161 祖父母と執事
化粧の授業を無事に終了して自由の身になったわたしは、祖父母たちと会うためにおりんとチアと一緒に両親の屋敷へ向かった。
両親の家の使用人たちは全員契約魔術を結んでいるので、わたしの情報がもれる心配がない。
「おかえりなさいませ、お嬢様がた」
「おじゃまします」
そのまま奥へと通されると、両親たちとともに六十半ばくらいの夫婦と、四十くらいの男性がいた。
背の高い、やたら立派なもみあげの持ち主が、いち早く気づいてこちらに近づいてきてうやうやしく礼をする。
「初めてお目にかかります、クレアお嬢様。パントスと申します。以後お嬢様のために尽力させていただきますのでよろしくお願いいたします」
「初めまして。それを決めるのはまだ早いと思うけど」
「おや、すでにこの心は決まっているのですが。とはいえ、せっかくの時間を邪魔しては申し訳ありませんので、お嬢様の言う通り、続きはあとにいたしましょう」
濃い顔をした男が歯を見せて笑う。
マリッサの甥だと言っていたが、外見はまったく似ていない。
チアとおりんにもお嬢様、と声をかけてあいさつしている。
「わー、あごが割れてる」
「チアちゃん……」
「ハッハッハ。あごも腹筋も尻も割れております。お触りになられますか」
「ほんと? でもお尻とお腹はいいや」
「全部やめてください」
後ろの三人は放っておいて祖父母にあいさつする。
母が祖父母たちとわたしたちのことを紹介してくれる。
パントスはしれっとわたしたち側の人間のような顔をしてチアの横に立っていた。
「苦労したようだな……セレナから聞いたところだ。すまなかった。ご先祖の日記の内容がわかっていれば、クレアが生まれたときに我々も手を貸せていたら、もっとうまくやれていたらと思うことばかりだ」
「気持ちだけもらっておきます。育った場所でも、獣人として生まれたことでも、苦労したことは一つもないので」
こういうのは大人らしい態度でさらっと流せればいいのだろうけど、考える間もなく瞬間的に祖父に言い返してしまった。
チアと寒さに震えながら二人で抱き合って過ごした夜も、まだ冷たさの残る川の中にみんなで飛び込んで水浴びをした春の終わりも、みんなで励ましあいながら獲物の鹿を持ち帰ったことも、全部わたしたち兄弟の大切な思い出だ。
それは、苦労じゃない。
「孤児院で育ったのに、か?」
「ナポリタ孤児院で育ったから、です」
わたしが言い切ると、祖父が笑い出す。
なぜかお父さんが祖父に謝った。
「すみません。誰に似たのか、少々我が強いようでして……」
「いや、大いに結構です。お仕えがいがありますな」
パントスが楽しそうに笑みを浮かべている。
祖母はふんと鼻を鳴らして腕を組んだ。
「孤児院で育ったんだ。それなりに性格も強くなるだろうよ。ただし、自分を押し通すには強さがいるもんだ。覚えておきな。世の中にはあんたの知らないような大きな力がたくさんあるんだからね」
それくらいは知ってるよ。
一番わかりやすいこの国の最高権力者を味方につけてるし。
「……ねえ、父さん。どこまでわたしのこと話したの?」
「まだクレアが行方知れずになった経緯と加護のこと、ロロという名前で暮らしているということだけだ。そもそも現状についてはどこまで話していいか聞いていなかっただろう。契約魔術のこともあるしな」
ああ、そういえばそういう部分は別に詰めていなかったな。
先に来て話をしていると思ってなかったし。
「なんだ。じゃあ、わたしが豊穣神の御使い、聖女ロロナリエだってこともまだ言ってないんだ」
「そうだが、言っていいのか?」
「なに!?」
二人があんぐりと口を開け、パントスは対照的に目を輝かした。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。たしかに日国から獣人の聖女がやってきたという話は聞いたが……」
「うん、あれがわたし。日国で修行してきたからね」
「あんた、何があったんだい? わたしらはナポリタの孤児院で育って、王都に両親を探しに来て加護だが鼻だかを頼りに探し当てたくらいに思ってたんだがね」
「今はここにいないけど、家族に風の精霊でストラミネアって子がいて、探してくれたのはその子。で、そのあと……」
「風の精霊使いの噂はあんたかい!?」
「うん、それもわたし。それでね……」
適当にかいつまんで両親にしていたのと同じ説明する。
「……ってわけで、今は休止扱いにしてるけど、三人とも冒険者だよ。わたしは豊穣神の御使いになっていて、横のおりんは炎の精霊で、チアはアルドメトス騎士団長の一番弟子だね」
一番弟子も何もアルドメトス騎士団長に弟子はチア一人しかいないけどね。
息子のフリメドを弟子に入れるなら二番弟子になるかな。
「……はあ、こりゃたまげたね。死んだはずの孫娘が生きていたってだけでも驚いたもんだが、まさかこんなことになってるなんてねぇ。噂の聖女がまさか孫娘だとは思いもしなかったよ。パントスも結婚相手やら住むところやら世話がいるかと準備していたようだったんだけど、意味がなかったようだね」
「はっはっは。そうですね、方々にしていた根回しがすべて無駄になってしまいましたな」
すべて台無しになったと言いながらも、今この場で聞いた事実を前にそんなことは些事だとばかりにパントスはいかにも楽しそうだ。
おもしろそうなことになってきたと顔に書いてある。
「しかし、聖女は十四、五才くらいだったように聞いていたのだが?」
「ああ、それはこういうことだよ」
当然の疑問を口に出した祖父に姿を変えて見せる。
これについても、仮に口をすべらしても信じてもらえない類の話なので見せて大丈夫だろう。
「ほう。性格はまるで似ていないが、セレナの若いころを思い出すね」
「お母さんもまだ若いと思うけど」
まだ二十代だからね。
「ほんの一時だと思って、本人の希望もありパントスの好きにさせることにしてやったんだが……やれやれ、こりゃ当分戻ってきそうにはないね。空いた穴を開けっ放しにはできんか。別の者で埋めないといけないね」
「いや、まだ決まってないんだけど」
まだ、詳しい話は何一つしていない。
聖女だなんだと聞いてよくわからないが面白そうだ程度に思っているのかもしれないが、やってもらうのは今のところ屋敷の管理くらいしかない。
「そいつの顔を見てみな。今更やっぱりやめますと言いそうな面に見えるかい?」
「肩書きほど実際にはおもしろそうなことはしていないんだけど」
「よく言いますにゃ」
祖父母との顔合わせを終えたあと、パントスはそのまま家までついてきた。
聖女の住んでいる屋敷ということですでに噂がまわっているのだろう。普通に場所を知っていたようだった。
これについてはしっかり精霊使いの女主人という噂を広めてくれていたジニーの功績だな。精霊使いって聖女のことだったのね、と噂はすぐに上書きされたようだ。
まあ、パントスも本宅ではなく使用人ハウスに案内すると、なぜこちらに……といいながらさすがに驚いていたが。
「こちらの家もずいぶんきれいに整備されていますね。」
「そう? 最低限のつもりだよ。っていうか、屋敷の方がまったく手を入れていないんだよ。今みたいに余裕がなかったしね」
「ああ、なるほど……。お三方で暮らしているとなると、たしかにそうなってしまいますか」
とりあえず椅子をすすめてテーブルを囲む。
「それで、パントスさんはどこまで本気? 今までのが祖父母の手前のポーズなら、わたしが断ったことにしてあげるから正直に言っていいよ」
「これまでの言動、もちろんすべて本気ですが」
「祖父母にも、元いた商会にも話せない秘密も抱えなきゃいけなくなるし、ここにいてもつまらない地味な仕事ばかりと思うけど? なんでそんなに乗り気なの?」
パントスは一瞬宙に目を向けてから、わたしの顔をじっと見てどこか懐かしそうに目を細めて笑った。
「話せないことは、どこで働いてもできるものです。さて、信用していただくために、腹を割りましょう。このパントスめは、本当はあなたのお母上にお仕えしたかったのですよ。……それこそ、騎士のように」
「……は?」
「……ほへ?」
「……にゃ?」
「しかし、それは我が叔母の役目であり、そして何よりあなたのお父上の役目だった。私はただの端役でしかなかった。それはそれでよいと思っていました。そしてセレナ様に娘が生まれると聞き、その時、私はその子を支え導くのを生涯の仕事の一つとすると決めました。行方不明になられてしまい一度はあきらめていたのですが、クレア様が生きていらっしゃったという報を知り、我慢できなくなりましてね」
うっかり流しかけたけど、死んだことになっていたはずなのに、パントスは行方不明だと知っていたわけか。
うーん、油断ならないな……。
「えーっと、つまり母のことが好きだったってことですか?」
「いえ、恋愛感情ではありません。あこがれだったというべきか、それともきれいな花の行く末を大事に見守りたかったとでもいう方がわかりやすいですかな」
すごくきれいな例えをしてくれているところ悪いが、わたしの頭の中に浮かんだ言葉は『推し』だった。
母のファンだったってことでいいのか?
「まあ、クレア様にはまだ理解しがたいかもしれませんな。念のために申し上げますと、私はすでに結婚しており子供もおりますのでご心配なく。ともあれ、今日会ったばかりの私めを信用しろというのも難しいでしょう。必要ならば契約魔術で縛っていただいても結構ですが」
「まあ、別にそこまでは……。わたしたちは数日したら日国に立つし、当面屋敷の管理だけだし……。とりあえず一、二カ月くらいで一度戻ってくるつもりだけど。ああ、それとわたしのことはロロって呼んで」
長年、祖父母の商会にいた人間が何かしてくるとは思えないし、無理にできることを挙げるとすれば横領くらいだろうか。
ロロナリエの正体をばらまいてもパントスにメリットはなさそうだ。
「承知しました。しかし、日国となると、一、二カ月くらいで行き来できる距離ではないのでは?」
「……できるんだよ。わたしたちはね」
「なるほど。聖女の力ということですか」
「まあ、そんなとこ。というわけで、まったく管理していなかった屋敷についてその間になんとかしてもらっておこうかな。お金は渡すからお任せしとくね」
引っ越してくる前に宰相が一度手を入れてくれたとはいえ、丸一年放置しているのでそれなりには荒れている。
ちょうどいいのでなんとかしてもらっておこう。