いことに気が付くだろう。
この場所しか知らなかったので、自分でハードルを上げてしまっていただけだ。
連れて帰るのはイオナンタだけではない。三人の母親姉妹もだ。
「ほら、三人とも。よかったねえじゃなくて、あなたたちも一緒に来るんですよ」
イオナンタを喜んであげている三姉妹に、手を叩いて準備をせかす。
「え? 私たちは、そのミルクの粉だけいただければ……」
「この粉は腐りやすいですし、哺乳瓶も清潔でないといけません。当面は洗浄が使えて、お湯を出せるわたしやおりんがいた方が絶対にいいですから」
最低でも、自分たちで問題なくできるようになるまでは一緒にいてもらわないといけない。
「世話してもらえそうなら、うまくそのまま世話になるといいさ。ここで暮らすのをやめられるのならその方がいい。その子たちのためにもね」
貧民街の住民のおばちゃんが、横から三姉妹にこっそり言ってニッと笑った。
さっきわたしが治すまで虫歯だらけだった歯が、夕日に輝いている。
おばちゃんの耳打ちは、残念ながら狐獣人のわたしにはばっちり聞こえてしまっているわけだが。
まあ、うちの屋敷は空いているのでずっと居たところで別に困りはしない。
なんならもう一棟、今わたしたちが使っているような別館を建ててもいい。
「もしここから出たい人たちがいるなら、王都の南に村を作る予定ですからよろしければ考えてみてください。衣食住は保障いたします」
もっとも、聖女認定をもらってるとはいえ獣人のわたしが作る村だ。
貧民街ほどではないにしても、しばらくは街の者からあまりいいイメージは持たれないだろう。
それに関してはどう取り繕っても事実なので仕方がない。
なんとか待遇面でカバーしていくむもりだ。