160 魔術師長への依頼
肥料の製造について、魔術師や錬金術師のギルドにコネもなく知り合いもいない。
内部事情もさっぱりピーマンなので、とりあえず宮廷魔術師長を頼ろうと会いに行く。
今回は飛び込みではなく、ちゃんと事前にアポを取っている正式なものだ。
なので、今はロロではなくロロナリエの姿である。
王城の研究棟には初めて入ったな。
「ようこそいらっしゃいました」
「こんにちは。本日はよろしくお願いします」
部下だか弟子だかを引き連れた魔術師長と適当にあいさつを交わす。
奥に案内されたところで、まずは魔術師長が研究している魔法の話だ。
「それでは、研究されている術式を見せていただけますか? それとも、疎いのでよくわからないのですけれど、秘密になさっていて完全に開示するのは難しかったりするようなものなのでしょうか?」
「いえ、ここには見せても問題ない者しかおりませんので」
「そうですか。素人に毛が生えた程度の者ですので、一助になれればよろしいのですが」
祈るだけの者が見て何がわかるのか、などひそひそと話している声が聞こえてくる。
ですよねー。
魔術師は神官嫌いだよねぇ。
「大丈夫かね?」
「まあ任せといて」
小声で聞いてくる魔術師長に、余裕の笑みで返す。
魔術師長が準備を整え、術式を描き始めた。
さてさて、これが魔術師長が研究していたっていう術式か。
なかなか興味深いな。
ふむ、こういう感じか……。
勘とセンスで作られたソフィアトルテの術式とはある意味真逆に近い。
基本に基本を塗り重ねて作られたような術式だ。
重苦しいなあ……魔力効率悪そう。
じゃあソフィアトルテみたいな術式にすればいいのかと言えば、あれはあれでセンス頼みなので常人に真似できるものでもないんだけど。
「ん-、基本構造は教科書的……ですけど、なんというか、作るのに根気のいりそうな術式ですね」
魔術師長の部下たちが失笑した。
複雑な構成を持つ魔法の術式を、今までろくに見たこともないのだろうと思ったらしい。
魔術師長だけは意図が伝わっているらしく、少し苦い顔をしている。
うんうん、わかるところとわからないところがあるな。
大体は推定できるけど、わからない部分についてはわたしの知らない伝承がベースになってそうだな。
問題点を探しながら、魔術師長が時間をかけて術式を完成させていくのを待つ。
さてさて、とりあえずわかる範囲の問題点を指摘していこう。
「中央の基礎部分、これはアンクローグの魔法陣を参考になさってますよね」
「……ええ、そうですね」
魔術師長の部下から、へえ、とか、それくらいはわかるのか、などと聞こえてくる。
周りの反応からもわかるように、非常に有名な魔方陣だ。
「あれはたしかにアウラ……様の御力を借りるためのものとして有名ですね。ただ現存している部分からだとわかりにくいですが、本来は攻撃用の術式なんですよね。大地神の怒りを示すものなので……だから、神聖魔法の術式なんかでも使われません。今回の術式にも不向きでしょうね」
魔法なんてほぼ攻撃用だと思っていいので、通常なら問題にならない部分なんだけどね。
今回は大地の活力を増す神官の祈り代わりになる魔法を作りたかったわけで、例外にあたる。
「う、むう……。まさか、原因がつかめないとは思っていたが基礎部分に問題があったとは……」
魔術師長が肩を落とす。
「しかし、キミ……じゃない。ロロナリエ様は神聖魔法の術式を見たことがあるのですか?」
あれ、魔術師長見たことないのか?
珍しくはあったけど、使い手がまったくいないってほどのものでもなかったんだけどな。
回復系のスキルや術は普通は神官なんかの領分だし、しっかり分業するのが最近のスタンダードとかで、廃れているんだろうか。
「ありますけど、今はその話は置いときましょう。それから、この下の部分はクランベルシリカの碑文を参考にされていますよね」
「……ええ、おっしゃるとおりです」
「あれは一般的に出回っているものは翻訳の精度が悪くて、一部の記載で大地神アウラと地の大精霊ノームがごっちゃになっていたこともあります。原文をご自身で確認された方がいいと思いますよ。……わたしがパッと思いつく程度で先ほどのと合わせて手直しをするならこんな形でしょうか」
術式を一部描き換えてみせた。
「なっ、早っ……基礎部分とそれに連動している部分をかなり広範囲に描き換えたぞ」
うん、大地神アウラとのつながりが感じ取れる。
この感覚に関しては神化したせいだ。普通なら別の魔法を使って確認が必要になる。
「これで発動するでしょうね。神官の祈りのような効果が得られると思います。あくまで一例ですけど」
「あ、ありがとう……ございます」
感嘆の声が周りから漏れた。
理解度の高い者は術式に必死に目を走らせるている。
尊敬の視線が集まる中、魔術師長は複雑そうな顔をしていた。
完成した術式をうれしくは思っているのだろうが、問題点をわたしがこの場であっさり解決しすぎたせいだろうか。
「あ、えーっと、たまたまわかる部分でよかったです。わたし、大地神に関係する魔法だけはなんとなくわかるんです! こう、聖女的な力で!」
「そ、そうかね……」
あぶない、あぶない。
新しい村を作るのに聖女をやっている手前、魔術師や魔法使い扱いも困るのだ。
ただ、修正してはみたものの、この術式は研究としては有用だが現段階では実用性は低そうだな。
まだまだ改良が必要だろう。
使い方もだし、効率面にも問題がある。
「実用には厳しそうかと思いますが。今の段階で利用するなら、術式を下敷きに区画を調節して新しい農地を造り、時期を決めて魔力を走らせるとかでしょうか。もう少し効率化も考えた方がいいかと思います」
「うーむ、たしかに……。とはいえ、一歩進んだのは喜ばしいことです。ロロナリエ様、感謝します」
「お役に立てたのならうれしいです。こちらからのお願いもしやすくなりますからね」
冗談めかして言うと、魔術師長がうなずいた。
「例の肥料のお話ですね。詳しく聞かせていただきましょう」
製造を行うために、条件などについて説明する。
ただ、わたしが詳細にわかるのはハーバー・ボッシュ法による窒素からのアンモニア合成くらいで、そこから先の尿素の合成なんかは結果を知っているだけで反応条件を知っているわけではない。
高温、高圧下だろうとか、触媒を使うんだろうとかざっくりした推定はできるが、細かい条件は不明だ。
尿素でさえそれなので、もちろん硝酸アンモニウムや硫酸アンモニウムといった窒素肥料成分の合成条件はパッパラパーである。
化学式から材料についてざっくりした予想ができるくらいだ。
「ふーむ、なかなか骨が折れそうだね」
「尿素の合成法を確立するのが一番最初ですね。まずは秋の小麦の種まきまでに間に合わせたいので」
「では、合成法は取り急ぎ我々でやろう。生産には錬金術師ギルドの方を中心に協力してもらう。農業関連となるとどこまでも話の規模が大きくなるから、ギルドの手綱はこちらで握りたいところだね」
「その辺の配分はお任せします。正直、まったくわからないので」
これで一安心だ。
その後は王妃様に会って化粧の件についての確認だ。
明日から二、三日で化粧師たちに教える手はずになった。
そして翌日、化粧師たちに授業していると、魔術師長が飛び込んできた。
ちなみにただの授業なのでロロナリエではなく、ロロモードである。
向こうも授業されるのに聖女よりはこちらの方がやりやすいんじゃないかと思ったのだ。あと、単純にロロナリエの聖女ムーブはやってて肩がこる。
授業の方は現役化粧師の人たちが相手だ。
大貴族付きの人たちで、想像していたよりみんなハイレベルだった。
基本ができているので飲み込みが早く、むしろ教えるこちらがたじたじである。
「成功した!」
「は!?」
呼ばれて行ってみると、屋外の実験場に大量に尿素の結晶と思われるものが積みあがっていた。
一応鑑定してみるが、間違いない。
「どういう条件でやったの?」
「キミ……じゃない。ロロナリエ様の言うとおりに高温、高圧下の条件でね、触媒にはミスリルを使ってみた」
「…………なんでそんなもの使ったんですか?」
「ミスリルは魔力反応性が高いだろう? それで、とりあえず試してみた。教えてもらった中間物のアンモニアの合成も、聞いていた触媒よりも断然効率がよかったぞ」
「……ミスリルやオリハルコンやアダマンタイトなんかは試したことなかったですね」
そりゃそうだ。
そんなものは地球上に存在しない。
ストレージ内に持ってはいるが、選択肢に入れてなかった。
しかし、いの一番にそんな稀少金属を試してみるとは思わなかったな。
「ああ……そうか、つい忘れてしまうがキミは元々孤児だったな。そういったものは入手が難しいか」
「……そうですね。しかし、ここまで効率がいいなら、個人の錬金術師にそれぞれ作ってもらうよりもミスリルを使ってまとめて製造した方が量を確保できそうですかね。原材料はどうせありませんし」
窒素や二酸化炭素なので、原材料は無いに等しい。
空気があればできる。
「輸送の手間もあるから一概には言えんし、もう少し手軽な生産方法も確立した方がよいとは思うがね」
「でも、製造部分を国で握ってしまえるなら握ってしまった方がいいと思います。使い方をよく知らずに大量使用されてもまずいですし、偽物の心配もあります。みんなが扱いに慣れるまではこちらで管理できる方が安全ですから」
たくさん使えばよく効くなどと思って乱用するやつは絶対に出てくる。一元管理できるなら、ある程度抑制も効くだろう。この方がしばらくはメリットが大きそうだ。
うーん、まさかのスピード解決を果たしてしまったな。
「条件を変えながら、そのままデータを取っていてくれ」
魔術師長が指示を出す。
わたしはまた化粧師さんたちのところだ。
実験を続ける部下を横目に、魔術師長が途中でわたしを借りたから一言詫びを、と一緒についてきた。
「そういえばキミ、バクスター伯爵とどんな話をしたんだい?」
「へ!? な、何の話です?」
なんで魔術師長が知ってるんだ。
どこまで聞いているんだろう。実は魔術師長と友達でこっそり聞いたとかじゃないよね。
「昨日、陛下に引退の報告に来てね、代替わりするそうだ。その前に、キミと話の場を設けたらしいじゃないか。それで領内の整備のためじゃないかって話していたのさ。キミと肥料や農法の話なんかをしたんじゃないかと思ってね」
「あ、あー、まあそんな感じです」
なんだ、状況から推測しただけか。
事情を知らない人からしたら、わたしが訪ねてから突然引退したってことになるもんな。
「本人は、衰えを感じたので、なんて言っていたが、行動の早い方だよ。まあ我が国の食糧庫の一角を抱えているから、片手間では厳しいと思ったんだろうが……。キミの持ってきた肥料とノウハウにずいぶん期待しているということだろうね」
そういうふうに受け止められているのなら、ロロナリエが大地神の神殿に一緒に祀られてもあまり不自然には思われないかな。
これはこれで都合がいいか。
「ああ、そういえばもう一人行動の速い方もいたよ」
「もう一人?」
「二人いる北の辺境伯の一人でね。バーテード辺境伯というんだが」
「バーテード……?」
はて、どっかで聞いたような。
えっと、たしか……。
「あっ、あー! あのバーコードのデブ閣下!」
最初に王都に来た頃のわたしに、うちで下働きしろとか大人になったらわしの子供を生ませてやってもいいとか言ってきたキモいおっさんだ。
結局、最後は魔術師長ともパーティーを組んでいたトニオ司祭ににらまれて逃げていった。
「バーコードじゃなくてバーテードだよ。まあ一癖あるんだが、あれでも優秀な方なんだよ」
言い間違えと思われたらしい。
名前じゃなくて髪の話です。
「えー……あの下品な好色男がですか?」
「……なるほど、誰かに聞いたのか。まあ有名だからね」
げんなりした声で返すと、魔術師長が苦笑して頭をかいた。
聞いたんじゃなくて、実体験だよ。
獣人のわたしにまで手を出そうとしてたんだぞ。
こっそりと獣人を手籠めになんて貴族もいるにはいるかもしれないけど、天下の往来で堂々と獣人のわたしに声をかけてきたのだ。
今ならあの時よりも状況がわかるけど、貴族という立場を考えると相当やばい人間である。
他人からどう見られるかとか一切気にしていない。
てか、やっぱり有名なんだ。
「彼はたしかに非常にたくさんの妻や愛人がいて、節操無しともいわれているが……その全員に十分豊かな暮らしをさせているんだよ。やり過ぎだとは思うが、甲斐性だという者もいるからね。あまり悪しざまに言うものじゃないよ」
ハイ、ソウデスカ。
節操がないのは間違いないね。
しかし……あれで甲斐性はあるのか。
「別に詳しく知りたくもないんですけど……その人がどうしたんです?」
「王宮内での役職に後輩を推薦して、電光石火で領地に戻っていったよ。キミのお披露目の帰り際に、このままではマズい、と言っているのを聞いた者がいるそうだ。キミがこれからもたらすこの国の変化を先読みして、何か手を打つつもりなんだろうね」
それ、街で声をかけたわたしが聖女であるロロナリエの関係者だって気付いて、王都から逃げただけなんじゃ……。
わたしからすると王都からいなくなったのなら快適になっていいことだけどさ。
その日は化粧の授業を終えて、そのあと王妃様からドレスの依頼を受けたり、アリアンナ姫とのんびりおしゃべりしたりして、ちび姫エライアのところに遊びにいっていたチアたちと合流して帰路につく。
おりんはネコ姿で相手してあげたそうで、追いかけまわされたり振り回されたりしてぐったりしていた。