178 メイセリアの合格
「課題の進み具合はどうかね?」
元宮廷楽士で自分の師であるウィラーシス先生と、彼に連れられて自分の兄弟子で宮廷学士の試験官でもあるクワイスさんが訪ねてきた。
三十以上離れていると兄弟子と呼ぶのはなんだか適当ではない気がするが、一応兄弟子にあたる。
今この場は正式な試験の場ではないが、ここで評価を得られれば合格はぐっと近くなる。
そういう意味で、今日も半分くらいは試験の場だといっても差し支えない。
「どうした? ずいぶんと疲れているように見えるが」
取り繕ってはいるが、クマだらけの顔と疲れた顔は隠しきれていないようだ。
こんなことならジニーにごまかせるような化粧を教えてもらっておけばよかった。
この前知り合ったばかりの化粧師を頭の端に思い浮かべた。
「ちょっと演奏会に参加したのですけれど、色々あって心の整理が追いついてないもので……」
清書のできていない大量の殴り書きのような楽譜を差し出すと、クワイスさんがそれを受け取った。
その分厚さに横にいる先生がぎょっとしているのが見てとれる。
本来の私ならありえない量のものなのでそれも当然だろう。
ついでに、記録として体を成していれば良いというような殴り書きのものを見せるのも初めてだ。
「ほう、聞いていた話とは違ったようだ。煮詰まっているようなら助言でもと思っていたのだが、ずいぶんと作ったものだね。演奏会とやらがよほど刺激になったのかな」
「すみません。思い起こして書き出すのに必死で、自分の作品まで作る時間はありませんでした」
頭が半分眠っている。
まともにしゃべれているのか自分でも定かではない。
「ふむ?」
楽譜を読むのに集中しているらしく、生返事をしながらクワイスさんがかなりのスピードで目を通していく。
「……この最初の曲だけで合格だと断言できるよ。あとは試験の場で披露するだけだ」
「クワイス、メイセリアの話を聞いていなかったろう。それは彼女の曲ではないそうだよ」
先生が呆れ気味に言いながら、クワイスさんから楽譜を受け取り目を走らせ始める。
「うん? ……しかしウィラーシス様、今見た中に、私が知っている曲は一つもありませんでしたよ。これでも異国の曲も含めて宮廷内でもかなり詳しい方だと自負しておりますが」
「……いや、少なくとも一つは知っているものがあるな。詩に覚えがある。これはハーフリングの歌だ。わたしの知っているものはもう少し短かったはずだがね。……他にはハーフリングものはなさそうかな。一体どこであった演奏会だね?」
そういえば、フィフィさんがそんなことを言っていた。
元々ある歌だが、そのお話の結末をたまたま知ることがあったから付け加えたのだとか。
その歌は、石にされた姫のお話だった。
ウィラーシス先生が楽譜から目を離し、こちらをのぞきこんでくる。
興味の中に少しだけ心配するような色が混じっている気がした。
「ロロナリエ様の演奏会に……お邪魔させてもらいました」
しゃべりながら自分で自分の声が気だるげなのに気付いて、途中から無理やり声を張った。
「最近うわさになっていた、聖女どののやつか」
「そうなのか?」
「何人かの同僚が騒いでいました。それで知っています」
「メイセリア、これはそこで演奏された曲ということかね?」
「はい、さすがに全部じゃないですけれど、書き記せればと思いまして……。主にロロナリエ様の、それとハーフリングのフィフィさんが自分で作られたと言っていたものです」
さすがに演奏している前で記録するのは失礼なのでできない。
それでもこの場だけで二度とないかもしれない曲もあると聞かされて、なんとか残しておきたいと思った時、誰かにそばでうなずかれたような気がした。
不思議なことに、そこから先の曲は紙に書き記すまでスッと頭の中に入ってそのまま残っていた。
なんなのかはわからないが、なにか不思議な力が働いたのは間違いないと思っている。
ひょっとしたら神様のお導きかもしれないなどと思ったが、さすがにおこがましくて口には出せない。
帰ってからは必死にそれを書き記し、可能な限り注釈を書き加えていた。
「ふむ。今の君を見れば大体わかるが、どうだったね」
「……素晴らしかったです。あの時、あそこにあったあれは本物の“音楽”でした……。聴いていて震えたのは、子供の頃に宮廷楽団の演奏を初めて聴いた時以来です。音楽ってこんなにすごいものなんだって、今更思わされました」
ウィラーシスが優しげな表情でうなずく。
若い弟子が新しい経験を積んだことを素直に喜んでくれているのだろう。
「ロロナリエ様もフィフィさんも……二人とも、私なんかが一生やっても届かないくらい先にいる人たちで……私、うぬぼれていたのかもしれません。まだ宮廷楽士に加えてもらうには実力不足なんじゃないでしょうか」
ウィラーシス先生の顔色が変わった。
「いやいや、そんなことはない。君の実力は私が一番わかっているからね」
「そこまで言うほどのものだったのかい?」
「はい」
即答した。
それだけは絶対の確信を持って言い切れる。
「フィフィさんは、本物の語り部でした。詩を歌うとどんな場面でも本当に自分がそこにいるようにしか思えないんです。魔法みたいでした」
まだあの場の夢を見ているような感覚が抜けきれてない。
今でもすぐに思い起こせる。
「そうだね。彼らは君の言う通り伝承や歴史を紡ぐ語り部の一族でもある。我々の演奏とは毛色が違うが勉強になるよ」
「ハーフリングなら、それこそウィラーシス様よりもよほど年上でもおかしくない。あえて言うなら、我々とは年季がちがうのさ。……今度こっそり年齢を尋ねてみるといい」
クワイスさんが最後に冗談のように付け加えてウインクした。
子供のような背格好に軽い口調だったので勝手に若いと思いこんでいたけれど、そう言われるとありえない話ではない。
「たしかに……そうかもしれません。知っている曲の数も数百はくだらないとおっしゃっていましたし……」
「そうだろう、そうだろう」
クワイスさんが我が意を得たりと大きくうなずく。
やはり、技術では長命種にかなわない部分があるのは仕方のないこと。
それはわかっているが、同時にその壁をやすやすと乗り越える者を見てしまったのだ。
「……でも、ロロナリエ様も、どの曲を奏でられてもその曲に込められた想いが全部伝わってくる、素晴らしい演奏者でした。歌も曲も、一つ一つがそれ以上のものに変わるんです。彼女は間違いなく私よりも年は下でした」
「……まあ、そういう傑物もたまにいるものだ」
「ロロナリエ様も信じられないくらいたくさんの曲を楽譜を見もしないで奏でられるんですよ。二人ともすごすぎて、私笑っちゃいました」
フィフィさんが数百曲を奏でられると聞いても、若いと思いこんでいた理由はそこにもあった。
自分より年下のロロナリエ様が、フィフィさんよりも更にたくさん知っているのだから。
「そんなにも? よほど子供の頃から教育を受けていたのだろうかね」
「いえ、ロロナリエ様の口ぶりだと、一度聞いた曲は全て覚えて演奏できるようで……。全部演奏してたら月が変わっても終わらないと」
「……それは何というか、かなり特殊な例だからあまり気にしない方がいいと思うよ」
「うむ。聖女だからとかそんなところだろう。それでもその数は多すぎるように思えるがね……」
クワイスさんとウィラーシス先生が神妙な顔をして目を見合わせる。
「ともあれ、それでこの楽譜ということか」
机の上に置かれていた楽譜を、クワイスさんが軽く叩いた。
「ええと……つまり、これは日国の曲ということになるのか、それとも獣人の音楽なのかな。失礼だが、どちらにしろこれほどのものだとは思ってなかったな」
「それが……私も同じことをお聞きしたところ、その曲はすべてこの世界にはない曲なのだと言っていました。それで書き記していたんです」
調べればわかることだから、そこまでは人に言ってもよいと言われている。
「この世界にはない……?」
「好きに扱っていいけど、曲の出処は教えられない。欲しければ私の曲にしてしまってもいいと言われました。冗談なのか本気なのか……さすがにお断りしましたが」
「……どういうことだろうね」
「わかりませんが、聖女どのは精霊使いであるといううわさもありました。妖精や精霊の歌だとか、神界の音楽などかもしれませんな」
クワイスさんの言うとおりであればなかなか幻想的な話ではあるが、自分には歌の内容などから人間が作ったものに思えた。
ただ感覚がかなり違うと感じるものもあったので、人族以外の歌も混じっているかもしれない。
「かなり多種多様でしたので……あり得るかもしれませんが、個人的には人族の作ったものが多いように思います」
「となると、古代のものかもしれませんな。死霊王との戦いで滅びたような数千年前の国々のものや、はるか昔に滅んだ種族の歌だとか」
「ふーむ、考えてもわからんな……」
ウィラーシス先生は、再度手に取った楽譜にさっきよりもじっくりと目を通し始めた。
なにかヒントでもないかと探しているのだろう。
それを横目に、クワイスさんが話を変えた。
「ところでメイセリアくん、君はこれからも聖女どのの演奏会には参加できるかね?」
「それは……可能かと思いますが」
一緒にカードゲームをしたり、それなりに打ち解けられたとは思う。
特に実は元々知り合いだった妹のメイレーンは、年も近いせいか、ロロナリエ様や従者たちと仲が良いようだ。
突然押しかけても嫌な様子一つもなく、再会を喜んで歓迎されていた。
妹のおかげであの輪の中に入り込めたと言っていい。
演奏会ではなく、カラオケ会だとか言っていたが、ストレスカイショウにたまにやりたいと言っていた。
ロロナリエ様の話にはよくわからない言葉が時々出てくるが、とりあえずまたやるつもりではいるようだ。
「よろしい。では君は近日中に宮廷楽士になってもらおう。私が全力で後押しする」
「え……はい?」
「参加できたら、今回のように記録し宮廷にも提供して欲しい。これを聖女どのの頭の中だけに留め、埋もれさせるのはいかにも惜しい。本人はそこまでするつもりはないのだろう?」
「そうですね。ないと思います」
ただ楽しめればいいという感じで、形式も手順も踏んでいない、貴族の演奏会とはまったく違う、むしろ酒場の音楽のようなものだった。
それをアリアンナ様がまったく気にしていないのにもなかなか驚かされたが。
アリアンナ様といえば、ソファに転がったり、ゲームではしゃいだりと、学園で見かけた時とは違う意外な一面を目にした。
案外と子供っぽいところもあって、年相応の子なんだと大分イメージを修正させられたものだ。
「私も実際に聞いてみたいね。機会があればいいのだが」
「王宮では難しそうですね、型通りの演奏会ではありませんでしたので。アリアンナ様は楽しそうでしたので、非公式ならなくもないかもしれません」
「姫様までいらしていたのか!?」
「あ、はい……」
思わぬところで宮廷楽士の内定を手に入れてしまった。
嬉しくはあるものの、両親にどう報告したものか。
とりあえず妹へお菓子でも買っておいてあげよう。